2014年2月6日、「敗訴確定」という残念すぎるお知らせとともに久方ぶりに所謂「在日朝鮮人無年金裁判」の動向を知ることができた方も多いのではないでしょうか。最高裁への上告が棄却されたこの福岡での裁判は、大阪・京都での裁判闘争に続いて2007年から始まったものでした。2013年初において9人の原告のうち3人が亡くなられています。裁判の動向といっても、無年金当事者たちの高齢化というあまりにも当然の現実を前に、司法の場での戦いをこれ以上続けていくことが非常に困難であることを悟らずにはいれません。
在日外国人無年金問題の概要は次の通りです。1959年に施行された「国民年金法」には国籍条項があり、条約で内国人待遇が義務付けられていた米国籍者以外の外国籍者は制度から排除されていました。その後、日本の「難民条約」の批准にともない1982年に国籍条項は撤廃されましたが、救済措置が取られることなく、この時点で20歳を超えていた外国籍障害者が無年金となりました。また、高齢者に関しては新国民年金制度が施行される1986年4月1日時点で60歳を超えていた外国籍者が年金不支給とされました。ちなみに、1959年の国民年金発足時にすでに50歳以上であった日本人、20歳を超えていた日本人障害者に対しては、老齢福祉年金、障害福祉年金という国庫負担の救済措置が取られています。沖縄・小笠原諸島の「復帰」時、中国残留者の「帰国」時にも同様の経過措置を取り無年金者が出ないように対応されました。社会保障として至極当然のこのような措置から、外国人は徹底して排除されてきたのです。
上述したように大阪・京都・福岡での裁判闘争は不当判決に終わっており、無年金者の多くは生活保護を受けて生活をしています。また、一部のものは行政が独自に設けている給付金(京都市での例:「外国籍市民重度障害者特別給付金」や「高齢外国籍市民福祉給付金」)の支給を受けています。しかし、生活保護とこの給付金の併給は認められていません。どちらにせよ年金の額には満たず、制度的差別のなかで生かされているのが現状です。当事者たちとその支援者たちの手によって、これまでたくさんの力強い運動が繰り広げられてきたこの「無年金問題」が、支配者たちの思い通りに皆の意識のなかから消えていき、この不当のままに終わらせてしまわれるようなことは断じて許されません。何か糸口をつかみたい思いがあり、このたび、京都での裁判闘争に尽力されてきたAさんへ、主に京都でのここ最近の取り組みについてうかがってきました。以下にお話していただいたものをまとめてみました。
京都では、2007年12月25日に障害者訴訟が、2009年2月3日に高齢者訴訟が最高裁で棄却。2010年2月13日「在日無年金問題の解決をめざす会・京都」が結成され、現在京都での無年金問題に関する運動の中心となっており、特別給付金制度の改善のため行政交渉に力を入れています。
(以下、給付金の変遷)
1994/09/01京都市「外国籍市民重度障害者特別給付金支給要綱」施行(*日本籍者も対象)
1995/04/01在日無年金重度障害者に3万6千円支給開始
1998/12/01京都市「高齢外国籍市民福祉給付金支給要綱」施行(*同上)
1999/04/01在日無年金高齢者に1万円支給開始
2004/10/1「京都府在日外国人高齢者・重度障害者特別給付金支給要綱」施行
重度障害者に1万8千円、高齢者に5千円支給開始
2007/02/23京都市給付金アップ:高齢者1万円→1万7千円、
障害者3万6千円→4万1300円
2008/04/01京都府支給金アップ:高齢者5千円→7500円、障害者1万8千円→2万円
*現在支給額は、市と府と合わせて高齢者:24,500円、障害者:61,300円
(最後の京都市への交渉:2013/02/07、京都府への交渉:2013/02/13)
行政交渉においては以下のようなことを要求します。
1 金額アップ
2007年に政令指定都市の京都市のみ金額アップされているので、他の市でもあげてほしいと、宇治市など京都市以外の市へも交渉します。
2 対象の拡大
障害者への給付金は1級のみが受給対象となっているため、2級~の障害者にも対象を拡大するように交渉します。
3 併給
年金(厚生年金や遺族年金など)と併給できるように交渉します。
4 広報拡大
給付金の存在を知らずに受給できていない人が2/3ほどいます。
5 国へ要望をあげること
以上が京都の特別給付金制度とそれをめぐる運動の概要ですが、全国にはこのような制度がない市町村も多いとのことでした。また、京都での運動のほかに「年金制度の国籍撤廃をめざす全国連絡協議会」により2年前まで厚労省交渉に向けた準備をしていたことなど、貴重なお話が聞けました。
(Aさん、お忙しいなか時間を割いていただき、ありがとうございました!)
さて、今さらながらのことではありますが「無年金者」の多くは日本の植民地支配によって出身国を離れ宗主国日本へ渡らざるを得なかったものたちであります。在日朝鮮人3世・4世たちのものたちの間で、尋ねてみれば自分の祖母・祖父が「無年金」であったという話はよく聞きます。年金の支給/不支給が「広い国の裁量」にゆだねられてしまったり(過去の無年金訴訟はこのような旨の判決によって退けられました)、「朝鮮人」として朝鮮の名を使って生きるにあたって大きなハードルがあるようなこの日本国では、植民地支配がずっと今でも続いているといえます。そのなかで被植民者の生は今も昔も「権利」ではなく「恩恵」として与えられるものであり、ここで暮らす日々は「少しずつ殺されている」、そんな感覚さえもわたしに与えてしまいます。ある日、在日朝鮮人高齢者が集うデイケア施設で出会ったある利用者の口癖は、「朝鮮人はバカやから」でした。
「朝鮮人はバカやから、訳わからずハンコ押して、土地取られてしまった。」
植民地時代のこのような経験があるため、家に来た役所のものを追い返したり、印が押せず、年金制度に加入できなかった朝鮮人も多く存在すると聞きます。周りのものがどれだけ上塗りしようとも、深く刷り込まれた意識は消えることなく、日本帝国の取り返しのつかない大きな罪の前に絶望します。そして、絶望のうえで、このように生を蝕み続ける植民地支配から克服するために、一人でも多く、できるだけ不当に殺されないような道が見つかれば、とわたしは強く思います。
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このブログを読んでいる皆さんの周りにも、年金が支給されず困っている方がいるかもしれません。地方自治体が設ける特別給付金制度はありませんか?全国で、まだ取り組めることがあるかもしれません。皆さん、一度調べてみましょう!
参考
『死ぬ前に一度でも年金を!~京都在日無年金訴訟の記録~』、在日外国人「障害者」の年金訴訟を支える会,在日朝鮮・韓国人高齢者の年金訴訟を支える会、2010年2月13日発行