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反天皇デモ!

 

 

 
****2つめは かんじ なし****
 
はんにちはー!
12月23日、アキヒトの誕生日だそうで、反天皇デモを行いました!
雨も降る寒いなか頑張っちゃいました。
 
素敵な横断幕ー!

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いつも警察は、デモ隊を歩道側に寄せて車を通そうとします。そんなことはさせない!何のために車道使用許可をわざわざ取ってると思ってんだ!
みんなで車線ギリギリを歩きました。案の定、警察は「左に寄れ」とうるさい。これ以上左傾化したら、もう、知りませんよ。。。
あるとき、沿道にいたひとがおもむろに公安キャップを被り、カメラを向けてくるではありませんか!
気付いたその場で、「警察は盗撮するな」とみんなで抗議しカメラをしまわせました。
 
盗撮犯はこのひと

 

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公安以外の沿道のひとからはときに「この国賊非国民が!」とわれわれの正体を見破っていただき、デモ隊のテンションが上がりました。笑
 
デモのスピーチとコールはこちらです。
 
<スピーチ>
 
今日12月23日は平成天皇アキヒトの誕生日であることをもって「祝日」とされていますが、みなさん不思議に思ったことありませんか?
どうしてある家系に生まれついただけで「〜様」と様付けで呼ばれたり「陛下」といった特別な敬称をこのひとたちはつけられるのか、と。
 
私たちはいまだに身分制社会に生きているのでしょうか?
日本国憲法は一方では人間の平等をうたっているにもかかわらず、他方で天皇制をも認めるという自己矛盾に陥っていますが、天皇制が存続する社会で私たちは真に人と人とが平等な社会を創造できるとは思えません。
 
そして現政権与党はさらに天皇の元首化を目論んでいます。これは何を意味するのでしょう?
日本という国家とその国民統合の象徴と位置付けられている天皇はこれまでも、多様な個々人の間にある差異やそこに生じる緊張関係を包み隠し、単一で排他的な「国民」という主体形成のために働いてきました。
この「国民」とはまさに国家のために殺し、殺されることを受け入れる戦争に動員される主体に他なりません。
明治憲法時代の「臣民」から名前が変わろうと、その本質は何も変わっていないのです。
天皇の元首化とはこの天皇の役割をさらに発展深化させるものです。
 
象徴天皇制へと以降して70年が経つなかで、それはあまりに私たちの生活に定着してしまっています。
日本で「祝日」とされているのは今日も含めてそのほとんどが天皇と関係して制定されたものであり、「昭和」や「平成」といった天皇制を基盤とした元号は日常的に使われます。アキヒトが憲法で制限された天皇の権限を大きく逸脱して「生前退位」を含む天皇制の今後の在り方について言及すれば、メディアも多くの「国民」もその違憲性をつっこむこともなく、一様に理解を示すありさまです。
人間の自由と平等という原則が前提に立つべき反戦平和運動のなかにおいてすら、今や、アキヒトは平和主義者でリベラルだとして、安倍政権を批判する際に持ち上げるほどです。
 
これほど社会の隅々にまで天皇制が定着してしまっているようにみえる一方で、それが暴力と恐怖によって支えられていることもまた見逃してはなりません。
というのも、天皇制に対する批判は、「戦前」はいわずもがな「戦後」も、一貫して暴力の標的になってきたからです。
文学作品からジャーナリズム、映画、芸能の世界までいたる分野においても、皇室に対して「不敬」とみなされた表現は襲撃の標的となってきたのであり、そのなかには死者を出した事例もあります。1990年には当時の長崎市長が、昭和天皇ヒロヒト戦争責任に触れたことで右翼から銃撃されました。
つい先月にも東京での反天皇制を訴えるデモに対して、デモ隊の車のフロントガラスを破壊したり負傷者が出るほどの襲撃が加えられました。天皇制批判に対するこうした度重なる襲撃にも関わらず、警察はデモ隊を弾圧することはあっても右翼による襲撃については選択的に見逃してきており、多くのメディアもまたこれに沈黙を貫いてきました。
天皇制はただ自然に私たちの社会に溶け込んでいるわけではありません、それは天皇制批判を暴力によって怖気させタブーとしながら浸透させてきたのです。
 
アキヒトは平和主義者でリベラル?あまりにナンセンスです。天皇とはその存在様式それ自体が反動なのです。
 
なるほど、アキヒトはそのソフトな語り口で、平和にむけての祈りや、平和憲法を大事にして欲しいという風なことを口にするかもしれませんが、むしろアキヒトが絶対に認めないことのほうに意味があり、それこそ天皇戦争責任です。
 
アキヒトの天皇という地位は、戦争責任者である昭和天皇ヒロヒトから継承したものであり、結局のとのろ象徴天皇制が象徴するものとは、植民地支配と侵略戦争に対する「戦後」日本社会の一貫した無責任の体系です。いえ、それだけではありません。ヒロヒトには兵士も民間人も含めた自国の戦争犠牲者、特に、敗戦をいたずらに遅らせ戦果を求めて沖縄を捨石とした沖縄戦と、広島・長崎の原爆投下を含めて責任があります。
 
象徴天皇制とはこうしたヒロヒト戦争責任を免責する形で天皇制を延命させるための制度であったのであり、そのためにヒロヒトはまたしても沖縄を日本から切り離し基地の島としてアメリカに差し出したのです。
日本全土に対して1%に満たない沖縄に在日米軍の74%が集中し続け、今も日本の機動隊や海上保安庁の剥き出しの暴力を行使しながら高江、辺野古への新基地建設が進められる沖縄のこの状況もまた、元凶を辿ると天皇制と結びつくのです。
 
もうこんな天皇制にうんざりだ。天皇制を許容し続ける日本社会にうんざりだ!
みなさん、天皇制を廃止しましょう!
 
・廃止しよう 差別の根元 天皇制!
 
・「陛下」とか 「様」「様」つけるの やめましょう!
 
・祝う日は 自分で決めるぞ 休む日も!
 
・使わんぞ 天皇時計の 元号を!
 
天皇戦争責任 無視するな!
 
ヒロヒトの 沖縄メッセージ 忘れんぞ!
 
・リベラルと アキヒト褒めるな ナンセンス!
 
・「国民」に 統合されるの 拒否しよう!
 
・ノーー…モアー……エンペラー!!!
 
・てーーーん………NO!!!(NOで腕をクロスさせ×マークをつくる)
 
****かんじ なし****
 
はんにちはー!
12がつ 23にち 、 あきひと の たんじょうび だ そう で、 はんてんのう でも を おこないました!
あめ も ふる さむい なか がんばっちゃ いました。
 
すてき な おうだんまく ー!

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いつも けいさつ は、 でもたい を ほどうがわ に よせて くるま を とおそう と します。 そんな こと は させない!なに の ため に しゃどう しよう きょか を わざわざ とってると おもって ん だ!
みんな で しゃせん ぎりぎり を あるきました。 あんのじょう、 けいさつ は 「ひだり に よれ」 と うるさい。 これ いじょう さけいか したら、 もう、 しりません よ。 。 。
ある とき、 えんどう に いた ひと が おもむろに こうあん きゃっぷ を こうむり、 かめら を むけて くるで は ありません か!
きづいた その ば で、 「けいさつ は ととするな」 と みんな で こうぎ し かめら を しまわせました。
 
とうさつはん は この ひと 

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こうあん いがい の えんどう の ひと から は とき に 「この こくぞく ひこくみん が!」 と われわれ の しょうたい を みやぶって いただき、 でもたい の てんしょん が あがりました。 えみ
 
でも の すぴーち と こーる は こちら です。 
 
<すぴーち>
 
きょう 12 がつ 23 にち は へいせい てんのう あきひと の たんじょうび である こと を もって 「しゅくじつ」 と されて います が、 みなさん ふしぎ に おもった こと ありません か?
どうして ある かけい に うまれついた だけ で 「〜 さま」 と「さま」づけ で よばれたり 「へいか」 といった とくべつ な けいしょう を この ひとたち は つけられる の か、 と。
 
わたしたち は いまだに みぶんせい しゃかい に いきて いる の でしょう か?
にほんこく けんぽう は いっぽう で は にんげん の びょうどう を うたって いるに も かかわらず、 たほう で てんのうせい を も みとめるという じこ むじゅん に おちいって います が、 てんのうせい が そんぞく する しゃかい で わたしたち は しんに ひと と ひと と が びょうどう な しゃかい を そうぞう できると は おもえません。
 
そして げんせいけん よとう は さらに てんのう の げんしゅか を もくろんで います。 これ は なに を いみ する の でしょう?
にほん という こっか と その こくみん とうごう の しょうちょう と いちづけられて いる てんのう は これ まで も、 たよう な ここじん の あいだ に ある さい や そこ に しょうじる きんちょう かんけい を つつみかくし、 たんいつ で はいたてき な 「こくみん」 という しゅたい けいせい の ため に はたらいて きました。
この 「こくみん」 と は まさに こっか の ため に ころし、 ころされる こと を うけいれる せんそう に どういん される しゅたい に ほか なりません。
めいじ けんぽう じだい の 「しんみん」 から なまえ が かわろう と、 その ほんしつ は なに も かわって いない の です。
てんのう の げんしゅか と は この てんのう の やくわり を さらに はってん しんか させる もの です。
 
しょうちょう てんのうせい へ と いこう して 70 ねん が たつ なか で、 それ は あまりに わたしたち の せいかつ に ていちゃく して しまって います。
にほん で 「しゅくじつ」 と されて いる の は きょう も ふくめて その ほとんど が てんのう と かんけい して せいてい された もの であり、 「しょうわ」 や 「へいせい」 といった てんのうせい を きばん と した げんごう は にちじょうてき に つかわれます。 あきひと が けんぽう で せいげん された てんのう の けんげん を おおきく  いつだつ して 「せいぜん たいい」 を ふくむ てんのうせい の こんご の ありかた に ついて げんきゅう すれば、 めでぃあ も おおく の 「こくみん」 も いちよう に それ に りかい を しめすあり さま です。
にんげん の じゆう と びょうどう と いう げんそく が ぜんてい に たつべき はんせん ・ へいわ うんどう の なか において すら、 いまや、 あきひと は へいわ しゅぎしゃ で りべらる だ として、 あべ せいけん を ひはん する さい に もちあげるほど です。
 
これ ほど しゃかい の すみずみ に まで てんのうせい が ていちゃく して しまって いる よう に みえる いっぽう で、 それ が ぼうりょく と きょうふ によって ささえられて いる こと も また みのがして は なりません。
というのも、 てんのうせい にたいする ひはん は、 「せんぜん」 は いわず も が な 「せんご」 も、 いっかん して ぼうりょく の ひょうてき に なって きた から です。
ぶんがく さくひん から じゃーなりずむ、 えいが、 げいのう の せかい まで、 いたる ぶんや において も、 こうしつ にたいして 「ふけい」 と みなされた ひょうげん は しゅうげき の ひょうてき と なって きた の であり、 その なか に は ししゃ を だした じれい も あります。 1990 ねん に は とうじ の ながさき しちょう が、 しょうわ てんのう ひろ ひと の せんそう せきにん に ふれた こと で うよく から じゅうげき されました。
つい せんげつ に も とうきょう で の はんてんのうせい を うったえる でも にたいして、 でもたい  の  くるま の ふろんと がらす を はかい したり ふしょうしゃ が でるほど の しゅうげき が くわえられました。 てんのうせいひはん  に  たいする  こうした  たびかさなる  しゅうげき に も かかわらず、 けいさつ は でもたい を だんあつ する こと は あって も うよく による しゅうげき について は せんたくてき に みのがして きて おり、 おおく の めでぃあ も また これ に ちんもく を つらぬいて きました。
てんのうせい は ただ しぜん に わたしたち の しゃかい に とけこんで いる わけ で は ありません、 それ は てんのうせい ひはん を ぼうりょく によって おじけさせ たぶー と しながら しんとう させて きた の です。
 
あきひと は へいわ しゅぎしゃ で りべらる?あまりに なんせんす です。 てんのう と は その そんざい ようしき それ じたい が はんどう な の です。
 
なるほど、 あきひと は その そふと な かたりくち で、 へいわ に むけて の いのり や、 へいわ けんぽう を だいじ に して ほしい という ふう な こと を くち に するか も しれません が、 むしろ あき ひと が ぜったい に みとめない こと の ほう に いみ が あり、 それ こそ てんのう の せんそう せきにん です。
 
あきひと の てんのう という ちい は、 せんそう せきにんしゃ である しょうわ てんのう ひろひと から けいしょう した もの であり、 けっきょく の ところ しょうちょう てんのうせい が しょうちょう する もの と は、 しょくみんち しはい と しんりゃく せんそう にたいする 「せんご」にほん しゃかい の いっかん した むせきにん の たいけい です。いえ、 それ だけ で は ありません。 ひろひと に は へいし も みんかんじん も ふくめた じこく の せんそう ぎせいしゃ、 とくに、 はいせん を いたずら に おくらせ せんか を もとめて おきなわ を すていし と した おきなわせん と、 ひろしま ・ ながさき の げんばく とうか を ふくめて せきにん が あります。
 
しょうちょう てんのうせい と は こうした ひろひと の せんそう せきにん を めんせき する かたち で てんのうせい を えんめい させる ため の せいど であった の であり、 その ため に ひろひと は また して も おきなわ を にほん から きりはなし きち の しま として あめりか に さしだした の です。
にほん ぜんど にたいして 1% に みたない おきなわ に ざいにちべいぐん の 74% が しゅうちゅう しつづけ、 いま も にほん の きどうたい や かいじょうほあんちょう の むきだし の ぼうりょく を こうし しながら たかえ、 へのこ へ の しんきち けんせつ が すすめられる おきなわ の この じょうきょう も また、 げんきょう を たどると てんのうせい と むすびつく の です。
 
もう こんな てんのうせい に うんざり だ。 てんのうせい を きょよう しつづける にっぽん しゃかい に うんざり だ!
みなさん、 てんのうせい を はいし しましょう!
 
<しゅぷれひこーる>
 
・ はいし しよう   さべつ の こんげん   てんのうせい!
 
・ 「へいか」 とか  「さま」「さま」 つけるの   やめましょう!
 
・ いわう ひ は   じぶん で きめるぞ   やすむ ひ も!
 
・ つかわんぞ   てんのう とけい の   げんごう を!
 
・ てんのう の   せんそう せきにん   むし するな!
 
・ ひろひと の   おきなわ めっせーじ   わすれんぞ!
 
・ りべらる と   あきひと ほめるな   なんせんす!
 
・ 「こくみん」 に   とうごう される の   きょひ しよう!
 
・ のーー … もあー … … えんぺらー!!!
 
・ て ーーー ん … … … NO!!!(NO で うで を くろす させ × まーく を つくる)
 

 

あおぞら てんじ

はんにちわ!
毎度毎度、路上から日帝の悪さをお伝えしている私たちですが、
秋だしね、たまには立ち止まって(立ち止まらせて)、
五七五もいいけど、まとまったかたちで主張を見てもらいたいなーということで、
2年前のこれ、思い出しました。

しかし、ちょっとした時空のゆがみがありまして、
場所を嵐山から、11月祭にわく某大学構内のすみっこをお借りすることになりました。
おあつらえ向きにテントなんかありましたんで、展示物を広げてみました。

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薄墨を流したような曇天のもと、いちょうの木の黄色が浮き上がるように目に刺さります。

構内はちょうどお祭りで、家族連れやお友だち連れ、犬の散歩の人など、たくさんの人が歩みを止めて、私たちの展示を見てくれました。

画像のまんなかあたり、白い大きな模造紙数枚にびっしり書かれているのは
朝鮮学校史からみる朝鮮人差別」と題した、年表形式の展示です。
読んでいた人が「これ、1980年代がすっぽり抜けてるよ」と。
言われてみれば確かにそうです。しかし、書き忘れたわけではないはず……。
朝鮮学校はずっと弾圧されてきてるけど、80年代って実は比較的マシだったのでは?」
80年代にも朝鮮学校に関するできごとはさまざまあったでしょうが、それまでの運動が実を結び、勝ち取った成果が表れた時代でもありました。
しかし、90年代からこっち、特に00年代以降、朝鮮学校を取り巻く状況は、どんどん悪くなっています。
乱暴で極端な誰かのせい?
「国民」の理解が得られないと言うえらい人のせい?
民族教育は権利ですし、朝鮮学校の財政を、権利の保障として行政が支援するのも当たり前のことです。
なのに、その当たり前のことが実行されてない現状は、まちがっています。
まちがっていることを前にしたとき、一気にそれをただす力があればいいのですが、ものごとによっては、ひとりの力では及ばないこともあります。
でも、一気にただせないからといって、見て見ぬふりをしないでください。それは、まちがいを推し進めることに加担することです。

ひとりで、大きな力は出せないけれど、まちがいをまちがいだと訴えつづけることはできます。
これからもまたこの京都の地で、京都じゃないところでも、路上から、まちかどから、訴え続けますので、みなさんも見かけたら、見て見ぬふりはしないでくださいね。



はんにちわ!
まいどまいど、ろじょうから にっていの わるさを おつたえしている わたしたちですが、
あきだしね、たまには たちどまって(たちどまらせて)、
ご・しち・ご も いいけど、まとまったかたちで しゅちょうを みてもらいたいなー と いうことで、
2ねんまえの これ、 おもいだし ました。

しかし、ちょっとした じくうの ゆがみが ありまして、
ばしょを あらしやまから、11がつさいに わく ぼうだいがく こうないの すみっこを おかりする ことに なりました。
おあつらえむきに てんとなんか ありましたんで、てんじぶつを ひろげて みました。

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うすずみを ながしたような どんてんの もと、いちょうの きの きいろが うきあがる ように めに ささります。

こうないは ちょうど おまつりで、かぞくづれや おともだちづれ、いぬの さんぽの ひとなど、たくさんの ひとが あゆみを おめて、わたしたちの てんじを みてくれました。

がぞうの まんなか あたり、しろい おおきな もぞうし すうまいに びっしり かかれているのは
「ちょうせん がっこうし からみる ちょうせんじん さべつ」と だいした、ねんぴょう けいしきの てんじです。
よんでいた ひとが「これ、1980ねんだいが すっぽり ぬけてるよ」と。
いわれて みれば たしかに そうです。しかし、かきわすれた わけでは ないはず……。
「ちょうせん がっこうは ずっと だんあつされて きてるけど、80ねんだいって じつは ひかくてき まし だったの では?」
80ねんだいにも ちょうせん がっこうに かんする できごとは さまざま あったでしょうが、それまでの うんどうが みをむすび、かちとった せいかが あらわれた じだいでも ありました。
しかし、90ねんだいから こっち、とくに 00ねんだい いこう、ちょうせん がっこうを とりまく じょうきょうは、どんどん わるく なって います。
らんぼうで きょくたんな だれかの せい?
「こくみん」の りかいが えられないと いう えらい ひとの せい?
みんぞく きょういくは けんりですし、ちょうせん がっこうの ざいせいを、けんりの ほしょうと して ぎょうせいが しえん するのも あたりまえの ことです。
なのに、その あたりまえの ことが じっこう されてない げんじょうは、まちがって います。
まちがって いることを まえに したとき、いっきに それを ただす ちからが あれば いいのですが、ものごとに よっては、ひとりの ちからでは およばない ことも あります。
でも、いっきに ただせない からと いって、みてみぬふりを しないで ください。それは、まちがいを おしすすめる ことに かたんする ことです。

ひとりで、おおきな ちからは だせないけれど、まちがいを まちがいだと うったえつづける ことは できます。
これからも また この きょうとの ちで、きょうとじゃない ところでも、ろじょうから、まちかどから、うったえつづけます ので、みなさんも みかけたら、みてみぬふりは しないで くださいね。

10.29 デモほうこく♪

はんにちわ!

京都はやっと長い長い夏が終わったようで、一気に秋めいてきました。秋晴れのもと、といいたいところですが、あいにくの曇天のもと、

ひさしぶりにデモってきました。

集合場所にあつまった人数はなんと500人の100分の1!

(途中から100人の100分の1参加してくれました)
まあぶっちゃけ5人、途中から1人増えて6人で、いつもの
三条大橋西詰→河原町通四条通円山公園というルートを進みました。

ざっと見てデモ隊の倍の人数の警官が頼んでもないのに見守る中スタート。

今回は、そこに住む多くの人がはっきりと反対の意思を示しているにもかかわらず、国が工事を強行している、沖縄県、東村高江で起きていることについて、スピーチをしました。

<スピーチ原稿>

さて、肌寒くなりましたが街頭のみなさん、いかがお過ごしでしょうか?

世間では「運動の秋」などとも言われたりしておりますので、みなでできる運動としてデモを企画してみました。みなさん、カモン!

さて、今日は沖縄の高江というところで起きていることについてお話することから始めさせてもらおうかと思います。
沖縄県の東村高江という地名をテレビや新聞を通して見聞きする機会もようやく増えてきたと思います。
そこでは住民の意思を無視して政府が米軍のヘリパッド建設を強行しています。
これまで地元住民、沖縄県民は何度も「米軍基地はいらない」との民意を繰り返し示してきました。7月10日になされた参議院選挙においても沖縄県はあらためて基地に反対する民意を示したにもかかわらず、日本政府はよりにもよってそれから一夜あけた7月11日の、それも早朝午前6時という抗議にかけつけにくい時間帯をねらって、機動隊約100名、民間警備員約20名を配備してヘリパッド建設の準備作業にとりかかるという暴挙に出たのです。
そして7月22日には、なんと全国から集められた機動隊、その数500とも600名をも動員し、抗議の座り込みをする市民を暴力的に排除しました。機動隊により首をしめられてひと、車の上から叩き落とされたひとらが続出し、3名が救急搬送されるほどにそれは剥き出しの暴力でした。
それから3ヶ月が経つ今も日本政府は工事を強行し続け、地元の人びとが望む高江での静かな生活、豊かな自然はまさに刻々と破壊されているさなかにあります。
全国からの機動隊による暴力は
おさまるところをしりません。
この3ヶ月の間だけでも高江ではつぎつぎと不当逮捕が続いています。
それらのほとんどが起訴するだけの証拠も、根拠もなく、即日釈放するほかないことからも、これらが抗議行動に対する嫌がらせ目的の弾圧であることは明らかです。
そのようななかで起こったのが、みなさんも既にご存知かと思いますが、大阪府警による「土人」「シナ人」発言です。
これは大阪府警が沖縄の地元住民、抗議する市民を対等な存在としてみなしておらず、差別意識をもってまなざしていることが顕在化されているのであり、またそこには中国人に対する蔑視も露骨にあらわれています。
大阪府警によるこのような酷い沖縄・中国への差別発言に対して、松井大阪府知事は責任を追求するどころか、あろうことか「ごくろうさま」とねぎらいの言葉をかけるなどして擁護する姿勢を示しました。
私たちはこのような差別機動隊と差別知事を絶対に許すことはできません。
全国の機動隊は沖縄から戻ってこい!
京都府警も高江での弾圧の加勢に行くな、戻ってこい!

 

シュプレヒコールは、いつもの五七五をちょっとアレンジ。

<吟じ>
ひのまるをー やこう やぶこう おろそうよー
きみがよをー ながすのやめろ うたわんぞー
てんのうせい さべつのこんげん なくそうよー
やすくにはー ぐんじしせつだ つぶそうよー
にゅうかんはー さつじんしせつだ つぶそうよー
べいぐんのー おしつけゆるさん おきなわへー
けいさつはー さべつはつげん しゃざいしろー
じえいたい にほんのぐんたい なくそうよー
ちょうせんのー てきしをやめろ いますぐにー
こくせきでー ひとのいきかた せばめるなー
はいししよー さべつをうみだす こせきせいど
やめにしよー はいじょのさいてん オリンピック

沿道は、これまでよりも観光客が多い感じ。その観光客のみなさんが、
わたしたちのデモに、とても興味しんしんな視線を投げてきます。
自衛隊いらない」「天皇制やめろ」「日の丸おろせ」「君が代歌うな」
昨今、こういう主張を、はっきりと大きな声で聴く機会は、
どんどん減ってきているように思います。
でも、だからこそ、たとえ6人でも、もっと少なくなっても、
わたしたちは言い続けたいと思います。
自衛隊天皇制や日の丸や君が代を、「それはあってもいい…」と
片手に大事に持ったまま叫ぶ「戦争反対」や「平和」や「差別反対」は、
結局「日本は殺すことをやめません」を言ってるのとかわりありません。

戦後からでも71年もたっちゃって、遅すぎるといえば遅すぎますが、
はじめなければゼロどころかもっと悪くなってしまう。
あらためて、日本が朝鮮や中国やほかの国に対してやったこと、やり続けてきたことを考え、
真に人権をまもり、まもらせる社会のために、何が必要で、何をなくさなければならないか、
声に出して、伝えていくことが大事だなあと
秋風の中、しみじみ感じたデモでした。

んのはちぶきゅうふ


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はんにちわ!

きょうとは やっと ながいながい なつが おわったようで、いっきに あきめいて きました。
あきばれのもと、と いいたい ところですが、あいにくの どんてんのもと、
ひさしぶりに でもって きました。

しゅうごうばしょに あつまった にんずうは なんと 500にんの 100ぶんの1!
(とちゅうから 100にんの 100ぶんの1 さんかして くれました)
まあ ぶっちゃけ 5にん、とちゅうから 1にんふえて 6にんで、いつもの
さんじょうおおはしにしづめ→かわらまちどおり→しじょうどおり→まるやまこうえん という るーとを すすみました。

ざっとみて でもたいの ばいの にんずうの けいかんが たのんでも ないのに みまもる なか すたーと。
こんかいは、そこに すむ おおくの ひとが はっきりと はんたいの いしを しめして いるにも かかわらず、くにが こうじを きょうこう している、おきなわけん、ひがしそんたかえで おきている ことについて すぴーちを しました。

<すぴーち>

さて、 はだざむく なりましたが がいとう の みなさん、 いかが おすごしでしょうか?
せけんでは 「うんどう の あき」なんて いわれたりしておりますので、 みな で できる うんどう として デモ を きかく してみました。みなさん、カモン!
さて、 きょうは おきなわ の たかえ と いう ところ で おきていること に ついて おはなし する こと から はじめさせて もらおうかと
おもいます。
おきなわけん の ひがしそん たかえ と いう ちめい を テレビ や しんぶん を とおして みききする きかい も ようやく ふえてきた と おもいます。
そこでは じゅうみん の いし を むしして せいふ が べいぐん の ヘリパッド けんせつ を きょうこう しています。
これまで じもとじゅうみん 、おきなわけんみん は なんど も「べいぐんきち は いらない」と みんい を くりかえし しめして きました。7がつ10にち に なされた さんぎいんせんきょ に おいても おきなわけん は あらためて きち に はんたい する みんい を しめした に も かかわらず、にほんせいふ は よりにもよって それから いちや あけた 7がつ11にち の、それも そうちょう ごぜん6じ と いう こうぎ に かけつけにくい じかんたい を ねらって、きどうたい やく100めい、みんかんけいびいん やく20めい を はいび して ヘリパッド けんせつ の じゅんびさぎょう に とりかかる と いう ぼうきょ に でたのです。
そして 7がつ22にち には、 なんと ぜんこく から あつめられた きどうたい、その かず500〜600めい を も どういん し、こうぎ の すわりこみ を する しみん を ぼうりょくてき に はいじょ しました。きどうたい に より くび を しめられた ひと、くるま の うえ から たたきおとされた ひとら が ぞくしゅつ し、3めい が きゅうきゅうはんそう される ほど に それは むきだし の ぼうりょく でした。
それから 3かげつ が たつ いま も にほんせいふ は こうじ を きょうこう しつづけ、 じもと の ひとびと が のぞむ たかえ での しずかな せいかつ、ゆたかな しぜん は まさに こくこくと はかい されている さなか に あります。
ぜんこく から の きどうたい に よる ぼうりょく も おさまるところをしりません。
この 3かげつ の あいだ だけ でも たかえ では つぎつぎと ふとうたいほ が つづいています。
それら の ほとんど が きそ するだけ の しょうこ も、こんきょ も なく、そくじつしゃくほう する ほか ない ことからも、これらが こうぎこうどう に たいする いやがらせ もくてき の だんあつ で あること は あきらかです。
そのような なか で おこったのが、みなさん も すでに ごぞんじか と おもいますが、おおさかふけい に よる「どじん」「シナじん」はつげん です。
これは おおさかふけい が おきなわ の じもとじゅうみん、 こうぎ する しみん を たいとう な そんざい と して みなして おらず、 さべついしき を もって まなざしている こと が けんざいか されているのであり、 また そこには ちゅうごくじん に たいする べっし も ろこつ に あらわれています。
おおさかふけい に よる このような ひどい おきなわ と ちゅうごくへの さべつはつげん に たいして、 まつい おおさかふちじ は せきにん を ついきゅう するどころか、あろうことか 「ごくろうさま」 と ねぎらい の ことば を かける など ようご する しせい を しめしました。
わたしたち は このような さべつきどうたい と さべつちじ を ぜったい に ゆるすことはできません。
ぜんこく の きどうたい は おきなわ から もどってこい!
きょうとふけい も たかえ での だんあつ の かせい に いくな!もどってこい!

しゅぷれひこーるは、いつもの ご・しち・ごを ちょっと あれんじ。

<ぎんじ>

ひのまるをー やこう やぶこう おろそうよー
きみがよをー ながすのやめろ うたわんぞー
てんのうせい さべつのこんげん なくそうよー
やすくにはー ぐんじしせつだ つぶそうよー
にゅうかんはー さつじんしせつだ つぶそうよー
べいぐんのー おしつけゆるさん おきなわへー
けいさつはー さべつはつげん しゃざいしろー
じえいたい にほんのぐんたい なくそうよー
ちょうせんのー てきしをやめろ いますぐにー
こくせきでー ひとのいきかた せばめるなー
はいししよー さべつをうみだす こせきせいど
やめにしよー はいじょのさいてん オリンピック

 

えんどうは、これまで よりも かんこうきゃくが おおい かんじ。その かんこうきゃくの みなさんが、
わたしたちの でもに、とても きょうみしんしんな しせんを なげてきます。
「じえいたい いらない」「てんのうせい やめろ」「ひのまる おろせ」「きみがよ うたうな」
さっこん、こういう しゅちょうを はっきりと おおきな こえで きく きかいは、
どんどん へってきて いるように おもいます。
でも、だからこそ、たとえ6にんでも、もっとすくなく なっても、
わたしたちは いいつづけたいと おもいます。
じえいたいや てんのうせいや ひのまるや きみがよを、「それはあってもいい…」と
かたてに だいじに もったまま さけぶ「せんそう はんたい」や「へいわ」や「さべつ はんたい」は、
けっきょく「にほんは ころすことを やめません」を いってるのと かわりありません。
せんごから でも 71ねんも たっちゃって、おそすぎると いえば おそすぎますが、
あらためて、にほんが ちょうせんや ちゅうごくや ほかの くにに たいして やったこと、やりつづけて きたことを かんがえ、
しんに じんけんを まもり、まもらせる しゃかいの ために、なにが ひつようで、なにを なくさなければ ならないか、
こえにだして、つたえて いくことが だいじだなあと
あきかぜの なか、しみじみ かんじた でもでした。

んのはちぶきゅうふ

 

8.6デモほうこく

***** 2つめ は かんじ なし です♪*****

 

おととい8月6日にデモをしました。

京都市は37℃まで気温が高まった猛暑日でした。夏場あまりに暑いなかでのデモはしんどすぎると事前に憂慮し、この日は夕方の7時と少しばかり涼しくなった頃からスタートし、京都市の繁華街を1時間超かけて歩きました。

今回は広島に原爆が投下された8.6という日の意味も込めて、スピーチを考えました。その際にこの間にあった様々なことを思いました。

 

参院選、都知事選、高江での機動隊による暴力、相模原での事件、オリンピック、アキヒトの玉音放送します宣言…他にもたくさん…

 

なんか胸が苦しくなることだらけで、あれもこれも言いたいことだらけです。しかしデモのスピーチという形で果たしてどこまでのことが盛り込めるか、繋げていけるだろうかと悩みながら書いてみたら、けっきょく結構長くなりました。

 

削ったほうがいいかな、と考えもしましたが長いスピーチのまま残しました。

 

沿道の人たちに主張の全体像を伝えるには長すぎるスピーチは不適当なスタイルなのかもしれませんが、様々に起こっている苦しいことを繋げていく言葉を紡ぎたかったし、部分的にしか聞いてもらえなくてもそこから何かが伝わって欲しいという気持ちで精一杯訴えました。

 

シュプレヒコールは二年ぶり(?)に俳句スタイルで吟じました。

なかなか、良い感じでしたよ。

スピーチ(とシュプレヒコール)、ぜひ読んでみてくださいね。

 

(スピーチ)

この時期になると毎年、学校教育を通してであったりテレビや新聞の特集を通してであったり、あるいは地域の市民集会を通してなど、様々な場で、様々な形で「原爆の悲劇を、戦争の悲惨さを忘れてはならない、繰り返してはならない」と言われます。

 その通りだと思います。私たちはそれを決して忘れてはならないし、繰り返してはなりません。

 

 しかし私たちは果たして本当にそのように「戦後」を歩んできたと言えるでしょうか?

 

原爆の悲劇、世代をこえて続く被曝の恐ろしさを知っていたはずなのに、戦後、原発を地方に押し付け、原発労働者を被曝にさらし、その生をむしばみ続けていることに対して、様々な闘争がありながらも私たちの多くは目を背けてきました。そしてついにはチェルノブイリ以来最も深刻な原発事故を引き起こしてしまいました。

既に起きている健康被害と長い将来をかけて起きるであろうさらなる被害に対しても十分なことが何もできておらず、事故収束もままならないにもかかわらず川内原発を再稼働させてしまっただけでなく、伊方原発も来週11日には再稼働と報道されています。またそんな原発を事故後も日本は世界に輸出してもいます。

原発に留まらず、日本の「戦後」は日米軍事同盟によりアメリカの「核の傘」のもとにあることを受けいれてきてしまってもいます。

 

また、二度と戦争をしないと誓ったはずなのに、まさにその日米軍事同盟のもとにアメリカの侵略戦争に積極的に加担してもきました。

日本の敗戦後からわずか5年後の1950年に始まる朝鮮戦争においては現在の自衛隊の前身となる警察予備隊が組織され再軍備化の足がかりとしました。ベトナム戦争では沖縄の嘉手納基地から戦闘機が飛び立ち、その後も湾岸戦争イラク戦争と日本は常に戦争に関わってきました。

そのような「戦後」日本の戦争の歴史、そのときどきで反戦運動もありましたが、それをとめることができなかったその後になると私たちの多くはそんな歴史をすっかり忘れてしまったかのようにも思えます。

 

今や多くのひとが「戦争は嫌だ」、「平和が良い」と思っているにもかかわらず、先の参院選においても、原発推進政策をやめず、戦争法を暴力的に可決させ憲法改悪を目指す与党はさらに議席を増やしました。東京都の新知事には核武装論も排除せず、排外主義を扇動する極右政治家の小池百合子さんが大差をつけて選ばれました。

 

どうやって私たちはこのような状況を許してしまうに至ったのでしょうか?

 

それは私たちの多くが原発も米軍基地もそれぞれ地方に、沖縄に、と押し付けてそこで起こる矛盾と暴力をはらみながらまわっていた社会を「平和」や「戦後民主主義」とよんできたからではないでしょうか?

 

あるいは、日米軍事同盟のもと仮想敵として朝鮮の脅威が煽られ、朝鮮に対する制裁がどれだけ続こうと、そしてその一環として国内の朝鮮人に対する差別と弾圧が国策としてまかり通っていても、ほとんど誰も見向きもしなかったからではないでしょうか。

 

沖縄の辺野古で、高江で新基地・ヘリパッド建設を強行するために今もまさに起きている日本国家による剥き出しの暴力をひとごとにしてきたらからではないでしょうか?非暴力の抗議をつらぬく人々に対する海保による暴力、機動隊による暴力は既にいつ死者を出してもおかしくない段階にまできています。

また、沖縄のいたるところに米軍基地があることで起きてきた数々の暴力をひとごとにしてきたからではないでしょうか?

 

沖縄に限らず、身近なところでは京丹後の宇川地区にも米軍のXバンドレーダー基地が建設され2014年末からレーダーが稼働しています。地元住民の過半数の反対の声がありながら基地が作られて以降、すでに米軍関係者による数多くの人身事故が起き、レーダーから発生される電磁波やジェネレーターからなる低周波音などによる健康被害を訴える声、不安の声があるにもかかわらず、有効な対策も講じず住民に犠牲を強いています。その京丹後宇川から聞こえてくる声を京都市にも届けようと街頭で訴えてもまだまだ関心が薄くひとごととして捉えられていることを強く感じています。

 

いつからか「反戦」、「平和」を求める声は「被害の記憶」、それも特に都市に住む、<日本人ヤマト>の、男性の、健常者にとっての「被害の記憶」だけに依拠するようになってしまったように思います。

 

広島、長崎への原爆投下によって被曝したのは日本人だけでなく旧植民地から来た7万人余りの朝鮮人が被爆し、4万人余りが命を失ったと言われています。また同じく日本の植民地であった台湾のひとびと、その他のアジアからの留学生やオランダ、アメリカ、イギリスからの捕虜となっていたひとたちが被爆したこともあきらかになっています。この人たちの多くは戦後も長らく原爆援護法の申請ができなかったり、申請しても却下されてしまうという状況が今日まで続いています。

 

<日本人ヤマト>の「被害の記憶」のみに依拠して唱えられる「反戦」「平和」であっては、再び<大事なひとをまもるため>、<「国民」をまもるため>、ひいては<国をまもるため>、という「自衛のための戦争」という国家の論理に回収されてしまうものではないでしょうか。

 

それはどの戦争も常に「自衛」を大義としてきた歴史からも明らかだと思います。

 

憲法9条は日本人を戦争からまもる、そのためだけのためにあるのではなく、植民地支配と侵略戦争によって苦しみを与えた人々に対する約束のはずであったことを忘れてはなりません。

 

今日からオリンピックが始まりました。

多くのひとびとが、日の丸を背負った選手のメダルを期待しているのかもしれません。

そうやってアスリートたちが国家の名誉をかけて競い合う姿にもりあがる人々が溢れかえるときに、私がみなさんに思いを寄せて欲しいのは、既に東京オリンピックのために住む場を奪われ、その生存権が脅かされている野宿者のひとたちの存在です。

 

また<国家の役に立たないものは生きる価値がない>というとんでもない思想のもとその命が奪われた19名のひとたちと、命こそはとりとめても心身を深く傷つけられたひとびとの存在です。

“とんでもない思想”と言いましたが、この思想は私たちの生きるこの日本社会にまさに蔓延っている思想であり、私たちはそのような能力主義、優生思想、障害者差別社会に日々影響されながら生きているということ、そのような国家の意思に従いながら国家のために生き、国家のために殺し、国家のために死ぬ主体へと日々つくられていっていることを自覚し、これを唾棄しなくてはなりません。

 

殺し合う世界ではなく、ともに生きていくための世界、誰かの犠牲のもとに享受する偽の平和ではなく、ひととひとが対等にあれ、真に平和な社会のためにともに歩んでいきましょう。

 

 

シュプレヒコール

ひのまるをー やこう、やぶこう もやそうよー

 

きみがよをー ながすのやめろ うたわんぞー

 

てんのうせい さべつのこんげん なくそうよー

 

アキヒトのー ぎょくおんほうそう ナンセンスー

 

やすくにはー ぐんじしせつだ つぶそうよー

 

にゅうかんはー さつじんしせつだ つぶそうよー

 

べいぐんのー おしつけゆるさん おきなわへー

 

べいぐんはー せかいのどこにも いらないぞー

 

じえいたいー にほんのぐんたい なくそうよー

 

ぶき、げんぱつー ゆしゅつするのは さつじんざいー

 

ちょうせんのー てきしをやめろ いますぐにー

 

こくせきでー ひとのいきかた せばめるなー

 

はいししよー さべつをうみだす こせきせいどー

 

やめにしよー はいじょのさいてん オリンピックー

 

 

♪(レのはちぶおんぷ)

 

おととい 8がつ 6にち に でも を しました。

きょうとし は 37℃ まで きおん が たかまった もうしょび でした。 なつばあまり に あつい なか での でも は しんどすぎる と じぜん に ゆうりょ し、この ひ は ゆうがた の 7じ と すこしばかり すずしく なった ころ から すたーと し、 きょうとし の はんかがい を 1じかんいじょう かけて あるきました。

こんかい は ひろしま に げんばく が とうか された 8.6 と いう ひ のいみ も こめて、 すぴーち を かんがえました。 その さい に この かん に あった さまざま な こと を おもいました。 さんいんせん、 とちじせん、 たかえ での きどうたい による ぼうりょく、 さがみはら での じけん、 おりんぴっく、 あきひと の ぎょくおんほうそう します せんげん… ほか にも たくさん… なんか むね が くるしく なる こと だらけ で、 あれ も これ も いいたい こと だらけ です。 しかし でも の すぴーち と いう かたち で はたして どこまで の こと が もりこめるか、 つなげて いけるだろうか と なやみ ながら かいて みたら、 けっきょく けっこう ながく なりました。 けずった ほう が いいかな、 と かんがえ も しました が ながい すぴーち の まま のこしました。 えんどう の ひとたち に しゅちょう の ぜんたいぞう を つたえる には ながすぎる すぴーち は ふてきとう な すたいる なの かもしれません が、 さまざま に おこっている くるしい こと を つなげて いく ことば を つむぎたかった し、 ぶぶんてき に しか きいて もらえなくても そこから なにか が つたわって ほしい という きもち で せいいっぱい うったえました。 しゅぷれひこーる は 2ねんぶり(?) に はいく すたいる で ぎんじ ました。

なかなか、 よい かんじ でしたよ。

 

すぴーち(としゅぷれひこーる)、 ぜひ よんで みて くださいね。

 

(すぴーち)

この じき に なると まいとし、 がっこうきょういく を とおして で あったり てれび や しんぶん の とくしゅう を とおして で あったり、 あるいは ちいき の しみんしゅうかい を とおして など、 さまざまな ば で、さまざまな かたち で 「げんばく の ひげき を、 せんそう の ひさんさ を わすれては ならない、 くりかえしては ならない」と いわれます。 

そのとおりだ と おもいます。 わたしたち は それ を けっして わすれて は ならないし、 くりかえして は なりません。

 

 しかし わたしたち は はたして ほんとう に そのように 「せんご」を あゆんで きた と いえるでしょうか?

 

げんばく の ひげき、 せだい を こえて つづく ひばく の おそろしさ を しっていた はず なのに、 せんご、 げんぱつ を ちほう に おしつけ、 げんぱつ ろうどうしゃ を ひばく に さらし、 その せい を むしばみ つづけて いる こと に たいして、 さまざま な とうそう が ありながら も わたしたち の おおく は め を そむけて きました。 そして ついには ちぇるのぶいり いらい もっと も しんこく な げんぱつじこ を ひきおこして しまいました。

すで に おきている けんこうひがい と ながい しょうらい を かけて おきるで あろう さらなる ひがい に たいして も じゅうぶん な こと が なにも できておらず、 じこしゅうそく も ままならない にも かかわらず せんだいげんぱつ を さいかどう させて しまった だけ で なく、 いかた げんぱつ も らいしゅう 11にち には さいかどう と ほうどう されて います。ま た そんな げんぱつ を じこご も にほん は せかい に ゆしゅつ して も います。

げんぱつ に とどまらず、 にほん の 「せんご」 は にちべい ぐんじ どうめい に より あめりか の 「かくのかさ」の もと に あること を うけいれて きて しまって も います。

 

また、 にど と せんそう を しない と ちかった はず なのに、 まさに その にちべい ぐんじ どうめい の もと に あめりか の しんりゃくせんそう に せっきょくてき に かたん して も きました。

にほん の はいせんご から わずか 5ねんご の 1950ねん に はじまる ちょうせんせんそう に おいて は げんざい の じえいたい の ぜんしん と なる けいさつよびたい が そしきされ さいぐんびか の あしがかり と しました。 べとなむせんそう では おきなわ の かでなきち から せんとうき が とびたち、 そのご も わんがんせんそう、 いらくせんそう と にほん は つねに せんそう に かかわって きました。

そのような 「せんご」 にほん の せんそう の れきし、 その ときどき で はんせんうんどう も ありましたが、 それ を とめる こと が できなかった その あと に なると わたしたち の おおく は そんな れきし を すっかり わすれて しまった かの よう に も おもえます。

 

いまや おおく の ひと が 「せんそう は いやだ」、 「へいわ が よい」 とおもっている に も かかわらず、 さき の さんいんせん に おいても、 げんぱつ すいしん せいさく を やめず、 せんそうほう を ぼうりょくてき に かけつ させ けんぽうかいあく を めざす よとう は さらに ぎせき を ふやしました。 とうきょうと の しんちじ には かくぶそうろん も はいじょ せず、 はいがいしゅぎ を せんどう する きょくうせいじか の こいけゆりこさん が たいさ を つけて えらばれ ました。

 

どうやって わたしたち は このよう な じょうきょう を ゆるして しまう にいたった の でしょうか?

 

それ は わたしたち の おおく が げんぱつ も べいぐんきち も それぞれ ちほう に、 おきなわ に、 と おしつけて そこで おこる むじゅん と ぼうりょく を はらみながら まわっていた しゃかい を 「へいわ」 や 「せんごみんしゅしゅぎ」 と よんできた から で は ないでしょうか?

 

あるいは、 にちべいぐんじどうめい の もと かそうてき と して ちょうせん の きょうい が あおられ、 ちょうせん に たいする せいさい が どれだけ つづこうと、 そして その いっかん と して こくない の ちょうせんじん に たいする さべつ と だんあつ が こくさく と して まかりとおって いても、 ほとんど だれ も みむき も しなかった から で は ないでしょうか。 おきなわ の へのこ で、 たかえ で しんきち・へりぱっど けんせつ を きょうこう する ために いま も まさ に おきている にほんこっか に よる むきだし の ぼうりょく を ひとごと に してきた から で は ない でしょうか? ひぼうりょく の こうぎ を つらぬく ひとびと に たいする かいほ に よる ぼうりょく、 きどうたい に よる ぼうりょく は すで に いつ ししゃ を だして も おかしくない だんかい に まで きています。

 

また、 おきなわ の いたるところ に べいぐんきち が あること で おきてきた かずかず の ぼうりょく を ひとごと に してきた から で は ない でしょうか? 

 

おきなわ に かぎらず、 みぢか な ところ では きょうたんご の うかわちく に も べいぐん の Xばんどれーだーきち が けんせつ され 2014ねん まつ から れーだー が かどう しています。 じもと じゅうみん の かはんすう の はんたい の こえ が ありながら きち が つくられて いこう、 すで に べいぐんかんけいしゃ に よる かずおおく の じんしんじこ が おき、 れーだー から はっせい される でんじは や じぇねれーたー から なる ていしゅうはおん など に よる けんこうひがい を うったえる こえ、 ふあん の こえ が ある に も かかわらず、 ゆうこう な たいさく も こうじず じゅうみん に ぎせい を しいて います。 

その きょうたんご うかわ から きこえて くる こえ を きょうとし に も とどけよう と がいとう で うったえても まだまだ かんしん が うすく ひとごと と して とらえられて いる こと を つよく かんじて います。 

 

いつからか 「はんせん」 「へいわ」 を もとめる こえ は 「ひがい の きおく」、 それ も とく に とし に すむ、 <にほんじん やまと> の 、だんせい の 、けんじょうしゃ に とって の 「ひがい の きおく」 だけ に いきょ する ように なって しまった よう に おもいます。

 

ひろしま、 ながさき への げんばくとうか に よって ひばく した の は にほんじん だけ で なく きゅうしょくみんち から きた 7まんにん あまり の ちょうせんじん が ひばく し、 4まんにん あまり が いのち を うしなった と いわれて います。 また おなじく にほん の しょくみんち で あった たいわん の ひとびと、 そのほか の あじあ から の りゅうがくせい や おらんだ、 あめりか、 いぎりす から の ほりょ と なっていた ひとたち が ひばく した こと も あきらか に なっています。 

この ひとたち の おおく は せんご も ながらく げんばくえんごほう の しんせい が できなかったり、 しんせいして も きゃっか されて しまう という じょうきょう が こんにち まで つづいて います。 

 

<にほんじん やまと> の 「ひがい の きおく」 のみ に いきょ して となえられる 「はんせん」 「へいわ」 で あっては、 ふたたび <だいじ な ひと を まもる ため>、 <「こくみん」 を まもる ため>、 ひいては <くに を まもる ため>、 と いう 「じえい の ため の せんそう」 と いう こっか の ろんり に かいしゅう されて しまう もの では ないでしょうか。

 

それ は どの せんそう も つねに 「じえい」 を たいぎ と してきた れきし から も あきらかだ と おもいます。

 

けんぽう9じょう は にほんじん を せんそう から まもる、 その ため だけの ためにある の では なく、 しょくみんちしはい と しんりゃくせんそう に よって くるしみ を あたえた ひとびと に たいする やくそく の はず で あった こと を わすれて は なりません。 

 

おりんぴっく が はじまりました。

おおくの ひとびと が、 ひのまる を せおった せんしゅ の めだる を きたい している の かも しれません。

そうやって あすりーと たち が こっか の めいよ を かけて きそいあう すがた に もりあがる ひとびと が あふれかえる とき に、 わたし が みなさん に おもい を よせて ほしい のは、 すで に とうきょうおりんぴっく の ため に すむ ば を うばわれ、 その せいぞんけん が おびやかされて いる のじゅくしゃ の ひとたち の そんざい です。

 

また <こっか の やく に たたない もの は いきる かち が ない> と いう とんでもない しそう の もと その いのち が うばわれた 19めい の ひとたち と、 いのち こそ は とりとめて も しんしん を ふかく きずつけられた ひとびと の そんざい です。

“とんでもない しそう” と いいましたが、 この しそう は わたしたち の いきる この にほんしゃかい に まさに はびこっている しそう で あり、 わたしたち は そのよう な のうりょくしゅぎ、 ゆうせいしそう、 しょうがいしゃさべつ しゃかい に ひび えいきょう されながら いきている と いうこと、 そのような こっか の いし に したがい ながら こっか の ために いき、 こっか の ために ころし、 こっか の ために しぬ しゅたい へと ひび つくられて いっている こと を じかく し、 これ を だき しなくて は なりません。

 

ころしあう せかい で は なく、 とも に いきていく ため の せかい、 だれか の ぎせい の もと に きょうじゅ する にせ の へいわ で は なく、ひと と ひと が たいとう に あれ、 しん に へいわ な しゃかい の ために とも に あゆんで いきましょう。

 

 

シュプレヒコール

ひのまるをー やこう、やぶこう もやそうよー

 

きみがよをー ながすのやめろ うたわんぞー

 

てんのうせい さべつのこんげん なくそうよー

 

アキヒトのー ぎょくおんほうそう ナンセンスー

 

やすくにはー ぐんじしせつだ つぶそうよー

 

にゅうかんはー さつじんしせつだ つぶそうよー

 

べいぐんのー おしつけゆるさん おきなわへー

 

べいぐんはー せかいのどこにも いらないぞー

 

じえいたいー にほんのぐんたい なくそうよー

 

ぶき、げんぱつー ゆしゅつするのは さつじんざいー

 

ちょうせんのー てきしをやめろ いますぐにー

 

こくせきでー ひとのいきかた せばめるなー

 

はいししよー さべつをうみだす こせきせいどー

 

やめにしよー はいじょのさいてん オリンピックー

 

 

♪(レのはちぶおんぷ)