10.29 デモほうこく♪

はんにちわ!

京都はやっと長い長い夏が終わったようで、一気に秋めいてきました。秋晴れのもと、といいたいところですが、あいにくの曇天のもと、

ひさしぶりにデモってきました。

集合場所にあつまった人数はなんと500人の100分の1!

(途中から100人の100分の1参加してくれました)
まあぶっちゃけ5人、途中から1人増えて6人で、いつもの
三条大橋西詰→河原町通四条通円山公園というルートを進みました。

ざっと見てデモ隊の倍の人数の警官が頼んでもないのに見守る中スタート。

今回は、そこに住む多くの人がはっきりと反対の意思を示しているにもかかわらず、国が工事を強行している、沖縄県、東村高江で起きていることについて、スピーチをしました。

<スピーチ原稿>

さて、肌寒くなりましたが街頭のみなさん、いかがお過ごしでしょうか?

世間では「運動の秋」などとも言われたりしておりますので、みなでできる運動としてデモを企画してみました。みなさん、カモン!

さて、今日は沖縄の高江というところで起きていることについてお話することから始めさせてもらおうかと思います。
沖縄県の東村高江という地名をテレビや新聞を通して見聞きする機会もようやく増えてきたと思います。
そこでは住民の意思を無視して政府が米軍のヘリパッド建設を強行しています。
これまで地元住民、沖縄県民は何度も「米軍基地はいらない」との民意を繰り返し示してきました。7月10日になされた参議院選挙においても沖縄県はあらためて基地に反対する民意を示したにもかかわらず、日本政府はよりにもよってそれから一夜あけた7月11日の、それも早朝午前6時という抗議にかけつけにくい時間帯をねらって、機動隊約100名、民間警備員約20名を配備してヘリパッド建設の準備作業にとりかかるという暴挙に出たのです。
そして7月22日には、なんと全国から集められた機動隊、その数500とも600名をも動員し、抗議の座り込みをする市民を暴力的に排除しました。機動隊により首をしめられてひと、車の上から叩き落とされたひとらが続出し、3名が救急搬送されるほどにそれは剥き出しの暴力でした。
それから3ヶ月が経つ今も日本政府は工事を強行し続け、地元の人びとが望む高江での静かな生活、豊かな自然はまさに刻々と破壊されているさなかにあります。
全国からの機動隊による暴力は
おさまるところをしりません。
この3ヶ月の間だけでも高江ではつぎつぎと不当逮捕が続いています。
それらのほとんどが起訴するだけの証拠も、根拠もなく、即日釈放するほかないことからも、これらが抗議行動に対する嫌がらせ目的の弾圧であることは明らかです。
そのようななかで起こったのが、みなさんも既にご存知かと思いますが、大阪府警による「土人」「シナ人」発言です。
これは大阪府警が沖縄の地元住民、抗議する市民を対等な存在としてみなしておらず、差別意識をもってまなざしていることが顕在化されているのであり、またそこには中国人に対する蔑視も露骨にあらわれています。
大阪府警によるこのような酷い沖縄・中国への差別発言に対して、松井大阪府知事は責任を追求するどころか、あろうことか「ごくろうさま」とねぎらいの言葉をかけるなどして擁護する姿勢を示しました。
私たちはこのような差別機動隊と差別知事を絶対に許すことはできません。
全国の機動隊は沖縄から戻ってこい!
京都府警も高江での弾圧の加勢に行くな、戻ってこい!

 

シュプレヒコールは、いつもの五七五をちょっとアレンジ。

<吟じ>
ひのまるをー やこう やぶこう おろそうよー
きみがよをー ながすのやめろ うたわんぞー
てんのうせい さべつのこんげん なくそうよー
やすくにはー ぐんじしせつだ つぶそうよー
にゅうかんはー さつじんしせつだ つぶそうよー
べいぐんのー おしつけゆるさん おきなわへー
けいさつはー さべつはつげん しゃざいしろー
じえいたい にほんのぐんたい なくそうよー
ちょうせんのー てきしをやめろ いますぐにー
こくせきでー ひとのいきかた せばめるなー
はいししよー さべつをうみだす こせきせいど
やめにしよー はいじょのさいてん オリンピック

沿道は、これまでよりも観光客が多い感じ。その観光客のみなさんが、
わたしたちのデモに、とても興味しんしんな視線を投げてきます。
自衛隊いらない」「天皇制やめろ」「日の丸おろせ」「君が代歌うな」
昨今、こういう主張を、はっきりと大きな声で聴く機会は、
どんどん減ってきているように思います。
でも、だからこそ、たとえ6人でも、もっと少なくなっても、
わたしたちは言い続けたいと思います。
自衛隊天皇制や日の丸や君が代を、「それはあってもいい…」と
片手に大事に持ったまま叫ぶ「戦争反対」や「平和」や「差別反対」は、
結局「日本は殺すことをやめません」を言ってるのとかわりありません。

戦後からでも71年もたっちゃって、遅すぎるといえば遅すぎますが、
はじめなければゼロどころかもっと悪くなってしまう。
あらためて、日本が朝鮮や中国やほかの国に対してやったこと、やり続けてきたことを考え、
真に人権をまもり、まもらせる社会のために、何が必要で、何をなくさなければならないか、
声に出して、伝えていくことが大事だなあと
秋風の中、しみじみ感じたデモでした。

んのはちぶきゅうふ


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はんにちわ!

きょうとは やっと ながいながい なつが おわったようで、いっきに あきめいて きました。
あきばれのもと、と いいたい ところですが、あいにくの どんてんのもと、
ひさしぶりに でもって きました。

しゅうごうばしょに あつまった にんずうは なんと 500にんの 100ぶんの1!
(とちゅうから 100にんの 100ぶんの1 さんかして くれました)
まあ ぶっちゃけ 5にん、とちゅうから 1にんふえて 6にんで、いつもの
さんじょうおおはしにしづめ→かわらまちどおり→しじょうどおり→まるやまこうえん という るーとを すすみました。

ざっとみて でもたいの ばいの にんずうの けいかんが たのんでも ないのに みまもる なか すたーと。
こんかいは、そこに すむ おおくの ひとが はっきりと はんたいの いしを しめして いるにも かかわらず、くにが こうじを きょうこう している、おきなわけん、ひがしそんたかえで おきている ことについて すぴーちを しました。

<すぴーち>

さて、 はだざむく なりましたが がいとう の みなさん、 いかが おすごしでしょうか?
せけんでは 「うんどう の あき」なんて いわれたりしておりますので、 みな で できる うんどう として デモ を きかく してみました。みなさん、カモン!
さて、 きょうは おきなわ の たかえ と いう ところ で おきていること に ついて おはなし する こと から はじめさせて もらおうかと
おもいます。
おきなわけん の ひがしそん たかえ と いう ちめい を テレビ や しんぶん を とおして みききする きかい も ようやく ふえてきた と おもいます。
そこでは じゅうみん の いし を むしして せいふ が べいぐん の ヘリパッド けんせつ を きょうこう しています。
これまで じもとじゅうみん 、おきなわけんみん は なんど も「べいぐんきち は いらない」と みんい を くりかえし しめして きました。7がつ10にち に なされた さんぎいんせんきょ に おいても おきなわけん は あらためて きち に はんたい する みんい を しめした に も かかわらず、にほんせいふ は よりにもよって それから いちや あけた 7がつ11にち の、それも そうちょう ごぜん6じ と いう こうぎ に かけつけにくい じかんたい を ねらって、きどうたい やく100めい、みんかんけいびいん やく20めい を はいび して ヘリパッド けんせつ の じゅんびさぎょう に とりかかる と いう ぼうきょ に でたのです。
そして 7がつ22にち には、 なんと ぜんこく から あつめられた きどうたい、その かず500〜600めい を も どういん し、こうぎ の すわりこみ を する しみん を ぼうりょくてき に はいじょ しました。きどうたい に より くび を しめられた ひと、くるま の うえ から たたきおとされた ひとら が ぞくしゅつ し、3めい が きゅうきゅうはんそう される ほど に それは むきだし の ぼうりょく でした。
それから 3かげつ が たつ いま も にほんせいふ は こうじ を きょうこう しつづけ、 じもと の ひとびと が のぞむ たかえ での しずかな せいかつ、ゆたかな しぜん は まさに こくこくと はかい されている さなか に あります。
ぜんこく から の きどうたい に よる ぼうりょく も おさまるところをしりません。
この 3かげつ の あいだ だけ でも たかえ では つぎつぎと ふとうたいほ が つづいています。
それら の ほとんど が きそ するだけ の しょうこ も、こんきょ も なく、そくじつしゃくほう する ほか ない ことからも、これらが こうぎこうどう に たいする いやがらせ もくてき の だんあつ で あること は あきらかです。
そのような なか で おこったのが、みなさん も すでに ごぞんじか と おもいますが、おおさかふけい に よる「どじん」「シナじん」はつげん です。
これは おおさかふけい が おきなわ の じもとじゅうみん、 こうぎ する しみん を たいとう な そんざい と して みなして おらず、 さべついしき を もって まなざしている こと が けんざいか されているのであり、 また そこには ちゅうごくじん に たいする べっし も ろこつ に あらわれています。
おおさかふけい に よる このような ひどい おきなわ と ちゅうごくへの さべつはつげん に たいして、 まつい おおさかふちじ は せきにん を ついきゅう するどころか、あろうことか 「ごくろうさま」 と ねぎらい の ことば を かける など ようご する しせい を しめしました。
わたしたち は このような さべつきどうたい と さべつちじ を ぜったい に ゆるすことはできません。
ぜんこく の きどうたい は おきなわ から もどってこい!
きょうとふけい も たかえ での だんあつ の かせい に いくな!もどってこい!

しゅぷれひこーるは、いつもの ご・しち・ごを ちょっと あれんじ。

<ぎんじ>

ひのまるをー やこう やぶこう おろそうよー
きみがよをー ながすのやめろ うたわんぞー
てんのうせい さべつのこんげん なくそうよー
やすくにはー ぐんじしせつだ つぶそうよー
にゅうかんはー さつじんしせつだ つぶそうよー
べいぐんのー おしつけゆるさん おきなわへー
けいさつはー さべつはつげん しゃざいしろー
じえいたい にほんのぐんたい なくそうよー
ちょうせんのー てきしをやめろ いますぐにー
こくせきでー ひとのいきかた せばめるなー
はいししよー さべつをうみだす こせきせいど
やめにしよー はいじょのさいてん オリンピック

 

えんどうは、これまで よりも かんこうきゃくが おおい かんじ。その かんこうきゃくの みなさんが、
わたしたちの でもに、とても きょうみしんしんな しせんを なげてきます。
「じえいたい いらない」「てんのうせい やめろ」「ひのまる おろせ」「きみがよ うたうな」
さっこん、こういう しゅちょうを はっきりと おおきな こえで きく きかいは、
どんどん へってきて いるように おもいます。
でも、だからこそ、たとえ6にんでも、もっとすくなく なっても、
わたしたちは いいつづけたいと おもいます。
じえいたいや てんのうせいや ひのまるや きみがよを、「それはあってもいい…」と
かたてに だいじに もったまま さけぶ「せんそう はんたい」や「へいわ」や「さべつ はんたい」は、
けっきょく「にほんは ころすことを やめません」を いってるのと かわりありません。
せんごから でも 71ねんも たっちゃって、おそすぎると いえば おそすぎますが、
あらためて、にほんが ちょうせんや ちゅうごくや ほかの くにに たいして やったこと、やりつづけて きたことを かんがえ、
しんに じんけんを まもり、まもらせる しゃかいの ために、なにが ひつようで、なにを なくさなければ ならないか、
こえにだして、つたえて いくことが だいじだなあと
あきかぜの なか、しみじみ かんじた でもでした。

んのはちぶきゅうふ