批判(ひはん)すること・されること -ルビつきの6-
(3)それでも批判は存在する。
kato カト@kato82 2月3日
レイシストをしばき隊をやる人、それを批判する人とで議論がここ数日続いてるけどそのことによって両者が守ろうとしているマイノリティの人たちが置き去りになってしまってる感はある。
野間易通 @kdxn 2月3日
@chiwokato 針谷ガー!右翼ガー!日の丸ガー!と関係ないことしか言ってこないからね、あの人たち。3年前もそうだったし、反原発運動に対してもそうだし、今回も通常運転https://twitter.com/kdxn/status/298313925353676800
野間易通@kdxn
@houseportceo ここで言う「サヨク」とは、右翼とつきあいのある人間がこんな行動をしても無駄だとか、植民地主義反対の理念がないと無意味だとか、必死でナンクセをつけて妨害をしようとしている自称リベラルの人々です。ここ2~3日ずっとやってますね。posted at 20:27:53http://twilog.org/kdxn/month-1302/allasc-5
野間氏とその仲間が口にするところの「守ろうとしているマイノリティ」の中から批判が存在することをなぜこうも無視できるのか。また植民地主義反対の理念を持たないままに日本で反レイシズムがあり得るのだろうか。オリンピックで、サッカーの国際試合で、日の丸ロケットで、ノーベル賞で、それ自体は極めて無邪気に振られる日の丸。だがそれもまた「日本人」意識という虚偽意識の再生産に寄与している。単純に日本(人)すごいと思ってしまう・言ってしまう「自然な」日常的感覚を疑う事なしに、果たして私たちはどこまで「日本人」というものの持つ法制度上の・社会通念上の権力性に迫れるだろうか。