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2がつ28にち、デモほうこく

(2つめ、 かんじ つかってません)

 

こんにちは。おひさしぶりです。

先日、2月28日に京都市の繁華街をデモしましたので、その報告です。

この日はとても陽気でデモにぴったりな日でした。

みなさん、きっとご存知のように朝鮮の人工衛星発射にともなって日本も独自制裁を強化するということで、制裁に基づく朝鮮総連関連施設や個人に対する強制捜査、不当逮捕といった政治弾圧が相次いでいたので、その問題を中心に訴えました。

 

(スピーチ)

朝鮮民主主義人民共和国人工衛星を発射したことをもって日本はそれを「事実上のミサイル」として報じ、日本にとって大きな脅威であるかのように煽り、独自の制裁を強化するなどとしています。先日、朝鮮商工会に強制捜査がなされ、また貿易を営む在日朝鮮人が朝鮮への輸出という「容疑」によって逮捕される事件もありましたが、これも朝鮮敵視政策にもとづく在日朝鮮人への政治弾圧の一環です。文科省地方自治体に対し朝鮮学校への補助金を見直すよう圧力もかけています。

朝鮮敵視政策によって在日朝鮮人を「敵国民」と規定し差別・弾圧がまかり通ることを許すことで、国内の排外主義はより強固になっています。

みなさんは、日本は「平和国家」で「民主的」な国だから日本の軍事力は自分たちを守るためだけの安心なものであり朝鮮は危険な国でなにをしでかすかわからない、そんなふうに考えているひとたちもいるかもしれません。しかし、大事なのは日本こそが東アジア、ひいては世界にとっての脅威になっているということです。日本単独でも自衛隊、つまり日本軍という大きな軍事力を有しているにとどまらず、アメリカとの軍事同盟のもと、侵略に加担してきました。

侵略してきたのは、戦前のみならず戦後においても、その実績があるのは朝鮮ではなく日本のほうであるということを忘れてはいけません。

朝鮮敵視政策、制裁に反対しましょう。“

 

だいたいこんな感じのことをスピーチし、シュプレヒコールもあげながら元気にデモ行進していたのですが、今回も警察が邪魔ばかりしてきます。

私たちを左端に押し込めようとしてくるのですが、そんなときは毎回、デモの参加者みなで「デモは自由だ!」「警察は邪魔するな!」と抗議をします。参加者が一丸となって抗議すれば小さいデモであろうと、警察も邪魔を続けることをあきらめざるを得ない状況を作ることが可能であるということを私たちは既に経験から学んでいます。

参加者のなかで、もし誰かが警察から嫌がらせを受けていたら、その場でデモを止めてみんなで抗議することがとても大事だと思いますし、現場でそれができないとデモの自由はいつまでも広がらないし、私たちは弱められる一方だと思います。

 

私たちの訴えの中身が理由なのか、邪魔してくる警察への抗議のためにデモがなかなか進まず余計に渋滞するからなのか、理由はいろいろなのでしょうが、今回も沿道からは冷たい視線や暴言といった憎悪を向けられつつ、ごくたまに応援の声(!)もあるという感じです。日本社会では圧倒的多数にとっては耳障りが悪いであろうことを叫んでいる自覚はあるので、むしろ憎悪向けられてナンボノモンと開き直っている部分もあります。ほんとうに「理解」が欲しいだけなら別のやり方を考えるのかもしれませんが、たぶん、「理解」を求めるかたちを取りながらも、「理解」以前にまずそこにある敵対線に気付いてほしくて叫んでいるのかもしれないな、と繁華街の憎悪を浴びながら考えました。

♪(レのはちぶおんぷ)

 

*****かんじ、つかってません*****

 

こんにちは。おひさしぶりです。

せんじつ、にがつ にじゅうはちにち に きょうとし の はんかがい を でも しましたので、その ほうこく です。

この ひ は とても ようき で でも に ぴったり な ひ でした。

みなさん、きっと ごぞんじ の ように ちょうせん の じんこうえいせい はっしゃ に ともなって にほん も どくじせいさい を きょうかする と いうこと で、せいさい に もとづく ちょうせんそうれん かんれんしせつ や こじん に たいする きょうせいそうさ、ふとうたいほ と いった せいじだんあつ が あいついで いたので、その もんだい を ちゅうしん に うったえました。

 

(すぴーち)

“ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく が じんこうえいせい を はっしゃ した こと を もって にほん は それ を 「じじつじょう の みさいる」 として ほうじ、にほん に とって おおきな きょうい で あるかの ように あおり、 どくじ の せいさい を きょうか する などと しています。せんじつ、 ちょうせんしょうこうかい に きょうせいそうさ が なされ、また ぼうえき を いとなむ ざいにちちょうせんじん が ちょうせん への ゆしゅつ という 「ようぎ」 に よって たいほ される じけん も ありましたが、これ も ちょうせんてきしせいさく に もとづく ざいにちちょうせんじん への せいじだんあつ の いっかん です。もんかしょう は ちほうじちたい に たいし ちょうせんがっこう への ほじょきん を みなおす よう あつりょく も かけています。

ちょうせんてきしせいさく に よって ざいにちちょうせんじん を 「てきこくみん」と きてい し さべつ・だんあつ が まかりとおる こと を ゆるすこと で、 こくない の はいがいしゅぎ は より きょうこ に なっています。

みなさんは、 にほん は 「へいわこっか」 で 「みんしゅてき」 な くに だから にほん の ぐんじりょく は じぶんたち を まもる ため だけ の あんしん な もの であり ちょうせん は きけん な くに で なに を しでかすか わからない、 そんな ふう に かんがえている ひとたち も いるかも しれません。しかし、 だいじなの は にほん こそ が ひがしあじあ、 ひいては せかい に とって の きょうい に なっている という ことです。にほん たんどく でも じえいたい、つまり にほんぐん という おおきな ぐんじりょく を ゆうしている に とどまらず、 あめりか との ぐんじどうめい の もと、しんりゃく に かたん して きました。

しんりゃく してきたのは、せんぜん のみ ならず せんご に おいても、その じっせき が あるのは ちょうせん ではなく にほん の ほう である という こと を わすれて は いけません。

ちょうせんてきしせいさく、 せいさい に はんたい しましょう。“

 

だいたい こんな かんじ の こと を すぴーち し、しゅぷれひこーる も あげながら げんき に でもこうしん していた の ですが、 こんかい も けいさつ が じゃま ばかり してきます。

わたしたち を ひだりはし に おしこめよう と してくる の ですが、 そんなとき は まいかい、でも の さんかしゃ みな で 「でも は じゆう だ!」「けいさつ は じゃま するな!」と こうぎ を します。 さんかしゃ が いちがん と なって こうぎ すれば ちいさ な でも で あろうと、 けいさつ も じゃま を つづける こと を あきらめざる を えない じょうきょう を つくる こと が かのう である ということ を わたしたち は すでに けいけん から まなんで います。

さんかしゃ の なかで、 もし だれか が けいさつ から いやがらせ を うけて いたら、そのば で でも を とめて みんな で こうぎ する ことが とても だいじだ と おもいますし、 げんば で それ が できないと でも の じゆう は いつまでも ひろがらないし、 わたしたち は よわめられる いっぽうだ と おもいます。 わたしたち の うったえ の なかみ が りゆう なのか、 じゃま してくる けいさつ へ の こうぎ の ために でも が なかなか すすまず よけい に じゅうたい するから なのか、 りゆう は いろいろ なのでしょうが、 こんかい も えんどう から は つめたい しせん や ぼうげん と いった ぞうお を むけられつつ、 ごく たまに おうえん の こえ(!) も ある という かんじ です。 にほんしゃかい で は あっとうてき たすう に とって は みみざわり が わるい で あろうこと を さけんで いる じかく は あるので、 むしろ ぞうお むけられて ナンボノモン と ひらきなおって いる ぶぶん も あります。 ほんとう に 「りかい」 が ほしい だけなら べつ の やりかた を かんがえる の かも しれませんが、 たぶん、「りかい」 を もとめる かたち を とりながらも、「りかい」 いぜん に まず そこ に ある てきたいせん に きづいて ほしくて さけんで いる の かもしれないな、 と はんかがい の ぞうお を あびながら かんがえました。

 

♪(レのはちぶおんぷ)

 

 

コトコト京都(きょうと)・大阪(おおさか)街宣(がいせん)11月(がつ)&12月(がつ)

 ♪♪♪かんじあり、2つめ は かんじなし♪♪♪


ごきげんよう。

おひさしぶりです。先月11月と今月12月に街宣活動しました。

 

♪11月京都街宣♪

 

11月は京都の繁華街で朝鮮制裁政策のパネルを展示しました。他にもパネルは総連弾圧、民族教育弾圧についてのものもありましたが、スペースの問題などもあり今回は断念。朝鮮制裁をえらんだのは総連弾圧も民族教育弾圧も朝鮮敵視政策の一環としてとらえるべきでありながら、朝鮮制裁そのものが日本社会ではあまりにも当たり前になっていると思ったからです。これでは朝鮮人差別もなくなるわけないし、そりゃ戦争法案も通るよなと正直思います。

 

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二時間くらい座っていると、じーっと読むひともいれば、話しかけてくるひともいます。その中には、

「税金払わなくていいんでしょ?」

なんて言ってくるひともいました。いわゆる「在日特権というデマですね。

ところで「在日特権」の厄介なところの一つとして、こういうときについ「ちゃんと税金払っています!それなのに差別されるのなんておかしい」という風に主張が目指すべき正義から後退しがちになることだと思います。

人権、平等というのは税金の対価として「買う」ものではありません。それは誰も売ったり買ったりできない価値のはずです。なので、たとえ税金が払えようが、払えまいが、人権を侵される、差別されても仕方ないということにはなりえないということを強調しておきます。

 

♪12月大阪街宣♪

 

12月はコトコト初の大阪街宣です。JRと京阪電車京橋駅前広場で演説を流しながらビラまきしました。

そうです。今回は事前に演説を録音して、それを流すという新技を披露してみました。

 

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気の弱いシャイな私にはこういう方法もあるとやりやすいかなと、ものは試しでやってみましたが、音質もよく、ほんとライブでやるのとあまり遜色ないかもと思いました。

二時間程度の街宣でビラは200枚ほど用意していましたが、うち195枚は配るというなかなかの頑張り屋さんぶりでしたよ。

ビラの内容は二年前の第二回コトコトデモで作ったものをベースに軽くアップデートしたものです。


 

今回の街宣後、♪(ファのはちぶ)さんとも話していたんですけど、ビラをもらってくれるひとがせっかくいても、私たち怖くてすぐにそのひとから離れてしまうことがあるんですよ

やっぱり、こんな日本社会で朝鮮敵視やめろとか、総連弾圧するなとか少人数で言っていると、どんな罵倒がくるのか、ほんと何されるか分かんないとかという怖さがあります。「右翼」からはもちろん、「リベラル」と名乗る実は「右翼」と、自称「左翼」のやっぱり「右翼」、みんな怖いです。デモではさらに「天皇制を廃止しろ」とか「日の丸もやせ」とかも叫んでいますし、ほんとあれもビクビクしながらなんですけど、デモの場合は一応そのまま歩き去りますから(笑)。

今回は、2人くらいからなんやら酷いことを言われつつ(よくある)、なんと他に2人の方々からは応援の言葉もいただきました(珍しい)。

ほんと、臆病な性格している私にとっては早くこういうことしなくていいようになって欲しいですが、ここで訴えていることはずぅっと前からちっとも変っていないし、これからも当分はやはり同じことを言い続けなければならなさそうです。でも、それは最初からわかっていることなのでコトコトじっくりいこうかと思います。

♪(レのはちぶおんぷ)


♪♪♪かんじなし♪♪♪ 

ごきげんよう。

おひさしぶりです。せんげつ11がつ と こんげつ12がつ に がいせんかつどう しました。

 

♪11がつ きょうとがいせん♪

 

11がつ は きょうと の はんかがい で ちょうせんせいさいせく の パネル を てんじしました。ほかにも パネル は そうれんだんあつ、みんぞくきょういくだんあつ に ついての ものも ありましたが、スペース の もんだい などもあり こんかい は だんねん。ちょうせんせいさい を えらんだのは そうれんだんあつ も みんぞくきょういくだんあつ も ちょうせんてきしせいさく の いっかん として とらえるべきでありながら、ちょうせんせいさい そのものが にほんしゃかい では あまりにも あたりまえに なっていると おもったからです。これでは ちょうせんじんさべつ も なくなるわけないし、そりゃ せんそうほうあん も とおるよな と しょうじき おもいます。

 

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にじかん くらい すわっていると、じーっと よむひともいれば、はなしかけてくるひとも います。そのなかには、

「ぜいきん はらわなくていいんでしょ?」

なんて いってくる ひと も いました。いわゆる「ざいにちとっけん」という デマですね。

ところで「ざいにちとっけん」の やっかい な ところの ひとつとして、こういうときに つい「ちゃんと ぜいきん はらっています!それなのに さべつ されるのなんておかしい」というふうに しゅちょう が めざすべき せいぎ から そうたい しがちに なることだと おもいます。

じんけん、びょうどう というのは ぜいきん の たいか として「かう」ものでは ありません。それは だれも うったり かったり できない かち の はずです。なので、たとえ ぜいきん が はらえようが、はらえまいが、じんけん を おかされる、さべつ されても しかたない ということには なりえないということを きょうちょう しておきます。

 

♪12がつ おおさかがいせん♪

 

12がつ は コトコト はつ の おおさかがいせん です。じぇーあーる と けいはんでんしゃ の きょうばしえきまえ ひろば で えんぜつ を ながしながら ビラまき しました。

そうです。こんかいは じぜんに えんぜつ を ろくおんして、それを ながすという しんわざ を ひろう してみました。

 

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きのよわい シャイな わたしには こういう ほうほう も あると やりやすいかなと、ものはためしで やってみましたが、おんしつ も よく、ほんと ライブで やるのと あまり そんしょく ないかもと おもいました。

にじかんていど の がいせん で ビラは 200まいほど よういしていましたが、うち 195まいは くばるという なかなかの がんばりやさんぶりでしたよ。

ビラの ないようは にねんまえの だいにかい コトコトデモで つくったものを ベースに かるく アップデート したものです。


 

こんかいの がいせんご、♪(ファのはちぶ)さんとも はなしていたんですけど、ビラを もらってくれる ひとが せっかくいても、わたしたち こわくて すぐに そのひとから はなれてしまう ことが あるんですよ。

やっぱり、こんな にほんしゃかいで ちょうせんてきし やめろとか、そうれんだんあつ するな とか しょうにんずうで いっていると、どんな ばとう が くるのか、ほんと なにされるか わかんないとか という こわさが あります。「うよく」からは もちろん、「リベラル」と なのる じつは「うよく」と、じしょう「さよく」の やっぱり「うよく」、みんな こわいです。デモでは さらに「てんのうせいを はいし しろ」とか「ひのまる もやせ」とかも さけんでいますし、ほんと あれも ビクビクしながら なんですけど、デモの ばあい は いちおう そのまま あるきさりますから(笑)。

こんかいは、ふたりくらいから なんやら ひどいことを いわれつつ(よくある)、なんと ほかに ふたりの かたがたからは おうえんの ことば も いただきました(めずらしい)。

ほんと、おくびょうな せいかく している わたしにとっては はやこういうこと しなくていいように なってほしいですが、ここで うったえていることは ずぅっと まえから ちっとも かわっていないし、これからも とうぶんは やはり おなじことを いいつづけなければ ならなさそうです。でも、それは さいしょから わかっていることなので コトコト じっくり いこうかと おもいます。

加害の歴史に向き合え(かがいの れきしに むきあえ)

***2つめは かんじ なし***

お久しぶりです☆暑過ぎる毎日、みなさん無事ですか?

この時期は毎年、戦争特集って新聞でもテレビでもやりますよね。私も読んだり、観たりして、ほんとにこんな悲惨なことは二度とあってはならないと思いはもちろん抱くんですが、しかし、どれもこれも被害者、犠牲者としての日本人の話ばかりなんですよね。
まるで天災に襲われた犠牲者のような。
侵略戦争やっといてそんなわけないじゃん、といつも強く思います。戦争苦しかった話はもちろんしたらええけど、苦しめたひとたちに対する責任ちゃんととらんといけないはずなのに、いつまでたっても思考が内向きです。
向き合うべき、応えるべき他者の存在を認めようとしない。
なにせ特に責任あるテンノーに責任とらせずいまだにヘーカ、ヘーカと呼んでるんだから、ほんと犯罪的に悪いと思います。
そんなふうに特にこの時期は毎年イライラさせられるので、8月8日にデモしました。


(スピーチ)
〜をご通行中のみなさん。
先日8月6日は広島に、明日の9日は長崎に原子爆弾が投下された日として、毎年この時期はテレビや新聞でも先の戦争の特集もくまれるので、みなさんも様々に戦争の悲惨さ、痛みに思いを寄せているのではないでしょうか。
戦争がもたらした被害を二度と繰り返してはいけない、という思いがどこまでも真実である一方で、先の戦争について被害の面しかみないでいれば、それはまた国をまもるため、自衛のための戦争という論理を覆すことはできないと思います。

先の戦争が侵略戦争であったことを真摯に受けとめ、加害をこそ繰り返してはならないと誓うこと、それが日本にとって必要とされ、そして圧倒的にかけている不戦の誓いであり、それは何よりも侵略戦争で日本軍によって殺されたアジア、世界のひとびとに対しての最低限の責任のはずです。
広島、長崎にしてもそれは日本の被害という枠を越えたものでした。原爆の犠牲となった旧植民地出身者である朝鮮人たちは7万人余りが被爆し、4万人余りが命を失ったと言われています。朝鮮人被爆者たちは戦後も長らく放置されてきました。このような歴史、ひとびとに光を当てていかなければなりません。
戦争法案を通そうとする為政者たちは今、そしてこれまでもずっと加害の歴史を書き換えようとしてきました。「従軍慰安婦」は捏造だ、南京虐殺はなかった、という妄言・暴言が繰り返され、学校教育は戦前の愛国教育に戻っています。
このような流れに抗いましょう。
加害の歴史に向き合わずして真の平和への道はありません。

日本はアジアへの侵略を反省しろ!
日本は加害の歴史を忘れるな!
日の丸・君が代反対!
戦争法案反対!
朝鮮敵視政策反対!
朝鮮への経済制裁を無条件に廃止しろ!
朝鮮学校生徒の高校無償化制度からの排除を許さないぞ!
ただちに適用しろ!さかのぼって適用しろ!

コトコトじっくり煮込んだ日帝♪(レの八分音符)

***かんじ なし***

おひさしぶりです☆ あつすぎる まいにち、みなさん ぶじ ですか?

この じきは まいとし、せんそうとくしゅうって しんぶん でも テレビ でも やりますよね。 わたしも よんだり、みたりして、ほんとに こんな ひさんなことは にどと あってはならない という おもいは もちろん いだくんですが、しかし、どれもこれも ひがいしゃ、ぎせいしゃとしての にほんじんの はなし ばかり なんですよね。
まるで てんさいに おそわれた ぎせいしゃ の ような。
しんりゃくせんそう やっといて そんなわけ ないじゃん、と いつも つよく おもいます。せんそう くるしかった はなしは もちろん したらええけど、くるしめた ひとたちに たいする せきにん ちゃんと とらんと いけない はずなのに、いつまで たっても しこうが うちむきです。
むきあうべき、こたえるべき たしゃ の そんざいを みとめようとしない。
なにせ とくに せきにんある テンノーに せきにん とらせず いまだに ヘーカ、ヘーカと よんでるんだから、ほんと はんざいてきに わるいと おもいます。
そんなふうに とくに この じきは まいとし イライラ させられるので、8がつ8にちに デモしました。


(スピーチ)
〜を ごつうこうちゅうの みなさん。
せんじつ8がつ6にちは ひろしまに、 あすの 9にちは ながさきに げんしばくだんが とうかされた ひ として、まいとし この じきは テレビや しんぶんでも さきの せんそうの とくしゅうも くまれるので、みなさんも さまざまなに せんそうの ひさんさ、いたみに おもいを よせているのでは ないでしょうか。
せんそうが もたらした ひがいをにどと くりかえしては いけない、という おもいが どこまでも しんじつ である いっぽうで、さきの せんそうについて ひがいの めんしか みないでいれば、それは また くにを まもるため、じえい の ための せんそう という ろんりを くつがえす ことは できないと おもいます。

さきの せんそうが しんりゃくせんそう で あったことを しんしに うけとめ、かがいをこそ くりかえしては ならないと ちかうこと、それが にほんにとって ひつようとされ、そして あっとうてき にかけている ふせん の ちかい であり、それは なによりも しんりゃくせんそうで にほんぐん によって ころされた アジア、せかい の ひとびとに たいしての さいていげんの せきにん の はずです。
ひろしま、ながさき にしても それは にほん の ひがい という わくこえた ものでした。げんばく の ぎせい となった きゅうしょくみんちしゅっしんしゃ である ちょうせんじん たちは 7まんにんあまが ひばくし、4まんにんあまりが いのちを うしなったと いわれています。ちょうせんじんひばくしゃたちは せんごも ながらく ほうち されてきました。このような れきし、ひとびとに ひかりを あてて いかなければ なりません。
せんそうほうんを とおそうと する いせいしゃたちは いま、そして これまでも ずっと かがいの れきしを かきかえようと してきました。「じゅうぐんいあんふ」は ねつぞうだ、なんきんぎゃくさつは なかった、という もうげん・ぼうげんが くりかえされ、 がっこうきょういくは せんぜんの あいこくきょういくに もどって います。
このような ながれに あらがいましょう。
かがいの れきしに むきあわずして しんの へいわへの みちは ありません。

にほんは アジアへの しんりゃを はんせい しろ!
にほんは かがいの れきしを わすれるな!
ひのまる・きみがよ はんたい!
せんそうほうあん はんたい!
ちょうせん てきしせいさく はんたい!
ちょうせんへの けいざいせいさいを むじょうけんに はいし しろ!
ちょうせんがっこうせいとの こうこうむしょうかせいど からの はいじょを ゆるさないぞ!
ただちに てきようしろ!
さかのぼって てきようしろ!

コトコト じっくり にこんだ にってい♪(レのはちぶおんぷ)

弾圧(だんあつ)なんかに屈して(くっして)たまるかぁ!弾圧(だんあつ)と差別(さべつ)に抗う(あらがう)ことは戦争(せんそう)に抗う(あらがう)ことでもある!


***ふたつめは、かんじなし***

お久しぶりです。6月20日に毎月定例のデモをしました。今回は近頃の弾圧の激しさに負けてたまるかという思いを込めて京都市の繁華街をゆっくり1時間かけてデモしました。

以下は当日のスピーチとシュプレヒコールです(時間がなくて当日にうぁーっと作ったので足らないところあるかもです…って言い訳)。

 

(スピーチ)

みなさん、いかがお過ごしでしょうか?

警察・検察の横暴が目立つ今日この頃でございます。

先月に経産省前に原発反対を訴えるためにいた市民に対する不当逮捕、家宅捜索に12日間の拘留という暴挙があったかと思えば、今月には京丹後の米軍基地建設に反対する市民を不当逮捕、約20箇所にわたる家宅捜索もありました。

いったいどんなことをしたからといってこんな暴挙が罷り通るのか知ったら、皆さん驚かれることでしょう。

ただ経産省前にいた、ただみんなで京丹後に行った、これだけのことなのです。たったこれだけのことで私たちは逮捕され、警察に家を荒らされ、何日も拘留されてしまうのです。

原発をまわし続け被曝を強要し続ける社会を維持するためならば、アメリカと共に侵略と戦争に加担し続けるためならば、どんなささやかな抵抗も弾圧するぞ、というのが今日この日本という国の意志なのです。

沖縄の人々に対してをはじめ、米軍による暴力に晒させながらも基地が必要だと説くために政府は「敵の脅威」を煽ってきました。そのために利用されてきたのが朝鮮民主主義人民共和国であり中華人民共和国です。「経済制裁」という朝鮮への敵視政策は在日朝鮮人への差別、弾圧を強化する形をとりながらもう10年近く続けられています。つい先月も朝鮮からマツタケを輸入した、という「容疑」によって在日朝鮮人の市民を不当逮捕し、起訴するという許されない暴力におよんでいます。朝鮮学校生徒に対する高校無償化排除も続いており、地方自治体の補助金までも凍結というかたちでひろがっています。

皆さん!弾圧と差別に抗えなくては戦争に抗うこともできません。

弾圧に屈することなく抗議をやめないぞ!

 


朝鮮総連に対する弾圧を許さないぞ!
朝鮮学校生徒を高校無償化制度から排除するな!
朝鮮への敵視政策をやめろ!
朝鮮への制裁を無条件に廃止しろ!
日の丸・君が代反対!
天皇制を廃止しろ!

米軍基地を辺野古に押し付けるな!
米軍基地はどこにもいらないぞ!
日本の軍隊・自衛隊もいらないぞ!

不当弾圧に屈しないぞ!
警察は自由にデモをやらせろ!
(ここまで) 

さて、一昨年の7月に毎月デモをはじめて2年が経とうとしますが相変わらず警官とどっちが人数が多いかわからないくらいの規模でなんとか続けております。

何百人、何千人集めるデモを企画する力はないけど、毎月続けられるやり方はなんとなく身につけてきました。少人数でも強い気持ちをもってアピールしていれば、とりあえず振り向く人たちがたくさんいることを感じてきた2年間です。

沿道を歩くひとは毎回違うのかもしれないけど一回一回が誰かにとっては響くかもしれない。

いつも通るコースにある商店街のお店の人たちの中には「こんな声もあるんだな」とほんの僅かでも定着してるかもしれない、そんな楽観的な気持ちを大事にしてやっています。 

他の多くの街頭行動のように私たちのデモでもよく警察と衝突します。「幅を縮めろ」とか「あと一歩前に出ろ」とか、「早く歩け」とかいちいちうるさい。この日は「デモは自由だ!」とこちらが抗議すれば、「デモは自由ではない。許可制だ。守れないなら京都でデモをするな」と信じられない暴言を警察は吐きました。が、その警察の声を私たち参加者みんなは「デモを自由にさせろ!」「警察は邪魔をするな!」の声でかき消しました。

私たちのささやかな抵抗の声をも弾圧しようとする権力を前にして、安心して参加できる運動とはなんでしょう?

ひとりも絶対に被逮捕者を出さない運動でしょうか?

でも、私は逮捕する側ではないのでその方法をしりません。

警察の頭で考えることなんてできません。

警察の頭でものを考えるひとと一緒に行動する自信も意欲もありませんし、そうなってしまっては寧ろどんな声をあげるのもビクビクしなければならないでしょう。

では、私たちはどうやって「安心」を高めていったらいいのでしょうか。

私はそれは抵抗表現を狭めようと、潰そうとする権力に対して抗議するひとを主催も参加者も全力で支え、一緒に抗議していくことでしかはじまらないと思います。もし仮に誰かが逮捕されたときは全力で救い出す。そのひとがまもった抵抗の表現をみんなで一緒に守り抜く。

絶対に孤立させないこと、この原則をまもりながらこれからも続けていきたいと、強く強く強く強く思うのです。

ではでは、またねー。

 

コトコトじっくり煮込んだ日帝♪(レのはちぶおんぷ)

 

 

***かんじなし***

 

おひさしぶりです。 6がつ 20にちに まいつき ていれいの でもを しました。 こんかいは ちかごろの だんあつの はげしさに まけてたまるか という おもいを こめて きょうとしの はんかがいを ゆっくり 1じかん かけて でも しました。

いかは とうじつの すぴーちと しゅぷれひこーる です (じかんが なくて とうじつに うぁーっと つくったので たらない ところ あるかもです … って いいわけ)。

 

(すぴーち)

みなさん、 いかが おすごしでしょうか?

けいさつ・けんさつの おうぼうが めだつ きょう このごろで ございます。

せんげつに けいさんしょう まえに げんぱつ はんたいを うったえるために いた しみんに たいする ふとうたいほ、 かたくそうさくに 12にちかんの こうりゅう という ぼうきょが あったかと おもえば、 こんげつには きょうたんごの べいぐんきち けんせつに はんたいする しみんを ふとうたいほ、 やく20かしょに わたる かたくそうさくも ありました。

いったい どんな ことを したからといって こんな ぼうきょが まかりとおるのか しったら、 みなさん おどろかれる ことでしょう。

ただ けいさんしょう まえに いた、 ただ みんなで きょうたんごに いった、 これだけの ことなのです。 たった これだけの ことで わたしたちは たいほされ、 けいさつに いえを あらされ、 なんにちも こうりゅうされて しまうのです。

げんぱつを まわし つづけ ひばくを きょうようし つづける しゃかいを いじする ためならば、 あめりかと ともに しんりゃくと せんそうに かたんしつづける ためならば、 どんな ささやかな ていこうも だんあつするぞ、 というのが きょう この にほんという くにの いしなのです。

おきなわの ひとびとに たいしてを はじめ、 べいぐんによる ぼうりょくに さらさせながらも きちが ひつようだと とくために せいふは 「てきの きょうい」を あおってきました。 そのために りようされて きたのが ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく であり ちゅかじんみんきょうわこく です。 「けいざいせいさい」という ちょうせんへの てきしせいさくは ざいにちちょうせんじんへの さべつ、 だんあつを きょうかする かたちを とりながら もう 10ねん ちかく つづけられています。 つい せんげつも ちょうせんから まつたけを ゆにゅうした、 という 「ようぎ」によって ざいにちちょうせんじんの しみんを ふとうたいほし、 きそする という ゆるされない ぼうりょくに およんでいます。 ちょうせんがっこう せいとに たいする こうこうむしょうか はいじょも つづいており、 ちほうじちたいの ほじょきんまでも とうけつという かたちで ひろがっています。

みなさん! だんあつと さべつに あらがえなくては せんそうに あらがうことも できません。

だんあつに くっする ことなく こうぎを やめないぞ!

 

(しゅぷれひこーる)

ちょうせんそうれんに たいする だんあつを ゆるさないぞ!

ちょうせんがっこう せいとを こうこうむしょうか せいどから はいじょするな!

ちょうせんへの てきしせいさくを やめろ!

ちょうせんへの せいさいを むじょうけんに はいししろ!

ひのまる・きみがよ はんたい!

てんのうせいを はいししろ!

べいぐんきちを へのこに おしつけるな!

べいぐんきちは どこにも いらないぞ!

にほんの ぐんたい・じえいたいも いらないぞ!

ふとうだんあつに くっしないぞ!

けいさつは じゆうに でもを やらせろ!
(ここまで)

さて、 いっさくねんの 7がつに まいつき でもを はじめて 2ねんが たとうと しますが あいかわらず けいさつと どっちが にんずうが おおいか わからない くらいの きぼで なんとか つづけております。

なんびゃくにん、 なんぜんにん あつめる でもを きかくする ちからは ないけど、 まいつき つづけられる やりかたは なんとなく みにつけてきました。 しょうにんずうでも つよい きもちを もって あぴーるしていれば、 とりあえず ふりむく ひとたちが たくさん いることを かんじてきた 2ねんかんです。

えんどうを あるく ひとは まいかい ちがうかも しれないけど いっかい いっかいが だれかに とっては ひびくかも しれない。

いつも とおる こーすに ある しょうてんがいの おみせの ひとたちの なかには 「こんな こえも あるんだな」と ほんの わずかでも ていちゃく してるかも しれない、 そんな らっかんてきな きもちを だいじに して やっています。

ほかの おおくの がいとうこうどうの ように わたしたちの でもで よく けいさつと しょうとつします。 「はばを ちぢめろ」 とか 「あと いっぽ まえに でろ」 とか、 「はやく あるけ」 とか いちいち うるさい。 このひは 「でもは じゆうだ!」と こちらが こうぎすれば、 「でもは じゆうでは ない。 きょかせいだ。 まもれないなら きょうとで でもを するな」と しんじられない ぼうげんを けいさつは はきました。 が、 その けいさつの こえを わたしたち さんかしゃ みんなは 「でもを じゆうに させろ!」 「けいさつは じゃまを するな!」の こえで かきけしました。

わたしたちの ささやかな ていこうの こえをも だんあつしようと する けんりょくを まえにして、 あんしんして さんかできる うんどうとは なんでしょう?

ひとりも ぜったいに ひたいほしゃを ださない うんどうでしょうか?

でも、 わたしは たいほする がわでは ないので その ほうほうを しりません。

けいさつの あたまで かんがえること なんて できません。

けいさつの あたまで ものを かんがえる ひとと いっしょに こうどうする じしんも いよくも ありませんし、 そうなって しまっては むしろ どんな こえを あげるのも びくびくしなければ ならないでしょう。

では、 わたしたちは どうやって 「あんしん」を たかめて いったら いいのでしょうか。

わたしは それは ていこうひょうげんを せばめようと、 つぶそうと する けんりょくに たいして こうぎする ひとを しゅさいも さんかしゃも ぜんりょくで ささえ、 いっしょに こうぎして いくことでしか はじまらないと おもいます。 もし かりに だれかが たいほされた ときは ぜんりょくで すくいだす。 そのひとが まもった ていこうの ひょうげんを みんなで いっしょに まもりぬく。

ぜったいに こりつさせない こと、 この げんそくを まもりながら これからも つづけていきたいと、 つよく つよく つよく つよく おもうのです。

ではでは、 またねー。

 

ことこと じっくり にこんだ にってい♪ (れの はちぶおんぷ)