本当(ほんとう)に「レイシスト」をしばけるの???-ルビつき-①

はじめに

野間(のま)易通(やすみち)()()びかけて(はじ)まったレイシストをしばき(たい)」や、それに鼓舞(こぶ)されるように木野(きの)トシキ()呼びかけた(よびかけた)「プラカ(たい)」などが、在特会(ざいとくかい)在日(ざいにち)特権(とっけん)(ゆる)さない市民(しみん)(かい))を中心(ちゅうしん)とした「行動(こうどう)する保守(ほしゅ)」のヘイトデモへのカウンターが2013(ねん)2(がつ)以来(いらい)(さか)であるが、これらの活動(かつどう)(かか)えていると(おも)問題点(もんだいてん)について幾つ(いくつ)指摘(してき)したいと(おも)

 

(1)名前(なまえ)問題(もんだい)

まず、「レイシストをしばき(たい)」という名称(めいしょう)、つまりは「レイシスト」に対峙(たいじ)(もしくは退治(たいじ))するという看板(かんばん)(かか)げて(かれ)らが実際(じっさい)(おこな)うのは「行動(こうどう)する保守(ほしゅ)」へのカウンターなのだが、これでは「レイシスト」が一部(いちぶ)特異的(とくいてき)集団(しゅうだん)として非常(ひじょう)限定的(げんていてき)定義(ていぎ)されてしまう効果(こうか)()みかねない。差別(さべつ)というものはする(がわ)告発(こくはつ)()けるまでなかなか気付(きづ)かないものであり、告発(こくはつ)()けても否定(ひてい)したがる(もの)(おお)い。日本人(にほんじん)朝鮮人(ちょうせんじん)関係(かんけい)においていえば、朝鮮人(ちょうせんじん)民族(みんぞく)差別(さべつ)だと告発(こくはつ)するものも、(おお)くの日本人(にほんじん)にとって合理的(ごうりてき)区別(くべつ)だといわれることが(おお)い。(たと)えば「高校(こうこう)無償化(むしょうか)制度(せいど)について、朝鮮(ちょうせん)学校(がっこう)通う(かよう)(もの)たちは除外(じょがい)されているが、世論(せろん)二分(にぶん)されている。つまり、日本(にほん)社会(しゃかい)のおよそ半数(はんすう)は、日本(にほん)()高等(こうとう)学校(がっこう)として認可(にんか)されている学校(がっこう)(かよ)(もの)(たい)して支給(しきゅう)される就学(しゅうがく)支援(しえん)(きん)を、(かよ)学校(がっこう)朝鮮(ちょうせん)学校(がっこう)であるという理由(りゆう)をもって支給(しきゅう)しないことを()としているのである。これも差別(さべつ)がする(がわ)にとっては区別(くべつ)としか認識(にんしき)されないという命題(めいだい)(しめ)一例(いちれい)であろう。そして(げん)に「レイシストをしばき(たい)」の活動(かつどう)鼓舞(こぶ)されて(はじ)まった仲良く(なかよく)しようぜ」という標語(ひょうご)中心(ちゅうしん)としたプラカード(たい)以下(いか)「プラカ(たい)」)の活動(かつどう)など、各地(かくち)で「行動(こうどう)する保守(ほしゅ)」へのカウンターに参与(さんよ)する(もの)のなかには朝鮮(ちょうせん)学校(がっこう)(かよ)(もの)無償化(むしょうか)から除外(じょがい)することについては()という立場(たちば)(もの)もいる。

 

このように()行動(こうどう)する保守(ほしゅ)()へのカウンターをもってして、それ単独(たんどく)にレイシズムに反対(はんたい)するという次元(じげん)には(いた)らないという批判(ひはん)について、野間(のま)()は「眼前(がんぜん)暴力(ぼうりょく)」をやめさせることを優先(ゆうせん)するという主張(しゅちょう)展開(てんかい)するがこれは()たして反論(はんろん)になり()るだろうか。