批判(ひはん)すること・されること -ルビつきの9-
野間易通 @kdxn 2月14日
@sunhee0611 「差別をする人は差別を認めない」云々は金明秀が何度も強調するものですが http://bit.ly/ZcnunG これとて「それは本当に差別か」という議論を経た上でないと無条件にすべてに適用することはできない。ところが前段を忌避する議論があまりに多い。
野間易通 @kdxn 2月14日
@sunhee0611 たとえば「イナカモン」云々については、我々はすでに考え尽くしているんです。「指摘」についても、もう何度も聞いて何度も論駁済みのものです。なぜあなたは相手が「気づき」を得てないという前提から出発するのか。
野間氏はいったいいつどこで「イナカモン」は差別語ではないと論駁し終えたのか。いったいどこでどう示したのか。俺らのなかでは結論は出ている・反論は考えているしか言っていないではないか。いったいどこがどう疑問への回答になっているのか。しばき隊的には「イナカモン」は差別語じゃないから差別じゃないの循環論法ではないか!大事なことは俺ら的には差別語じゃないからという結論だけを投げ出すことではなく、それが誰も傷つける言葉ではないことを納得させて行く一連の具体的なプロセスではないのか!
また「エリートサヨク様が在特会を馬鹿だのアホだの知性がないだの罵る傍らで、成績の悪かったアンチレイシストは「俺はどうしたらいいんだ…」と思ってることでしょうね。RT @gurugurian: (田舎者で素人童貞の反レイシストはどうしたらいいんだ…) 」というツイートもあったが、もしその手のことを言う「左翼」がいれば徹底して批判すればよいだけだ。何の回答にもなっていない。
野間氏は誰よりも人数を集めて在特会を圧倒する集団のゆるぎないリーダーとしての自分を演出したいだけなのか?野間氏は在日朝鮮人とニューカマー(と韓流ファン)の目の前で暴れる在特会による被害を抑えたいだけど言うだろう。実際、目の前のヘイトデモをとめることが現時点での目標でありそれ以外は考えていないという発言はちらほら見られる。しかしそういう主流派の言説の中では、カウンターがまき散らす差別と暴力が「在特会による目の前の暴力」の迫力の陰に隠れて見えなくなって/意図的に軽視されていないだろうか。
「善意」から参加している心ある参加者の皆さん、同じ隊列を組んでいる仲間の差別行為をあなたたちは無視するのですか?あるいは自分が何かを指摘されたときに、そういう事を言うからいつまでも在特会がのさばるのだと怒って無視するだけなのですか?「品格あるレイシスト」ではないと胸を張って言えますか?「俺たちは愛国活動をしているからいいんだ」とどう違うのですか?
在特会らがひとまず新大久保や鶴橋の街頭からいなくなったその先が今よりも良い社会になるのか。その責をしばき隊だけに負わせるつもりはないけれど、野間氏はじめしばき隊(やプラカ隊)参加者と、その枠組みに基本的に賛同している人たちには常にそのことを自らに問うて欲しいと私たちは思っている。