本当(ほんとう)に「レイシスト」をしばけるの???-ルビつき-③
(a)は「プラカ隊」の活動初日を終えての木野氏の所感であるが、木野氏らの活動は在特会会長である「桜井誠にダメージを与え」ることが目的であるのだろうか?植民地支配の歴史を知らずとも「普通のひと」の「普通の良心」をちょっと勇気を出して振りまけばヘイトデモに反対できるというメッセージが込められているのだろうが、これは日本のレイシズムの元凶を問わせずにヘイトデモ<だけ>に反対しようという呼びかけの効果を生むものである。これがレイシズムそのものを結局は維持するもの、つまり反レイシズム運動に至らないのは(b)および(c)から明らかであるように思われる。
(b)(c)は朝鮮学校に通う者に対する「高校無償化」排除への賛同者が大阪のコリアタウンがある鶴橋におけるヘイトデモをやめさせるためのネット署名を展開した際に、批判がなされたことに対する野間氏の見解である。野間氏自身、これに署名しているが、ヘイトデモに反対という一点での協力を示しただけであり、呼びかけ人自身のレイシズムについては放置することを選択している。
(d)もまた、このカウンター行動の特徴をよく表している。在特会に対峙する勢力さえ大きくなるならば、その中身がレイシズム政策を支持しようと問わないと宣言しているようなものである。
日本のレイシズムは、昔も今も、朝鮮人を特にその標的としているが、今日の朝鮮人への差別は日本による朝鮮植民地支配責任が放置されたまま、戦後も冷戦構造のもと一貫した朝鮮民主主義人民共和国に対する敵視政策の一環として日本国内の朝鮮人を弾圧してきた歴史的に構造化された差別である。彼らにとって「行動する保守」のヘイトデモが殊更に「眼前の暴力」として他よりも優先されるべきと判断されるのも、結局は彼らにとって目立つパフォーマンスだったということに尽きるのではないだろうか。「眼前な暴力とそれ以外」という仕分け自体が暴力を受ける当事者にとっては暴力的であることに自覚的であるべきである。このようなレイシズムの矮小化が批判されるのに対して、彼らの合言葉は「お前は何をやっている」であり、つまりは、自分たちはコストを割いて行動を起こしているのだから、批判する者もそれに見合った行動を果たしているべき、ないし提示すべきであるということであろう。しかし彼らがいかにコストを割いてヘイトデモに対峙しようと、その過程でカウンター行動内部が抱えるレイシズムは「しばき」の対象にならないのであれば、この運動は結局のところは日本のレイシズムを維持するために特に醜悪で目立つ在特会をスケープゴートとして叩いているに過ぎないと評さざるを得ない。