3月24日デモ報告

まえ の きじ(3がつ 24にち でも ほうこく - コトコトじっくり煮込んだ日帝♪)は かんじ なし ばーじょん です。

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はんにちわー!

 

先日、3月24日にデモをしました。

心地よい春の陽気はまさに反日デモ日和でした。

さて、今回のデモは申請のために警察署に行くのを拒否して郵送で済ませました。その方法は「自由と人権は「国民」の占有物ではないと考えるひとびと」呼びかけの反日デモの申請にならってますので、こちらを参考にしてください。

デモ申請、郵送でやったYO! - 自由と人権は「国民」の占有物ではないと考えるひとびと

ちなみに、申請書はワードで作りましたが別に手書きでも構わないですよ。

 

そして、今回もさらに一歩前進させようと思い今回のデモは警察が嫌がる「繁華街の交差点右折」をコースに取り入れました。京都市の地理がわかるひとにしか伝わらないかもしれないけど、四条河原町交差点を普段は左折して祇園のほうに行っていたのですが、これを右折にして烏丸へ行くコースにしたのです。

 

すると、郵送後3日ほどして警察署から電話が。。

 

なんでも交通渋滞を引き起こさないようコースを変更してほしいと

 

はい、断りました。警察はいくつか代案を出してきましたがもちろん全部却下しました

 

さてさて、そんなわけでデモ当日を迎えたわけですが、そこで私たちは驚くべき光景に遭遇するのです。

 

もともと参加予定人数として約10人となっていたデモに対してやってきた警察官の数…

 

ざっとみても25人くらい!!!

 

デモ参加者ひとりに対して二人体制でがっつりマークされるような人員なわけですよ。

 

公安もいるし、機動隊や広報部と名乗るいわゆるDJポリスまでぞろぞろぞろぞろ。

 

おぉ、いつも(4〜5人)より並んどるわぁ。
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うわ、逆側にも!


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いわゆるDJポリスとトレンチポリス

 
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唐突にびろーんと伸ばしてきた、テープカットしたら多分そのまま捕まるやつ。

 
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なんなんだよ、この超厳戒態勢!

 

私たちは今まで警察とデモの現場で(警察の不当なデモへの介入が原因で)色々言い合いになってきたけど、いつもきわめて平和にやってきたのに、なんなのこれ。

 

確かに車とかバスとか通れなくさせて、沿道から罵声を浴びたりもしてきたけど、何もとめられないデモなんてなんなの?この社会のおかしな流れをとめたいからこそのデモじゃん。

デモが交通をとめるってそういう一歩ずつを歩むってことなの!

迷惑はかけるものなの!

 

それをこんな物々しい警察権力をもっておさえつけようなんて、何が表現の自由だ!警察は憲法違反すんな!

 

と、怒りがぞくぞくと湧き上がりました。今回はいろんなスピーチを用意してましたが、まずはこの予期せぬ警察対応に対する怒りからデモはスタート。みな口々に警察への超過剰警備、この抑圧状況に怒りの叫びをぶつけまくりました。

 

その後デモは朝鮮総連への銃撃事件にまで至った日本の朝鮮悪魔化問題についてや、殺人的な日本の入管行政への告発、オリンピック・パラリンピック問題、天皇制代替わり問題についての力強いスピーチが繰り広げられます

 

ほんと、どれも大事なことがつまったスピーチたちです。

 

 朝鮮悪魔化問題について

はんにちわー!

まず私からは在日朝鮮人に対する相次ぐ差別・弾圧、ヘイトクライムについて、そしてそれを生み出す背景となっている日本社会の朝鮮悪魔化について訴えます。

 

この一年の間に在日朝鮮人の命を脅かす深刻な事件が少なくとも二度起きています。

覚えているでしょうか?

去年の5月23日、名古屋の在日朝鮮系の信用金庫に対する放火事件が起きたことを。

日本軍性奴隷制問題に対する韓国政府の対応に不満があったと犯人はその動機を語りました。

 

先月2月23日には朝鮮総連中央本部に対して右翼による銃撃事件がありました。容疑者として逮捕された者たちは「北朝鮮による相次ぐミサイル挑発に堪忍袋の緒が切れた」と述べたそうです。

 

銃撃によって、放火によって在日朝鮮人の命が狙われるこの状況を皆さんはどのように受けとめていますか?

 

けしからん右翼がやったこと、として自分とは関係ないと思ってはいないですか?

 

動機として語られた日本軍性奴隷制をめぐって、あるいは朝鮮のミサイルをめぐって、皆さんはこの右翼たちとどれほど違うと言い切れますか?

もしかしたら動機は理解できるけど暴力はよくない、くらいに思ってはいませんか?

 

この右翼たちの物理的なおぞましい暴力は、その動機を抽出すれば日本の国家権力の意志に忠実に従ったものです。

 

日本政府が主導する朝鮮敵視政策とその一環である朝鮮学校に対する差別政策もまたそれをよくあらわしています。

2006年に始まる経済制裁はもう12年にも及びます。

この間、多くの在日朝鮮人の祖国往来の権利が否定され、また総連および関連があると疑われる団体や個人に対する政治弾圧は後を絶ちません。

高校無償化から朝鮮学校のみを除外し続ける差別は2010年から今も続いています。また文科省からの通知という形をとった圧力により、数々の地方自治体が地方自治をかなぐり捨てて相次いで朝鮮学校補助金不支給の決定をしています。最近では2月に群馬県が朝鮮学校の教科書に拉致問題についての記載と学校が朝鮮総連と関係ないことを証明することを要件とし、それを満たさないために不支給決定をしました。またつい先日、阪高裁は大阪府および大阪市朝鮮学校への補助金不支給決定を認める不当判決を出しました。

これらの国策差別に対して皆さんのほとんどはスルーしてきました

これが差別・弾圧であるとすらまだ一般的には認知されているとも言い難いのが現状です。

 

それは皆さんが「北朝鮮と呼ぶ相手が日本国民にとって無条件に忌み嫌い、憎悪することを許されている対象だからに他なりません。

しかし、その「北朝鮮」とは何でしょう?

皆さんのほとんどは、それをマスメディアを介したイメージでしか知りません。行ったことなければ、そこで生きる人々とあったこともない。

自らの体験を通して知ったことはそこになく、ただただ垂れ流されるゴシップ紛いの情報の山によって築かれたイメージです。どの社会も多様な側面があるに関わらず、こと「北朝鮮」に関しては常にそれはどれも似たり寄ったりです。

 

反戦と平和を叫び、差別反対を唱えるようないっけん「リベラル」かあるいは「左翼」を自称するひとが安倍政権を批判する際に「まるで北朝鮮」と言います。

右翼から左翼までそのイメージが共有されているのです。

ところで、そのイメージに含まれるものの1つに朝鮮は全体主義的というのがあります。

 

なんという皮肉でしょうか。

 

右から左まで、国会のなかでは与党も野党も関係なく、朝鮮敵視が支持されていること、そしてそれによって現実に差別と暴力が起き続けていること、しかも、それが創り上げられたイメージによって支えられているというこの日本社会の状況こそ既にずっと長い間全体主義的なのです。

 

あなたたちが幾らでも自由に忌み嫌い、憎悪することが許される「北朝鮮」のイメージ。

それはあなたたち自身が創り上げたものです。

 

そしてあなたたちが「北朝鮮よりはマシ」だと信じている日本の「戦後民主主義」なるものが、実のところ侵略戦争と植民地支配の責任から逃れ、朝鮮分断に積極関与し、冷戦構造の維持と強化に与することによって条件付けられたものであり続けていることを決して忘れないでください。

 

入管行政への告発

 はんにちはー!


 みなさん、「入管」というのをごぞんじでしょうか? 「入管」は「入国管理局」という役所です。国境をこえた人間の出入りと、日本での外国人の在留を管理する役所です。


 入管は外国人の在留を管理する役所だ、いま私はそう言いました。「在留する」というのは、日本で生活することです。日本人は、ここで生活することになにか「資格」を求められることはありません。ところが、外国人については、どんなに日本で長く暮らしていても、入国管理局によって「資格」を審査され、許可を受けてはじめて日本に在留を認められる、ということになっています。差別ですよね。こうして差別的に外国人の在留を管理しているのが、入管という役所です。


 さて、入管は収容施設を持っています。東京、茨城県、名古屋、長崎、近いところでは大阪に大きな収容施設があります。大阪の入管にはだいたい100名、全国の入管の施設を全部あわせると1300人ぐらいの外国人が収容、監禁されています。入管の施設は、基本的には送還、強制送還のための施設だということになっています。その強制送還のための施設に、全国で1300人、長い人では2年とか3年以上、収容・監禁されているのです。収容されているのは、在留の「資格」を入管に認められず、強制送還の対象とされている人たちです。


 入管につかまって収容された人のほとんどは帰国していきます。しかし、もろもろの事情があって、帰国するわけにはいかない人、日本にとどまらざるをえない人もいます。難民といって、帰国すると迫害を受けるおそれのある人がいます。また、日本に長く暮らしていたり、大事な人間関係があったり、ここにしか生活するための基盤がない人もいます。入管の収容施設は、そういう日本にとどまらざるをえない外国人を長期間にわたって監禁して帰国を強要する、いわば拷問のための施設になっています。


 どうして、1300人もの外国人が長期間にわたって収容・監禁されるような事態になっているのでしょうか?
そのもっとも大きな原因は、日本社会が外国人労働者を使い捨てにしてきたことにあります。日本社会は、政官財ぐるみで、外国人を呼び込んでは、不安定な地位に置きながら労働力として「活用」してきました。日本政府の外国人に対する在留の管理は、定住・永住を極力みとめず、あくまでも一時的な労働力などとして外国人を利用しやすいようにするという考えにもとづいています。外国人の在留は、あくまでも入管・日本政府が認めたり認めなかったりできる「資格」として位置づけられています。つまり、たとえどんなに長く日本で暮らしていても、あるいは日本で生まれた人であっても、外国人が日本に住むことは、たんなる「恩恵」であって、それを権利としては認めない、というのが、外国人についての日本の在留管理政策であったのです。


 しかし、日本の国・政府のおもわくがどうであれ、人は生活していくなかで、その土地その社会に生活の基盤をつくっていきます。日本側が一時的な労働力としてだけ外国人を利用したいと考えても、そうして呼び込んだ外国人の一定数は、この地に定着し今後もここにとどまらざるをえなくなっていくのです。そういう外国人をあくまでも不安定な地位に置きつづけよう、あるいはその在留を認めないでおこう、いらなくなったら出身国に追い返せばよい、という日本政府の都合のよい身勝手なやり方が破綻した、その結果として入管の収容施設が1300人もの人でいっぱいになっているのです。
 医療などが劣悪な施設に長期間にわたってたくさんの人数を収容・監禁することで、入管の収容施設では死人も出ています。この5年のあいだに、入管の収容施設で分かっているだけで5人のかたが病死していますあきらかに医療ネグレクトが原因と言えるような死亡事件もあります。ちょうど1年ほど前にも茨城県の施設でベトナム人が亡くなりました。この5人の死亡者にくわえて、収容中に病気になったり病気が悪化して、施設を出所したあとに亡くなる人もいます。つぎつぎと人が死ぬ。それが入管の収容施設の実態なのです。


 では、入管をこのような殺人施設にしているのはなんでしょうか?
問題の根っこにあるのは、この社会の住民を国民と外国人に分けたうえで、外国人をもっぱら在留管理のもとに置くという差別的なシステムにあります。これは、外国人を都合のよい使い捨ての安い労働力としてコントロールし利用するための差別的なシステムです。問題は差別です。そしてこの差別のシステムは、私たちのものの見方・考え方を「国民」中心の差別的なものへと形作ります。この「国民」中心の考え方をやめることから、日本の差別的なシステム・制度を変えていきましょう。

 

 オリンピック・パラリンピック問題について

みなさん、オリンピック、パラリンピック、楽しんだり、感動をありがとうしちゃったりしましたか?
 
ダメです!めっちゃダメダメです!
 
オリンピックもパラリンピックも、あってはならない。
たとえば今回のピョンチャンでも、あの立派な会場をつくるために、もともと住んでいた人は、たくさん立ち退きをさせられたんです。2020年に東京で行われるんですってね。もうすでに野宿者の排除ははじまっています。
人だけでなく、自然環境も破壊されました。
オリンピックは、排除の祭典です。
 
「世界中からたくさんの人が集まるから、テロがどうしたこうした、治安がどうたらこうたら」って理由で、警察権力が強化されています。やたらと監視の目が
きつくなっています。
あやしい人を排除するのは別に悪いことないんじゃないって?でも誰かが「あやしい人」かどうかを決めるのは、警察だったり権力だったりするんです。あなたがいくら「あやしくない」といっても。
オリンピックは、排除の祭典です。
 
オリンピックは、国家間の競争ではない、と、オリンピック憲章には書かれているそうです。なにうそばっかりいってんの。日本のメダルは何個だとかいってませんか。選手の名前じゃなくて、国名で呼んでませんか。「国威発揚」ってやつですよね。かりにいい成績とった選手がいても、別に日本がえらいわけじゃない。
あなたがえらいわけじゃない。日本をえらくしようとした結果が、先の戦争だし、今も続いている外国人差別の根っこですよ。
オリンピックは、排除の祭典です。
 
スポーツを楽しんでいる人いますか?自分でやるのは楽しめない人いませんか?
オリンピックこそは、「うまくやれる人」の祭典です。そこでは、へたっぴは、排除されているんです。パラリンピックもそう。からだを動かすことに順位をつけるな。スポーツで優秀でない人も、生きる権利はある。
オリンピックは、排除の祭典です。
 
人の生きざまで感動するのやめよう。人は誰かに感動をもたらすために生きてるんじゃない。
 
オリンピックやめよう。東京オリンピックパラリンピック止めよう。

 

天皇代替わり問題

はんにちは。
 
今日は3月24日、土曜日です。「何年の」3月24日でしたっけ。そうです、西暦2018年ですね。
 
ところが、これを「平成30年」などという、おかしな呼び方でよぶ人たちが、沢山います。みなさんは「平成」という言葉の意味をご存知でしょうか。たぶん、知りませんよね。もちろん私たちも知りません。小渕元首相が「平成」と書かれた額を掲げるあのイメージ、あれ以外には、なにも頭に浮かびません。
 
でも、「平成30年」という年号が本当は何を意味するのかは、かなり多くの人が理解しているはずです。天皇明仁が即位してから、30年目の年という意味であることを。
 
天皇が死んで、新しい天皇が即位する。
これをセットで記憶させるための統治のしくみ、それが元号です。べつに、伝統でもなんでもありません、近代になって大日本帝国が採用した「一世一元の制というシステムです。天皇の在位期間によって時代を区切ることで、われわれの時間感覚を規定し、管理する、戦争国家の論理なのです。そんなものを現在も使い続けていて、本当にいいのでしょうか?
 
さて一方、その元号がもうじき変わる、という話があります。天皇の代替わり問題です。
 
おぼえていますか。2016年8月8日、宮内庁天皇明仁は当時「おきもち」と言われたビデオメッセージを発表しました。11分にわたる文章の朗読ですが、要約すると大きく次の4つのことを言っていました。
 
1 天皇は政治行為を禁止されているので、これはあくまで個人的な話だよ
2 天皇の旅行や訪問は「象徴的行為」だよ
3 天皇の葬式と代替わりのタイミングを、今回どうしてもずらしたいよ
4 天皇と皇室の存在は、将来も現在の地位を維持し、人々を統治するよ…
 
自らの高齢化にともなう体力低下や、家族にかかる負担が気がかりでならない、という個人的心情を語る名目で、これだけのことを言いました。
 
でも、決して騙されてはいけません。この映像を使って天皇が述べたことは、たんなる個人の表現にはとどまらない、天皇としての自らの進退と代替わりについての考えでした。いくら「政治的な発言でない」と前置きしたところで、それで天皇に対する憲法の縛りがチャラになる事はありません。天皇が歴史的に担ってきた役割と、その政治性を考えれば尚更です。実際、国会では非常に迅速に退位特例法が可決されました。大きな忖度が働き、十分すぎるほどに政治的発言として機能したことの、何よりの証拠です。
 
これまでに天皇自身がこなしてきた数々の越権行為を「象徴的行為」の一語で正当化したことも、大問題です。明仁は、皇太子時代から個人的な旅行の名目で、諸外国を訪問してきました。現在、それはいつしか「皇室外交」と呼ばれるまでに拡張されてきました。しかしそもそも天皇にそのような義務規定はありません。禁止されていたはずの政治的行為を、時間をかけてこっそり、少しずつ侵犯してきたのです。今回の代替わり問題にとどまらず、立憲主義と民主主義の原則を根幹から覆す、とんでもない憲法違反。これが、天皇明仁が現在までに進めてきた政治的目論見です。
 
そもそも、象徴、象徴とはいいますが、どのような形であれ、天皇制が続いていくことに私達は断固、反対します。自らの戦争加害責任を、なにひとつ反省・清算することなく天皇の地位に返り咲いた昭和天皇裕仁は、天皇のイメージを「平和を祈る優しいおじさん」に変えることにむけ心血をそそぐ傍ら、日本の再軍備に尽力しました。その跡を、同様にいけしゃあしゃあと継いだのが現在の天皇明仁です。つまるところ天皇は、現在も戦争加害の忘却、曖昧化、隠蔽の主体であり続けています。これが正しく糾弾されるならば、天皇の代替わりなど論外であると言うしかありません。
 
戦争に反対している人ならきっとご存知だと思いますが、現在、自民党改憲草案には天皇の元首化がうたわれています。とんでもないことですが、これを明仁が知らないはずはありません。自身の代替わりと葬儀のタイミングをズラしたいという明仁の目論見は、退位と即位、そして改元、この3つを共に「おめでたいもの」として同時に祝わせることで、天皇の存在をより一層ひとびとに親しませること、ひいては、天皇の再元首化に弾みをつけることにあると考えても、心配のしすぎにはあたりません。
もう一度おもいだしてください、日本は天皇の名のもと、天皇の旗印のもとで、侵略戦争をした国です。天皇制そのものが悪であることに、待ったをかけるものは何ひとつありません。
 
昨年12月の天皇誕生日ここ京都でひらかれた反天皇デモでは、路上を歩く人たちによって、天皇制の廃止が宣言されました。私たちもまずここで、この街頭の小さな連帯の中から、天皇制の廃止を宣言しましょう。そうしてその声を少しずつ大きくしていきましょう。私たちは天皇の代替わりを絶対に拒否する。私たちは何度でも、天皇制の廃止を宣言する!

 

シュプレヒコールはいつものように吟じましたよ。

 

シュプレヒコール

日の丸を 焼こう 破こう 降ろそうよ

君が代を 流すのやめろ 歌わんぞ

 天皇制 差別の根源 なくそうよ

「陛下」とか 「様」「様」つけるの やめましょう

「国民」に 統合されるの 拒否しよう

ヤスクニは 軍事施設だ つぶそうよ

入管は 殺人施設だ つぶそうよ

米軍の 押しつけゆるさん 沖縄へ

米軍は 世界のどこにも いらないぞ

自衛隊 日本の軍隊 なくそうよ

朝鮮の 敵視をやめろ いますぐに

国籍で ひとの生き方 せばめるな

廃止しよう 差別を生み出す 戸籍制度

やめにしよう 排除の祭典 オリンピック

 

今回は警察の超過剰警備のせいで、道路を自由に歩くことが難しく結果、車やバスをとめることがほとんどできずとても悔しかったです。

ほんと、ムカつく。でも、めげずに続けます。たった10人程度のデモに警察がここまでのことをしなければならないと思うほど、これまでしっかりやれてこれたとポジティブに捉え、次回はもっともっと自由なデモを目指します。

 

退散していく警察たち

 


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警察は 自由なデモの 邪魔するな!(5・7・5調)

 

3がつ 24にち でも ほうこく

つぎ の きじ(3月24日デモ報告 - コトコトじっくり煮込んだ日帝♪)は かんじ あり ばーじょん です。

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はんにちわー!

 

せんじつ、 3 がつ 24 にち に でも を しました。

ここちよい はる の ようき は まさに はんにち でも びより でした。

さて、 こんかい の でも は しんせい の ため に けいさつしょ に いく の を きょひ して ゆうそう で すませました。 その ほうほう は 「じゆう と じんけん は 「こくみん」 の せんゆうぶつ で は ない と かんがえる ひとびと」 よびかけの はんにち でも の しんせい に ならって ます ので、 こちら を さんこう に して ください。

でも  しんせい 、  ゆうそう  で  やった  よ! - 自由と人権は「国民」の占有物ではないと考えるひとびと

ちなみに、 しんせいしょ は わーど で つくりました が べつに てがき でも かまわない です よ。

 

そして、 こんかい も さらに いっぽ ぜんしん させよう と おもい こんかい の でも は けいさつ が いやがる 「はんかがい の こうさてん うせつ」 を こーす に とりいれました。 きょうとし の ちり が わかる ひと に しか つたわらない かも しれない けど、 しじょう かわらまち こうさてん を ふだん は させつ して ぎおん の ほう に いって いた の です が、 これ を うせつ に して からすま へ いく こーす に した の です。

 

すると、 ゆうそうご 3 にち ほど して けいさつしょ から でんわ が。 。

 

なん でも こうつう じゅうたい を ひきおこさない よう こーす を へんこう して ほしい と。

 

はい、 ことわりました。 けいさつ は いくつか だいあん を だして きました が もちろん ぜんぶ きゃっか しました。

 

さて さて、 そんな わけ で でも とうじつ を むかえた わけ です が、 そこで わたしたち は おどろくべき こうけい に そうぐう する の です。

 

もともと さんか よてい にんずう として やく 10 にん と なって いた でも にたいして やってきた けいさつかん の かず …

 

ざっと みて も 25 にん くらい!!!

 

でも さんかしゃ ひとり にたいして ふたり たいせい で がっつり まーく される よう な じんいん な わけ です よ。

 

こうあん も いるし、 きどうたい や こうほうぶ と なのる いわゆる DJ ぽりす まで ぞろぞろ ぞろぞろ。

 

おぉ、 いつも (4〜5 にん) より ならんどる わぁ。


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うわ、 ぎゃくがわ にも!



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いわゆる DJぽりす と とれんちぽりす
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とうとつ に びろーん と のばして きた、 てーぷかっと したら たぶん そのまま つかまる やつ。

 
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なんなんだよ、この ちょー げんかい たいせい!

 

わたしたち は いま まで けいさつ と でも の げんば で (けいさつ の ふとう な でも へ の かいにゅう が げんいん で) いろいろ いいあいに なって きた けど、 いつも きわめて へいわ に やってきた のに、 なん なの これ。

 

たしか に くるま とか ばす とか とおれなく させて、 えんどう から ばせい を あびたり も して きた けど、 なにも とめられない でも なんて なん なの?

この しゃかい の おかしな ながれ を とめたい から こそ の でも じゃん。

でも が こうつう を とめるって そういう いっぽ ずつ を ふむ って ことなの!

めいわく は かける もの な の!

 

それ を こんな ものものしい けいさつ けんりょく を もって おさえつけよう なんて、 なに が ひょうげん の じゆう だ!

けいさつ は けんぽう いはん すんな!

 

と、 いかり が ぞくぞく と わきあがりました。 こんかい は いろんな すぴーち を ようい して ました が、 まずは この よき せぬ けいさつ たいおう に たいする いかり から でも は すたーと。 みな くちぐち に けいさつ へ の ちょうかじょう けいび、 この よくあつ じょうきょう に いかり の さけび を ぶつけまくりました。

 

そのご でも は ちょうせんそうれん へ の じゅうげき じけん に まで いたった にほん の ちょうせん あくまか もんだい について や、 さつじんてき な にほん の にゅうかん ぎょうせい へ の こくはつ、 おりんぴっく ・ ぱらりんぴっく もんだい、 てんのうせい だいがわり もんだい について の ちからづよい すぴーち が くりひろげられます。

 

ほんと、 どれ も だいじ な こと が つまった すぴーち たち です。

 

ちょうせん あくまか もんだい に ついて

はんにちわー!


まず わたし から は ざいにち ちょうせんじん に たいする あいつぐ さべつ ・ だんあつ、 へいとくらいむ に ついて、 そして それ を うみだす はいけい と なって いる にほん しゃかい の ちょうせん あくまか について うったえます。

 

この いちねん の あいだ に ざいにち ちょうせんじん の いのち を おびやかす しんこく な じけん が すくなくとも にど おきて います。

 

おぼえて いるでしょう か?

 

きょねん の 5 がつ 23 にち、 なごや の ざいにち ちょうせんけい の しんようきんこ にたいする ほうか じけん が おきた こと を。

 

にほんぐん せいどれいせい もんだい に たいする かんこく せいふ の たいおう に ふまん が あった と はんにん は その どうき を かたりました。

 

せんげつ 2がつ 23にち には ちょうせん そうれん ちゅうおう ほんぶ に たいして うよく による じゅうげき じけん が ありました。 ようぎしゃ として たいほ された ものたち は 「きたちょうせん による あいつぐ みさいる ちょうはつ に かんにんぶくろ の お が きれた」 と のべた そう です。

 

じゅうげき によって、 ほうか によって ざいにち ちょうせんじん の いのち が ねらわれる この じょうきょう を みなさん は どのよう に うけとめて います か?

 

けしからん うよく が やった こと、 として じぶん とは かんけい ない と おもって は いないです か?

  

どうき として かたられた にほんぐん せいどれいせい を めぐって、 あるいは ちょうせん の みさいる を めぐって、 みなさん は この うよくたち と どれほど ちがうと いいきれ ます か?

 

もしか したら どうき は りかい できるけど ぼうりょく は よく ない、 くらい に おもって は いません か?

  

この うよくたち の ぶつりてき な おぞましい ぼうりょく は、 その どうき を ちゅうしゅつ すれば にほん の こっか けんりょく の いし に ちゅうじつ に したがった もの です。

 

にほん せいふ が しゅどう する ちょうせん てきし せいさく と その いっかん である ちょうせん がっこう にたいする さべつ せいさく も また それ を よく あらわして います。

 

2006ねん に はじまる けいざい せいさい は もう 12ねん に も およびます。

 

このかん、 おおく の ざいにち ちょうせんじん の そこく おうらい の けんり が ひてい され、 また そうれん および かんれん が あると うたがわれる だんたい や こじん に たいする せいじ だんあつ は あと を たちません。

 

こうこう むしょうか から ちょうせん がっこう のみ を じょがい しつづける さべつ は 2010ねん から いま も つづいて います。 また もんかしょう から の つうち という かたち を とった あつりょく により、 かずかず の ちほうじちたい が ちほう じち を かなぐりすてて あいついで ちょうせん がっこう へ の ほじょきん ふしきゅう の けってい を して います。

さいきん で は 2がつ に ぐんまけん が ちょうせん がっこう の きょうかしょ に らち もんだい について の きさい と がっこう が ちょうせんそうれん と かんけい ない こと を しょうめい する こと を ようけん とし、 それ を みたさない ため に ふしきゅう けってい を しました。

また つい せんじつ、 おおさか こうさい は おおさかふ および おおさかし が ちょうせん がっこう への ほじょきん ふしきゅう けってい を みとめる ふとう はんけつ を だしました。

 

これら の こくさく さべつ にたいして みなさん の ほとんど は するー して きました。

 これ が さべつ ・ だんあつ である と すら まだ いっぱんてき に は にんち されて いるとも いいがたい のが げんじょう です。 

 

それ は みなさん が 「きたちょうせん」 と よぶ あいて が にほん こくみん にとって むじょうけん に いみきらい、 ぞうお する こと を ゆるされて いる たいしょう だから に ほかなりません。

 

しかし、 その 「きたちょうせん」 とは なんでしょう?

 

みなさん の ほとんど は、 それ を ますめでぃあ を かいした いめーじ で しか しりません。 いった こと なけれ ば、 そこ で いきる ひとびと と あった ことも ない。

 

みずから の たいけん を とおして しった こと は そこ に なく、 ただただ たれながされる ごしっぷ まがい の じょうほう の やま によって きずかれた いめーじ です。 どの しゃかい も たよう な そくめん が あるにも かかわらず、 こと 「きたちょうせん」 に かんして は つねに それ は どれも にたり よったり です。

 

はんせん と へいわ を さけび、 さべつ はんたい を となえる よう な いっけん 「りべらる」 か あるいは 「さよく」 を じしょう する ひと が あべ せいけん を ひはん する さい に 「まるで きたちょうせん」 と いいます。

 

 うよく から さよく まで その いめーじ が きょうゆう されて いる の です。

 

 ところで、 その いめーじ に ふくまれるものの ひとつ に ちょうせん は ぜんたい しゅぎてき という の が あります。

 

 なんと いう ひにく でしょう か。

 

 みぎ から ひだり まで、 こっかい の なか では よとう も やとう も かんけい なく、 ちょうせん てきし が しじ されて いる こと、 そして それに よって げんじつ に さべつ と ぼうりょく が おきつづけて いる こと、 しかも、 それ が つくりあげられた いめーじ によって ささえられて いる という この にほん しゃかい の じょうきょう こそ すでに ずっと ながい ま ぜんたい しゅぎてき なの です。

 

あなたたち が いくら でも じゆう に いみきらい、 ぞうお する こと が ゆるされる 「きたちょうせん」 の いめーじ。

 

 それ は あなたたち じしん が つくりあげた もの です。

 

そして あなたたち が 「きたちょうせん より は まし」 だ と しんじて いる にほん の 「せんご みんしゅ しゅぎ」 なる もの が、 じつ の ところ しんりゃく せんそう と しょくみんち しはい の せきにん から のがれ、 ちょうせん ぶんだん に せっきょく かんよ し、 れいせん こうぞう の いじ と きょうか に くみする こと によって じょうけん づけられた もの で ありつづけて いる こと を けっして わすれない で ください。 

 

にゅうかん ぎょうせい への こくはつ

 

はんにちはー!


 みなさん、「にゅうかん」 という の を ごぞんじ でしょう か? 「にゅうかん」は「にゅうこく かんりきょく」という やくしょ です。 こっきょう を こえた にんげん の でいり と、 にっぽん での がいこくじん の ざいりゅう を かんり する やくしょ です。


 にゅうかん は がいこくじん の ざいりゅう を かんり する やくしょ だ、 いま わたし は そう いいました。「ざいりゅう する」という の は、 にほん で せいかつ する こと です。

 にほんじん は、 ここ で せいかつ する こと に なにか 「しかく」を もとめられる こと は ありません。ところが、がいこくじん について は、 どんなに にほん で ながく くらして いて も、 にゅうこく かんりきょく によって 「しかく」を しんさ され、 きょか を うけて はじめて にほん に ざいりゅう を みとめられる、 という こと に なって います。 さべつ ですよね。 こうして さべつてき に がいこくじん の ざいりゅう を かんり して いる のが、 にゅうかん という やくしょ です。


 さて、 にゅうかん は しゅうよう しせつ を もって います。

とうきょう、 いばらきけん、 なごや、 ながさき、 ちかい ところ では おおさか に おおきな しゅうよう しせつ が あります。 おおさか の にゅうかん には だいたい 100めい、 ぜんこく の にゅうかん の しせつ を ぜんぶ あわせると 1300にん ぐらい の がいこくじん が しゅうよう、 かんきん されて います。 にゅうかん の しせつ は、 きほんてき には そうかん、 きょうせい そうかん の ための しせつ だ という ことに なって います。

その きょうせい そうかん の ための しせつ に、 ぜんこく で 1300にん、 ながい ひと で は 2ねん とか 3ねん いじょう、 しゅうよう ・ かんきん されて いる の です。 しゅうよう されて いる のは、 ざいりゅう の 「しかく」 を にゅうかん に みとめられず、 きょうせい そうかん の たいしょう と されて いる ひとたち です。


 にゅうかん に つかまって しゅうよう された ひと の ほとんど は きこく して いきます。 しかし、 もろもろ の じじょう が あって、 きこく する わけ に は いかない ひと、 にほん に とどまらざる を えない ひと も います。 なんみん と いって、 きこく すると はくがい を うける おそれ の ある ひと が います。 また、 にほん に ながく くらして いたり、 だいじ な にんげん かんけい が あったり、 ここに しか せいかつ する ため の きばん が ない ひと も います。 にゅうかん の しゅうよう しせつ は、 そういう にほん に とどまらざる を えない がいこくじん を ちょうきかん に わたって かんきん して きこく を きょうよう する、 いわば ごうもん の ため の しせつ に なって います。


 どうして、 1300にん も の がいこくじん が ちょうきかん にわたって しゅうよう ・ かんきん される よう な じたい に なって いる の でしょう か?


その もっとも おおきな げんいん は、 にほん しゃかい が がいこくじん ろうどうしゃ を つかいすて に して きた こと に あります。 にほん しゃかい は、 せい・かん・ざい ぐるみ で、 がいこくじん を よびこんで は、 ふあんてい な ちい に おきながら ろうどうりょく として 「かつよう」 して きました。

 

 にほん せいふ の がいこくじん に たいする ざいりゅう の かんり は、 ていじゅう ・ えいじゅう を きょくりょく みとめず、 あくまでも いちじてき な ろうどうりょく など として がいこくじん を りよう し やすい よう に するという かんがえ に もとづいて います。 がいこくじん の ざいりゅう は、 あくまでも にゅうかん ・ にほん せいふ が みとめたり みとめなかっ たり できる 「しかく」 として いちづけられて います。

 

 つまり、 たとえ どんなに ながく にほん で くらして いて も、 あるいは にほん で うまれた ひと であっ て も、 がいこくじん が にほん に すむ こと は、 たんなる 「おんけい」 で あって、 それ を けんり として は みとめない、 という の が、 がいこくじん について の にほん の ざいりゅう かんり せいさく であった の です。


 しかし、 にほん の くに ・ せいふ の おもわく が どう であれ、 ひと は せいかつ して いく なか で、 その とち その しゃかい に せいかつ の きばん を つくって いきます。 にほんがわ が いちじてき な ろうどうりょく として だけ がいこくじん を りよう したい と かんがえて も、 そうして よびこんだ がいこくじん の いっていすう は、 この ち に ていちゃく し、 こんご も ここ に とどまらざる を えなく なって いく の です。 そういう がいこくじん を あくまでも ふあんてい な ちい に おきつづけよう、 あるいは その ざいりゅう を みとめない で おこう、 いらなく なったら しゅっしんこく に おいかえせば よい、 という にほん せいふ の つごう の よい みがって な やりかた が はたん した、 その けっか として にゅうかん の しゅうよう しせつ が 1300にん もの ひと で いっぱい に なって いるのです。


 いりょう など が れつあく な しせつ に ちょうきかん に わたって たくさん の にんずう を しゅうよう ・ かんきん する こと で、 にゅうかん の しゅうよう しせつ で は しにん も でて います。 この 5ねん の あいだ に、 にゅうかん の しゅうよう しせつ で わかって いるだけ で 5にん の かた が びょうし して います。 あきらか に いりょう ねぐれくと が げんいん と いえる ような しぼう じけん も あります。 ちょうど 1ねん ほど まえ に も いばらきけん の しせつ で べとなむじん が なくなりました。 この 5にん の しぼうしゃ に くわえて、 しゅうようちゅう に びょうき に なったり びょうき が あっか して、 しせつ を しゅっしょ した あと に なくなる ひと も います。 つぎつぎ と ひと が しぬ。 それ が にゅうかん の しゅうよう しせつ の じったい なのです。
 では、 にゅうかん を このような さつじん しせつ に して いる のは なんでしょう か?


もんだい の ねっこ に ある のは、 この しゃかい の じゅうみん を こくみん と がいこくじん に わけた うえ で、 がいこくじん を もっぱら ざいりゅう かんり の もと に おくという さべつてき な しすてむ に あります。 これ は、 がいこくじん を つごう の よい つかいすて の やすい ろうどうりょく として こんとろーる し りよう する ため の さべつてき な しすてむ です。 もんだい は さべつ です。 そして この さべつ の しすてむ は、 わたしたち の もの の みかた ・ かんがえかた を 「こくみん」 ちゅうしん の さべつてき な もの へ と かたちづくります。 この 「こくみん」 ちゅうしん の かんがえかた を やめる こと から、 にほん の さべつてき な しすてむ ・ せいど を かえて いきましょう。

 

 おりんぴっく・ぱらりんぴっく もんだい に ついて

みなさん、 おりんぴっく、 ぱらりんぴっく、 たのしんだり、 かんどう を ありがとう しちゃったり しました か?


だめ です! めっちゃ だめ だめ です!


おりんぴっく も ぱらりんぴっく も、 あって は ならない。
たとえば こんかい の ぴょんちゃん で も、 あの りっぱ な かいじょう を つくる ため に、 もともと すんで いた ひと は、 たくさん たちのきを させられた ん です。 2020ねん に とうきょう で おこなわれるん ですって ね。 もう すでに のじゅくしゃ の はいじょ は はじまって います。
ひと だけ でなく、 しぜん かんきょう も はかい されました。
おりんぴっく は、 はいじょ の さいてん です。

 

「せかいじゅう から たくさん の ひと が あつまるから、 てろ が どうした こうした、 ちあん が どうたら こうたら」 って りゆう で、 けいさつ けんりょく が きょうか されて います。 やたら と かんし の め が きつく なって います。
あやしい ひと を はいじょ する の は べつに わるい こと ないん じゃ ない って?でも だれか が 「あやしい ひと」 か どうか を きめる のは、 けいさつ だったり けんりょく だったり するん です。 あなた が いくら 「あやしく ない」 と いって も。
おりんぴっく は、 はいじょ の さいてん です。

 

おりんぴっく は、 こっかかん の きょうそう では ない、 と、おりんぴっく けんしょう には かかれて いる そう です。 なに うそ ばっかり いってん の。 にほん の めだる は なんこ だ とか いって ません か。 せんしゅ の なまえ じゃ なく て、 こくめい で よんで ません か。 「こくい はつよう」 って やつ です よね。

かりに いい せいせき とった せんしゅ が いても、 べつに にほん が えらい わけ じゃ ない。
あなた が えらい わけ じゃ ない。 にほん を えらく しよう と した けっか が、 さき の せんそう だ し、 いま も つづいて いる がいこくじん さべつ の ねっこ です よ。
おりんぴっく は、 はいじょ の さいてん です。

 

すぽーつ を たのしんで いる ひと います か?じぶん で やる の は たのしめない ひと いません か?
おりんぴっく こそ は、 「うまく やれる ひと」 の さいてん です。 そこ では、 へたっぴ は、 はいじょ されて いるん です。 ぱらりんぴっく も そう。 からだ を うごかす こと に じゅんい を つけるな。 すぽーつ で ゆうしゅう でない ひと も、 いきる けんり は ある。
おりんぴっく は、 はいじょ の さいてん です。

 

ひと の いきざま で かんどう するの やめよう。 ひと は だれか に かんどう を もたらす ため に いきてる んじゃ ない。

 

おりんぴっく やめよう。

とうきょう おりんぴっく ・ ぱらりんぴっく、 とめよう。

 

てんのう だいがわり もんだい

はんにちは。
 
きょう は 3がつ 24にち、どようび です。「なんねんの」 3がつ 24にち でしたっけ。そうです、せいれき 2018 ねん ですね。
 
ところが、これを「へいせい 30ねん」など という、おかしな よびかた で よぶ ひとたち が、たくさん います。みなさん は「へいせい」という ことば の いみ を ごぞんじ でしょう か。たぶん、しりません よね。もちろん わたしたち も しりません。おぶち もと しゅしょう が「へいせい」と かかれた がく を かかげる あの いめーじ、あれ いがい には、なに も あたま に うかびません。
 
でも、 「へいせい 30ねん」という ねんごう が ほんとう は なに を いみ する のか は、 かなり おおく の ひと が りかい して いる はず です。てんのう あきひと が そくい して から、 30 ねんめ の とし という いみ で ある こと を。
 
てんのう が しんで、 あたらしい てんのう が そくい する。
これを せっと で きおく させる ため の とうち の しくみ、 それ が げんごう です。べつに、 でんとう でも なんでも ありません、 きんだい に なって だいにっぽん ていこく が さいよう した 「いっせい いちげん の せい」という しすてむ です。てんのう の ざいい きかん に よって じだい を くぎる ことで、 われわれ の じかん かんかく を きてい し、 かんり する、せんそう こっか の ろんり なの です。そんな もの を げんざい も つかい つづけて いて、 ほんとう に いい の でしょう か?
 
さて いっぽう、 その げんごう が もうじき かわる、という はなし が あります。てんのう の だいがわり もんだい です。
 
おぼえていますか。2016ねん 8がつ 8にち、くないちょう と てんのう あきひと は とうじ 「おきもてぃ」と いわれた びでおめっせーじ を はっぴょう しました。11ふん に わたる ぶんしょう の ろうどく ですが、 ようやく すると おおきく つぎ の 4つ の こと を いっていました。
 
1 てんのう は せいじ こうい を きんし されて いる ので、これ は あくまで こじんてき な はなし だよ
2 てんのう の りょこう や ほうもん は「しょうちょう こうい」だよ
3 てんのう の そうしき と だいがわり の たいみんぐ を、 こんかい どうしても ずらしたい よ
4 てんのう と こうしつ の そんざい は、 しょうらい も げんざい の ちい を いじ し、 ひとびと を とうち するよ …
 
みずから の こうれいか に ともなう たいりょく ていか や、 かぞく に かかる ふたん が きがかり で ならない、 という こじんてき しんじょう を かたる めいもく で、 これだけ の こと を いいました。
 
 

でも、 けっして だまされて は いけません。

この えいぞう を つかって てんのう が のべた こと は、 たんなる こじん の ひょうげん には とどまらない、 てんのう として の みずから の しんたい と だいがわり に ついて の かんがえ でした。いくら 「せいじてき な はつげん でない」 と まえおき した ところ で、 それで てんのう にたいする けんぽう の しばりが ちゃら に なる こと は ありません。 てんのう が れきしてき に になって きた やくわり と、 その せいじせい を かんがえれば なお さら です。 じっさい、 こっかい で は ひじょう に じんそく に たいい とくれいほう が かけつ されました。 おおきな そんたく が はたらき、 じゅうぶん すぎるほど に せいじてき はつげん として きのう した こと の、 なにより の しょうこ です。

 
これまでに天皇自身がこなしてきた数々の越権行為を「象徴的行為」の一語で正当化したことも、大問題です。アキヒトは、皇太子時代から個人的な旅行の名目で、諸外国を訪問してきました。現在、それはいつしか「皇室外交」と呼ばれるまでに拡張されてきました。しかしそもそも天皇にそのような義務規定はありません。禁止されていたはずの政治的行為を、時間をかけてこっそり、少しずつ侵犯してきたのです。今回の代替わり問題にとどまらず、立憲主義と民主主義の原則を根幹から覆す、とんでもない憲法違反。これが、天皇アキヒトが現在までに進めてきた政治的目論見です。
 これ まで に てんのう じしん が こなして きた かずかず の えっけん こうい を 「しょうちょうてき こうい」 の いちご で せいとうか した こと も、 だいもんだい です。あきひと は、 こうたいし じだい から こじんてき な りょこう の めいもく で、 しょがいこく を ほうもん して きました。 げんざい、 それ は いつしか 「こうしつ がいこう」 と よばれるまで に かくちょう されて きました。 しかし そもそも てんのう に その よう な ぎむ きてい は ありません。 きんし されて いた はず の せいじてき こうい を、 じかん を かけて こっそり、 すこし ずつ しんぱん して きた の です。
 
こんかい の だいがわり もんだい に とどまらず、 りっけん しゅぎ と みんしゅ しゅぎ の げんそく を こんかん から くつがえす、 とんでも ない けんぽう いはん。 これ が、 てんのう あきひと が げんざい まで に すすめて きた せいじてき もくろみ  です。
 
そもそも、 しょうちょう、 しょうちょう と は いいます が、 どの よう な かたち であれ、 てんのうせい が つづいて いく こと に わたしたち は だんこ、 はんたい します。 みずから の せんそう かがい せきにん を、 なに ひとつ はんせい ・ せいさん する こと なく てんのう の ちい に かえりざいた しょうわ てんのう ひろ ひと は、 てんのう の いめーじ を 「へいわ を いのる やさしい おじさん」 に かえる こと に むけ しんけつ を そそぐ かたわら、 にほん の さいぐんび に じんりょく しました。 その あと を、 どうよう に いけしゃあしゃあ と ついだ のが げんざい の てんのう あきひと です。 つまるところ てんのう は、 げんざい も せんそう かがい の ぼうきゃく、 あいまいか、 いんぺい の しゅたい で ありつづけて います。 これ が ただしく きゅうだん される ならば、 てんのう の だいがわり など ろんがい である と いうしか ありません。
 
せんそう に はんたい して いる ひと なら きっと ごぞんじ だ と おもいます が、 げんざい じみんとう の かいけん そうあん に は てんのう の げんしゅか が うたわれて います。 とんでも ない こと です が、 これ を あきひと が しらない はず は ありません。 だいがわり と そうぎ の たいみんぐ を ずら したい という あきひと の もくろみ は、 たいい と そくい、 そして かいげん を 「おめでたい もの」 として どうじに いわわせる こと で、 てんのう の そんざい を より いっそう ひとびとに したしませる こと、 ひいては、 てんのう の さいげんしゅか に はずみ を つける こと に あると かんがえて も、 しんぱい の しす ぎにはあたりません。
もういちど おもいだして ください、 にほん は てんのう の な の もと、 てんのう の はたじるし の もと で、 しんりゃく せんそう を した くに です。 てんのうせい が あく である こと に、 まった を かける もの は なに ひとつ ありません。
 
 
 さくねん 12がつ の てんのうたんじょうび に、 ここ きょうと で ひらかれた はんてんのう でも では、 ろじょうを あるく ひとたち に よって、 てんのうせい の はいし が せんげん されました。 わたしたち も まず ここ で、 この がいとう の ちいさな れんたい の なか から、 てんのうせい の はいし を せんげん しましょう。 そうして その こえ を すこしずつ おおきく して いきましょう。 わたしたち は てんのう の だいがわり を ぜったい に きょひ する。 わたしたち は なんど でも、 てんのうせい の はいし を せんげん する!

 

しゅぷれひこーる は いつも の ように ぎんじました よ。

《しゅぷれひこーる》

ひのまる を   やこう   やぶこう   おろそう よ

きみがよ を   ながす の やめろ   うたわん ぞ

てんのうせい   さべつ の こんげん   なくそう よ

「へいか」 とか  「さま」「さま」 つけるの   やめましょう

「こくみん」 に   とうごう される の   きょひ しよう

やすくに は   ぐんじ しせつ だ   つぶそう よ

にゅうかん は   さつじん しせつ だ   つぶそう よ

べいぐん の   おしつけ ゆるさん   おきなわ へ

べいぐん は   せかい の どこ に も   いらない ぞ

じえいたい   にほん の ぐんたい   なくそう よ

ちょうせん の   てきし を やめろ   いま すぐ に

こくせき で   ひと の いきかた   せばめるな

はいし しよう   さべつ を うみだす   こせき せいど

やめ に しよう   はいじょ の さいてん   おりんぴっく

 

こんかい は けいさつ の ちょう かじょうけいび の せいで、 どうろ を じゆう に あるく こと が むずかしく、けっか、くるま や ばす を とめる ことが ほとんど できず とても くやしかった です。

ほんと、 むかつく。でも、 めげずに つづけます。

たった 10にん ていど の でも に けいさつ が ここまで の こと を しなければ ならない と おもう ほど、これまで しっかり やれて これた と ぽじてぃぶ に とらえ、 じかい は もっと もっと じゆう な でも を めざします。

 

たいさん していく けいさつ たち

 

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 けいさつ は  じゆう な でも の じゃま するな!(5・7・5 ちょう)

 

 

9月17日デモ報告*9がつ17にち でも ほうこく

**ふたつめ かんじ つかって いません**

 

はんにちわ!

前回の夜デモが涼しくて具合よかったので、9月は夕デモということで予定しました。

 

気候もすっかり秋めいて、多くのみなさんが待ち望んだ三連休、

なんと!非常に強い台風18号(タリム)さんが

わたしたちのデモに参加したいとばかりに、近畿地方をめざして北上してきているというではありませんか。

基本、趣旨に賛同していただけるのであればウェルカムではあるのですが、

直撃となると、交通機関に影響が出たりして、

他の参加者が集まれなくなったり、帰れなくなったりします。

ひとばん、台風情報とにらめっこしながら出したこたえは、

「予定どおりやりましょ」

 

暗雲たちこめる京都市内。まだ日没までは時間があるというのに、なんだか薄暗いです。雨がいまにも降り出しそう。

スタート時点でついた警官は3人。いつもは2人なのに、台風シフトかしら?と思ったら、

それとは別に、帽子をかぶった目つきの悪い一群が、こちらをにらんでいるではありませんか。

そう、公安警察です。

呼んでないよ!(警備警察も勿論呼んでない)

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実は、デモ申請の時から少し様子が違っていました。

わざわざ許可条件(本来、デモは権利なので、許可とかナンセンスなんだけどね)を読み上げたり、あろうことか、「撮影する」と予告してきたり。

もちろん、撮影は違法ですので、もし撮影をはじめたら、当然抗議しましょうね。と思いながら歩きはじめたのですが、うしろから何やら妙な圧が……ふりむくと、警察の大型人員輸送車(通称「カマボコ」)がついてきてる。

呼んでないよ!

 

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《スピーチ》

みなさん、はんにちわ!反日非国民集団です♪

 

毎度のようにデモをしてますが、今日はまず今私たちに付きまとっている京都府警中京署の警察たちに抗議するところから始めたいと思います。

 

みなさん、そもそもデモというのは私たちの自由であり、本来誰からも許可を受けるようなものであってはいけません。しかし、不当な公安条例によってそれが強制されているという状況にあります。

私たちは公安条例の不当性とその廃止を訴えます。

 

そして、警察たちへ。不当な公安条例を盾に自由なデモに対する干渉をするのをやめろ!先日、デモの「許可証」を取りに行った際に、警備課長まで連れてきてデモの許可条件についてわざわざ確認し、それを守ることを約束させようとしたことについて抗議する。

そもそも自由なデモに対して「許可条件」などという不当な条件をつけられるなどと勘違いをするな!

道路の左端に寄れだとか、早く歩けなどというのは全く不当なデモに対する干渉であり、そんなことを我々は許さない!

そして、不当な「許可条件」がまもられなければデモ参加者を撮影すると脅しをかけてきたことに対して、これに対する撤回と謝罪を要求する!

京都府学連事件の判例において警察官による撮影が許容されるのは「現に犯罪が行われもしくは行われたのち間がないと認められる場合であって、しかも証拠保全の必要性及び緊急性があり、かつその撮影が一般的に許容される限度を超えない相当な方法を持って行われるときである」とされており、これはそれを満たさない限りは警察官の撮影は違法であることを示している。

今回、中京署がデモの「許可条件」がまもられなければ撮影すると脅しをかけたということは警察が「許可条件」違反を「犯罪が行われている」状況として認識していることを示すが、こんなとんでもないことを許すわけにはいかない。

所轄警察署および公安委員会が付してくる「許可条件」なるものに対してあたかも法としての権力があるかのように扱い、取り締まりの基準とすることは、明らかに警察権および行政権の乱用であり憲法違反である。

これを許してしまえば、警察および公安委員会はデモに対して「許可条件」をもっていくらでも自由に規制できることになってしまう。そんな馬鹿げたことを許してはならない!

デモは自由だ!

京都府警よ!あなたらの仲間である東京の警視庁公安部は経産省前で脱原発を訴える市民を「無届けデモを先導した」との容疑で逮捕するという暴挙を働いた。

私たちはこの不当逮捕・弾圧を絶対に許さない。いますぐ、拘留されている当該を解放しろ!

 

さて、警察には他にもたくさん言いたいことがたくさんありますが、たくさんありすぎるので次に移ります。

 

今月だけで既に2回にわたり、朝鮮の飛翔体が日本の「上空」を飛行したからとJアラートなるものが発動されました。一部の電車は運転をやめたり、テレビも新聞も、ネットニュースも騒ぎまくります。

国際宇宙ステーションの高度をさらに上回る軌道に沿ってものの数分で過ぎ去るものを、まるで日本を標的にミサイルが放たれたかの如く騒ぎ立て、恐ろしい危機に瀕しているかのような演出がなされてもそれにのせられないことを皆さんに訴えます。

なぜなら、国家はそうやって「敵」からの脅威を煽り民衆の恐怖を利用することで戦争へと駆り立てていくからです。

水爆実験にナーバスになっているかたもいるかもしれませんが、日-米-韓による対朝鮮軍事圧力こそが朝鮮半島の非核化を阻んでいるということをしっかりと認識してください。世界でもっとも危険な核保有国は唯一実戦使用までした、それも二度も、アメリカであることは明らかなことであり、そのアメリカとの間で朝鮮戦争がいまだ終戦に至っておらず、日本、韓国に米軍を置き「合同軍事演習」という実質的な対朝鮮戦争演習によって脅威を与え続けているのですから。

朝鮮が脅威なのではなく、日本こそが世界に対する脅威なのです。

 

そもそも朝鮮や中国に対しても日本こそ侵略した側であり、それについて賠償も怠ってきている事実を忘れてはなりません。

そして、「戦後」と呼ばれる時代にあってもなお日本はアメリカの侵略にいつも真っ先に賛同して協力してきました。

朝鮮戦争に始まってベトナム戦争イラク戦争と参加・協力してきた事実を決して忘れてはなりません。

 

戦争に加担してきた「戦後史」を記憶し続けることは、「戦後平和だった日本」という幻想とはハッキリと異なる認識を示すということです。

反戦平和運動のなかでも、まるで安倍政権になってはじめて戦争の危機が生じているかのような主張のされかたを見聞きすることがありますが、それではこれまでの日本の戦争加担の在り方についてはこれを認めてしまうことになります。

 

歴史を教訓として記憶し続けるのは同じ過ちを繰り返さないためです。

 

関東大震災時に起こった朝鮮人虐殺の追悼式に対して追悼文を送ることを拒否した小池百合子東京都知事は、それについての見解を問われ「関東大震災で犠牲となられた全ての方々への追悼の意を表」すと応えました。

さて、ここに朝鮮人虐殺の被害者たちは含まれるでしょうか?

朝鮮人虐殺の被害者とは果たして「関東大震災の犠牲」になったのでしょうか?

明らかに違うでしょう。

地震という自然災害によってではなく日本人によって殺されたのです。

小池百合子東京都知事はさらに朝鮮人虐殺そのものについても「様々な見方がある」「歴史家がひもとくもの」としてついにその事実を認めるに至りませんでした。これは実質的に朝鮮人虐殺の事実を否定する行為です。

また財務大臣と副総理大臣という立場にある麻生太郎が「ヒトラーの動機が正しかった」という旨の発言したこともご存知かと思います。麻生は過去に憲法を変えるために「ナチスの手法を見習うべき」という趣旨の発言もしています。

ヒトラーの動機が導いた結果がユダヤ人をはじめとした、ロマ族、障害者、同性愛者、「エホバの証人」を信仰する者たち、社会主義者など政治犯にされていた者たちに対する大量虐殺であったことら揺るぎない歴史の事実です。

 

東京都知事、そして副総理大臣という大きな権力を行使する者らが虐殺の歴史を否定・歪曲ましてや正当化するとき、その影響は社会全体へと波及していきます。

 

そしてそれは虐殺の再現にまで行き着きかねない恐ろしさがあります。

いえ、すでにそれは起きてしまっています。

 

昨年の7月に神奈川県相模原市にある障害者福祉施設で元職員による19人もの命を奪い26人が重傷を負う最悪の事件がおきて1年と2ヶ月になります。

この事件が日本社会に突きつけた問題に対して私たちは果たして正面から向き合ってこれたでしょうか。

麻生発言に対してこの社会がどんな態度をとるかはとても重要な意味があります。

私たちは絶対に麻生太郎を許してはならないし、辞職へと追い込む責任があります。

小池百合子に対しても同様です。

この者たちの発言は虐殺の扇動として罪に問われなければならないことを強く皆さんに訴えます。

 

「日本こそが世界に対する脅威」と先に述べましたが、相模原の事件は日本という国家社会がその内に暮らす人々に対しても、その生存権を脅かし脅威に晒していることを示しています。 

 

障害者たち、

 

そして、生活保護を申請しても窓口ではねのけられる餓死や自殺に追い込まれるひとたち、

 

そして、行政によって公園のテントが破壊され住む場所を奪われている野宿者たち、

 

そして、国策差別が扇動する暴言、暴力、果てには放火にまで至るヘイトクライムの被害にあう在日朝鮮人たち、

朝鮮学校に対する無償化除外という国策差別に対して大阪地裁での画期的な判決がくだされたにもかかわらず、続く東京地裁ではあらためてこの国策差別を容認する不当判決がくだされてしまいました。

 

そして、米軍基地が集中する沖縄で米軍による暴力にさらされ続ける沖縄の人たち、

沖縄に対する構造的差別は米軍による被害だけでなく、新基地建設に反対する人をひき逃げするというほどのおぞましいヘイトクライムを招いています。

 

そして、入管に無期限の拘留状態に置かれ、職員による日常的な虐待に晒されている人たち、

 

そして、今も放射性物質を垂れ流し続けの状況で、なおも汚染地域から避難する権利を保障されず被曝され続けている人びと、被爆労働者たち、

東電が認めて公表しているだけでも3.11以降に福島原発1号機の作業員のうち17名が亡くなっています。

すでに川内(1.2号機)・伊方(3号機)・高浜(3.4号機)の原発を稼動させてしまっていますが、さらにここにきて福島原発事故を引き起こした東京電力新潟県柏崎刈羽原発6、7号機を再稼動させようとしています。

 

そして女性たち、

性暴力被害を告発しても死ぬ気で抵抗しなければ合意とみなす司法や、被害女性の服装や職業などを詮索して「落ち度」探しをはじめたり、加害者の男性が著名人であれば「売名行為」だの「ハニートラップ」だのと被害者バッシングが起きるような女性差別社会は女性に対する暴力を扇動し続けています。

 

そして、すべての死刑囚たち、

 

他にもたくさんありますので挙げきれませんが、これらの存在が面している危機は外からやってきているのではありません。それは日本政府であったり、もっと大きな日本という国家社会全体によってもたらされているのです。

 

私たちが反戦を訴えるとき、朝鮮への敵視政策をやめ、日米安保の廃棄・自衛隊の解体を訴えるとき、日本が侵略されたらどうするのだと言う人がいます。

しかし、日本という国家社会それ自体がその住民に対して殺し続けているという破綻した状況、さらには世界に向けて虐殺の加担を続けている状況を前にして「侵略されたらどうする」という問い自体が甚だおかしなものだと気付かされます。

なくなればいいじゃないですか、なくしたほうがいいじゃないですか、日本なんて。ともに生きていく社会を創りあげるためには日本をやめるしかないんじゃないかと思うのです。

 

だから、みなで唱えましょう。

はんにちわー!!!

 

 

四条河原町の交差点にさしかかろうとしたとき、赤信号でみんながとまると、

とつぜん警官が参加者のひとりに対して「主催者!前へ進むように言いなさい!」と拡声器を通して大きな声で何度も何度も言ってきました。

デモなので、もちろん前へは進んでいるし、進んできたからここまで来てるのです。

なのに大声で何度も何度も。

警察は、自分たちがリーダーをいただくピラミッド型の組織だからか、

私たちに対しても「リーダー」を見つけ出そうとし、「リーダー」に言うことをきかせようとしてきます。

しかし、私たちはいわゆる「リーダー」をつくりません。

誰もが対等に参加し、提案し、議論し、尊重し合い、選びとっていくのです。

権力を偏在させることが、私たちの生きづらい状況をつくっているのに、

自分たちのつながりの中に、同じように権力を偏在させようとすればそれは矛盾です。

どの参加者も、自分の思いを持って、自分の判断でここに集まっているのです。

 

と、そのとき、歩道をもそもそついて歩いてきていた公安が、ビデオカメラをこちらに向けているのに気づきました。

こんなとき、見ないふりして前に進んではいけません。

警察による撮影は、違法です。きちんと抗議して、やめさせなければいけません。

みんな口々に「撮影やめろ!」と言って公安につめよります。

撮影に猛烈に抗議するわたしたち

「デモ隊は前へ進みなさい!」と叫ぶ制服警官。中には抗議する私たちに向かって「早よ進めと言うとるんじゃ!!」とか「さっさと行けやっオラァ!」と物凄い形相で怒鳴り散らす者までいました。

 

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↑物凄い形相で怒鳴ってきた警察官

 

それらをけげんそうに見つめるバス待ちの人びと。

公安は最初、私たちの抗議が聞こえないような顔をしていましたが、ビデオカメラをしまいました。

警察は 自由なデモを じゃまするな

 

シュプレヒコール

日の丸を 焼こう 破こう 降ろそうよ

君が代を 流すのやめろ 歌わんぞ

天皇制 差別の根源 なくそうよ

「陛下」とか 「様」「様」つけるの やめましょう

「国民」に 統合されるの 拒否しよう

ヤスクニは 軍事施設だ つぶそうよ

入管は 殺人施設だ つぶそうよ

米軍の 押しつけゆるさん 沖縄へ

米軍は 世界のどこにも いらないぞ

自衛隊 日本の軍隊 なくそうよ

朝鮮の 敵視をやめろ いますぐに

国籍で ひとの生き方 せばめるな

廃止しよう 差別を生み出す 戸籍制度

やめにしよう 排除の祭典 オリンピック

 

 

その後も公安はデモのゴールに近い祇園の交差点までずっとついてきました。

そして、わたしたちが公園にさしかかると、違法に撮影したことを謝りもせず、そそくさと帰って行きました。これはとんでもないと思い、私たちはまだその場にいた所轄の警察官たち(東山署)に「撮影していた公安を呼んでこい。デモも終わって撮影の必要がなかったことも証明されたのだから私たちの眼の前で撮影したものを消させろ」と当然の要求しました。しかし、東山署の警察官らは「もうデモは終わりましたので」と言って逃げるように帰っていきます。

なので「違法な撮影を許すな!」「身内の犯罪をかばうな!」と逃げていく背中を追いかけながら叫び続けましたが、最終的には逃げられました。公安による盗撮については改めて抗議をしたいと思っています。

 

権力は、それに対し異議を申し立てる者をいつも黙らせようとします。

おとなしく言うことをきいていたら、しあわせになれるのでしょうか。

そんなことはないということは、この何十年かの歴史を見ても明らかです。

差別は、日増しにあらわになり、黙っていればいるほど、差別される者は排除され、

生きることをはばまれ、見えなくされていきます。

 

路上で、まちかどで、今いるところで、声をあげていくことをやめてはいけません。

 

わたしたちはこれからも、声をあげ続けます。

 

**かんじ つかって いません**

はん に ちわ!

ぜんかい の よる でも が すずしく て ぐあい よかっ た ので、 9 つき は ゆう でも という こと で よてい しました。


きこう も すっかり あきめいて、 おおく の みなさん が まちのぞんだ さん れんきゅう、 
なんと!ひじょう に つよい たいふう 18 ごう (たりむ) さん が
わたしたち の でも に さんか したい と ばかり に、 きんき ちほう を めざして ほくじょう して きて いると いうで は ありません か。
きほん、 しゅし に さんどう して いただける の であれ ば うぇるかむ で は ある の です が、 
ちょくげき と なると、 こうつう きかん に えいきょう が でたり して、 
た の さんかしゃ が あつまれなく なったり、 かえれなく なったり します。
ひとばん、 たいふう じょうほう と にらめっこ しながら だした こたえは、 
「よていどおり やりましょ」


あんうん たちこめる きょうと しない。 まだ にちぼつ まで は じかん が あると いうのに、 なんだか うすぐらい です。 あめ が いま に も ふりだしそう。
すたーと じてん で ついた けいかん は 3 ひと。 いつも は 2 ひと な のに、 たいふう しふと かしら?と おもったら、 
それ と は べつに、 ぼうし を かぶった めつき の わるい いちぐん が、 こちら を にらんで いるで は ありません か。
そう、 こうあん けいさつ です。
よんで ない よ!( けいび けいさつ も もちろん よんで ない)

 

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じつは、 でも しんせい の とき から すこし ようす が ちがって いました。
わざわざ きょか じょうけん (ほんらい、 でも は けんり な ので、 きょか とか なんせんす な ん だ けど ね) を よみあげたり、 あろう こと か、 「さつえい する」 と よこく して きたり。
もちろん、 さつえい は いほう です ので、 もし さつえい を はじめたら、 とうぜん こうぎ しましょう ね。 と おもいながら あるきはじめた の です が、 うし ろ から なにやら みょう な 圧 が … … ふりむくと、 けいさつ の おおがた じんいん ゆそうしゃ (つうしょう 「かまぼこ」) が ついて きてる。
よんで ない よ!

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《すぴーち》
みなさん、 はん に ちわ!はんにち ひこくみん しゅうだん です ♪

まいど の よう に でも を して ます が、 きょう は まず いま わたしたち に つきまとって いる きょうと ふけい ちゅうきょうしょ の けいさつたち に こうぎ する ところ から はじめたい と おもいます。

みなさん、 そもそも でも という の は わたしたち の じゆう であり、 ほんらい だれ から も きょか を うける よう な もの であっ て は いけません。 しかし、 ふとう な こうあん じょうれい によって それ が きょうせい されて いるという じょうきょう に あります。
わたしたち は こうあん じょうれい の ふとうせい と その はいし を うったえます。

そして、 けいさつたち へ。 ふとう な こうあん じょうれい を たて に じゆう な でも にたいする かんしょう を する の を やめろ!せんじつ、 でも の 「きょかしょう」 を とりに いった さい に、 けいび かちょう まで つれて きて でも の きょか じょうけん について わざわざ かくにん し、 それ を まもる こと を やくそく させよう と した こと について こうぎ する。
そもそも じゆう な でも にたいして 「きょか じょうけん」 など という ふとう な じょうけん を つけられるなど と かんちがい を するな!
どうろ の ひだりはし に よれだ と か、 はやく あるけなど という の は まったく ふとう な でも にたいする かんしょう であり、 そんな こと を われわれ は ゆるさない!
そして、 ふとう な 「きょか じょうけん」 が まもられなけれ ば でも さんかしゃ を さつえい すると おどしを かけて きた こと にたいして、 これ にたいする てっかい と しゃざい を ようきゅう する!
きょうとふがく れん じけん の はんれい において けいさつかん による さつえい が きょよう される の は 「げんに はんざい が おこなわれ もしくは おこなわれた のちかん が ない と みとめられる ばあい であっ て、 しかも しょうこ ほぜん の ひつようせい および きんきゅうせい が あり、 かつ その さつえい が いっぱんてき に きょよう される げんど を こえない そうとう な ほうほう を もって おこなわれる とき である」 と されて おり、 これ は それ を みたさない かぎり は けいさつかん の さつえい は いほう である こと を しめして いる。
こんかい、 ちゅうきょうしょ が でも の 「きょか じょうけん」 が まもられなけれ ば さつえい すると おどしを かけた という こと は けいさつ が 「きょか じょうけん」 いはん を 「はんざい が おこなわれて いる」 じょうきょう として にんしき して いる こと を しめすが、 こんな とんでも ない こと を ゆるす わけ に は いかない。
しょかつ けいさつしょ および こうあん いいんかい が ふして くる 「きょか じょうけん」 なる もの にたいして あたかも ほう として の けんりょく が あるか の よう に あつかい、 とりしまり の きじゅん と する こと は、 あきらか に けいさつけん および ぎょうせいけん の らんよう であり けんぽう いはん である。
これ を ゆるして しまえば、 けいさつ および こうあん いいんかい は でも にたいして 「きょか じょうけん」 を もって いくらでも じゆう に きせい できる こと に なって しまう。 そんな ばかげた こと を ゆるして は ならない!
でも は じゆう だ!
きょうと ふけい よ!あなたら の なかま である とうきょう の けいしちょう こうあんぶ は けいさんしょう まえ で だつげんぱつ を うったえる しみん を 「むとどけ でも を せんどう した」 と の ようぎ で たいほ するという ぼうきょ を はたらいた。
わたしたち は この ふとう たいほ ・ だんあつ を ぜったい に ゆるさない。 いま すぐ、 こうりゅう されて いる とうがい を かいほう しろ!

さて、 けいさつ に は た に も たくさん いいたい こと が たくさん あります が、 たくさん ありすぎるので つぎに うつります。

こんげつ だけ で すでに 2 かい にわたり、 ちょうせん の ひしょうたい が にっぽん の 「じょうくう」 を ひこう した から と J あらーと なる もの が はつどう されました。 いちぶ の でんしゃ は うんてん を やめたり、 てれび も しんぶん も、 ねっと にゅーす も さわぎまくります。
こくさい うちゅう すてーしょん の こうど を さらに うわまわる きどう に そって もの の すうふん で すぎさる もの を、 まるで にっぽん を ひょうてき に みさいる が はなたれた か の ごとく さわぎたて、 おそろしい きき に ひん して いるか の よう な えんしゅつ が なされて も それ に のせられない こと を みなさん に うったえます。
なぜなら、 こっか は そう やって 「てき」 から の きょうい を あおり みんしゅう の きょうふ を りよう する こと で せんそう へ と かりたてて いくから です。
すいばく じっけん に なーばす に なって いる かた も いるかも しれません が、 ひ - べい - かん による たい ちょうせん ぐんじ あつりょく こそ が ちょうせんはんとう の ひかくか を はばんで いるという こと を しっかり と にんしき して ください。 せかい で もっとも きけん な かくほゆうこく は ゆいいつ じっせん しよう まで した、 それ も にど も、 あめりか である こと は あきらか な こと であり、 その あめりか と の ま で ちょうせん せんそう が いまだ ていせん に いたって おらず、 にっぽん、 かんこく に べいぐん を おき 「ごうどう ぐんじ えんしゅう」 という じっしつてき な たい ちょうせん せんそう えんしゅう によって きょうい を あたえつづけて いる の です から。
ちょうせん が きょうい な の で は なく、 にっぽん こそ が せかい にたいする きょうい な の です。

そもそも ちょうせん や ちゅうごく にたいして も にっぽん こそ しんりゃく した がわ であり、 それ について ばいしょう も おこたって きて いる じじつ を わすれて は なりません。
そして、 「せんご」 と よばれる じだい に あって も なお にっぽん は あめりか の しんりゃく に いつも まっさき に さんどう して きょうりょく して きました。
ちょうせん せんそう に はじまって べとなむ せんそう、 いらく せんそう と さんか ・ きょうりょく して きた じじつ を けっして わすれて は なりません。


せんそう に かたん して きた 「せんごし」 を きおく しつづける こと は、 「せんご へいわ だった にっぽん」 という げんそう と は はっきり と ことなる にんしき を しめすという こと です。
はんせん ・ へいわ うんどう の なか で も、 まるで あべ せいけん に なって はじめて せんそう の きき が しょうじて いるか の よう な しゅちょう の され かた を みきき する こと が あります が、 それでは これ まで の にっぽん の せんそう かたん の ありかた について は これ を みとめて しまう こと に なります。


れきし を きょうくん として きおく しつづける の は おなじ あやまち を くりかえさない ため です。


かんとうだいしんさいじ に おこった ちょうせんじん ぎゃくさつ の ついとうしき にたいして ついとう ぶん を おくる こと を きょひ した こいけ ゆりこ とうきょう とちじ は、 それ について の けんかい を とわれ 「かんとうだいしんさい で ぎせい と なられた すべて の かたがた へ の ついとう の い を ひょう」 すと こたえました。
さて、 ここ に ちょうせんじん ぎゃくさつ の ひがいしゃたち は ふくまれるでしょう か?

ちょうせんじん ぎゃくさつ の ひがいしゃ と は はたして 「かんとうだいしんさい の ぎせい」 に なった の でしょう か?
あきらか に ちがうでしょう。
じしん という しぜん さいがい によって で は なく にっぽんじん によって ころされた の です。
こいけ ゆりこ とうきょう とちじ は さらに ちょうせんじん ぎゃくさつ そのもの について も 「さまざま な みかた が ある」「れきしか が ひもとく もの」 として ついに その じじつ を みとめるに いたりませんでした。 これ は じっしつてき に ちょうせんじん ぎゃくさつ の じじつ を ひてい する こうい です。
また ざいむ だいじん と ふくそうり だいじん という たちば に ある あそう たろう が 「ひとらー の どうき が ただしかっ た」 という むね の はつげん した こと も ごぞんじ か と おもいます。 あそう は かこ に けんぽう を かえる ため に 「なちす の しゅほう を みならうべき」 という しゅし の はつげん も して います。
ひとらー の どうき が みちびいた けっか が ゆだやじん を はじめ と した、 ろま ぞく、 しょうがいしゃ、 どうせいあいしゃ、 「えほば の しょうにん」 を しんこう する ものたち、 しゃかい しゅぎしゃ など せいじはん に されて いた ものたち にたいする たいりょう ぎゃくさつ であった ことら ゆるぎない れきし の じじつ です。


とうきょう とちじ、 そして ふくそうり だいじん という おおきな けんりょく を こうし する ものら が ぎゃくさつ の れきし を ひてい ・ わいきょく ましてや せいとうか する とき、 その えいきょう は しゃかい ぜんたい へ と はきゅう して いきます。


そして それ は ぎゃくさつ の さいげん に まで いきつきかねない おそろしさ が あります。
いえ、 すでに それ は おきて しまって います。


さくねん の 7 つき に かながわけん さがみはらし に ある しょうがいしゃ ふくし しせつ で もとしょくいん による 19 ひと も の いのち を うばい 26 ひと が じゅうしょう を おう さいあく の じけん が おきて 1 とし と 2 かげつ に なります。
この じけん が にっぽん しゃかい に つきつけた もんだい にたいして わたしたち は はたして しょうめん から むきあって これたでしょう か。
あそう はつげん にたいして この しゃかい が どんな たいど を とるか は とても じゅうよう な いみ が あります。
わたしたち は ぜったい に あそう たろう を ゆるして は ならない し、 じしょく へ と おいこむ せきにん が あります。
こいけ ゆりこ にたいして も どうよう です。
この ものたち の はつげん は ぎゃくさつ の せんどう として つみ に とわれなけれ ば ならない こと を つよく みなさん に うったえます。

「にっぽん こそ が せかい にたいする きょうい」 と さき に のべました が、 さがみはら の じけん は にっぽん という こっか しゃかい が その うち に くらす ひとびと にたいして も、 その せいぞんけん を おびやかし きょうい に さらして いる こと を しめして います。 

しょうがいしゃたち、 

そして、 せいかつ ほご を しんせい して も まどぐち で はねのけられる がし や じさつ に おいこまれる ひとたち、 

そして、 ぎょうせい によって こうえん の てんと が はかい されすむ ばしょ を うばわれて いる のじゅくしゃたち、 

そして、 こくさく さべつ が せんどう する ぼうげん、 ぼうりょく、 はて に は ほうか に まで いたる へいとくらいむ の ひがい に あう ざいにち ちょうせんじんたち、 
ちょうせん がっこう にたいする むしょうか じょがい という こくさく さべつ にたいして おおさか ちさい で の かっきてき な はんけつ が くだされた に も かかわらず、 つづく とうきょう ちさい で は あらためて この こくさく さべつ を ようにん する ふとう はんけつ が くだされて しまいました。

そして、 べいぐん きち が しゅうちゅう する おきなわ で べいぐん による ぼうりょく に さらされつづける おきなわ の ひとたち、 
おきなわ にたいする こうぞうてき さべつ は べいぐん による ひがい だけ でなく、 しんきち けんせつ に はんたい する ひと を ひきにげ すると いうほど の おぞましい へいとくらいむ を まねいて います。


そして、 にゅうかん に むきげん の こうりゅう じょうたい に おかれ、 しょくいん による にちじょうてき な ぎゃくたい に さらされて いる ひとたち、 

そして、 いま も ほうしゃせい ぶっしつ を たれながし つづけの じょうきょう で、 なおも おせん ちいき から ひなん する けんり を ほしょう されず ひばく されつづけて いる ひとびと、 ひばく ろうどうしゃたち、 
とうでん が みとめて こうひょう して いるだけ で も 3.11 いこう に ふくしま げんぱつ 1 ごうき の さぎょういん の うち 17 な が なくなって います。
すでに かわうち (1.2 ごうき) ・ いかた (3 ごうき) ・ たかはま (3.4 ごうき) の げんぱつ を かどう させて しまって います が、 さらに ここ に きて ふくしま げんぱつ じこ を ひきおこした とうきょうでんりょく が にいがたけん の かしわざき かりわ げんぱつ 6、 7 ごうき を さいかどう させよう と して います。

そして じょせいたち、 
せい ぼうりょく ひがい を こくはつ して も しぬ き で ていこう しなけれ ば ごうい と みなす しほう や、 ひがい じょせい の ふくそう や しょくぎょう など を せんさく して 「おちど」 さがしを はじめ たり、 かがいしゃ の だんせい が ちょめいじん であれ ば 「ばいめい こうい」 だの 「はにーとらっぷ」 だの と ひがいしゃ ばっしんぐ が おきる よう な じょせい さべつ しゃかい は じょせい にたいする ぼうりょく を せんどう しつづけて います。

そして、 すべて の しけいしゅうたち、 

た に も たくさん あります ので あげきれません が、 これら の そんざい が めんして いる きき は そと から やってきて いる の で は ありません。 それ は にっぽん せいふ であったり、 もっと おおきな にっぽん という こっか しゃかい ぜんたい によって もたらされて いる の です。

わたしたち が はんせん を うったえる とき、 ちょうせん へ の てきし せいさく を やめ、 にち べい あんぽ の はいき ・ じえいたい の かいたい を うったえる とき、 にっぽん が しんりゃく されたら どう する の だ と いう ひと が います。
しかし、 にっぽん という こっか しゃかい それ じたい が その じゅうみん にたいして ころしつづけて いるという はたん した じょうきょう、 さらに は せかい に むけて ぎゃくさつ の かたん を つづけて いる じょうきょう を まえ に して 「しんりゃく されたら どう する」 という とい じたい が はなはだ おかしな もの だ と きづかされます。
なくなれば いい じゃ ないです か、 なくした ほう が いい じゃ ないです か、 にっぽん なんて。 ともに いきて いく しゃかい を つくりあげる ため に は にっぽん を やめるしか ない ん じゃ ない か と おもう の です。

だから、 みな で となえましょう。
はん に ちわ ー!!!

 

 

しじょう かわらまち の こうさてん に さしかかろう と した とき、 あかしんごう で みんな が とまると、 
とつぜん けいかん が さんかしゃ の ひとり にたいして 「しゅさいしゃ!まえ へ すすむ よう に いいなさい!」 と かくせいき をとおして おおきな こえ で なんど も なんど も いって きました。
でも な ので、 もちろん まえ へ は すすんで いるし、 すすんで きた から ここ まで きてる の です。
なのに おおごえ で なんど も なんど も。
けいさつ は、 じぶんたち が りーだー を いただく ぴらみっどがた の そしき だ から か、 
わたしたち にたいして も 「りーだー」 を みつけだそう と し、 「りーだー」 に いう こと を きかせよう と して きます。
しかし、 わたしたち は いわゆる 「りーだー」 を つくりません。
だれ も が たいとう に さんか し、 ていあん し、 ぎろん し、 そんちょう しあい、 えらびとって いく の です。
けんりょく を へんざい させる こと が、 わたしたち の いき づらい じょうきょう を つくって いるのに、 
じぶんたち の つながり の なか に、 おなじ よう に けんりょく を へんざい させよう と すれば それ は むじゅん です。
どの さんかしゃ も、 じぶん の おもい を もって、 じぶん の はんだん で ここ に あつまって いる の です。


と、 その とき、 ほどう を もそもそ ついて あるいて きて いた こうあん が、 びでおかめら を こちら に むけて いる の に きづきました。
こんな とき、 みない ふり して まえ に すすんで は いけません。
けいさつ による さつえい は、 いほう です。 きちんと こうぎ して、 やめさせなけれ ば いけません。
みんな くちぐち に 「さつえい やめろ!」 と いって こうあん に つめよります。
さつえい に もうれつ に こうぎ する わたしたち
「でもたい は まえ へ すすみなさい!」 と さけぶ せいふく けいかん。 なか に は こうぎ する わたしたち に むかって 「はや よ すすめと いうとる ん じゃ!!」 とか 「さっさと いけやっ おらぁ!」 と ものすごい ぎょうそう で どなりちらす もの まで いました。

 

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↑ものすごい ぎょうそう で どなって きた けいさつかん


それら を けげんそう に みつめる ばすまち の ひとびと。
こうあん は さいしょ、 わたしたち の こうぎ が きこえない よう な かお を して いました が、 びでおかめら を しまいました。


けいさつ は   じゆう な でも を   じゃ まするな


《しゅぷれひこーる》
ひのまる を   やこう   やぶこう   おろそう よ
きみがよ を   ながす の やめろ   うたわん ぞ
てんのうせい   さべつ の こんげん   なくそう よ
「へいか」 とか  「よう」「よう」 つけるの   やめましょう
「こくみん」 に   とうごう される の   きょひ しよう
やす くに は   ぐんじ しせつ だ   つぶそう よ
にゅうかん は   さつじん しせつ だ   つぶそう よ
べいぐん の   おしつけ ゆるさん   おきなわ へ
べいぐん は   せかい の どこ に も   いらない ぞ
じえいたい   にっぽん の ぐんたい   なくそう よ
ちょうせん の   てきし を やめろ   いま すぐ に
こくせき で   ひと の いきかた   せばめるな
はいし しよう   さべつ を うみだす   こせき せいど
やめ に しよう   はいじょ の さいてん   おりんぴっく

 


そのご も こうあん は でも の ごーる に ちかい ぎおん の こうさてん まで ずっと ついて きました。
そして、 わたしたち が こうえん に さしかかると、 いほう に さつえい した こと を あやまりも せず、 そそくさ と かえって いきました。 これ は とんでも ない と おもい、 わたしたち は まだ その ば に いた しょかつ の けいさつかんたち (ひがしやましょ) に 「さつえい して いた こうあん を よんで こい。 でも も おわって さつえい の ひつよう が なかっ た こと も しょうめい された の だ から わたしたち の め の まえ で さつえい した もの を けさせろ」 と とうぜん の ようきゅう しました。 しかし、 ひがしやましょ の けいさつかんら は 「もう でも は おわりました ので」 と いって にげる よう に かえって いきます。
なので 「いほう な さつえい を ゆるすな!」「みうち の はんざい を かばうな!」 と にげて いく せなか を おいかけながら さけび つづけました が、 さいしゅうてき に は にげられました。 こうあん による ととについて は あらためて こうぎ を したい と おもって います。


けんりょく は、 それ にたいし いぎ を もうしたてる もの を いつも だまらせよう と します。
おとなしく いう こと を きいて いたら、 しあわせ に なれる の でしょう か。
そんな こと は ない という こと は、 この なん じゅうねん か の れきし を みて も あきらか です。
さべつ は、 ひましに あらわ に なり、 だまって いれば いるほど、 さべつ される もの は はいじょ され、 
いきる こと を はばまれ、 みえなく されて いきます。


ろじょう で、 まち か ど で、 いま いる ところ で、 こえ を あげて いく こと を やめて は いけません。


わたしたち は これから も、 こえ を あげつづけます。

8月20日デモ報告*8がつ 20にち でも ほうこく

**ふたつめ かんじ つかって いません**

 

みなさん、はんにちわー

毎日毎日飽きずに暑いですね!
日中はできるだけ動かずに、涼しい部屋でごろんごろんしていたいものですね。
というわけで、今回は夜デモにしてみました。

夕闇迫る三条河原にぞくぞくと反日非国民が集まります。
夜だから、暗くてプラカードとか見えないかも…?って心配は無用です。
夜の河原町通りは、私たちのようなデモ隊がつまづかないようにでしょうか、
店のあかりや道路照明で、昼間のように明るいです。
そんな中を、いつものようにゆっくりと踏みしめるように歩いていきます。

《スピーチ》
〜通りをご通行中のみなさん、はんにちわ。反日非国民集団です。

 

アメリカ合衆国南部のヴァージニア州シャーロッツビルで白人至上主義を掲げる人種差別主義者らによる憎悪扇動

、憎悪殺人の映像が連日私たち含む世界へと発信されています。

みなさんは、これをどのように受けとめていらっしゃるでしょうか?

 

なかには「在特会」のような日本の排外主義団体をその姿に重ねてみたかたもいるかもしれません。

確かに、日本社会における排外主義もまたアメリカに引けを取らず激しくあります。「在特会」の登場を待たずともたとえば90年代の朝鮮学校に通う女生徒の制服を切り裂く「チマチョゴリ切り裂き事件」が頻発しました。2002年の日朝会談で「拉致事件」がクローズアップされ日本の朝鮮悪魔化が最高潮に達して以降、朝鮮学校生徒に対する暴行事件、学校への脅迫電話などは一層烈しいものとなりました。今年の5月には名古屋で在日朝鮮系の信用金庫に対する放火事件まで起きてしまいました。先日この事件に対して名古屋地裁で判決がくだされました。懲役2年、執行猶予4年だそうです。

白昼、たくさんの利用者がいてもおかしくなかった銀行への放火に対して懲役2年、それも執行猶予付きという判決をどう捉えていいのか私には言葉がありません。

 

韓国や中国からの観光客などに対して差別排外主義をあらわに入店・接客拒否をする商店や、接客と称して嫌がらせ行為に及ぶ事例も少なくありません。

そして、平和と自由をもとめる社会運動においてすら「国民なめんな!」といった私たち反日非国民を露骨に排除する言葉が選ばれ叫ばれ続けていたりもします。

排外主義はそれほど日本社会全体の隅々にまで蔓延しています。

それは日本政府という国家権力こそが差別排外主義を先導・扇動してきたからではないでしょうか。

 

2010年から続く朝鮮学校生徒に対する無償化除外という差別に対して、先月に大阪地裁で画期的な判決が出ました。国による朝鮮学校への無償化適用除外について「無償化法の趣旨を逸脱しており、違法、無効だ」として適用を義務付けたのです。

三権分立などとっくに形骸化しているといってよいほど日本の裁判所は国家が相手の裁判ではまともな判決を書いた試しがほとんどありません。そんな中で得られた勝訴は特別な意味があります。

排外主義を隠すこともなく国は控訴をしましたが、今すぐ差別を認めて、遡って支給をしろ!とみなさんも声をあげてください。

国が朝鮮学校に対する無償化除外を決定して以来、そして、昨年に文科相朝鮮学校に対する補助金支給について「通達」という圧力を加えてからはさらに拍車をかけるように、朝鮮学校に対する補助金支給を凍結する自治体が増えました。国が先導・扇動する差別はこうして地方へと拡大していき、また、メディアや文化人らの無責任な偏見・差別も垂れ流され、民間のヘイトクライムへとすべて繋がっているのです。

私たちは地方自治体に対しても国の差別政策になびくように補助金支給凍結などという差別を即刻あらためて在日朝鮮人の民族教育権を保障することを強く要求します。

 

そして、この差別・排外主義を利用しながら進められている軍事化にも私たちは抗っていきます。

在日朝鮮人に対する官民問わずふきあがる差別排外主義と朝鮮敵視政策は一体のものであり、朝鮮を悪魔化し「仮想敵」としてその脅威を煽ることによって政府は制度面も含めてこの社会の軍事化を正当化して進めてきました。秘密保護法も、戦争法も、共謀罪もみなそうです。

2006年以来すでに10年以上も続く朝鮮制裁に国会議員のうち誰1人として反対の声をあげたことのない状況を不問にしたまま「野党共闘」を叫ぶ運動はあまりに滑稽です。

 

戦争は差別を利用します。ひとびとを「敵」と「味方」にわけ、「敵国民」として朝鮮人を排除してきたし、「国家の安全保障」の名のもとに沖縄を米軍基地化して犠牲を強要してきました。

排他的かつ戦争主体としての「国民国家」というシステムが恣意的に引く境界線によって私たちの基本的な生の条件がいたるところで脅かされているのです。

日本で生まれ育ったにもかかわらず両親がオーバーステイだとして強制送還の危機におびえる家族がいます。

安価な労働力として搾取して使い捨てにされたあげく、入管に拉致監禁されている人々がいます。持病があるにもかかわらず、あるいは拘禁された生活の中で心身の健康が脅かされてもまともな医療を受けさせない虐待状況が入管ではまかりとおっていることを知ってください。

そして抗議してください。

 

そんな国民国家の「象徴」とされる天皇明仁が先週8月15日の全国戦没者追悼式で「過去を顧み、深い反省」と述べたことに対して、戦争を煽る安倍政権と比較しながら、明仁をまるで平和主義者のように賞賛する声があります。とんでもないナンセンスです。

明仁の父である天皇裕仁は侵略・植民地支配、大量殺戮の最高責任者でありながら敗戦後もその責任を一切とることなく自らの保身と引き換えに沖縄を米軍基地化しました。

そんな裕仁から天皇の地位を継承した明仁がその生涯をかけて成し遂げようとしたことは天皇侵略戦争・植民地支配責任をひたすら隠ぺいし、天皇制という戦争主体としての国民統合機能の存続です。

明仁が口を開くたびに上塗りされるのはこの日本社会の無責任の体系です。

 

無責任の体系、日本軍性奴隷制の被害女性たちに対する日本社会の態度はそれをもっともよくあらわしているように私には見えます。

対朝鮮軍事協力を目論む日韓政府による被害者を蚊帳の外においてなされた破廉恥でなんの正当性もない「日韓合意」に胡座をかき、公式謝罪と法的賠償、真相究明、記憶の継承、そして責任者処罰を訴える声に対して知らんふり、果ては逆ギレを続ける加害国日本の市民たち一人ひとりのなかに天皇制が息づいています。

 

天皇制と平和は共存不可能です。天皇制は戦争のためにあります。天皇制とは身分制です。天皇制とは差別の別名です。私たちはともに天皇制を潰すことを呼びかけます!

 


夏の夜は、みなさん少し開放的になるのでしょうか。
沿道からは、明らかに怒号ではない声援や、シュプレヒコールを唱和する声も。
私たちの太鼓のリズムに合わせてからだを揺らす人も見かけました。

シュプレヒコール
日の丸を 焼こう 破こう 降ろそうよ

君が代を 流すのやめろ 歌わんぞ

天皇制 差別の根源 なくそうよ

「陛下」とか 「様」「様」つけるの やめましょう

「国民」に 統合されるの 拒否しよう

ヤスクニは 軍事施設だ つぶそうよ

入管は 殺人施設だ つぶそうよ

米軍の 押しつけゆるさん 沖縄へ

米軍は 世界のどこにも いらないぞ

自衛隊 日本の軍隊 なくそうよ

朝鮮の 敵視をやめろ いますぐに

国籍で ひとの生き方 せばめるな

廃止しよう 差別を生み出す 戸籍制度

やめにしよう 排除の祭典 オリンピック

 

 

しかし、そんな私たちの声を、京都府警の警官たちは、
「前に進んで!!!」(←進んでるからここまで来てるがな…)
「(交差点を)渡りきって!!」(←言うてる間に渡りおわるがな…)
「左に寄ってください!!」(←これ以上左に寄ってええんか…?)
「もう8時になりますよ!!」(←誰も時間はきいてへんがな…)
等々、ものすごい大声でかきけそうとします。
「警察、うるさーい!」
警察は、なんとかして私たちの主張が人びとに伝わるのをじゃましたいのでしょうか。
ということは、もっともっと私たちは沿道にじっくりしっかり伝えていかなくてはなりませんね。
私たちは、沿道のみなさんに伝えたいことがあるからデモをしているわけで、
警察の怒声ばかりを聞かせる機会をわざわざつくっているわけではありません。

警察は 自由なデモを じゃまするな!!

さてさて、そんな「デモじゃまし隊」の警察、なぜか毎回四条大橋のあたりでヒートアップします。
警察が大声でデモをじゃましてくるものだから、私たちが抗議をしていると、
沿道から「交通のじゃまなんじゃ!」という声。
警察ではない、通行人の方からのご意見でした。

ねえみなさん、
日本に住む朝鮮人の女の子が、スカートを切られたり、
朝鮮にゆかりのある銀行が放火されたりしていて、
そんな差別を止めなくてはならないはずの政府は、朝鮮学校を高校無償化から不当に除外してるんですよ。
法務省入管は日本に住みたいという外国人を無期限で閉じ込め、満足な医療も与えず殺してるんですよ。
障害者を何人も惨殺したうえ、安倍首相にそれを手柄として報告してる人がいるんですよ。
政府と電力会社は地方に原子力発電所をおしつけ、原料の生産段階から被ばく労働を貧しい人におしつけ、
いざ原発が事故を起こしたら、避難しようとする人の生活の保障をしないどころか、
汚染された地域に戻ることを推奨することで、その地方の人びとを分断しているんですよ
政府は、そこに住む人が「いやだ」といっているのに、法をやぶってまで、美しい沖縄に軍事基地をつくって、
また人を殺す段取りをしようとしているんですよ。
日本の軍隊に騙されたりさらわれたりして、性奴隷にされた女の人を、
いまだにうそつきよばわりする人がたくさんいるんですよ。
日本の人を何百万人も殺したうえ、アジアの人を何千万人も殺した人は、
いまもあいかわらず「てんのう」って呼ばれて、下にも置かない扱いを受けてるんですよ。
そんなときに、いつもどおりぶいぶいと交通を動かしてていいんですか?
差別、排外をその仕組みに組み入れて、進めるほどに誰かを生きづらくさせていく、
こんな社会を、いつもどおりぶいぶいと動かしていてはいけません。

 


“そのために車が、バスが思うように進めなくなる、とまるこの瞬間・空間をどこまでも広げていきたいのです。
原発をとめ、死刑執行をとめ、入管による暴力をとめ、
天皇制が続くのをとめ、日の丸が掲げられるのをとめ、流れてくる君が代をとめ、
野宿者排除をとめ、排除の祭典であるオリンピックをとめ、
米軍基地建設をとめ、そもそも米軍基地の根拠ともなる日米安保体制をとめ、
朝鮮敵視政策をとめ、在日朝鮮人への差別政策をとめたいのです。
そして、みなさんの歩みをいったんとめて訴えを聞いて欲しいのです。”

 これは、とある活動家のことばです。
「交通のじゃまをすること」を、とても悪いこととして、できるだけ避けているうちに、
社会はどんどん差別の度合いを増しています。
そして「交通のじゃまをすること」を、とても悪いこととしながら、皇族や政府の「要人」が通る際の交通規制には
ものを言わないことを続けていたら、道路は為政者のものになってしまうじゃないですか。

道路は人民のものです。
人が通ったり、出会ったり、おしゃべりをしたり、何かを見たり見せたりするところです。

道路を取り戻しましょう。

 

*かんじ つかって いません*

 

みなさん、 はんにちわ ー

 

まいにち まいにち あきず に あつい です ね!

にっ ちゅう は できるだけ うごかず に、 すずしい へや で ごろん ごろん して いたい もの です ね。

という わけ で、 こんかい は よる でも に して みました。

ゆうやみ せまる さんじょう かわら に ぞくぞく と はんにち ひこくみん が あつまります。

よる だ から、 くらく て ぷらかーど とか みえない かも …?って しんぱい は むよう です。

よる の かわらまちどおり は、 わたしたち の よう な でもたい が つま づかない よう に でしょう か、 

みせ の あかり や どうろ しょうめい で、 ひるま の よう に あかるい です。

そんな なか を、 いつも の よう に ゆっくり と ふみしめる よう に あるいて いきます。

 

《すぴーち》

〜とおり を ごつうこう ちゅう の みなさん、 はんにちわ。 はんにち ひこくみん しゅうだん です。

 

あめりか がっしゅうこく なんぶ の ゔぁーじにあ しゅう、 しゃーろっつびる で はくじん しじょう しゅぎ を かかげる じんしゅ さべつ しゅぎしゃら による ぞうお せんどう、 ぞうお さつじん の えいぞう が れんじつ わたしたち ふくむ せかい へ と はっしん されて います。

みなさん は、 これ を どの よう に うけとめて いらっしゃるでしょう か?

 

なかには 「ざいとっかい」 の よう な にっぽん の はいがい しゅぎ だんたい を その すがた に かさねて みた かた も いるかも しれません。

たしか に、 にっぽん しゃかい における はいがい しゅぎ も また あめりか に ひけ を とらず はげしく あります。 「ざいとっかい」 の とうじょう を またず とも たとえば 90 ねんだい の ちょうせん がっこう に かよう じょ せいと の せいふく を きりさく 「ちまちょごり きりさき じけん」 が ひんぱつ しました。 2002 ねん の にっ ちょう かいだん で 「らち じけん」 が くろーずあっぷ され にっぽん の ちょうせん あくまか が さいこうちょう に たっして いこう、 ちょうせん がっこう せいと にたいする ぼうこう じけん、 がっこう へ の きょうはく でんわ など は いっそう はげしい もの と なりました。 ことし の 5 がつ に は なごや で ざいにち ちょうせんけい の しんようきんこ にたいする ほうか じけん まで おきて しまいました。 せんじつ この じけん にたいして なごや ちさい で はんけつ が くだされました。 ちょうえき 2 ねん、 しっこう ゆうよ 4 ねん だ そう です。

はくちゅう、 たくさん の りようしゃ が いて も おかしく なかった ぎんこう へ の ほうか にたいして ちょうえき 2 ねん、 それ も しっこう ゆうよつき という はんけつ を どう とらえて いい の か わたし に は ことば が ありません。

 

かんこく や ちゅうごく から の かんこう きゃく など にたいして さべつ はいがい しゅぎ を あらわ に にゅうてん ・ せっきゃく きょひ を する しょうてん や、 せっきゃく と しょうして いやがらせ こうい に およぶ じれい も すくなく ありません。

そして、 へいわ と じゆう を もとめる しゃかい うんどう において すら 「こくみん なめん な!」 といった わたしたち はんにち ひこくみん を ろこつ に はいじょ する ことば が えらばれ さけばれ つづけて いたり も します。

はいがい しゅぎ は それほど にっぽん しゃかい ぜんたい の すみずみ に まで まんえん して います。

それ は にっぽん せいふ という こっか けんりょく こそ が さべつ はいがい しゅぎ を せんどう ・ せんどう して きた から で は ないでしょう か。

 

2010ねん から つづく ちょうせん がっこう せいと にたいする むしょうか じょがい という さべつ にたいして、 せんげつ に おおさか ちさい で かっきてき な はんけつ が でました。 くに による ちょうせん がっこう へ の むしょうか てきよう じょがい について 「むしょうか ほう の しゅし を いつだつ して おり、 いほう、 むこう だ」 として てきよう を ぎむづけた の です。

さんけんぶんりつ など とっくに けいがいか して いると いって よい ほど にっぽん の さいばんしょ は こっか が あいて の さいばん で は まとも な はんけつ を かいた ためし が ほとんど ありません。 そんな なか で えられた しょうそ は とくべつ な いみ が あります。

はいがい しゅぎ を かくす こと も なく くに は こうそ を しました が、 いま すぐ さべつ を みとめて、 さかのぼって しきゅう を しろ!と みなさん も こえ を あげて ください。

くに が ちょうせん がっこう にたいする むしょうか じょがい を けってい して いらい、 そして、 さくねん に もんかしょう が ちょうせん がっこう にたいする ほじょきん しきゅう について 「つうたつ」 という あつりょく を くわえて から は さらに はくしゃ を かける よう に、 ちょうせん がっこう にたいする ほじょきん しきゅう を とうけつ する じちたい が ふえました。 くに が せんどう ・ せんどう する さべつ は こうして ちほう へ と かくだい して いき、 また、 めでぃあ や ぶんかじんら の むせきにん な へんけん ・ さべつ も たれながされ、 みんかん の へいとくらいむ へ と すべて つながって いる の です。

わたしたち は ちほう じちたい にたいして も くに の さべつ せいさく に なびく よう に ほじょきん しきゅう とうけつ など という さべつ を そっこく あらためて ざいにち ちょうせんじん の みんぞく きょういくけん を ほしょう する こと を つよく ようきゅう します。

 

そして、 この さべつ ・ はいがい しゅぎ を りよう しながら すすめられて いる ぐんじか に も わたしたち は あらがって いきます。

ざいにち ちょうせんじん にたいする かんみん とわず ふき あがる さべつ はいがい しゅぎ と ちょうせん てきし せいさく は いったい の もの であり、 ちょうせん を あくまか し 「かそう てき」 として その きょうい を あおる こと によって せいふ は せいどめん も ふくめて この しゃかい の ぐんじか を せいとうか して すすめて きました。 ひみつ ほごほう も、 せんそうほう も、 きょうぼうざい も みなそう です。

2006ねん いらい すでに 10 ねん いじょう も つづく ちょうせん せいさい に こっかい ぎいん の うち だれ ひとり として はんたい の こえ を あげた こと の ない じょうきょう を ふもん に した まま 「やとう きょうとう」 を さけぶ うんどう は あまりに こっけい です。

 

せんそう は さべつ を りよう します。 ひとびとを 「てき」 と 「みかた」 に わけ、 「てき こくみん」 として ちょうせんじん を はいじょ して きた し、 「こっか の あんぜん ほしょう」 の な の もと に おきなわ を べいぐん きちか して ぎせい を きょうよう して きました。

はいたてき かつ せんそう しゅたい として の 「こくみん こっか」 という しすてむ が しいてき に ひく きょうかいせん によって わたしたち の きほんてき な せい の じょうけん が いたる ところ で おびやかされて いる の です。

にっぽん で うまれそだった に も かかわらず りょうしん が おーばーすてい だ として きょうせい そうかん の きき に おびえる かぞく が います。

あんか な ろうどうりょく として さくしゅ して つかいすて に された あげく、 にゅうかん に らち かんきん されて いる ひとびと が います。 じびょう が あるに も かかわらず、 あるいは こうきん された せいかつ の なか で しんしん の けんこう が おびやかされて も まとも な いりょう を うけさせない ぎゃくたい じょうきょう が にゅうかん で は まかりとおって いる こと を しって ください。

そして こうぎ して ください。

 

そんな こくみん こっか の 「しょうちょう」 と される てんのう あきひと が せんしゅう 8 がつ 15 にち の ぜんこく せんぼつしゃ ついとうしき で 「かこ を かえりみ、 ふかい はんせい」 と のべた こと にたいして、 せんそう を あおる あべ せいけん と ひかく しながら、 あきひと を まるで へいわ しゅぎしゃ の よう に しょうさん する こえ が あります。 とんでも ない なんせんす です。

あきひと の ちち である てんのう ひろひと は しんりゃく ・ しょくみんち しはい、 たいりょう さつりく の さいこう せきにんしゃ であり ながら はいせんご も その せきにん を いっさい とる こと なく みずから の ほしん と ひきかえ に おきなわ を べいぐん きちか しました。

そんな ひろひと から てんのう の ちい を けいしょう した あきひと が その しょうがい を かけて なしとげよう と した こと は てんのう の しんりゃく せんそう ・ しょくみんち しはい せきにん を ひたすら いんぺい し、 てんのうせい という せんそう しゅたい として の こくみん とうごう きのう の そんぞく です。

あきひと が くち を ひらく たび に うわぬり される の は この にっぽん しゃかい の むせきにん の たいけい です。

 

むせきにん の たいけい、 にっぽんぐんせい どれいせい の ひがい じょせいたち にたいする にっぽん しゃかい の たいど は それ を もっとも よく あらわして いる よう に わたし に は みえます。

たい ちょうせん ぐんじ きょうりょく を もくろむ にっ かん せいふ による ひがいしゃ を かや の そと において なされた はれんち で なん の せいとうせい も ない 「にっ かん ごうい」 に あぐら を かき、 こうしき しゃざい と ほうてき ばいしょう、 しんそう きゅうめい、 きおく の けいしょう、 そして せきにんしゃ しょばつ を うったえる こえ にたいして しらん ふり、 はては ぎゃくぎれ を つづける かがいこく にっぽん の しみんたち ひとりひとり の なか に てんのうせい が いきづいて います。

 

てんのうせい と へいわ は きょうぞん ふかのう です。 てんのうせい は せんそう の ため に あります。 てんのうせい と は みぶんせい です。 てんのうせい と は さべつ の べつめい です。 わたしたち は ともに てんのうせい を つぶす こと を よびかけます!

 

 

 

なつ の よる は、 みなさん すこし かいほうてき に なる の でしょう か。

えんどう から は、 あきらか に どごう で は ない せいえん や、 しゅぷれひこーる を しょうわ する こえ も。

わたしたち の たいこ の りずむ に あわせて から だ を ゆらす ひと も みかけました。

 

 

《しゅぷれひこーる》

ひのまる を   やこう   やぶこう   おろそう よ

きみがよ を   ながす の やめろ   うたわん ぞ

てんのうせい   さべつ の こんげん   なくそう よ

「へいか」 とか  「さま」「さま」 つけるの   やめましょう

「こくみん」 に   とうごう される の   きょひ しよう

やすくに は   ぐんじ しせつ だ   つぶそう よ

にゅうかん は   さつじん しせつ だ   つぶそう よ

べいぐん の   おしつけ ゆるさん   おきなわ へ

べいぐん は   せかい の どこ に も   いらない ぞ

じえいたい   にほん の ぐんたい   なくそう よ

ちょうせん の   てきし を やめろ   いま すぐ に

こくせき で   ひと の いきかた   せばめるな

はいし しよう   さべつ を うみだす   こせき せいど

やめ に しよう   はいじょ の さいてん   おりんぴっく

 

 

 

しかし、 そんな わたしたち の こえ を、 きょうと ふけい の けいかんたち は、 

「まえ に すすんで!!!」(← すすんでるから ここ まで きてるが な …)

「(こうさてん を) わたりきって!!」(← ゆうてる ま に わたりおわるが な …)

「ひだり に よって ください!!」(← これ いじょう ひだり に よって ええ ん か …?)

「もう 8 じ に なります よ!!」(← だれ も じかん は きいて へん が な …)

とうとう、 ものすごい おおごえ で かきけそう と します。

「けいさつ、 うるさ ー い!」

けいさつ は、 なんと かして わたしたち の しゅちょう が ひとびと に つたわる の を じゃま したい の でしょう か。

という こと は、 もっと もっと わたしたち は えんどう に じっくり しっかり つたえて いかなく て は なりません ね。

わたしたち は、 えんどう の みなさん に つたえたい こと が あるから でも を して いる わけ で、 

けいさつ の どせい ばかり を きかせる きかい を わざわざ つくって いる わけ で は ありません。

 

けいさつ は   じゆう な でも を   じゃま するな!

 

さて さて、 そんな 「でも じゃま し たい」 の けいさつ、 なぜ か まいかい しじょう おおはし の あたり で ひーとあっぷ します。

けいさつ が おおごえ で でも を じゃま して くる もの だ から、 わたしたち が こうぎ を して いると、 

えんどう から 「こうつう の じゃま なんじゃ!」 という こえ。

けいさつ で は ない、 つうこうにん の ほう から の ごいけん でした。

 

ねえ みなさん、 

にっぽん に すむ ちょうせんじん の おんなのこ が、 すかーと を きられたり、 

ちょうせん に ゆかり の ある ぎんこう が ほうか されたり して いて、 

そんな さべつ を とめなく て は ならない はず の せいふ は、 ちょうせん がっこう を こうこう むしょうか から ふとう に じょがい してる ん です よ。

ほうむしょう にゅうかん は にっぽん に すみたい という がいこくじん を むきげん で とじこめ、 まんぞく な いりょう も あたえず ころしてる ん です よ。

しょうがいしゃ を なんにん も ざんさつ した うえ、 あべ しゅしょう に それ を てがら として ほうこく してる ひと が いる ん です よ。

せいふ と でんりょく かいしゃ は ちほう に げんしりょく はつでんしょ を おしつけ、 げんりょう の せいさん だんかい から ひばく ろうどう を まずしい ひと に おしつけ、 

いざ げんぱつ が じこ を おこしたら、 ひなん しよう と する ひと の せいかつ の ほしょう を しない どころか、 

おせん された ちいき に もどる こと を すいしょう する こと で、 その ちほう の ひとびと を ぶんだん して いる ん です よ

せいふ は、 そこ に すむ ひと が 「いや だ」 と いって いるのに、 ほう を やぶって まで、 うつくしい おきなわ に ぐんじ きち を つくって、 

また ひと を ころす だんどり を しよう と して いる ん です よ。

にっぽん の ぐんたい に だまされたり さらわれたり して、 せい どれい に された おんな の ひと を、 

いまだに うそつき よばわりする ひと が たくさん いる ん です よ。

にっぽん の ひと を なん びゃく まんにん も ころした うえ、 あじあ の ひと を なん ぜん まんにん も ころした ひと は、 

いま も あいかわらず 「てん のう」 って よばれて、 した に も おかない あつかい を うけてる ん です よ。

そんな とき に、 いつも どおり ぶいぶいと こうつう を うごかしてて いい ん です か?

さべつ、 はいがい を その しくみ に くみいれて、 すすめるほど に だれか を いき づらく させて いく、 

こんな しゃかい を、 いつも どおり ぶいぶいと うごかして いて は いけません。

 

“その ため に くるま が、 ばす が おもう よう に すすめなく なる、 とまる この しゅんかん ・ くうかん を どこ まで も ひろげて いきたい の です。

げんぱつ を とめ、 しけい しっこう を とめ、 にゅうかん による ぼうりょく を とめ、 

てんのうせい が つづく の を とめ、 ひのまる が かかげられる の を とめ、 ながれて くる きみがよ を とめ、 

のじゅくしゃ はいじょ を とめ、 はいじょ の さいてん である おりんぴっく を とめ、 

べいぐん きち けんせつ を とめ、 そもそも べいぐん きち の こんきょ と も なる にち べい あんぽ たいせい を とめ、 

ちょうせん てきし せいさく を とめ、 ざいにち ちょうせんじん へ の さべつ せいさく を とめたい の です。

そして、 みなさん の あゆみ を いったん とめて うったえ を きいて ほしい の です。 ”

 

 

これ は、 とある かつどうか の ことば です。

「こうつう の じゃま を する こと」 を、 とても わるい こと として、 できるだけ さけて いる うち に、 

しゃかい は どんどん さべつ の どあい を まして います。

そして 「こうつう の じゃま を する こと」 を、 とても わるい こと と しながら、 こうぞく や せいふ の 「ようじん」 が とおる さい の こうつう きせい に は

もの を いわない こと を つづけて いたら、 どうろ は いせいしゃ の もの に なって しまうじゃ ないです か。

 

どうろ は じんみん の もの です。

ひと が かよったり、 であったり、 おしゃべり を したり、 なにか を みたり みせたり する ところ です。

 

どうろ を とりもどしましょう。