批判(ひはん)すること・されること -ルビつきの4-
(a)から(c)において野間氏は既存の運動の側からの在特会ら行動する保守の批判と活動は無意味な失敗で誰も反応しなかったと断じている。だが「どういう基準から見て」失敗なのかは示されていない。また「どのような具体的出来事が」「なぜ」失敗であったのかも示されていない。例えば反応した人数が少なかったことをもって失敗であるとしているが、野間氏の動員人数ですべてをはかるという主張に対しては別個に批判を加える。
このような発言の対句として、必ずしも同時的に発せられる訳ではない点に注意が必要だが、左翼の潔癖症が反差別、いや反レイシズム運動への広範な市民の結集を妨げてきたとする発言が為されている。しかしここで注意を払いたいことは、実はその因果関係は立証されていないということである。例えば(d)から(f)は連続したやり取りであるが、「何が」「なぜ」「低劣」であるのかは示されていない。また仮に1兆歩ゆずって「被差別者や被害者をダシにした低劣な言論」があったとして、そのことと在特会ら行動する保守の出現を「イコールで結ぶことができる理由」もまた示されていない。(g)も(h)も同様の発言である。