朝鮮人(ちょうせんじん)であるわたしたちの名乗り(なのり)についての言葉(ことば)たちの断片(だんぺん)
みなさん、こんにちは。先日、「朝鮮人」として暮らしている知人たちでちょっと集まって私たちの名乗りの経験について語り合おうという座談会を開きました。座談会では私たちが普段どんなふうに自分の名を名乗り生活しているかから始まり、名乗りの実践の変化や名前に対する思いの変化についてであったり、名乗りにともなうしんどいこと、民族運動として自分以外の朝鮮人の名乗りについて関わったり現在も関わっている経験、自分が名付ける側になるかもしれないということについてなどなど、多岐にわたって語り合いました。
この座談会を開こうと思ったきっかけは「煮込んでみました」でも取り上げさせてもらった「イルム裁判」の不当判決です。創氏改名を起源にもち、今日でも植民地支配の象徴的な呪いとして残る通名がこの差別的な日本社会における社会通念において普通のものだから我慢しろというような不当な判決に怒りを覚えながら、もっと私たちが普段どんなことを考え、葛藤したり迷ったりしながら自分たちの名乗りを実践しているのか、その声を文字に残したいという気持ちが湧いてきました。以下は座談会で交わされた言葉たちの断片です。あえて実際の座談会の流れのままにはせず、発話主体の識別もしていません。ばらばらな言葉たち、そのひとつひとつの背景にあるものに想像をめぐらせてもらえればと思います。
今では普段は基本的に朝鮮名を名乗っている・・・外国人登録証から(通名を)なくしたのは23歳のときで、朝鮮名で生活し始めたのは20歳か19歳頃から。それまでは逆に日本名一本で生きていた
自分の名前が日本語読みを前提として名付けられたものだったから朝鮮語で読んでもいまいちなのが、なんか嫌だなあと思ってた時期もあった
既に日本名で関係築いているひとたちとは会いたくなくなった。地元のひととはもう会わなくもなった。懐かしいのに会いたくないというのは残念だなと思う
朝鮮名を名乗ることが政治的意志表示であるというときに、それが名前だからこそ疲れる。なんかいつも政治的に主張する主体としていたいわけでもない
ある名前が抑圧されている、だからそれを前に出していこうという政治は有効だと思うしどんどんやろうよと思いつつ、それがそれまでのそのひとの人生の大事な部分を破壊しないような方法を考えたい
親からつけられたから大事にしたい、とは思っていない。だって親は自分の都合でしかつけれないから、名付けってそこにどんなに愛情がこめられていようといまいと基本的に暴力なわけで、むしろそれを暴力とそのまま受け止めるのが辛いからこそこめられた愛情だとか由来だとかを介してみんなうまく処理してんのかなとか思ったりもする
0歳から4,5歳くらいまでは姓も名も日本語読みで、小学生くらいから姓は朝鮮語読み、下の名は日本語読み。大学3年から学校の登録上、姓も下の名も朝鮮語読みに変えた。今は生活の何でもかんでも、インターネットでなにか登録するときもそれにしている。私は幸か不幸か、通名も朝鮮名も(漢)字が同じで読み方が日本語が朝鮮語かの違いしかなく、外国人登録で併記されるということはないけれど、保険証が姓は朝鮮語読みで下の名が日本語読みでカタカナで記載されている。それで病院でよくもめるから、最近保険証の記載も変えたい
最近名刺を使う機会があるんだけども、名刺には朝鮮名を漢字で記載してふりがなをふっている。でも、名詞渡したら相手は日本語読みをしてくるから訂正しなくてはいけないことが何回かあったり
朝鮮人ばっかりの環境、民族的な環境で朝鮮名で名乗ることは何の抵抗もないというか、名乗りやすいわけで、ただ一歩外に出て大学に戻って新しく大学の友達ができたときに自己紹介で朝鮮名で名乗ることがすごくしんどかった。朝鮮名で名乗ることで違うひとなんだというふうに見られるという他者からの視線にちょっとおびえたというのは初めての感情だった
普段の生活は政治的表明でもあるからこそ、ちょっとやそっとでここでは日本名使いますみたいな節操のないことは自分に対して許せない。生き方の表明であるからこそ、ご都合主義的な態度は自分の精神まで蝕んでしまう。運動としての名乗りであるからこそ、それは他者を変えていくための主張にもなって、そこでご都合主義的な使い分けは自分にとっての弱みを作ることになってしまう。弱みをつかれるのを恐れながら生きていくのは心がしんどい
私は小さいころからずっと朝鮮名。日本式でも通用する名前に憧れてた時期もあったかな。友達には日本語読みにしたら日本名でしっくりくるひともいて、そういう名前が欲しいと思った時期もあった。日本語読みしても通用するのがかっこいいであったり、紛れたいという気持ちもあった
僕は在日朝鮮人(朝鮮籍)の父と日本人(日本籍)の母の間に三人目の息子として、兄、姉、僕と生まれて、姉のときから重国籍というのが認められるようになって、22歳までに選択しなければならないんですけど、幼いころに親が代理人として姉はアボジ(父)の希望で朝鮮籍に、僕をオモニ(母)の希望で日本籍にしました。ずっと朝鮮学校に通っていたので、学校ではもちろん朝鮮名で呼ばれるわけですけど、アボジが商売しているのもあって保険証とかはアボジの通名の姓、そして戸籍ではオモニのほうに入っているのでオモニの氏ってことになります。さっきも(会場となる建物の)受付で本人確認で出した免許証には母の氏が書かれてます。日常生活では朝鮮名なんですけれど、銀行の口座とか保険とか免許などに関しては全部(戸籍に登録されている)日本名で、通名は高校生のとき以外は使っていないです。普段、朝鮮名しか使っていないんで改名できるかもと一回変えようとしたんですけど家族の猛烈な反対にあい・・・
拉致問題発覚以降とか特に日本語で呼んでたかも
子を育てるみたいなことがおきたとして、自分がそのひとに何を残したいのか、相続したいのかまたはしたくないのかみたいなことがあるわけじゃん。じゃあ、よくわかんない「民族性」とかってどう?その場合、名前にそれをこめるべき?かといって日本っぽい名前をつけるなんて・・・みたいな。何をしても意味はもっちゃうから、うーん、ぷんぷん!とかなっちゃう
通名に対する「愛着」だとか、今までそれで名乗ってきたから生じる違和感なんかを表明されても、この歴史的正当性の前にはそんなもん!みたいな感じで朝鮮名を名乗ることを説得してた
相手が(通名から朝鮮名に)変えたくない場合はなにか理由があるはずなんだけど、そこで出される理由が朝鮮名を名乗る理由に比べたらとるにたらないこととしてた
日本名が使われる機会は、年金関係のものが通名できてる・・・年金手帳の名前が通名なのは20歳のころはまだ外国人登録証に通名が併記されていたからかも
僕も幼稚園の途中まで日本名で姉が小学校にあがるときに自分も朝鮮名に変わって、そっからはずっと朝鮮名。小さいころから日本名が嫌いで、理由はなんか弱そうな名前だったから。健康保険証は親が通名でやってるから、自分も日本名になっている。病院に行ったら、その弱そうな名前で呼ばれるから・・・あと、ネットの話でいえば本当の名前が要らないものについては僕はいつも特定の日本の偽名でやっている
名前って親から勝手につけられるもの、暴力であったりするわけでしょ。そう考えたら名前ってずっと変わっていっても・・・親がつけるときは親の考えがあるわけで、私の名前も日本語前提でつけられた名前だから今でもそれが嫌だという感覚があって、朝鮮人らしい名前というのに憧れている部分はあるかな。でもそれからも脱却しなければという気にもなりつつ・・・
ひとと議論をするような場において自己紹介が必要になるとき、ここで朝鮮名を名乗ればここでは「在日のひと」の意見としてずっとつきまとうんやろうなみたいな気分になる
自分が名乗るときに誤魔化すというのは、まぁ、あったりもする。そのときも通名としての日本名を名乗るということはしないんだけど、まったく別の偽名とか作ってすませたりすることはある
(創氏改名によって奪われた朝鮮名を取り戻すといった)歴史的正統性というとなんかすごく理論的な話で、それに対して愛着みたいな感情的なもんは理論の前ではおろそかにされているみたい
情緒に対する理論の優越、そういうふうにもみえるし、(公の歴史、民族史として記述される)大文字の歴史と(民衆個々の)小文字の歴史では前者の物語り(から引き出される歴史的正統性)が優先されるべき、みたいなのが運動の中にはあったのかもしれない
僕は朝鮮名でずっと行ってたから、基本的に。ただ、法律的な文書とかで通知くるやつ見ると、免許証なんかはほうっておくと通名が併記されていたからそれを消した/役所は放っておいたら漢字は日本語読みしてくる。
登録の名前なんて所詮は登録にすぎないという考えもできる。普段人との関係はこの名前でいく、でもそれは登録された名前というわけではない、ないからそれがどうした、みたいな/役所での登録から変えるのに意義があるという主張もできるし、一方はたしてそうなのかなという気がしないでもない
役所とかで公的なもので朝鮮人に対して日本名が流通するということの気持ち悪さは感じる
(役所とかの場合)確かな圧力として存在してはいると思う。「氏名」表記とかもそうだし、姓名ではなくて。絶対にそうなっているから。外国人登録証もNAMEのとこは「氏名」となっている
最近、姓が嫌で、親父の名前使っているのが嫌で姓をなしにしたい。だから名乗るときは姓は名乗らないことも多いかも。下の名前は好きやけど。今では愛着もある
わたし親の前ではずっと日本名でいってたから、そこは変えられない感じがずっとある
マイノリティあるあるなのかもしれないけど、名前についてはその性質上、開示するかどうかについての選べなさ、選びにくさがある
出会う朝鮮人の子供たちというのが全員ダブルの子達で全員日本国籍で、いわゆる通名という概念もないというか、書類的にもなにもかもその日本の名前しかないわけで、その子達には特に何か名前について自分で考えさせようということをするわけでもなく勝手に朝鮮人らしい民族名を名付けて呼んで子供たちもそれを喜ぶ、みたいなことを仕事としてしてる。それも名付けの暴力のひとつかななんて思うのだけど、それは子供たちが民族的なものを原体験として持ってもらいたいという意味で名前というのを使用している。それが悪いことだとも思ってはないけれど・・・それが暴力なのかな・・・
朝鮮人らしい名前ってなんやねん・・・だから朝鮮名のキラキラネームを!
ずっと朝鮮名で名乗ってきたわけではあるけど、放っておいたら「韓国人」として認識されてたりもするから、自分がどんなことを考えているのかというのを(昔の友達に)話をしにいったな。朝鮮語読みの朝鮮名というゴリゴリした感じで生きてきたけど、それまで関係築きかたというのも名前だけでは足らないんだよなあと思った。関わり方を変えていこうと思ったのは名前を変える、朝鮮名を名乗り始めるひとをみたから
その場限りの関係と最初から決めていて自分のことをいちいち聞かれたくないと思う相手には適当な日本名ですませたりする
名前に政治的意味が帯びるというのを気づかない奴らに腹が立つ
バックグラウンドとして背負うものをあえて前に出すことで主張するという政治のやり方は当然にあって、それは否定しないけど「ただのひと」みたいにあれることも欲しく思う
運動だから、ひとの選択に介入しひとを変えていくことというのが根幹にはあるから、ひとのことはひとのこととして放っておかないんだけど、あなたが選択するうえで考えて欲しいことというのを出来る限り伝えたうえで、大事なものを全部土俵にあげた上でそのひとの政治、交渉が行われることを可能にしなくちゃいけないのかな・・・そういうのをこめて、たとえば今までの慣習的に民族運動で勧めてきた名乗りとは違うけど、政治性を意識した名乗りの仕方というのがきっともっと豊かに出てくるのではないかなという気はする。
(朝鮮名を名乗ることに反対する家族とは)物理的距離がある程度離れているという条件の維持は死活問題
キラキラネームがあんだけ酷い仕打ちを受けるのは、名付けが暴力でしょというのを端的に示しているわけであって、社会のキラキラネームに対する仕打ちというのは実は自分たちがやっている名づけの暴力の隠蔽とセットであるんだと思う
うちは自営業でずっと日本語読みの姓を使っていたけど父親はそれが嫌だったみたいで子供には朝鮮語読みの姓で行きなさいよと学校に申請したみたい
それ(日本語読みでも奇異と思われない名前に対する憧れ)こそも外圧・・・朝鮮人であるとばれるのが今は怖くなったというわけではないけど、隠れたいという気持ちではなくなった。むしろアピールしていかなければならないという心境の変化は(あらたに朝鮮名を名乗っていく人たちとの関わりを通して)あった
朝鮮名を名乗ることを決めたのことには「違う」ことを受け容れようとしない社会のあり方への抵抗という部分もあったわけだから、逆にその名前が別のなにかにとっての「らしさ」でなければならないというのも違うんじゃないかと思ったら(名前が朝鮮人らしくないんじゃないかとか)どうでもよくなった
自分の発言や主張が常に朝鮮という要素に還元されてしまうのではないかという寂しさを覚えたりする。無徴であることへの憧れがあったりして、ネットで議論をするときには自分のそういう背景は前に出さないようにしてやったりもするけれど以前に議論が白熱したときに相手が私が朝鮮人であるということを知ったら謝ってきたことがあり、むなしい気持ちになった
名乗りの政治性を理解した上でそれぞれの政治の仕方を模索していければと思う。そういう過程を経た上での名乗りがそれぞれの個人史を大事にするようなものであってほしい
名付けじたいが暴力でありつつ、その中でもさらにたとえば「女の子らしい名前にしましょう」とか「朝鮮人らしい名前にしましょう」という二重三重に重ねていく必要もないわけで、そういう次元を真剣に考えるほうがいいのかな
今まで培ってきた人間関係の中では、下の名前が日本語読みで(大学の途中まで)通っていたんだけど、登録変える時期と民族団体と出会ったのが大体同じ時期で、変えた以降新しく出会うひとには朝鮮名で名乗っている
政治運動的な名乗りだから、いついかなるときもこだわりは自分にもあったんだろうけど。私はあまりバレるとか違うものとして見られることの怖さはあまりなかったかな。そういう覚悟をもってこその名乗りだったから。むしろ、そうしてこなかったときの関係をどうするか、また築きなおすことのしんどさのほうが嫌で、もうその関係にバイバイとしてきたな/相手の背景を知らないからこそ、互いに相手がどんなひとでもあり得るという可能性に開かせて配慮しあった対話とかもっとできないかなとか思う
(もし自分が名付ける側になるなら、名付けられる)その子自身が変えやすいようなのにしたい-名前「いつか変えてね」みたいな(笑い)
異質であるということを示すだけならひとによっては日本語読みでもそれはできる場合もあるよね。でも、朝鮮語読みで名乗りたいなあというのは、実際に違うからあったりはするんだけど。ただ自分のいた民族団体では日本語読みも朝鮮語読みに変えようやという運動もあったようには思う
通名で生きてきた自分の歴史、関係とどう付き合いながら、隠すことを要求される朝鮮名を前に出していくのかというときに、たとえば両方の名前を組み合わせたような名乗りかたもあるだろうし、他にもいろんな事情やそれまでのそれぞれの歴史とか出したものをできるだけ全部出そうとする名乗りの仕方がもっとあっていいよなあと思う。逆にもう出したくないものは出さないというのもあるだろうし、家父長制に抵抗して姓を出さないというやり方であったりね
どうだったでしょうか?朝鮮名を名乗れればそれでオッケー、みたいに決して落ち着いて生活しているとも限らないのです。名乗るってどういうことだろう、とか名前ってなんだろう、自分が誰かを名付けるときがきたときどうしよう、とか色んなこと考えたりもします。私たちの中には少なからず日本名で生活してきた個人史がたくさんあって、そこで築いた大切な思い出、記憶もあります。ときには大切に築いてきた関係が犠牲になることもあります。それでも名乗りの色んな新しい可能性に思いを馳せたりしながら生きています。何一つ簡単なことではなかったりします。そういう様々なそれぞれの経験を経た上で、今、名乗っているこのことを軽く考えて欲しくないし、差別的な日本社会の社会通念なんかで軽くあしらわれてたまるか、そんな気持ちで締めくくりたいと思います。
ps.今回ここには書ききれない沢山の言葉を交わしたみなさん、ありがとう。
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