秋空展示、座り込み☆(あきぞらてんじ、すわりこみ)

*2つめは かんじなし バージョン*

 

今回は、いつもの三条河川敷~河原町の繁華街を飛び出して、観光客でにぎわう嵐山にやってきました!目的は、座り込みです。

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(紅葉はまだ微妙・・・)


もちろんただ座るだけではありません。これまで朝鮮学校朝鮮総連が受けてきた弾圧の歴史、朝鮮への「制裁」政策を年表形式にしたものを書いた模造紙10枚以上をばーんと広げての座り込みです。
「きっと紅葉を見に来る人でいっぱいのはず!」と期待して集まったのですが、紅葉にはまだ早い感じ。でも、渡月橋は行き交う人でまるで商店街のようです。
その渡月橋のたもとからほど近い公園の中で、模造紙約10枚を広げる私たち。

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(でーん!!!)

今までの経験(河原町マルイ前など)では、素通りされるとか、文句をつけられるとか、公権力が弾圧を仕掛けてくるとかありましたが、この嵐山では、弾圧などは全くなく、それどころか、たくさんの人びとが立ち止まって掲示を見てくれて、座り込みは大成功!といえると思います。
嵐山(=観光地)だったから見てもらえたのか、ならばなぜマルイ前だと弾圧されるのか、素通りされるのか。提示しているものは同じなのに。
「行き過ぎる人」である、「行き過ぎる人」であれることってなんだろう、どういうことなんだろう。と、普段「行き過ぎる人」のひとりとして、「立ち止まる」ことの必要性を考えさせられた半日でした。

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(一度に5人、10人とつめよってじっと読んでる風景が何度もあってちょっと驚き)

 

コトコトじっくり煮込んだ日帝♪(んのはちぶきゅうふ)

 

*かんじ つかってない*

 

こんかいは、いつもの さんじょう かせんじきかわらまち はんかがい として、かんこうきゃく にぎわう あらしやま やってきました!もくてきは、すわみです。

 

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(こうようは まだ びみょう・・・)


もちろん ただ すわ だけでは ありません。これまで ちょうせんがっこう ちょうせんそうれん うけてきた だんあつ れきしを、ちょうせんへの せいさいせいさくを ねんぴょうけいしき したものを かいた もぞうし 10まい いじょう ばーんと ひろげての すわみです。
「きっと こうよう み ひと いっぱいのはず!」と きたいして あつまったのですが、こうようには まだ はやかんじ。でも、とげつきょう い ひと まるで しょうてんがいのようです。
その とげつきょう たもとから ほどちか こうえん なかで、もぞうし やく10まい ひろげる わたしたち。

 

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(でーん!!!)
いままでの けいけんかわらまち マルイまえ など)では、すどお されるとか、もんく つけられるとか、こうけんりょく だんあつ しかけてくるとか ありましたが、この あらしやまでは、だんあつなどは まったくなく、それどころか、たくさんの ひとびとが たまって けいじ みてくれて、すわみは だいせいこう!と いえると おもいます。
あらしやま(=かんこうち)だったから みてもらえたのか、ならば なぜ マルイまえだと だんあつ されるのか、すどおりされるのか。けいじしているものは おなじなのに。
ぎる ひと」である、「ぎる ひと」であれることって なんだろう、どういうことなんだろう。と、ふだんぎる ひと」の ひとりとして、「まる」ことの ひつようせい かんがえさせられた はんにちでした。

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(いちどに 5にん、10にんと つめよって じっと よんでる ふうけいが なんども あって ちょっと おどろき)

コトコトじっくり にこんだ にってい♪(んのはちぶきゅうふ)