仲良くしようぜパレードに対する不支持声明

仲良くしようぜパレードに対する不支持声明

 

  714日(日)に大阪で仲良くしようぜパレードが予定されている。これについて、そのタイトル、ならびにスタッフであるとする者や参加を呼びかけている者のこれまでのネット上での発言や交信を見れば、直接運営を担う人間こそ違えど、「しばき隊/プラカ隊」のカウンター行動の延長にあることは明白であり、よってこれが「反レイシズム」の仮面をつけたレイシズムを矮小化し維持するイベントとして私たちはこれに対して不支持を表明する。

 ここで、パレードの主催が一連のカウンターの主体と必ずしも一致しないのであればその延長として捉えることは妥当ではないという意見もあるかもしれないが、その場合においても半ばカウンター行動のキャッチフレーズと化した「仲良くしようぜ」という標語を掲げたパレードの企画者側が自ら一連のカウンター行動についての評価を公式に表明すべきである。「仲良くしようぜ」はもはやただのフレーズではない。行動する保守の街頭行動を止めるという名目の下に、社会運動内での差別行為に対する基準や批判者への敵対の基準が「社会正義」実現の大義の下に次々と緩和され、権威の誇示と批判者への暴力の示唆がなされている事を多くの人が危惧してきたし、その事と、時に差別が再強化されてきたことを批判してきた。

 まずは街頭に出てもらう事だ、ともに街頭に出て街の人や見守る人へ勇気を与える事だ、街の人への危害が食い止められさえすればそれでいい、という主張が「しばき隊/プラカ隊」の呼びかけ人や積極的賛同者たちから出ている。さらには、どうせ人を集める事も食い止めることもできないのだから「ヘサヨ」は「細かいこと」を言わず足を引っ張らず黙っとけ、囲むぞといった発言まで出る始末である。

 これは差別の被害を特定の地理的な場所に限った上での、反差別の論理ではなく動員と制圧の論理ではないか。それだけならまだしも「しばき隊/プラカ隊」枠で行われた差別行為や論理性の弱さへの批判に対して黙れだの人数もろくにいないくせにだのといった反駁の仕方までくれば、これはもはや勝てば官軍多勢に無勢の軍事の論理ではないか。自分たちの言動の暴力性を顧みずに動員数と街頭の制圧だけにこだわった結果として制圧の後に残るのは「現場」で/から形成される「ナショナルプライド」であり「現場」で/から形成される日本国民的連帯であり、それにそぐわないものは改めて「こうるさいヘサヨ」「団結を破るもの」としてレッテルばりされ疎外され、そういった部分には暴力も排除も容認されていく、そういう荒涼とした空気ではないだろうか。

 今、パレードの実行の過程において、また今後に渡りそれが強化されていく事を改めて危惧する。この「仲良くしようぜ」を合言葉に宣伝し動員がかけられていながら、一連のカウンター行動で起きてきたことへの批判(とそれに対する誹謗中傷を込めたレッテル張り攻撃)に対して無関係を装うのであれば、それもまた不誠実極まりない無責任なパレードとしてやはり不支持を貫くべきであると考える。

 最後に、主催者の年齢(具体的にはその若さ)や「思い」の純粋さを強調して批判を邪魔者かのように扱う向きも一部でみられるが、大変くだらない。「若者」の運動、その「思い」を支えたいなら、批判に応える上でのアドバイスでもしっかり送ってあげればよいのであって、無責任を促して信頼を得られない運動を作らせてどうする?自分がやらなかったことを「若者」の「思い」に乗せて無責任さまで含めて代行させるのはやめるべきである。それこそ主催者に失礼な話としか言いようがない。

 批判者をたたき出せ!こんな声が賛同者から出てくる軍事的運動はもう十分だ。私たちは批判者をたたき出すよりも、自分たちが内面化している多数の差別感覚をえぐりだしたたき出す反差別運動をしていく事をここに宣言する。

コトコトじっくり煮込んだ日帝♪