9月17日デモ報告*9がつ17にち でも ほうこく

**ふたつめ かんじ つかって いません**

 

はんにちわ!

前回の夜デモが涼しくて具合よかったので、9月は夕デモということで予定しました。

 

気候もすっかり秋めいて、多くのみなさんが待ち望んだ三連休、

なんと!非常に強い台風18号(タリム)さんが

わたしたちのデモに参加したいとばかりに、近畿地方をめざして北上してきているというではありませんか。

基本、趣旨に賛同していただけるのであればウェルカムではあるのですが、

直撃となると、交通機関に影響が出たりして、

他の参加者が集まれなくなったり、帰れなくなったりします。

ひとばん、台風情報とにらめっこしながら出したこたえは、

「予定どおりやりましょ」

 

暗雲たちこめる京都市内。まだ日没までは時間があるというのに、なんだか薄暗いです。雨がいまにも降り出しそう。

スタート時点でついた警官は3人。いつもは2人なのに、台風シフトかしら?と思ったら、

それとは別に、帽子をかぶった目つきの悪い一群が、こちらをにらんでいるではありませんか。

そう、公安警察です。

呼んでないよ!(警備警察も勿論呼んでない)

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実は、デモ申請の時から少し様子が違っていました。

わざわざ許可条件(本来、デモは権利なので、許可とかナンセンスなんだけどね)を読み上げたり、あろうことか、「撮影する」と予告してきたり。

もちろん、撮影は違法ですので、もし撮影をはじめたら、当然抗議しましょうね。と思いながら歩きはじめたのですが、うしろから何やら妙な圧が……ふりむくと、警察の大型人員輸送車(通称「カマボコ」)がついてきてる。

呼んでないよ!

 

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《スピーチ》

みなさん、はんにちわ!反日非国民集団です♪

 

毎度のようにデモをしてますが、今日はまず今私たちに付きまとっている京都府警中京署の警察たちに抗議するところから始めたいと思います。

 

みなさん、そもそもデモというのは私たちの自由であり、本来誰からも許可を受けるようなものであってはいけません。しかし、不当な公安条例によってそれが強制されているという状況にあります。

私たちは公安条例の不当性とその廃止を訴えます。

 

そして、警察たちへ。不当な公安条例を盾に自由なデモに対する干渉をするのをやめろ!先日、デモの「許可証」を取りに行った際に、警備課長まで連れてきてデモの許可条件についてわざわざ確認し、それを守ることを約束させようとしたことについて抗議する。

そもそも自由なデモに対して「許可条件」などという不当な条件をつけられるなどと勘違いをするな!

道路の左端に寄れだとか、早く歩けなどというのは全く不当なデモに対する干渉であり、そんなことを我々は許さない!

そして、不当な「許可条件」がまもられなければデモ参加者を撮影すると脅しをかけてきたことに対して、これに対する撤回と謝罪を要求する!

京都府学連事件の判例において警察官による撮影が許容されるのは「現に犯罪が行われもしくは行われたのち間がないと認められる場合であって、しかも証拠保全の必要性及び緊急性があり、かつその撮影が一般的に許容される限度を超えない相当な方法を持って行われるときである」とされており、これはそれを満たさない限りは警察官の撮影は違法であることを示している。

今回、中京署がデモの「許可条件」がまもられなければ撮影すると脅しをかけたということは警察が「許可条件」違反を「犯罪が行われている」状況として認識していることを示すが、こんなとんでもないことを許すわけにはいかない。

所轄警察署および公安委員会が付してくる「許可条件」なるものに対してあたかも法としての権力があるかのように扱い、取り締まりの基準とすることは、明らかに警察権および行政権の乱用であり憲法違反である。

これを許してしまえば、警察および公安委員会はデモに対して「許可条件」をもっていくらでも自由に規制できることになってしまう。そんな馬鹿げたことを許してはならない!

デモは自由だ!

京都府警よ!あなたらの仲間である東京の警視庁公安部は経産省前で脱原発を訴える市民を「無届けデモを先導した」との容疑で逮捕するという暴挙を働いた。

私たちはこの不当逮捕・弾圧を絶対に許さない。いますぐ、拘留されている当該を解放しろ!

 

さて、警察には他にもたくさん言いたいことがたくさんありますが、たくさんありすぎるので次に移ります。

 

今月だけで既に2回にわたり、朝鮮の飛翔体が日本の「上空」を飛行したからとJアラートなるものが発動されました。一部の電車は運転をやめたり、テレビも新聞も、ネットニュースも騒ぎまくります。

国際宇宙ステーションの高度をさらに上回る軌道に沿ってものの数分で過ぎ去るものを、まるで日本を標的にミサイルが放たれたかの如く騒ぎ立て、恐ろしい危機に瀕しているかのような演出がなされてもそれにのせられないことを皆さんに訴えます。

なぜなら、国家はそうやって「敵」からの脅威を煽り民衆の恐怖を利用することで戦争へと駆り立てていくからです。

水爆実験にナーバスになっているかたもいるかもしれませんが、日-米-韓による対朝鮮軍事圧力こそが朝鮮半島の非核化を阻んでいるということをしっかりと認識してください。世界でもっとも危険な核保有国は唯一実戦使用までした、それも二度も、アメリカであることは明らかなことであり、そのアメリカとの間で朝鮮戦争がいまだ終戦に至っておらず、日本、韓国に米軍を置き「合同軍事演習」という実質的な対朝鮮戦争演習によって脅威を与え続けているのですから。

朝鮮が脅威なのではなく、日本こそが世界に対する脅威なのです。

 

そもそも朝鮮や中国に対しても日本こそ侵略した側であり、それについて賠償も怠ってきている事実を忘れてはなりません。

そして、「戦後」と呼ばれる時代にあってもなお日本はアメリカの侵略にいつも真っ先に賛同して協力してきました。

朝鮮戦争に始まってベトナム戦争イラク戦争と参加・協力してきた事実を決して忘れてはなりません。

 

戦争に加担してきた「戦後史」を記憶し続けることは、「戦後平和だった日本」という幻想とはハッキリと異なる認識を示すということです。

反戦平和運動のなかでも、まるで安倍政権になってはじめて戦争の危機が生じているかのような主張のされかたを見聞きすることがありますが、それではこれまでの日本の戦争加担の在り方についてはこれを認めてしまうことになります。

 

歴史を教訓として記憶し続けるのは同じ過ちを繰り返さないためです。

 

関東大震災時に起こった朝鮮人虐殺の追悼式に対して追悼文を送ることを拒否した小池百合子東京都知事は、それについての見解を問われ「関東大震災で犠牲となられた全ての方々への追悼の意を表」すと応えました。

さて、ここに朝鮮人虐殺の被害者たちは含まれるでしょうか?

朝鮮人虐殺の被害者とは果たして「関東大震災の犠牲」になったのでしょうか?

明らかに違うでしょう。

地震という自然災害によってではなく日本人によって殺されたのです。

小池百合子東京都知事はさらに朝鮮人虐殺そのものについても「様々な見方がある」「歴史家がひもとくもの」としてついにその事実を認めるに至りませんでした。これは実質的に朝鮮人虐殺の事実を否定する行為です。

また財務大臣と副総理大臣という立場にある麻生太郎が「ヒトラーの動機が正しかった」という旨の発言したこともご存知かと思います。麻生は過去に憲法を変えるために「ナチスの手法を見習うべき」という趣旨の発言もしています。

ヒトラーの動機が導いた結果がユダヤ人をはじめとした、ロマ族、障害者、同性愛者、「エホバの証人」を信仰する者たち、社会主義者など政治犯にされていた者たちに対する大量虐殺であったことら揺るぎない歴史の事実です。

 

東京都知事、そして副総理大臣という大きな権力を行使する者らが虐殺の歴史を否定・歪曲ましてや正当化するとき、その影響は社会全体へと波及していきます。

 

そしてそれは虐殺の再現にまで行き着きかねない恐ろしさがあります。

いえ、すでにそれは起きてしまっています。

 

昨年の7月に神奈川県相模原市にある障害者福祉施設で元職員による19人もの命を奪い26人が重傷を負う最悪の事件がおきて1年と2ヶ月になります。

この事件が日本社会に突きつけた問題に対して私たちは果たして正面から向き合ってこれたでしょうか。

麻生発言に対してこの社会がどんな態度をとるかはとても重要な意味があります。

私たちは絶対に麻生太郎を許してはならないし、辞職へと追い込む責任があります。

小池百合子に対しても同様です。

この者たちの発言は虐殺の扇動として罪に問われなければならないことを強く皆さんに訴えます。

 

「日本こそが世界に対する脅威」と先に述べましたが、相模原の事件は日本という国家社会がその内に暮らす人々に対しても、その生存権を脅かし脅威に晒していることを示しています。 

 

障害者たち、

 

そして、生活保護を申請しても窓口ではねのけられる餓死や自殺に追い込まれるひとたち、

 

そして、行政によって公園のテントが破壊され住む場所を奪われている野宿者たち、

 

そして、国策差別が扇動する暴言、暴力、果てには放火にまで至るヘイトクライムの被害にあう在日朝鮮人たち、

朝鮮学校に対する無償化除外という国策差別に対して大阪地裁での画期的な判決がくだされたにもかかわらず、続く東京地裁ではあらためてこの国策差別を容認する不当判決がくだされてしまいました。

 

そして、米軍基地が集中する沖縄で米軍による暴力にさらされ続ける沖縄の人たち、

沖縄に対する構造的差別は米軍による被害だけでなく、新基地建設に反対する人をひき逃げするというほどのおぞましいヘイトクライムを招いています。

 

そして、入管に無期限の拘留状態に置かれ、職員による日常的な虐待に晒されている人たち、

 

そして、今も放射性物質を垂れ流し続けの状況で、なおも汚染地域から避難する権利を保障されず被曝され続けている人びと、被爆労働者たち、

東電が認めて公表しているだけでも3.11以降に福島原発1号機の作業員のうち17名が亡くなっています。

すでに川内(1.2号機)・伊方(3号機)・高浜(3.4号機)の原発を稼動させてしまっていますが、さらにここにきて福島原発事故を引き起こした東京電力新潟県柏崎刈羽原発6、7号機を再稼動させようとしています。

 

そして女性たち、

性暴力被害を告発しても死ぬ気で抵抗しなければ合意とみなす司法や、被害女性の服装や職業などを詮索して「落ち度」探しをはじめたり、加害者の男性が著名人であれば「売名行為」だの「ハニートラップ」だのと被害者バッシングが起きるような女性差別社会は女性に対する暴力を扇動し続けています。

 

そして、すべての死刑囚たち、

 

他にもたくさんありますので挙げきれませんが、これらの存在が面している危機は外からやってきているのではありません。それは日本政府であったり、もっと大きな日本という国家社会全体によってもたらされているのです。

 

私たちが反戦を訴えるとき、朝鮮への敵視政策をやめ、日米安保の廃棄・自衛隊の解体を訴えるとき、日本が侵略されたらどうするのだと言う人がいます。

しかし、日本という国家社会それ自体がその住民に対して殺し続けているという破綻した状況、さらには世界に向けて虐殺の加担を続けている状況を前にして「侵略されたらどうする」という問い自体が甚だおかしなものだと気付かされます。

なくなればいいじゃないですか、なくしたほうがいいじゃないですか、日本なんて。ともに生きていく社会を創りあげるためには日本をやめるしかないんじゃないかと思うのです。

 

だから、みなで唱えましょう。

はんにちわー!!!

 

 

四条河原町の交差点にさしかかろうとしたとき、赤信号でみんながとまると、

とつぜん警官が参加者のひとりに対して「主催者!前へ進むように言いなさい!」と拡声器を通して大きな声で何度も何度も言ってきました。

デモなので、もちろん前へは進んでいるし、進んできたからここまで来てるのです。

なのに大声で何度も何度も。

警察は、自分たちがリーダーをいただくピラミッド型の組織だからか、

私たちに対しても「リーダー」を見つけ出そうとし、「リーダー」に言うことをきかせようとしてきます。

しかし、私たちはいわゆる「リーダー」をつくりません。

誰もが対等に参加し、提案し、議論し、尊重し合い、選びとっていくのです。

権力を偏在させることが、私たちの生きづらい状況をつくっているのに、

自分たちのつながりの中に、同じように権力を偏在させようとすればそれは矛盾です。

どの参加者も、自分の思いを持って、自分の判断でここに集まっているのです。

 

と、そのとき、歩道をもそもそついて歩いてきていた公安が、ビデオカメラをこちらに向けているのに気づきました。

こんなとき、見ないふりして前に進んではいけません。

警察による撮影は、違法です。きちんと抗議して、やめさせなければいけません。

みんな口々に「撮影やめろ!」と言って公安につめよります。

撮影に猛烈に抗議するわたしたち

「デモ隊は前へ進みなさい!」と叫ぶ制服警官。中には抗議する私たちに向かって「早よ進めと言うとるんじゃ!!」とか「さっさと行けやっオラァ!」と物凄い形相で怒鳴り散らす者までいました。

 

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↑物凄い形相で怒鳴ってきた警察官

 

それらをけげんそうに見つめるバス待ちの人びと。

公安は最初、私たちの抗議が聞こえないような顔をしていましたが、ビデオカメラをしまいました。

警察は 自由なデモを じゃまするな

 

シュプレヒコール

日の丸を 焼こう 破こう 降ろそうよ

君が代を 流すのやめろ 歌わんぞ

天皇制 差別の根源 なくそうよ

「陛下」とか 「様」「様」つけるの やめましょう

「国民」に 統合されるの 拒否しよう

ヤスクニは 軍事施設だ つぶそうよ

入管は 殺人施設だ つぶそうよ

米軍の 押しつけゆるさん 沖縄へ

米軍は 世界のどこにも いらないぞ

自衛隊 日本の軍隊 なくそうよ

朝鮮の 敵視をやめろ いますぐに

国籍で ひとの生き方 せばめるな

廃止しよう 差別を生み出す 戸籍制度

やめにしよう 排除の祭典 オリンピック

 

 

その後も公安はデモのゴールに近い祇園の交差点までずっとついてきました。

そして、わたしたちが公園にさしかかると、違法に撮影したことを謝りもせず、そそくさと帰って行きました。これはとんでもないと思い、私たちはまだその場にいた所轄の警察官たち(東山署)に「撮影していた公安を呼んでこい。デモも終わって撮影の必要がなかったことも証明されたのだから私たちの眼の前で撮影したものを消させろ」と当然の要求しました。しかし、東山署の警察官らは「もうデモは終わりましたので」と言って逃げるように帰っていきます。

なので「違法な撮影を許すな!」「身内の犯罪をかばうな!」と逃げていく背中を追いかけながら叫び続けましたが、最終的には逃げられました。公安による盗撮については改めて抗議をしたいと思っています。

 

権力は、それに対し異議を申し立てる者をいつも黙らせようとします。

おとなしく言うことをきいていたら、しあわせになれるのでしょうか。

そんなことはないということは、この何十年かの歴史を見ても明らかです。

差別は、日増しにあらわになり、黙っていればいるほど、差別される者は排除され、

生きることをはばまれ、見えなくされていきます。

 

路上で、まちかどで、今いるところで、声をあげていくことをやめてはいけません。

 

わたしたちはこれからも、声をあげ続けます。

 

**かんじ つかって いません**

はん に ちわ!

ぜんかい の よる でも が すずしく て ぐあい よかっ た ので、 9 つき は ゆう でも という こと で よてい しました。


きこう も すっかり あきめいて、 おおく の みなさん が まちのぞんだ さん れんきゅう、 
なんと!ひじょう に つよい たいふう 18 ごう (たりむ) さん が
わたしたち の でも に さんか したい と ばかり に、 きんき ちほう を めざして ほくじょう して きて いると いうで は ありません か。
きほん、 しゅし に さんどう して いただける の であれ ば うぇるかむ で は ある の です が、 
ちょくげき と なると、 こうつう きかん に えいきょう が でたり して、 
た の さんかしゃ が あつまれなく なったり、 かえれなく なったり します。
ひとばん、 たいふう じょうほう と にらめっこ しながら だした こたえは、 
「よていどおり やりましょ」


あんうん たちこめる きょうと しない。 まだ にちぼつ まで は じかん が あると いうのに、 なんだか うすぐらい です。 あめ が いま に も ふりだしそう。
すたーと じてん で ついた けいかん は 3 ひと。 いつも は 2 ひと な のに、 たいふう しふと かしら?と おもったら、 
それ と は べつに、 ぼうし を かぶった めつき の わるい いちぐん が、 こちら を にらんで いるで は ありません か。
そう、 こうあん けいさつ です。
よんで ない よ!( けいび けいさつ も もちろん よんで ない)

 

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じつは、 でも しんせい の とき から すこし ようす が ちがって いました。
わざわざ きょか じょうけん (ほんらい、 でも は けんり な ので、 きょか とか なんせんす な ん だ けど ね) を よみあげたり、 あろう こと か、 「さつえい する」 と よこく して きたり。
もちろん、 さつえい は いほう です ので、 もし さつえい を はじめたら、 とうぜん こうぎ しましょう ね。 と おもいながら あるきはじめた の です が、 うし ろ から なにやら みょう な 圧 が … … ふりむくと、 けいさつ の おおがた じんいん ゆそうしゃ (つうしょう 「かまぼこ」) が ついて きてる。
よんで ない よ!

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《すぴーち》
みなさん、 はん に ちわ!はんにち ひこくみん しゅうだん です ♪

まいど の よう に でも を して ます が、 きょう は まず いま わたしたち に つきまとって いる きょうと ふけい ちゅうきょうしょ の けいさつたち に こうぎ する ところ から はじめたい と おもいます。

みなさん、 そもそも でも という の は わたしたち の じゆう であり、 ほんらい だれ から も きょか を うける よう な もの であっ て は いけません。 しかし、 ふとう な こうあん じょうれい によって それ が きょうせい されて いるという じょうきょう に あります。
わたしたち は こうあん じょうれい の ふとうせい と その はいし を うったえます。

そして、 けいさつたち へ。 ふとう な こうあん じょうれい を たて に じゆう な でも にたいする かんしょう を する の を やめろ!せんじつ、 でも の 「きょかしょう」 を とりに いった さい に、 けいび かちょう まで つれて きて でも の きょか じょうけん について わざわざ かくにん し、 それ を まもる こと を やくそく させよう と した こと について こうぎ する。
そもそも じゆう な でも にたいして 「きょか じょうけん」 など という ふとう な じょうけん を つけられるなど と かんちがい を するな!
どうろ の ひだりはし に よれだ と か、 はやく あるけなど という の は まったく ふとう な でも にたいする かんしょう であり、 そんな こと を われわれ は ゆるさない!
そして、 ふとう な 「きょか じょうけん」 が まもられなけれ ば でも さんかしゃ を さつえい すると おどしを かけて きた こと にたいして、 これ にたいする てっかい と しゃざい を ようきゅう する!
きょうとふがく れん じけん の はんれい において けいさつかん による さつえい が きょよう される の は 「げんに はんざい が おこなわれ もしくは おこなわれた のちかん が ない と みとめられる ばあい であっ て、 しかも しょうこ ほぜん の ひつようせい および きんきゅうせい が あり、 かつ その さつえい が いっぱんてき に きょよう される げんど を こえない そうとう な ほうほう を もって おこなわれる とき である」 と されて おり、 これ は それ を みたさない かぎり は けいさつかん の さつえい は いほう である こと を しめして いる。
こんかい、 ちゅうきょうしょ が でも の 「きょか じょうけん」 が まもられなけれ ば さつえい すると おどしを かけた という こと は けいさつ が 「きょか じょうけん」 いはん を 「はんざい が おこなわれて いる」 じょうきょう として にんしき して いる こと を しめすが、 こんな とんでも ない こと を ゆるす わけ に は いかない。
しょかつ けいさつしょ および こうあん いいんかい が ふして くる 「きょか じょうけん」 なる もの にたいして あたかも ほう として の けんりょく が あるか の よう に あつかい、 とりしまり の きじゅん と する こと は、 あきらか に けいさつけん および ぎょうせいけん の らんよう であり けんぽう いはん である。
これ を ゆるして しまえば、 けいさつ および こうあん いいんかい は でも にたいして 「きょか じょうけん」 を もって いくらでも じゆう に きせい できる こと に なって しまう。 そんな ばかげた こと を ゆるして は ならない!
でも は じゆう だ!
きょうと ふけい よ!あなたら の なかま である とうきょう の けいしちょう こうあんぶ は けいさんしょう まえ で だつげんぱつ を うったえる しみん を 「むとどけ でも を せんどう した」 と の ようぎ で たいほ するという ぼうきょ を はたらいた。
わたしたち は この ふとう たいほ ・ だんあつ を ぜったい に ゆるさない。 いま すぐ、 こうりゅう されて いる とうがい を かいほう しろ!

さて、 けいさつ に は た に も たくさん いいたい こと が たくさん あります が、 たくさん ありすぎるので つぎに うつります。

こんげつ だけ で すでに 2 かい にわたり、 ちょうせん の ひしょうたい が にっぽん の 「じょうくう」 を ひこう した から と J あらーと なる もの が はつどう されました。 いちぶ の でんしゃ は うんてん を やめたり、 てれび も しんぶん も、 ねっと にゅーす も さわぎまくります。
こくさい うちゅう すてーしょん の こうど を さらに うわまわる きどう に そって もの の すうふん で すぎさる もの を、 まるで にっぽん を ひょうてき に みさいる が はなたれた か の ごとく さわぎたて、 おそろしい きき に ひん して いるか の よう な えんしゅつ が なされて も それ に のせられない こと を みなさん に うったえます。
なぜなら、 こっか は そう やって 「てき」 から の きょうい を あおり みんしゅう の きょうふ を りよう する こと で せんそう へ と かりたてて いくから です。
すいばく じっけん に なーばす に なって いる かた も いるかも しれません が、 ひ - べい - かん による たい ちょうせん ぐんじ あつりょく こそ が ちょうせんはんとう の ひかくか を はばんで いるという こと を しっかり と にんしき して ください。 せかい で もっとも きけん な かくほゆうこく は ゆいいつ じっせん しよう まで した、 それ も にど も、 あめりか である こと は あきらか な こと であり、 その あめりか と の ま で ちょうせん せんそう が いまだ ていせん に いたって おらず、 にっぽん、 かんこく に べいぐん を おき 「ごうどう ぐんじ えんしゅう」 という じっしつてき な たい ちょうせん せんそう えんしゅう によって きょうい を あたえつづけて いる の です から。
ちょうせん が きょうい な の で は なく、 にっぽん こそ が せかい にたいする きょうい な の です。

そもそも ちょうせん や ちゅうごく にたいして も にっぽん こそ しんりゃく した がわ であり、 それ について ばいしょう も おこたって きて いる じじつ を わすれて は なりません。
そして、 「せんご」 と よばれる じだい に あって も なお にっぽん は あめりか の しんりゃく に いつも まっさき に さんどう して きょうりょく して きました。
ちょうせん せんそう に はじまって べとなむ せんそう、 いらく せんそう と さんか ・ きょうりょく して きた じじつ を けっして わすれて は なりません。


せんそう に かたん して きた 「せんごし」 を きおく しつづける こと は、 「せんご へいわ だった にっぽん」 という げんそう と は はっきり と ことなる にんしき を しめすという こと です。
はんせん ・ へいわ うんどう の なか で も、 まるで あべ せいけん に なって はじめて せんそう の きき が しょうじて いるか の よう な しゅちょう の され かた を みきき する こと が あります が、 それでは これ まで の にっぽん の せんそう かたん の ありかた について は これ を みとめて しまう こと に なります。


れきし を きょうくん として きおく しつづける の は おなじ あやまち を くりかえさない ため です。


かんとうだいしんさいじ に おこった ちょうせんじん ぎゃくさつ の ついとうしき にたいして ついとう ぶん を おくる こと を きょひ した こいけ ゆりこ とうきょう とちじ は、 それ について の けんかい を とわれ 「かんとうだいしんさい で ぎせい と なられた すべて の かたがた へ の ついとう の い を ひょう」 すと こたえました。
さて、 ここ に ちょうせんじん ぎゃくさつ の ひがいしゃたち は ふくまれるでしょう か?

ちょうせんじん ぎゃくさつ の ひがいしゃ と は はたして 「かんとうだいしんさい の ぎせい」 に なった の でしょう か?
あきらか に ちがうでしょう。
じしん という しぜん さいがい によって で は なく にっぽんじん によって ころされた の です。
こいけ ゆりこ とうきょう とちじ は さらに ちょうせんじん ぎゃくさつ そのもの について も 「さまざま な みかた が ある」「れきしか が ひもとく もの」 として ついに その じじつ を みとめるに いたりませんでした。 これ は じっしつてき に ちょうせんじん ぎゃくさつ の じじつ を ひてい する こうい です。
また ざいむ だいじん と ふくそうり だいじん という たちば に ある あそう たろう が 「ひとらー の どうき が ただしかっ た」 という むね の はつげん した こと も ごぞんじ か と おもいます。 あそう は かこ に けんぽう を かえる ため に 「なちす の しゅほう を みならうべき」 という しゅし の はつげん も して います。
ひとらー の どうき が みちびいた けっか が ゆだやじん を はじめ と した、 ろま ぞく、 しょうがいしゃ、 どうせいあいしゃ、 「えほば の しょうにん」 を しんこう する ものたち、 しゃかい しゅぎしゃ など せいじはん に されて いた ものたち にたいする たいりょう ぎゃくさつ であった ことら ゆるぎない れきし の じじつ です。


とうきょう とちじ、 そして ふくそうり だいじん という おおきな けんりょく を こうし する ものら が ぎゃくさつ の れきし を ひてい ・ わいきょく ましてや せいとうか する とき、 その えいきょう は しゃかい ぜんたい へ と はきゅう して いきます。


そして それ は ぎゃくさつ の さいげん に まで いきつきかねない おそろしさ が あります。
いえ、 すでに それ は おきて しまって います。


さくねん の 7 つき に かながわけん さがみはらし に ある しょうがいしゃ ふくし しせつ で もとしょくいん による 19 ひと も の いのち を うばい 26 ひと が じゅうしょう を おう さいあく の じけん が おきて 1 とし と 2 かげつ に なります。
この じけん が にっぽん しゃかい に つきつけた もんだい にたいして わたしたち は はたして しょうめん から むきあって これたでしょう か。
あそう はつげん にたいして この しゃかい が どんな たいど を とるか は とても じゅうよう な いみ が あります。
わたしたち は ぜったい に あそう たろう を ゆるして は ならない し、 じしょく へ と おいこむ せきにん が あります。
こいけ ゆりこ にたいして も どうよう です。
この ものたち の はつげん は ぎゃくさつ の せんどう として つみ に とわれなけれ ば ならない こと を つよく みなさん に うったえます。

「にっぽん こそ が せかい にたいする きょうい」 と さき に のべました が、 さがみはら の じけん は にっぽん という こっか しゃかい が その うち に くらす ひとびと にたいして も、 その せいぞんけん を おびやかし きょうい に さらして いる こと を しめして います。 

しょうがいしゃたち、 

そして、 せいかつ ほご を しんせい して も まどぐち で はねのけられる がし や じさつ に おいこまれる ひとたち、 

そして、 ぎょうせい によって こうえん の てんと が はかい されすむ ばしょ を うばわれて いる のじゅくしゃたち、 

そして、 こくさく さべつ が せんどう する ぼうげん、 ぼうりょく、 はて に は ほうか に まで いたる へいとくらいむ の ひがい に あう ざいにち ちょうせんじんたち、 
ちょうせん がっこう にたいする むしょうか じょがい という こくさく さべつ にたいして おおさか ちさい で の かっきてき な はんけつ が くだされた に も かかわらず、 つづく とうきょう ちさい で は あらためて この こくさく さべつ を ようにん する ふとう はんけつ が くだされて しまいました。

そして、 べいぐん きち が しゅうちゅう する おきなわ で べいぐん による ぼうりょく に さらされつづける おきなわ の ひとたち、 
おきなわ にたいする こうぞうてき さべつ は べいぐん による ひがい だけ でなく、 しんきち けんせつ に はんたい する ひと を ひきにげ すると いうほど の おぞましい へいとくらいむ を まねいて います。


そして、 にゅうかん に むきげん の こうりゅう じょうたい に おかれ、 しょくいん による にちじょうてき な ぎゃくたい に さらされて いる ひとたち、 

そして、 いま も ほうしゃせい ぶっしつ を たれながし つづけの じょうきょう で、 なおも おせん ちいき から ひなん する けんり を ほしょう されず ひばく されつづけて いる ひとびと、 ひばく ろうどうしゃたち、 
とうでん が みとめて こうひょう して いるだけ で も 3.11 いこう に ふくしま げんぱつ 1 ごうき の さぎょういん の うち 17 な が なくなって います。
すでに かわうち (1.2 ごうき) ・ いかた (3 ごうき) ・ たかはま (3.4 ごうき) の げんぱつ を かどう させて しまって います が、 さらに ここ に きて ふくしま げんぱつ じこ を ひきおこした とうきょうでんりょく が にいがたけん の かしわざき かりわ げんぱつ 6、 7 ごうき を さいかどう させよう と して います。

そして じょせいたち、 
せい ぼうりょく ひがい を こくはつ して も しぬ き で ていこう しなけれ ば ごうい と みなす しほう や、 ひがい じょせい の ふくそう や しょくぎょう など を せんさく して 「おちど」 さがしを はじめ たり、 かがいしゃ の だんせい が ちょめいじん であれ ば 「ばいめい こうい」 だの 「はにーとらっぷ」 だの と ひがいしゃ ばっしんぐ が おきる よう な じょせい さべつ しゃかい は じょせい にたいする ぼうりょく を せんどう しつづけて います。

そして、 すべて の しけいしゅうたち、 

た に も たくさん あります ので あげきれません が、 これら の そんざい が めんして いる きき は そと から やってきて いる の で は ありません。 それ は にっぽん せいふ であったり、 もっと おおきな にっぽん という こっか しゃかい ぜんたい によって もたらされて いる の です。

わたしたち が はんせん を うったえる とき、 ちょうせん へ の てきし せいさく を やめ、 にち べい あんぽ の はいき ・ じえいたい の かいたい を うったえる とき、 にっぽん が しんりゃく されたら どう する の だ と いう ひと が います。
しかし、 にっぽん という こっか しゃかい それ じたい が その じゅうみん にたいして ころしつづけて いるという はたん した じょうきょう、 さらに は せかい に むけて ぎゃくさつ の かたん を つづけて いる じょうきょう を まえ に して 「しんりゃく されたら どう する」 という とい じたい が はなはだ おかしな もの だ と きづかされます。
なくなれば いい じゃ ないです か、 なくした ほう が いい じゃ ないです か、 にっぽん なんて。 ともに いきて いく しゃかい を つくりあげる ため に は にっぽん を やめるしか ない ん じゃ ない か と おもう の です。

だから、 みな で となえましょう。
はん に ちわ ー!!!

 

 

しじょう かわらまち の こうさてん に さしかかろう と した とき、 あかしんごう で みんな が とまると、 
とつぜん けいかん が さんかしゃ の ひとり にたいして 「しゅさいしゃ!まえ へ すすむ よう に いいなさい!」 と かくせいき をとおして おおきな こえ で なんど も なんど も いって きました。
でも な ので、 もちろん まえ へ は すすんで いるし、 すすんで きた から ここ まで きてる の です。
なのに おおごえ で なんど も なんど も。
けいさつ は、 じぶんたち が りーだー を いただく ぴらみっどがた の そしき だ から か、 
わたしたち にたいして も 「りーだー」 を みつけだそう と し、 「りーだー」 に いう こと を きかせよう と して きます。
しかし、 わたしたち は いわゆる 「りーだー」 を つくりません。
だれ も が たいとう に さんか し、 ていあん し、 ぎろん し、 そんちょう しあい、 えらびとって いく の です。
けんりょく を へんざい させる こと が、 わたしたち の いき づらい じょうきょう を つくって いるのに、 
じぶんたち の つながり の なか に、 おなじ よう に けんりょく を へんざい させよう と すれば それ は むじゅん です。
どの さんかしゃ も、 じぶん の おもい を もって、 じぶん の はんだん で ここ に あつまって いる の です。


と、 その とき、 ほどう を もそもそ ついて あるいて きて いた こうあん が、 びでおかめら を こちら に むけて いる の に きづきました。
こんな とき、 みない ふり して まえ に すすんで は いけません。
けいさつ による さつえい は、 いほう です。 きちんと こうぎ して、 やめさせなけれ ば いけません。
みんな くちぐち に 「さつえい やめろ!」 と いって こうあん に つめよります。
さつえい に もうれつ に こうぎ する わたしたち
「でもたい は まえ へ すすみなさい!」 と さけぶ せいふく けいかん。 なか に は こうぎ する わたしたち に むかって 「はや よ すすめと いうとる ん じゃ!!」 とか 「さっさと いけやっ おらぁ!」 と ものすごい ぎょうそう で どなりちらす もの まで いました。

 

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↑ものすごい ぎょうそう で どなって きた けいさつかん


それら を けげんそう に みつめる ばすまち の ひとびと。
こうあん は さいしょ、 わたしたち の こうぎ が きこえない よう な かお を して いました が、 びでおかめら を しまいました。


けいさつ は   じゆう な でも を   じゃ まするな


《しゅぷれひこーる》
ひのまる を   やこう   やぶこう   おろそう よ
きみがよ を   ながす の やめろ   うたわん ぞ
てんのうせい   さべつ の こんげん   なくそう よ
「へいか」 とか  「よう」「よう」 つけるの   やめましょう
「こくみん」 に   とうごう される の   きょひ しよう
やす くに は   ぐんじ しせつ だ   つぶそう よ
にゅうかん は   さつじん しせつ だ   つぶそう よ
べいぐん の   おしつけ ゆるさん   おきなわ へ
べいぐん は   せかい の どこ に も   いらない ぞ
じえいたい   にっぽん の ぐんたい   なくそう よ
ちょうせん の   てきし を やめろ   いま すぐ に
こくせき で   ひと の いきかた   せばめるな
はいし しよう   さべつ を うみだす   こせき せいど
やめ に しよう   はいじょ の さいてん   おりんぴっく

 


そのご も こうあん は でも の ごーる に ちかい ぎおん の こうさてん まで ずっと ついて きました。
そして、 わたしたち が こうえん に さしかかると、 いほう に さつえい した こと を あやまりも せず、 そそくさ と かえって いきました。 これ は とんでも ない と おもい、 わたしたち は まだ その ば に いた しょかつ の けいさつかんたち (ひがしやましょ) に 「さつえい して いた こうあん を よんで こい。 でも も おわって さつえい の ひつよう が なかっ た こと も しょうめい された の だ から わたしたち の め の まえ で さつえい した もの を けさせろ」 と とうぜん の ようきゅう しました。 しかし、 ひがしやましょ の けいさつかんら は 「もう でも は おわりました ので」 と いって にげる よう に かえって いきます。
なので 「いほう な さつえい を ゆるすな!」「みうち の はんざい を かばうな!」 と にげて いく せなか を おいかけながら さけび つづけました が、 さいしゅうてき に は にげられました。 こうあん による ととについて は あらためて こうぎ を したい と おもって います。


けんりょく は、 それ にたいし いぎ を もうしたてる もの を いつも だまらせよう と します。
おとなしく いう こと を きいて いたら、 しあわせ に なれる の でしょう か。
そんな こと は ない という こと は、 この なん じゅうねん か の れきし を みて も あきらか です。
さべつ は、 ひましに あらわ に なり、 だまって いれば いるほど、 さべつ される もの は はいじょ され、 
いきる こと を はばまれ、 みえなく されて いきます。


ろじょう で、 まち か ど で、 いま いる ところ で、 こえ を あげて いく こと を やめて は いけません。


わたしたち は これから も、 こえ を あげつづけます。