4月22日デモ報告*4がつ22にち でも ほうこく

**2つめは かんじ なし**
 
はんにちわ~。
 
さくらの季節がほぼ終わって、さわやかな風がほほにここちよい4月22日に、デモをしましたよ。
この日はお天気もよくて、まさに絶好のデモびより!
風にさそわれて、普段の約3倍、総勢17名のみなさんが集まってくれました。
ルートはいつもと同じですが、観光シーズンだからでしょうか、沿道を歩く人はいつもより多いような気がします。
そこへまっすぐ
日本政府こそアメリカに追随して世界中で恫喝と殺戮を繰り返している側」
「日本はずっと朝鮮や中国からの「脅威」をいたずらに喧伝してきました」
10年間以上も日本では朝鮮敵視という立場においては与党も野党もなく、翼賛の状態である」
「日本は…米軍とともに再び朝鮮侵略をしていく」
朝鮮学校。その経緯を考えれば、本来ならば戦後補償の一環として、日本国から助成があるべき」
民族教育弾圧に抵抗する当時16歳だった朝鮮人生徒を日本の警察は射ち殺しました」
という言葉を投げかけます。(スピーチ全文は下の方にあります)
 
沿道を歩いているみなさんの多くにとっては、意外な言葉だったかもしれません。
だって、毎日毎日テレビをつければ、あの公共放送でも「北朝鮮がミサイル撃ってきたら…」ですもんね。でも、そんな風に朝鮮を「悪魔化」することで、日本が成したいことと、なかったことにしたいことがあるのです。この国が、朝鮮半島に住む人たちや、日本に住む朝鮮人たちを痛めつけてきた過去と、これまでを、繰り返してはいけません。人びとがそれを忘れ去ろうとするなら、私たちはこれからも路上から投げかけます。
 
 
 
 
日の丸を 焼こう やぶこう 降ろそうよ!
 
君が代」を 流すのやめろ 歌わんぞ!
 
廃止しよう 差別の根源 天皇制!
 
「陛下」とか 「様」「様」つけるの やめましょう!
 
「国民」に 統合されるの 拒否しよう!
 
ヤスクニは 軍事施設だ つぶそうよ!
 
入管は 殺人施設だ つぶそうよ!
 
米軍の 押しつけ許さん 沖縄へ!
 
米軍は 世界のどこにも いらないぞ!
 
自衛隊 日本の軍隊 なくそうよ!
 
朝鮮の 敵視をやめろ 今すぐに!
 
国籍で ひとの生き方 せばめるな!
 
廃止しよう 差別を生み出す 戸籍制度!
 
やめにしよう 排除の祭典 オリンピック!
 
警察は 自由なデモの じゃまするな!

 

 
 
 
……あれほどざわついていた繁華街が、一瞬静まり返り、
交差点の信号のピポ、ピポ、という誘導音だけが響きます。
そんなに意外でしたか。言葉をなくすほど「まずい」こと言いましたか。
これらのコールが「なに当たり前のこと言ってるねん」になるまで
私たちは叫び続けるでしょう。
 
 
<スピーチ全文>
 
目下、日本政府は「テロ対策」として、ひとの内心にまで踏み込んで捜査対象とし逮捕していかんとす弾圧法である共謀罪の成立に向けて躍起になっています。
「テロ対策」といいますが、そもそも日本政府こそアメリカに追随して世界中で恫喝と殺戮を繰り返している側ではありませんか。
今や政府が秘密法も戦争法も成立させ、そして共謀罪をも手中に収めようとするこの恐ろしい時代にあって私たちがなさなければならないことは既に起きている弾圧に対して断固として抵抗していくことです。
先月、東京都渋谷区は宮下公園を強制封鎖し、そこを生活の場にしていた野宿者を追い出しました。生きる場を奪うこの暴挙に対して駆けつけた支援者のひとりはその場で拘束され渋谷署で人権無視の環境に拘禁されることになりました。しかも、その後、拘留期限により解放となった途端に4ヶ月も前の別件をでっち上げ再逮捕、浅草署に移送し拘束したのです。幸いつい先日に解放されましたがこのような行政、警察、検察、そして裁判所が一体となった暴挙に対して私たちは本気で怒り抗議を続けていかなければならないし、それは新たな弾圧法に対しても牽制になります。
どうか、この宮下公園弾圧に対して関心を持ち、終わったことにせず抗議の声を広めてください。そしてこれが私たちの生存権をめぐる闘いでもあることを忘れないでください。
そして、共謀罪を含めて戦争体制を築き上げんとするため日本はずっと朝鮮や中国からの「脅威」をいたずらに喧伝してきました。
その朝鮮半島を取り巻く情勢は緊張を高めていますが、その原因は日本を含めて朝鮮を悪魔化してきた側にこそあります。3月に始まり今月末まで続く米韓合同軍事演習は30万名を超える史上最大規模でなされ、その内容においてもまさに戦争演習そのものであり、それ自体が朝鮮に対して与えた脅威は想像を絶するものがあります。日本では朝鮮の弾道ミサイルが怖いとか、そういう報道しかされませんが、圧倒的に非均衡な軍事的圧力を受けているのは朝鮮であり、与えている側には日本も入っているということを忘れてはいけまけせん。たとえば、この戦争演習に使用される戦闘機は沖縄の嘉手納基地から飛びたっています。日米安保のもと加担しているのです。
もちろんそれだけではありません。日米合同軍事演習における直接的な武力圧力を繰り返すとともに、つい先日4月7日には日本政府は、朝鮮に対する独自制裁をさらに2年間延長することを閣議決定しています。2006年に始まった日本の独自制裁はもう11年にもなります。この間、制裁の内容はより厳しくされていき多くの在日朝鮮人が弾圧されてきました。朝鮮人には法を厳格適用するという当時の警察庁長官の言葉もあります。平等な適用ではなく、朝鮮人には厳格に適用してやるという脅しです。
朝鮮制裁はその期間も最初は半年間の延長を繰り返していたものが、1年間へと延び、それもさらに伸びて現在のように2年間の延長となっています。
このような制裁そのもの、そしてその強化に反対する日本の国会議員は誰1人としていたことはありませんでした。
10年間以上も日本では朝鮮敵視という立場においては与党も野党もなく、翼賛の状態であるということです。いくら野党共闘して安倍を倒すと叫べど、「共通の敵」を創るというマインドそのものは共有されてしまっているので、これでは平和への道を切り開くことはできません。
そして今や、アメリカは朝鮮に対する先制攻撃の可能性まで主張しています。つい最近、アフガニスタンに対して核兵器を除いたなかで最大の破壊力を有すためにこれまで一度も実戦で使用されたことのなかった、GBU-43と呼ばれる爆弾を投下したアメリカです。投下した地点の半径1マイルという爆風に晒されるエリアには10万人近くのひとびとが住んでいるにもかかわらずです。また、シリアに対しては59発ものミサイルを撃ち込みました。民間人の死傷者も出しているこのアメリカの攻撃を安倍晋三は「支持する」と述べました。
このような状況にあるがために、一方的な朝鮮悪魔化とあまりに非均衡な軍事的圧力の行きつく先として本当に朝鮮に対する先制攻撃が起きてしまうのではないか、という悪夢に心底恐怖をおぼえています。そしてそんな悪夢が現実になってしまったとしたら、日本は間違いなくそれを積極支持し米軍とともに再び朝鮮侵略をしていくという確信があります。
朝鮮に対する敵視政策は日本国内に住む在日朝鮮人への差別としてもあらわれます。それはたとえば、総連に対する数重なる政治弾圧に、また朝鮮学校に対する差別にあらわれています。
民族差別といえばヘイトスピーチの問題が多く取り上げられるようになりましたが、このようなヘイトを生みだしている根本として上からの排外主義があることを決して忘れないでください。
朝鮮学校は高校無償化からずっと除外され続けています。国家レベルの差別です。これが地方に対する排外主義のメッセージとなり各都道府県の自治体が拠出していた朝鮮学校への補助金が、近年どんどんと支給されなくなっています。昨年、当時の文部科学大臣馳浩(はせ ひろし)が、都道府県へ向けて「朝鮮学校に係る補助金交付に関する留意点」という通知を出しています。「適正かつ透明性のある執行の確保」などと言っていますが、自粛しろという圧力にほかなりません。その結果、2016年度に予算計上していたにもかかわらず補助金を交付しなかった自治体が5件あり、そのうち3件はこの通知が交付を取りやめた理由であることが分かっています。また群馬県に関しては、2017年度の交付について、拉致問題を教科書に記載することを補助金支給の要件として出しています。このような教育内容への介入が許されてよいのでしょうか。
みなさま、そもそも、なぜ朝鮮学校が日本にあるのか考えたことがありますでしょうか。日本による朝鮮への侵略・植民地支配によって、無理やり日本に連れてこられた、あるいは経済的な理由などにより来ざるを得なかった朝鮮人たちが、民族の言葉や歴史を学ばせたい、という理由で始まった朝鮮学校。その経緯を考えれば、本来ならば戦後補償の一環として、日本国から助成があるべきなのです。それどころか、必死で勝ち取ってきた自治体からの補助金さえも奪おうとしています。言うまでもなく、これでは十分な教育環境が整いません。実際、多くの朝鮮学校には保健室がありません。そのようななかでの民族教育が強いられていること、これが民族差別でなくてなんですか。
奇しくも69年前のちょうどこの時期です。日本政府は朝鮮学校閉鎖令などを通して、暴力的に朝鮮学校を潰していきました。民族教育弾圧に抵抗する当時16歳だった朝鮮人生徒を日本の警察は射ち殺しました。4.24阪神教育闘争です。
 
そのときから、その前からも、そして今もずっと私たちは平和と平等を求めて声をあげつづけています。
志あるみなさんもどうぞ一緒に歩きましょう!

 

 
**かんじ つかって いません**
 
はん に ちわ ~。

さくら の きせつ が ほぼ おわって、 さわやか な かぜ が ほほ に ここちよい 4 つき 22 ひ に、 でも を しました よ。
この ひ は おてんき も よく て、 まさに ぜっこう の でも びより!
かぜ に さそわれて、 ふだん の やく 3 ばい、 そうぜい 17 な の みなさん が あつまって くれました。
るーと は いつも と おなじ です が、 かんこう しーずん だ から でしょう か、 えんどう を あるく ひと は いつも より おおい よう な き が します。
そこ へ まっすぐ
「にっぽん せいふ こそ あめりか に ついずい して せかいじゅう で どうかつ と さつりく を くりかえして いる がわ」
「にっぽん は ずっと ちょうせん や ちゅうごく から の 「きょうい」 を いたずら に けんでん して きました」
「10ねんかん いじょう も にっぽん で は ちょうせん てきし という たちば において は よとう も やとう も なく、 よくさん の じょうたい である」
「にっぽん は … べいぐん とともに ふたたび ちょうせん しんりゃく を して いく」
「ちょうせん がっこう。 その けいい を かんがえれば、 ほんらい なら ば せんご ほしょう の いっかん として、 にっぽんこく から じょせい が あるべき」
「みんぞく きょういく だんあつ に ていこう する とうじ 16 とし だった ちょうせんじん せいと を にっぽん の けいさつ は うちころしました」
という ことば を なげかけます。 (すぴーち ぜんぶん は した の ほう に あります)

えんどう を あるいて いる みなさん の おおく にとって は、 いがい な ことば だった かも しれません。
だって、 まいにち まいにちてれび を つければ、 あの こうきょう ほうそう で も 「きたちょうせん が みさいる うって きたら …」 です もん ね。 でも、 そんな かぜ に ちょうせん を 「あくまか」 する こと で、 にっぽん が なしたい こと と、 なかっ た こと に したい こと が ある の です。 この くに が、 ちょうせんはんとう に すむ ひとたち や、 にっぽん に すむ ちょうせんじんたち を いためつけて きた かこ と、 これ まで を、 くりかえして は いけません。 ひとびと が それ を わすれさろう と するなら、 わたしたち は これから も ろじょう から なげかけます。
 
<しゅぷれひこーる>

ひのまる を   やこう   やぶこう   おろそう よ!

「きみがよ」 を   ながす の やめろ   うたわん ぞ!

はいし しよう   さべつ の こんげん   てんのうせい!

「へいか」 とか  「よう」「よう」 つけるの   やめましょう!

「こくみん」 に   とうごう される の   きょひ しよう!

やす くに は   ぐんじ しせつ だ   つぶそう よ!

にゅうかん は   さつじん しせつ だ   つぶそう よ!

べいぐん の   おしつけ ゆるさん   おきなわ へ!

べいぐん は   せかい の どこ に も   いらない ぞ!

じえいたい   にっぽん の ぐんたい   なくそう よ!

ちょうせん の   てきし を やめろ   いま すぐ に!

こくせき で   ひと の いきかた   せばめるな!

はいし しよう   さべつ を うみだす   こせき せいど!

やめ に しよう   はいじょ の さいてん   おりんぴっく!

けいさつ は   じゆう な でも の   じゃ まするな!

 あれ ほど ざわついて いた はんかがい が、 いっしゅん しずまりかえり、 
こうさてん の しんごう の ぴぽ、 ぴぽ、 という ゆうどうおん だけ が ひびきます。
そんなに いがい でした か。 ことば を なくすほど 「まずい」 こ と いいました か。
これら の こーる が 「なに あたりまえ の こと いってるねん」 に なるまで
わたしたち は さけびつづけるでしょう。
<すぴーち ぜんぶん>

もっか、 にっぽん せいふ は 「てろ たいさく」 として、 ひと の ないしん に まで ふみこんで そうさ たいしょう と し たいほ して いかん と すだんあつほう である きょうぼうざい の せいりつ に むけて やっき に なって います。
「てろ たいさく」 と いいます が、 そもそも にっぽん せいふ こそ あめりか に ついずい して せかいじゅう で どうかつ と さつりく を くりかえして いる がわ で は ありません か。
いまや せいふ が ひみつほう も せんそうほう も せいりつ させ、 そして きょうぼうざい を も しゅちゅう に おさめよう と する この おそろしい じだい に あって、 わたしたち が なさなけれ ば ならない こと は すでに おきて いる だんあつ にたいして だんこ として ていこう して いく こと です。
せんげつ、 とうきょうと しぶやく は みやした こうえん を きょうせい ふうさ し、 そこ を せいかつ の ば に して いた のじゅくしゃ を おいだしました。 いきる ば を うばう この ぼうきょ にたいして かけつけた しえんしゃ の ひとり は その ば で こうそく され しぶやしょ で じんけん むし の かんきょう に こうきん される こと に なりました。 しかも、 そのご、 こうりゅう きげん により かいほう と なった とたん に 4 かげつ も まえ の べっけん を でっちあげ さいたいほ、 あさくさしょ に いそう し こうそく した の です。 さいわい つい せんじつ に かいほう されました が この よう な ぎょうせい、 けいさつ、 けんさつ、 そして さいばんしょ が いったい と なった ぼうきょ にたいして わたしたち は ほんき で いかり こうぎ を つづけて いかなけれ ば ならない し、 それ は あらた な だんあつほう にたいして も けんせい に なります。
どう か、 この みやした こうえん だんあつ にたいして かんしん を もち、 おわった こと に せず こうぎ の こえ を ひろめて ください。 そして これ が わたしたち の せいぞんけん を めぐる たたかい で も ある こと を わすれない で ください。
そして、 きょうぼうざい を ふくめて せんそう たいせい を きずきあげんと する ため にっぽん は ずっと ちょうせん や ちゅうごく から の 「きょうい」 を いたずら に けんでん して きました。
その ちょうせんはんとう を とりまく じょうせい は きんちょう を たかめて います が、 その げんいん は にっぽん を ふくめて ちょうせん を あくまか して きたがわ に こそ あります。 3 つき に はじまり こんげつまつ まで つづく べい かん ごうどう ぐんじ えんしゅう は 30 まんめい を こえる しじょう さいだい きぼ で なされ、 その ないよう において も まさに せんそう えんしゅう そのもの であり、 それ じたい が ちょうせん にたいして あたえた きょうい は そうぞう を ぜっする もの が あります。 にっぽん で は ちょうせん の だんどう みさいる が こわい とか、 そういう ほうどう しか されません が、 あっとうてき に ひきんこう な ぐんじてき あつりょく を うけて いる の は ちょうせん であり、 あたえて いる がわ に は にっぽん も はいって いるという こと を わすれて は いけまけせん。 たとえば、 この せんそう えんしゅう に しよう される せんとうき は おきなわ の かでな きち から とびたって います。 にち べい あんぽ の もとかたん して いる の です。
もちろん それ だけ で は ありません。 にち べい ごうどう ぐんじ えんしゅう における ちょくせつてき な ぶりょく あつりょく を くりかえすとともに、 つい せんじつ 4 つき 7 ひ に は にっぽん せいふ は、 ちょうせん にたいする どくじ せいさい を さらに 2 ねんかん えんちょう する こと を かくぎ けってい して います。 2006 とし に はじまった にっぽん の どくじ せいさい は もう 11 とし に も なります。 このかん、 せいさい の ないよう は より きびしく されて いき おおく の ざいにち ちょうせんじん が だんあつ されて きました。 ちょうせんじん に は ほう を げんかく てきよう するという とうじ の けいさつちょう ちょうかん の ことば も あります。 びょうどう な てきよう で は なく、 ちょうせんじん に は げんかく に てきよう して やるという おどしです。
ちょうせん せいさい は その きかん も さいしょ は はんとしかん の えんちょう を くりかえして いた もの が、 1 ねんかん へ と のび、 それ も さらに のびて げんざい の よう に 2 ねんかん の えんちょう と なって います。
この よう な せいさい そのもの、 そして その きょうか に はんたい する にっぽん の こっかい ぎいん は だれ 1 ひと と して いた こと は ありませんでした。
10ねんかん いじょう も にっぽん で は ちょうせん てきし という たちば において は よとう も やとう も なく、 よくさん の じょうたい である という こと です。 いくら やとう きょうとう して あべ を たおすと さけべど、 「きょうつう の てき」 を つくるという まいんど そのもの は きょうゆう されて しまって いるので、 これ で は へいわ へ の みち を きりひらく こと は できません。
そして いまや、 あめりか は ちょうせん にたいする せんせい こうげき の かのうせい まで しゅちょう して います。 つい さいきん、 あふがにすたん にたいして かくへいき を のぞいた なか で さいだい の はかいりょく を ゆうす ため に これ まで いちど も じっせん で しよう された こと の なかっ た、 GBU-43 と よばれる ばくだん を とうか した あめりか です。 とうか した ちてん の はんけい 1 まいる という ばくふう に さらされる えりあ に は 10 まんにん ちかく の ひとびとが すんで いるに も かかわらずです。 また、 しりあ にたいして は 59 はつ も の みさいる を うちこみました。 みんかんじん の ししょうしゃ も だして いる この あめりか の こうげき を あべ すすむ さん は 「しじ する」 と のべました。
この よう な じょうきょう に あるが ため に、 いっぽうてき な ちょうせん あくまか と あまりに ひきんこう な ぐんじてき あつりょく の いきつく さき として ほんとうに ちょうせん にたいする せんせい こうげき が おきて しまう の で は ない か、 という あくむ に しんそこ きょうふ を おぼえて います。 そして そんな あくむ が げんじつ に なって しまった と したら、 にっぽん は まちがい なく それ を せっきょく しじ し べいぐん とともに ふたたび ちょうせん しんりゃく を して いくという かくしん が あります。
ちょうせん にたいする てきし せいさく は にっぽん こくない に すむ ざいにち ちょうせんじん へ の さべつ として も あらわれます。 それ は たとえば、 そうれん にたいする すうじゅう なる せいじ だんあつ に、 また ちょうせん がっこう にたいする さべつ に あらわれて います。
みんぞく さべつ と いえば へいとすぴーち の もんだい が おおく とりあげられる よう に なりました が、 この よう な へいと を うみだして いる こんぽん として うえ から の はいがい しゅぎ が ある こと を けっして わすれない で ください。
ちょうせん がっこう は こうこう むしょうか から ずっと じょがい されつづけて います。 こっか れべる の さべつ です。 これ が ちほう にたいする はいがい しゅぎ の めっせーじ と なり かくとどうふけん の じちたい が きょしゅつ して いた ちょうせん がっこう へ の ほじょきん が、 きんねん どんどん と しきゅう されなく なって います。 さくねん、 とうじ の もんぶ かがく だいじん、 馳浩 (はせ   ひろし) が、 とどうふけん へ むけて 「ちょうせん がっこう に かかる ほじょきん こうふ にかんする りゅういてん」 という つうち を だして います。 「てきせい かつ とうめいせい の ある しっこう の かくほ」 など と いって います が、 じしゅく しろという あつりょく に ほかなりません。 その けっか、 2016 ねんど に よさん けいじょう して いた に も かかわらず ほじょきん を こうふ しなかった じちたい が 5 けん あり、 その うち 3 けん は この つうち が こうふ を とりやめた りゆう である こと が わかって います。 また ぐんまけん にかんして は、 2017 ねんど の こうふ について、 らち もんだい を きょうかしょ に きさい する こと を ほじょきん しきゅう の ようけん として だして います。 この よう な きょういく ないよう へ の かいにゅう が ゆるされて よい の でしょう か。
みなさま、 そもそも、 なぜ ちょうせん がっこう が にっぽん に ある の か かんがえた こと が ありますでしょう か。 にっぽん による ちょうせん へ の しんりゃく ・ しょくみんち しはい によって、 むりやり にっぽん に つれて こられた、 あるいは けいざいてき な りゆう など により こざる を えなかった ちょうせんじんたち が、 みんぞく の ことば や れきし を まなばせたい、 という りゆう で はじまった ちょうせん がっこう。 その けいい を かんがえれば、 ほんらい なら ば せんご ほしょう の いっかん として、 にっぽんこく から じょせい が あるべきな の です。 それどころか、 ひっし で かちとって きた じちたい から の ほじょきん さえ も うばおう と して います。 いうまでもなく、 これ で は じゅうぶん な きょういく かんきょう が ととのいません。 じっさい、 おおく の ちょうせん がっこう に は ほけんしつ が ありません。 その よう な なか で の みんぞく きょういく が しいられて いる こと、 これ が みんぞく さべつ でなく て なん です か。
くしくも 69 とし まえ の ちょうど この じき です。 にっぽん せいふ は ちょうせん がっこう へいされい など をとおして、 ぼうりょくてき に ちょうせん がっこう を つぶして いきました。 みんぞく きょういく だんあつ に ていこう する とうじ 16 とし だった ちょうせんじん せいと を にっぽん の けいさつ は うちころしました。 4.24 はんしん きょういく とうそう です。

その とき から、 その まえ から も、 そして いま も ずっと わたしたち は へいわ と びょうどう を もとめて こえ を あげつづけて います。
こころざし ある みなさん も どうぞ いっしょ に あるきましょう!