批判(ひはん)すること・されること -ルビつきの7-
(4)事の本質は縄張り争いではない
野間易通@kdxn
園良太が同じ名前つけてたら大絶賛に決まってるじゃん。「毅然と立ち向かう姿勢!」とか言ってw あれは名前のことを論じてるんじゃないんです。RT @Kino_Toshiki: ヘサヨさんたち側は「しばき隊」のネーミング等は本当にまったく理解するつもりはないんですかね?posted at 01:45:10http://twilog.org/kdxn/month-1302/allasc-10
野間易通@kdxn
木野さんが右デモに参加してたという情報を俺が広めるので、そうすると「レイシストとつるんでたやつが反排外主義とか言ってもね」みたいな話になるから頑張ってw RT @Kino_Toshiki: @kdxn @samiwo まったく筋違いのことで攻撃してきたらちゃんと言いますけど。posted at 02:02:07http://twilog.org/kdxn/month-1302/allasc-10
*野間易通@kdxn
考えてみれば、3~4年前の反レイシズム運動やカウンター・アクションは、反ひのきみとセットになってたんだよね。反原発運動よりもそうなりやすいのはわかるが、そこから一歩も拡大しようとしないどころか、相手の土俵に上がりまくりという。
posted at 14:16:21http://twilog.org/kdxn/month-1302/allasc-11
事の本質は動員合戦や、衝突現場の空間を優位に占有するのがどちらかといった在特会や左翼との縄張り争いではない。在特会を生み出した日本の土壌をどうとらえ、どう抗し変えて行くかである。それなしには「反在特会の目の前の暴力」で結集したはいいが、永遠に彼らのカウンターパートとして活動し続けるはめになる。 *のついたツイートで野間氏は「相手の土俵に上がりまくり」と左翼を批判しているが、相手の土俵に本当にのっているのはどちらなのだろうか。繰り返すが在特会の街頭行動へのカウンターは、在特会の街頭行動なくしては成立しえない。
しかも動員数至上主義のもとしばき隊やプラカード隊内部の、参加者諸個人の行う差別は容認されている。呼びかけ人も自分は呼びかけただけだと言い無責任な態度を貫徹している。結局後に残るのはいわゆる「社会運動」の内部でどんな暴言や言葉の暴力があろうが、すべて無視される風土、あるいは空気だけだろう。
私たちは在特会の行動へのカウンターが不要だとは言わない。だがその場の主役はあくまで在特会である。在特会ら行動する保守にとって、彼らへのカウンターは脇役、いいとこ引き立て役に過ぎないだろう。