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4月22日デモ報告*4がつ22にち でも ほうこく

**2つめは かんじ なし**
 
はんにちわ~。
 
さくらの季節がほぼ終わって、さわやかな風がほほにここちよい4月22日に、デモをしましたよ。
この日はお天気もよくて、まさに絶好のデモびより!
風にさそわれて、普段の約3倍、総勢17名のみなさんが集まってくれました。
ルートはいつもと同じですが、観光シーズンだからでしょうか、沿道を歩く人はいつもより多いような気がします。
そこへまっすぐ
日本政府こそアメリカに追随して世界中で恫喝と殺戮を繰り返している側」
「日本はずっと朝鮮や中国からの「脅威」をいたずらに喧伝してきました」
10年間以上も日本では朝鮮敵視という立場においては与党も野党もなく、翼賛の状態である」
「日本は…米軍とともに再び朝鮮侵略をしていく」
朝鮮学校。その経緯を考えれば、本来ならば戦後補償の一環として、日本国から助成があるべき」
民族教育弾圧に抵抗する当時16歳だった朝鮮人生徒を日本の警察は射ち殺しました」
という言葉を投げかけます。(スピーチ全文は下の方にあります)
 
沿道を歩いているみなさんの多くにとっては、意外な言葉だったかもしれません。
だって、毎日毎日テレビをつければ、あの公共放送でも「北朝鮮がミサイル撃ってきたら…」ですもんね。でも、そんな風に朝鮮を「悪魔化」することで、日本が成したいことと、なかったことにしたいことがあるのです。この国が、朝鮮半島に住む人たちや、日本に住む朝鮮人たちを痛めつけてきた過去と、これまでを、繰り返してはいけません。人びとがそれを忘れ去ろうとするなら、私たちはこれからも路上から投げかけます。
 
 
 
 
日の丸を 焼こう やぶこう 降ろそうよ!
 
君が代」を 流すのやめろ 歌わんぞ!
 
廃止しよう 差別の根源 天皇制!
 
「陛下」とか 「様」「様」つけるの やめましょう!
 
「国民」に 統合されるの 拒否しよう!
 
ヤスクニは 軍事施設だ つぶそうよ!
 
入管は 殺人施設だ つぶそうよ!
 
米軍の 押しつけ許さん 沖縄へ!
 
米軍は 世界のどこにも いらないぞ!
 
自衛隊 日本の軍隊 なくそうよ!
 
朝鮮の 敵視をやめろ 今すぐに!
 
国籍で ひとの生き方 せばめるな!
 
廃止しよう 差別を生み出す 戸籍制度!
 
やめにしよう 排除の祭典 オリンピック!
 
警察は 自由なデモの じゃまするな!

 

 
 
 
……あれほどざわついていた繁華街が、一瞬静まり返り、
交差点の信号のピポ、ピポ、という誘導音だけが響きます。
そんなに意外でしたか。言葉をなくすほど「まずい」こと言いましたか。
これらのコールが「なに当たり前のこと言ってるねん」になるまで
私たちは叫び続けるでしょう。
 
 
<スピーチ全文>
 
目下、日本政府は「テロ対策」として、ひとの内心にまで踏み込んで捜査対象とし逮捕していかんとす弾圧法である共謀罪の成立に向けて躍起になっています。
「テロ対策」といいますが、そもそも日本政府こそアメリカに追随して世界中で恫喝と殺戮を繰り返している側ではありませんか。
今や政府が秘密法も戦争法も成立させ、そして共謀罪をも手中に収めようとするこの恐ろしい時代にあって私たちがなさなければならないことは既に起きている弾圧に対して断固として抵抗していくことです。
先月、東京都渋谷区は宮下公園を強制封鎖し、そこを生活の場にしていた野宿者を追い出しました。生きる場を奪うこの暴挙に対して駆けつけた支援者のひとりはその場で拘束され渋谷署で人権無視の環境に拘禁されることになりました。しかも、その後、拘留期限により解放となった途端に4ヶ月も前の別件をでっち上げ再逮捕、浅草署に移送し拘束したのです。幸いつい先日に解放されましたがこのような行政、警察、検察、そして裁判所が一体となった暴挙に対して私たちは本気で怒り抗議を続けていかなければならないし、それは新たな弾圧法に対しても牽制になります。
どうか、この宮下公園弾圧に対して関心を持ち、終わったことにせず抗議の声を広めてください。そしてこれが私たちの生存権をめぐる闘いでもあることを忘れないでください。
そして、共謀罪を含めて戦争体制を築き上げんとするため日本はずっと朝鮮や中国からの「脅威」をいたずらに喧伝してきました。
その朝鮮半島を取り巻く情勢は緊張を高めていますが、その原因は日本を含めて朝鮮を悪魔化してきた側にこそあります。3月に始まり今月末まで続く米韓合同軍事演習は30万名を超える史上最大規模でなされ、その内容においてもまさに戦争演習そのものであり、それ自体が朝鮮に対して与えた脅威は想像を絶するものがあります。日本では朝鮮の弾道ミサイルが怖いとか、そういう報道しかされませんが、圧倒的に非均衡な軍事的圧力を受けているのは朝鮮であり、与えている側には日本も入っているということを忘れてはいけまけせん。たとえば、この戦争演習に使用される戦闘機は沖縄の嘉手納基地から飛びたっています。日米安保のもと加担しているのです。
もちろんそれだけではありません。日米合同軍事演習における直接的な武力圧力を繰り返すとともに、つい先日4月7日には日本政府は、朝鮮に対する独自制裁をさらに2年間延長することを閣議決定しています。2006年に始まった日本の独自制裁はもう11年にもなります。この間、制裁の内容はより厳しくされていき多くの在日朝鮮人が弾圧されてきました。朝鮮人には法を厳格適用するという当時の警察庁長官の言葉もあります。平等な適用ではなく、朝鮮人には厳格に適用してやるという脅しです。
朝鮮制裁はその期間も最初は半年間の延長を繰り返していたものが、1年間へと延び、それもさらに伸びて現在のように2年間の延長となっています。
このような制裁そのもの、そしてその強化に反対する日本の国会議員は誰1人としていたことはありませんでした。
10年間以上も日本では朝鮮敵視という立場においては与党も野党もなく、翼賛の状態であるということです。いくら野党共闘して安倍を倒すと叫べど、「共通の敵」を創るというマインドそのものは共有されてしまっているので、これでは平和への道を切り開くことはできません。
そして今や、アメリカは朝鮮に対する先制攻撃の可能性まで主張しています。つい最近、アフガニスタンに対して核兵器を除いたなかで最大の破壊力を有すためにこれまで一度も実戦で使用されたことのなかった、GBU-43と呼ばれる爆弾を投下したアメリカです。投下した地点の半径1マイルという爆風に晒されるエリアには10万人近くのひとびとが住んでいるにもかかわらずです。また、シリアに対しては59発ものミサイルを撃ち込みました。民間人の死傷者も出しているこのアメリカの攻撃を安倍晋三は「支持する」と述べました。
このような状況にあるがために、一方的な朝鮮悪魔化とあまりに非均衡な軍事的圧力の行きつく先として本当に朝鮮に対する先制攻撃が起きてしまうのではないか、という悪夢に心底恐怖をおぼえています。そしてそんな悪夢が現実になってしまったとしたら、日本は間違いなくそれを積極支持し米軍とともに再び朝鮮侵略をしていくという確信があります。
朝鮮に対する敵視政策は日本国内に住む在日朝鮮人への差別としてもあらわれます。それはたとえば、総連に対する数重なる政治弾圧に、また朝鮮学校に対する差別にあらわれています。
民族差別といえばヘイトスピーチの問題が多く取り上げられるようになりましたが、このようなヘイトを生みだしている根本として上からの排外主義があることを決して忘れないでください。
朝鮮学校は高校無償化からずっと除外され続けています。国家レベルの差別です。これが地方に対する排外主義のメッセージとなり各都道府県の自治体が拠出していた朝鮮学校への補助金が、近年どんどんと支給されなくなっています。昨年、当時の文部科学大臣馳浩(はせ ひろし)が、都道府県へ向けて「朝鮮学校に係る補助金交付に関する留意点」という通知を出しています。「適正かつ透明性のある執行の確保」などと言っていますが、自粛しろという圧力にほかなりません。その結果、2016年度に予算計上していたにもかかわらず補助金を交付しなかった自治体が5件あり、そのうち3件はこの通知が交付を取りやめた理由であることが分かっています。また群馬県に関しては、2017年度の交付について、拉致問題を教科書に記載することを補助金支給の要件として出しています。このような教育内容への介入が許されてよいのでしょうか。
みなさま、そもそも、なぜ朝鮮学校が日本にあるのか考えたことがありますでしょうか。日本による朝鮮への侵略・植民地支配によって、無理やり日本に連れてこられた、あるいは経済的な理由などにより来ざるを得なかった朝鮮人たちが、民族の言葉や歴史を学ばせたい、という理由で始まった朝鮮学校。その経緯を考えれば、本来ならば戦後補償の一環として、日本国から助成があるべきなのです。それどころか、必死で勝ち取ってきた自治体からの補助金さえも奪おうとしています。言うまでもなく、これでは十分な教育環境が整いません。実際、多くの朝鮮学校には保健室がありません。そのようななかでの民族教育が強いられていること、これが民族差別でなくてなんですか。
奇しくも69年前のちょうどこの時期です。日本政府は朝鮮学校閉鎖令などを通して、暴力的に朝鮮学校を潰していきました。民族教育弾圧に抵抗する当時16歳だった朝鮮人生徒を日本の警察は射ち殺しました。4.24阪神教育闘争です。
 
そのときから、その前からも、そして今もずっと私たちは平和と平等を求めて声をあげつづけています。
志あるみなさんもどうぞ一緒に歩きましょう!

 

 
**かんじ つかって いません**
 
はん に ちわ ~。

さくら の きせつ が ほぼ おわって、 さわやか な かぜ が ほほ に ここちよい 4 つき 22 ひ に、 でも を しました よ。
この ひ は おてんき も よく て、 まさに ぜっこう の でも びより!
かぜ に さそわれて、 ふだん の やく 3 ばい、 そうぜい 17 な の みなさん が あつまって くれました。
るーと は いつも と おなじ です が、 かんこう しーずん だ から でしょう か、 えんどう を あるく ひと は いつも より おおい よう な き が します。
そこ へ まっすぐ
「にっぽん せいふ こそ あめりか に ついずい して せかいじゅう で どうかつ と さつりく を くりかえして いる がわ」
「にっぽん は ずっと ちょうせん や ちゅうごく から の 「きょうい」 を いたずら に けんでん して きました」
「10ねんかん いじょう も にっぽん で は ちょうせん てきし という たちば において は よとう も やとう も なく、 よくさん の じょうたい である」
「にっぽん は … べいぐん とともに ふたたび ちょうせん しんりゃく を して いく」
「ちょうせん がっこう。 その けいい を かんがえれば、 ほんらい なら ば せんご ほしょう の いっかん として、 にっぽんこく から じょせい が あるべき」
「みんぞく きょういく だんあつ に ていこう する とうじ 16 とし だった ちょうせんじん せいと を にっぽん の けいさつ は うちころしました」
という ことば を なげかけます。 (すぴーち ぜんぶん は した の ほう に あります)

えんどう を あるいて いる みなさん の おおく にとって は、 いがい な ことば だった かも しれません。
だって、 まいにち まいにちてれび を つければ、 あの こうきょう ほうそう で も 「きたちょうせん が みさいる うって きたら …」 です もん ね。 でも、 そんな かぜ に ちょうせん を 「あくまか」 する こと で、 にっぽん が なしたい こと と、 なかっ た こと に したい こと が ある の です。 この くに が、 ちょうせんはんとう に すむ ひとたち や、 にっぽん に すむ ちょうせんじんたち を いためつけて きた かこ と、 これ まで を、 くりかえして は いけません。 ひとびと が それ を わすれさろう と するなら、 わたしたち は これから も ろじょう から なげかけます。
 
<しゅぷれひこーる>

ひのまる を   やこう   やぶこう   おろそう よ!

「きみがよ」 を   ながす の やめろ   うたわん ぞ!

はいし しよう   さべつ の こんげん   てんのうせい!

「へいか」 とか  「よう」「よう」 つけるの   やめましょう!

「こくみん」 に   とうごう される の   きょひ しよう!

やす くに は   ぐんじ しせつ だ   つぶそう よ!

にゅうかん は   さつじん しせつ だ   つぶそう よ!

べいぐん の   おしつけ ゆるさん   おきなわ へ!

べいぐん は   せかい の どこ に も   いらない ぞ!

じえいたい   にっぽん の ぐんたい   なくそう よ!

ちょうせん の   てきし を やめろ   いま すぐ に!

こくせき で   ひと の いきかた   せばめるな!

はいし しよう   さべつ を うみだす   こせき せいど!

やめ に しよう   はいじょ の さいてん   おりんぴっく!

けいさつ は   じゆう な でも の   じゃ まするな!

 あれ ほど ざわついて いた はんかがい が、 いっしゅん しずまりかえり、 
こうさてん の しんごう の ぴぽ、 ぴぽ、 という ゆうどうおん だけ が ひびきます。
そんなに いがい でした か。 ことば を なくすほど 「まずい」 こ と いいました か。
これら の こーる が 「なに あたりまえ の こと いってるねん」 に なるまで
わたしたち は さけびつづけるでしょう。
<すぴーち ぜんぶん>

もっか、 にっぽん せいふ は 「てろ たいさく」 として、 ひと の ないしん に まで ふみこんで そうさ たいしょう と し たいほ して いかん と すだんあつほう である きょうぼうざい の せいりつ に むけて やっき に なって います。
「てろ たいさく」 と いいます が、 そもそも にっぽん せいふ こそ あめりか に ついずい して せかいじゅう で どうかつ と さつりく を くりかえして いる がわ で は ありません か。
いまや せいふ が ひみつほう も せんそうほう も せいりつ させ、 そして きょうぼうざい を も しゅちゅう に おさめよう と する この おそろしい じだい に あって、 わたしたち が なさなけれ ば ならない こと は すでに おきて いる だんあつ にたいして だんこ として ていこう して いく こと です。
せんげつ、 とうきょうと しぶやく は みやした こうえん を きょうせい ふうさ し、 そこ を せいかつ の ば に して いた のじゅくしゃ を おいだしました。 いきる ば を うばう この ぼうきょ にたいして かけつけた しえんしゃ の ひとり は その ば で こうそく され しぶやしょ で じんけん むし の かんきょう に こうきん される こと に なりました。 しかも、 そのご、 こうりゅう きげん により かいほう と なった とたん に 4 かげつ も まえ の べっけん を でっちあげ さいたいほ、 あさくさしょ に いそう し こうそく した の です。 さいわい つい せんじつ に かいほう されました が この よう な ぎょうせい、 けいさつ、 けんさつ、 そして さいばんしょ が いったい と なった ぼうきょ にたいして わたしたち は ほんき で いかり こうぎ を つづけて いかなけれ ば ならない し、 それ は あらた な だんあつほう にたいして も けんせい に なります。
どう か、 この みやした こうえん だんあつ にたいして かんしん を もち、 おわった こと に せず こうぎ の こえ を ひろめて ください。 そして これ が わたしたち の せいぞんけん を めぐる たたかい で も ある こと を わすれない で ください。
そして、 きょうぼうざい を ふくめて せんそう たいせい を きずきあげんと する ため にっぽん は ずっと ちょうせん や ちゅうごく から の 「きょうい」 を いたずら に けんでん して きました。
その ちょうせんはんとう を とりまく じょうせい は きんちょう を たかめて います が、 その げんいん は にっぽん を ふくめて ちょうせん を あくまか して きたがわ に こそ あります。 3 つき に はじまり こんげつまつ まで つづく べい かん ごうどう ぐんじ えんしゅう は 30 まんめい を こえる しじょう さいだい きぼ で なされ、 その ないよう において も まさに せんそう えんしゅう そのもの であり、 それ じたい が ちょうせん にたいして あたえた きょうい は そうぞう を ぜっする もの が あります。 にっぽん で は ちょうせん の だんどう みさいる が こわい とか、 そういう ほうどう しか されません が、 あっとうてき に ひきんこう な ぐんじてき あつりょく を うけて いる の は ちょうせん であり、 あたえて いる がわ に は にっぽん も はいって いるという こと を わすれて は いけまけせん。 たとえば、 この せんそう えんしゅう に しよう される せんとうき は おきなわ の かでな きち から とびたって います。 にち べい あんぽ の もとかたん して いる の です。
もちろん それ だけ で は ありません。 にち べい ごうどう ぐんじ えんしゅう における ちょくせつてき な ぶりょく あつりょく を くりかえすとともに、 つい せんじつ 4 つき 7 ひ に は にっぽん せいふ は、 ちょうせん にたいする どくじ せいさい を さらに 2 ねんかん えんちょう する こと を かくぎ けってい して います。 2006 とし に はじまった にっぽん の どくじ せいさい は もう 11 とし に も なります。 このかん、 せいさい の ないよう は より きびしく されて いき おおく の ざいにち ちょうせんじん が だんあつ されて きました。 ちょうせんじん に は ほう を げんかく てきよう するという とうじ の けいさつちょう ちょうかん の ことば も あります。 びょうどう な てきよう で は なく、 ちょうせんじん に は げんかく に てきよう して やるという おどしです。
ちょうせん せいさい は その きかん も さいしょ は はんとしかん の えんちょう を くりかえして いた もの が、 1 ねんかん へ と のび、 それ も さらに のびて げんざい の よう に 2 ねんかん の えんちょう と なって います。
この よう な せいさい そのもの、 そして その きょうか に はんたい する にっぽん の こっかい ぎいん は だれ 1 ひと と して いた こと は ありませんでした。
10ねんかん いじょう も にっぽん で は ちょうせん てきし という たちば において は よとう も やとう も なく、 よくさん の じょうたい である という こと です。 いくら やとう きょうとう して あべ を たおすと さけべど、 「きょうつう の てき」 を つくるという まいんど そのもの は きょうゆう されて しまって いるので、 これ で は へいわ へ の みち を きりひらく こと は できません。
そして いまや、 あめりか は ちょうせん にたいする せんせい こうげき の かのうせい まで しゅちょう して います。 つい さいきん、 あふがにすたん にたいして かくへいき を のぞいた なか で さいだい の はかいりょく を ゆうす ため に これ まで いちど も じっせん で しよう された こと の なかっ た、 GBU-43 と よばれる ばくだん を とうか した あめりか です。 とうか した ちてん の はんけい 1 まいる という ばくふう に さらされる えりあ に は 10 まんにん ちかく の ひとびとが すんで いるに も かかわらずです。 また、 しりあ にたいして は 59 はつ も の みさいる を うちこみました。 みんかんじん の ししょうしゃ も だして いる この あめりか の こうげき を あべ すすむ さん は 「しじ する」 と のべました。
この よう な じょうきょう に あるが ため に、 いっぽうてき な ちょうせん あくまか と あまりに ひきんこう な ぐんじてき あつりょく の いきつく さき として ほんとうに ちょうせん にたいする せんせい こうげき が おきて しまう の で は ない か、 という あくむ に しんそこ きょうふ を おぼえて います。 そして そんな あくむ が げんじつ に なって しまった と したら、 にっぽん は まちがい なく それ を せっきょく しじ し べいぐん とともに ふたたび ちょうせん しんりゃく を して いくという かくしん が あります。
ちょうせん にたいする てきし せいさく は にっぽん こくない に すむ ざいにち ちょうせんじん へ の さべつ として も あらわれます。 それ は たとえば、 そうれん にたいする すうじゅう なる せいじ だんあつ に、 また ちょうせん がっこう にたいする さべつ に あらわれて います。
みんぞく さべつ と いえば へいとすぴーち の もんだい が おおく とりあげられる よう に なりました が、 この よう な へいと を うみだして いる こんぽん として うえ から の はいがい しゅぎ が ある こと を けっして わすれない で ください。
ちょうせん がっこう は こうこう むしょうか から ずっと じょがい されつづけて います。 こっか れべる の さべつ です。 これ が ちほう にたいする はいがい しゅぎ の めっせーじ と なり かくとどうふけん の じちたい が きょしゅつ して いた ちょうせん がっこう へ の ほじょきん が、 きんねん どんどん と しきゅう されなく なって います。 さくねん、 とうじ の もんぶ かがく だいじん、 馳浩 (はせ   ひろし) が、 とどうふけん へ むけて 「ちょうせん がっこう に かかる ほじょきん こうふ にかんする りゅういてん」 という つうち を だして います。 「てきせい かつ とうめいせい の ある しっこう の かくほ」 など と いって います が、 じしゅく しろという あつりょく に ほかなりません。 その けっか、 2016 ねんど に よさん けいじょう して いた に も かかわらず ほじょきん を こうふ しなかった じちたい が 5 けん あり、 その うち 3 けん は この つうち が こうふ を とりやめた りゆう である こと が わかって います。 また ぐんまけん にかんして は、 2017 ねんど の こうふ について、 らち もんだい を きょうかしょ に きさい する こと を ほじょきん しきゅう の ようけん として だして います。 この よう な きょういく ないよう へ の かいにゅう が ゆるされて よい の でしょう か。
みなさま、 そもそも、 なぜ ちょうせん がっこう が にっぽん に ある の か かんがえた こと が ありますでしょう か。 にっぽん による ちょうせん へ の しんりゃく ・ しょくみんち しはい によって、 むりやり にっぽん に つれて こられた、 あるいは けいざいてき な りゆう など により こざる を えなかった ちょうせんじんたち が、 みんぞく の ことば や れきし を まなばせたい、 という りゆう で はじまった ちょうせん がっこう。 その けいい を かんがえれば、 ほんらい なら ば せんご ほしょう の いっかん として、 にっぽんこく から じょせい が あるべきな の です。 それどころか、 ひっし で かちとって きた じちたい から の ほじょきん さえ も うばおう と して います。 いうまでもなく、 これ で は じゅうぶん な きょういく かんきょう が ととのいません。 じっさい、 おおく の ちょうせん がっこう に は ほけんしつ が ありません。 その よう な なか で の みんぞく きょういく が しいられて いる こと、 これ が みんぞく さべつ でなく て なん です か。
くしくも 69 とし まえ の ちょうど この じき です。 にっぽん せいふ は ちょうせん がっこう へいされい など をとおして、 ぼうりょくてき に ちょうせん がっこう を つぶして いきました。 みんぞく きょういく だんあつ に ていこう する とうじ 16 とし だった ちょうせんじん せいと を にっぽん の けいさつ は うちころしました。 4.24 はんしん きょういく とうそう です。

その とき から、 その まえ から も、 そして いま も ずっと わたしたち は へいわ と びょうどう を もとめて こえ を あげつづけて います。
こころざし ある みなさん も どうぞ いっしょ に あるきましょう!
 
 

3月18日デモ報告*3がつ 18にち でも ほうこく

 **2つめは かんじ なし**

 

はんにちわ。春っぽくなってきましたね。3月18日にデモをしましたよ。

いつものように京都市の繁華街を一時間ほどかけて歩きました。

デモ中、私たちを囲む警察に向かって「おつかれさまです!」と声をかけ敬礼のポーズ(!)をとるひとや、内容は聞き取れなかったけどなんやらデモ隊に怒鳴ってくるひとなどいました。

こちらの反日メッセージがしっかり伝わっていたようでなによりです。

小さなデモですけど、いつもそれなりに沿道からの注目を集めますし、続けることは大事だなと思います。

 

沿道からの一部熱い反応とは逆に今回は警察はなんとなく冷め切っていたような感じでした。デモ隊に対して「左に寄って」と邪魔をしてくることはありましたが、それほど激しくはなく、もしかしたら警察も「あんま激しく言うとこいつら余計に抵抗してくる」とそろそろ学習したのかもしれません。その真偽はわかりませんが、自由なデモに対する警察からの妨害に対してはその都度みなで抵抗していくというのは本当に大事なことだと思います。

警察の妨害に抵抗していると「警察は敵ではない」とか「そこ、頑張るところちゃう」みたいなことを言うひとがたまにいます。しかし、今日、左に縮められた分だけ、それが明日からの「当たり前」にされてしまいます。その縮められた分は手放してしまった私たちの自由、抵抗する力だと思います。ならば、まさにここで踏ん張って抵抗して、縮めさせないことこそとても大事だと思いませんか?

 

さて、デモのスピーチとシュプレヒコールも紹介しておきますね。

最近、デモのたびにどんどんスピーチが長くなっていっております。一緒にデモを歩いたひとたちを除いて、最初から最後まで聞いてくれたひとは多分いないんじゃないかしら・・・(と思ったら警察がいましたね。)

 

アレもコレも言いたい、言わなきゃ!と思ってスピーチを作っているとついどんどん長くなっちゃいます。デモというより街頭スピーチ向けなのかもしれませんが、たいそう照れ屋さんの私としては一箇所に留まって喋り続けるより喋りながら常に去っていくデモのほうがあってるなぁ、なんて思ったりも。

 

まぁ、言いたいことはできるだけ言い尽くそうという気持ちでやっております。そもそも社会運動全体が右傾化して”シングルイシュー”路線がもてはやされるなかで、「どんどん言い難くされていくことが増えている!」という思いからコトコトデモは出発しているから、この調子で続けていきたいと思いますー。

 

(スピーチ)

 

 ○○通りを語通行中のみなさん。

 最近、テレビをつけてみれば森友学園の話か、朝鮮の金正男氏殺害についてのことがほとんどを占めているような日々ですが、みなさんはどのようにご覧になっているでしょうか。

 森友学園が運営する塚本幼稚園の映像をみたとき、確かに胸がすくむような感覚になりました。

教育勅語を唱和させられ、「安倍総理頑張ってください」と園児たちが声をそろえる映像に度肝を抜かれた方々も多いのではないでしょうか。

 このようなものが「教育」として罷り通っていいはずは当然ありません。これは虐待であると私は思います。

しかし、考えてほしいのは、こうした戦前回帰とも言える現象はなにも塚本幼稚園に限ったことではないということです。実はこのような現象は日本全国の学校現場において、また学校に限らず日本社会の隅々にまでいきわたっています。

 日本全国の学校では、教員、生徒たちが侵略の象徴である「日の丸」を前に起立、天皇賛美の「君が代を斉唱することを強要され続けてきて、それに抵抗して闘う教員たちの多くが職を失うに至っています。

 社会化教育においては帝国主義的な領土意識を植え付けようとしており、歴史教育は植民地支配・侵略戦争に対する反省を失って自国中心主義への偏りを強めています。また道徳の教科化が決定し小学校では2018年度から、中学校で2019年度から実施されますが、それが個人の基本的人権よりも、それを抑圧する国家とそれが敷く社会規範を優先させ、ナショナリズムを煽るものであることは疑いないことです。

 皇国臣民化教育は戦前だけのものでもなければ、森友学園の専売特許でもないのです。

 学校だけではありません。家庭でテレビをつければ「日本すごい!」と自国を褒めちぎる番組のオンパレードであり、そのなかには露骨な外国人嫌悪に満ちた番組もそう珍しいものではなくなっています。

そうです。森友学園は、この日本社会の現状において過激なほうではあるのかもしれないけれど、残念ながら、それは決して異端ではなく、単にこの社会に蔓延る日本中心主義をより純化したという意味において地続きのものであるということを私たちは意識しないわけにはいけません。

 だからこそ、森友学園的なものを唾棄していくためには、この日本社会全体が既に陥っているこの排外的な日本中心主義の状況に対して根本から向き合い変えていく必要があるのではないでしょうか。

 森友学園に対する著しく不適切な厚遇に対して全国の朝鮮学校が置かれている処遇とをコントラストにするとより鮮やかに日本という社会のあり方が映し出されます。

 2010年度以来ずっと高校無償化からは除外され続け、国家ぐるみの差別は地方自治体にまで広がり、それまで拠出されていた補助金すら停止に踏み切った自治体が増え続けています。そのなかには補助金支給の条件に朝鮮民主主義人民共和国や朝鮮総連との関係を絶つことを迫ったり、拉致問題について扱うことを要求するなど露骨な教育介入をしてくることもあります。

 朝鮮学校は植民地支配によって日本に生活するようになった在日朝鮮人が祖国解放後、子どもたちに朝鮮の言葉や地理、歴史を教えようと自力で作ってきたものです。どれも日本の植民地支配によって学ぶ機会が奪われたことであり、本来ならば日本の責任において保障されなければならない民族教育です。またそのような歴史的経緯によらずとも民族的マイノリティに対する民族教育権は基本的人権として保障されなければならないものですが、日本は保障はおろか、積極的に朝鮮学校に対して差別・弾圧を加えてきました。

 朝鮮学校が差別・弾圧されてきたことの根本的な理由は、朝鮮学校こそが日本の植民地支配・侵略戦争の歴史、またその責任をとってこなかった「戦後」日本のあり方を告発する存在であるからに他なりません。その朝鮮学校の教育を「反日教育」と呼び差別・弾圧しながら、植民地支配・侵略戦争の歴史に目を背け、戦争で国家のために殺し・殺される主体としての「国民」を創り出す教育を「愛国教育」として称揚してきたことが森友学園の問題の本質であり日本社会全体の問題であると思います。

 

 朝鮮についてはメディアはもっぱら金正男氏殺害についてばかり取り上げるばかりで、弾道ミサイル実験や核実験とあわせて脅威を煽り続けていますが、では朝鮮がなぜ弾道ミサイル実験や核実験に踏み切るのかその背景をちゃんと報道しているメディアはほぼ皆無です。

 3月1日に始まり4月末まで続く米韓合同軍事演習は、過去最大規模として米韓両軍計31万7千人が参加した昨年の軍事演習をさらに上回る史上最大規模で実施されており、金正恩委員長ら要人の暗殺や誘拐を含む朝鮮への先制攻撃も視野に入れたものです。サードミサイルの配備を仮定した演習も実施されます。

 またこの軍事演習に含まれる「作戦計画5030」と呼ばれる作戦は、朝鮮の平壌上空を米軍のステルス戦闘機で飛行する可能性があり、場合によっては領空侵犯によってそのまま実際の戦闘行為に発展しかねない挑発行為だといえます。

規模においても、そして作戦の内容においても、米韓合同軍事演習は、いつ実戦に移行してもおかしくないものだということです。またこの戦争演習に参加している米軍ステルス戦闘機F-35Bは沖縄の普天間飛行場嘉手納基地から派遣されたものです。つまり日本も間接的に加担しているのです。

日本では朝鮮の弾道ミサイル実験や核実験についてはそれを差し迫った脅威であるとして、その防衛のためならばと日米安保も、自衛隊も、戦争法も、なんでもかんでも許してきてしまっていますが、圧倒的な軍事力を投じて定期的に実施される米韓合同軍事演習や、対朝鮮を軸にした日・米・韓による軍事的紐帯が朝鮮に与えている脅威を私たちは想像すべきではないでしょうか。朝鮮による脅威を理由として、ますます軍事化に拍車がかかるこの社会は沖縄に犠牲を強い続け、在日朝鮮人への差別・弾圧を許し続けてきました。また京都市に暮らす方々にはぜひもっと関心をもって欲しいのですが、丹後には近畿地方初となる米軍基地が設置されそこに配備されたXバンドレーダーが運用されてから既に2年以上が経ちますが、レーダーから発せられる強力な電磁波、発電機からの騒音、そして米軍関係者による40件を越える交通事故など地域のひとびとの安全と安心を脅かし続けています。

 昨年、11月には日韓秘密軍事情報保護協定が結ばれ、日韓の軍事的紐帯が強化され、今後、これまで実現しなかった日韓そして日米韓を含む合同軍事演習も現実味を帯びてきました。そうなればこの地域の緊張はさらに高まることになり、平和とはますます逆行していきます。そして、この日韓、日米間の軍事的連帯のために犠牲にされたひとびとが日本軍性奴隷制の被害女性たちです。日韓の軍事的連帯を強化するに当たって障壁となってきた植民地支配に端を発する問題のなかでも、最も大きな懸案であったいわゆる「従軍慰安婦問題を政府レベルで強引に解決しようとした結果が2015年12月28日に交わされた「合意」です。この被害女性の意向を無視して、当事者不在のまま政府間で交わされた合意によって、そもそも植民地支配と戦争の論理の下でその傷付けられた女性たちが、再び、軍事・戦争の論理によってその尊厳が傷付けられたのです。

 

私たちは、軍事化するこの日本社会に抵抗し、植民地支配と侵略戦争への真摯な反省と補償を求め続けます。

 

シュプレヒコール

 

・廃止しよう 差別の根源 天皇制!

・「陛下」とか 「様」「様」つけるの やめましょう!

・祝う日は 自分で決めるぞ 休日も!

天皇の 戦争責任 無視するな!

・「国民」に 統合されるの 拒否しよう!

・日の丸を 焼こう、破こう 降ろそうよ!

君が代を 流すのやめろ 歌わんぞ!

・入管は 殺人施設だ つぶそうよ!

・米軍の 押しつけ許さん 沖縄へ!

・警察は 自由なデモを 邪魔するな!

自衛隊 日本の軍隊 なくそうよ!

・朝鮮の 敵視をやめろ 今すぐに!

・国籍で ひとの生き方 せばめるな!

・廃止しよう 差別をうみだす 戸籍制度!

・やめにしよう 排除の祭典 オリンピック!

 

**かんじ つかって いません**

 

はん に ちわ。 はるっぽく なって きました ね。 3 つき 18 ひ に でも を しました よ。
いつも の よう に きょうとし の はんかがい を いちじかん ほど かけて あるきました。
でもちゅう、 わたしたち を かこむ けいさつ に むかって 「お つかれさま です!」 と こえ を かけ けいれい の ぽーず (!) を とる ひと や、 ないよう は ききとれなかった けど なん やら でもたい に どなって くる ひと など いました。
こちら の はんにち めっせーじ が しっかり つたわって いた よう で なに より です。
ちいさな でも です けど、 いつも それなり に えんどう から の ちゅうもく を あつめます し、 つづける こと は だいじ だ な と おもいます。

えんどう から の いちぶ あつい はんのう と は ぎゃく に こんかい は けいさつ は なんとなく さめきって いた よう な かんじ でした。 でもたい にたいして 「ひだり に よって」 と じゃま を して くる こと は ありました が、 それほど はげしく は なく、 もしか したら けいさつ も 「あんま はげしく いうと こい つら よけい に ていこう して くる」 と そろそろ がくしゅう した の かも しれません。 その しんぎ は わかりません が、 じゆう な でも にたいする けいさつ から の ぼうがい にたいして は その つど みな で ていこう して いくという の は ほんとうに だいじ な こと だ と おもいます。
けいさつ の ぼうがい に ていこう して いると 「けいさつ は てき で は ない」 とか 「そこ、 がんばる ところ ちゃう」 みたい な こと を いう ひと が たま に います。 しかし、 きょう、 ひだり に ちぢめられたぶん だけ、 それ が あした から の 「あたりまえ」 に されて しまいます。 その ちぢめられたぶん は てばなして しまった わたしたち の じゆう、 ていこう する ちから だ と おもいます。 ならば、 まさに ここ で ふんばって ていこう して、 ちぢめさせない こと こそ とても だいじ だ と おもいません か?

さて、 でも の すぴーち と しゅぷれひこーる も しょうかい して おきます ね。
さいきん、 でも の たび に どんどん すぴーち が ながく なって いって おります。 いっしょ に でも を あるいた ひとたち を のぞいて、 さいしょ から さいご まで きいて くれた ひと は たぶん いない ん じゃ ない かしら ・ ・ ・ (と おもったら けいさつ が いました ね。 )

あれ も これ も いいたい、 いわなきゃ!と おもって すぴーち を つくって いると つい どんどん ながく なっちゃ います。 でも と いうより がいとう すぴーちむけ な の かも しれません が、 たいそう てれやさん の わたし として は いちかしょ に とまって しゃべりつづけるより しゃべりながら つねに さって いく でも の ほう が あってるなぁ、 なんて おもったり も。

まぁ、 いいたい こと は できるだけ いいつくそう という きもち で やって おります。 そもそも しゃかい うんどう ぜんたい が うけいか して” しんぐるいしゅー” ろせん が もてはやされる なか で、 「どんどん いい がたく されて いく こと が ふえて いる!」 という おもい から ことこと でも は しゅっぱつ して いるから、 この ちょうし で つづけて いきたい と おもいます ー。

(すぴーち)

 ○ ○ とおり を かたり つうこうちゅう の みなさん。
 さいきん、 てれび を つけて みれば もりとも がくえん の はなし か、 ちょうせん の きむ まさおし さつがい について の こと が ほとんど を しめて いる よう な ひび です が、 みなさん は どの よう に ごらん に なって いるでしょう か。
 もりとも がくえん が うんえい する つかもと ようちえん の えいぞう を みた とき、 たしか に むね が すくむ よう な かんかく に なりました。
きょういく ちょくご を しょうわ させられ、 「あべ そうり がんばって ください」 と えんじたち が こえ を そろえる えいぞう に どぎも を ぬかれた かたがた も おおい の で は ないでしょう か。
 この よう な もの が 「きょういく」 として まかりとおって いい はず は とうぜん ありません。 これ は ぎゃくたい である と わたし は おもいます。
しかし、 かんがえて ほしい の は、 こうした せんぜん かいき と も いえる げんしょう は なに も つかもと ようちえん に かぎった こと で は ない という こと です。 じつは この よう な げんしょう は にっぽん ぜんこく の がっこう げんば において、 また がっこう に かぎらず にっぽん しゃかい の すみずみ に まで いきわたって います。
 にっぽん ぜんこく の がっこう で は、 きょういん、 せいとたち が しんりゃく の しょうちょう である 「ひのまる」 を まえ に きりつ、 てんのう さんび の 「きみがよ」 を せいしょう する こと を きょうよう されつづけて きて、 それに ていこう して たたかう きょういんたち の おおく が しょく を うしなうに いたって います。
 しゃかいか きょういく において は ていこく しゅぎてき な りょうど いしき を うえつけよう と して おり、 れきし きょういく は しょくみんち しはい ・ しんりゃく せんそう にたいする はんせい を うしなって じこく ちゅうしん しゅぎ へ の かたより を つよめて います。 また どうとく の きょうかか が けってい し しょうがっこう で は 2018 ねんど から、 ちゅうがっこう で 2019 ねんど から じっし されます が、 それ が こじん の きほんてき じんけん より も、 それ を よくあつ する こっか と それ が しく しゃかい きはん を ゆうせん させ、 なしょなりずむ を あおる もの である こと は うたがい ない こと です。
 こうこく しんみんか きょういく は せんぜん だけ の もの で も なけれ ば、 もりとも がくえん の せんばい とっきょ で も ない の です。
 がっこう だけ で は ありません。 かてい で てれび を つければ 「にっぽん すごい!」 と じこく を ほめちぎる ばんぐみ の おんぱれーど であり、 その なか に は ろこつ な がいこくじん けんお に みちた ばんぐみ も そう めずらしい もの で は なくなって います。
そう です。 もりとも がくえん は、 この にっぽん しゃかい の げんじょう において かげき な ほう で は ある の かも しれない けれど、 ざんねん ながら、 それ は けっして いたん で は なく、 たんに この しゃかい に はびこる にっぽん ちゅうしん しゅぎ を より じゅんか した という いみ において じつづき の もの である という こと を わたしたち は いしき しない わけ に は いけません。
 だからこそ、 もりとも がくえんてき な もの を だき して いく ため に は、 この にっぽん しゃかい ぜんたい が すでに おちいって いる この はいがいてき な にっぽん ちゅうしん しゅぎ の じょうきょう にたいして こんぽん から むきあいかえて いく ひつよう が ある の で は ないでしょう か。
 もりとも がくえん にたいする いちじるしく ふてきせつ な こうぐう にたいして ぜんこく の ちょうせん がっこう が おかれて いる しょぐう と を こんとらすと に すると より あざやか に にっぽん という しゃかい の ありかた が うつしだされます。
 2010ねんど いらい ずっと こうこう むしょうか から は じょがい されつづけ、 こっかぐるみ の さべつ は ちほうじちたい に まで ひろがり、 それ まで きょしゅつ されて いた ほじょきん すら ていし に ふみきった じちたい が ふえつづけて います。 その なか に は ほじょきん しきゅう の じょうけん に ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく や ちょうせんそうれん と の かんけい を たつ こと を せまったり、 らち もんだい について あつかう こと を ようきゅう するなど ろこつ な きょういく かいにゅう を して くる こと も あります。
 ちょうせん がっこう は しょくみんち しはい によって にっぽん に せいかつ する よう に なった ざいにち ちょうせんじん が そこく かいほうご、 こどもたち に ちょうせん の ことば や ちり、 れきし を おしえよう と じりき で つくって きた もの です。 どれ も にっぽん の しょくみんち しはい によって まなぶ きかい が うばわれた こと であり、 ほんらい なら ば にっぽん の せきにん において ほしょう されなけれ ば ならない みんぞく きょういく です。 また その よう な れきしてき けいい に よらず とも みんぞくてき まいのりてぃ にたいする みんぞく きょういくけん は きほんてき じんけん として ほしょう されなけれ ば ならない もの です が、 にっぽん は ほしょう は おろか、 せっきょくてき に ちょうせん がっこう にたいして さべつ ・ だんあつ を くわえて きました。
 ちょうせん がっこう が さべつ ・ だんあつ されて きた こと の こんぽんてき な りゆう は、 ちょうせん がっこう こそ が にっぽん の しょくみんち しはい ・ しんりゃく せんそう の れきし、 また その せきにん を とって こなかった 「せんご」 にっぽん の ありかた を こくはつ する そんざい である から に た なりません。 その ちょうせん がっこう の きょういく を 「はんにち きょういく」 と よび さべつ ・ だんあつ しながら、 しょくみんち しはい ・ しんりゃく せんそう の れきし に め を そむけ、 せんそう で こっか の ため に ころし ・ ころされる しゅたい として の 「こくみん」 を つくりだす きょういく を 「あいこく きょういく」 として しょうよう して きた こと が もりとも がくえん の もんだい の ほんしつ であり にっぽん しゃかい ぜんたい の もんだい である と おもいます。

 ちょうせん について は めでぃあ は もっぱら きむ まさおし さつがい について ばかり とりあげるばかり で、 だんどう みさいる じっけん や かく じっけん と あわせて きょうい を あおりつづけて います が、 では ちょうせん が なぜ だんどう みさいる じっけん や かく じっけん に ふみきる の か その はいけい を ちゃんと ほうどう して いる めでぃあ は ほぼ かいむ です。
 3つき 1 ひ に はじまり 4 げつまつ まで つづく べい かん ごうどう ぐんじ えんしゅう は、 かこ さいだい きぼ として べい かん りょうぐんけい 31 ばん 7 せんにん が さんか した さくねん の ぐんじ えんしゅう を さらに うわまわる しじょう さいだい きぼ で じっし されて おり、 きむ ただし おん いいんちょうら ようじん の あんさつ や ゆうかい を ふくむ ちょうせん へ の せんせい こうげき も しや に いれた もの です。 さーど みさいる の はいび を かてい した えんしゅう も じっし されます。
 また この ぐんじ えんしゅう に ふくまれる 「さくせん けいかく 5030」 と よばれる さくせん は、 ちょうせん の ぴょんやん じょうくう を べいぐん の すてるす せんとうき で ひこう する かのうせい が あり、 ばあい によって は りょうくう しんぱん によって そのまま じっさい の せんとう こうい に はってん しかねない ちょうはつ こうい だ と いえます。
きぼ において も、 そして さくせん の ないよう において も、 べい かん ごうどう ぐんじ えんしゅう は、 いつ じっせん に いこう して も おかしく ない もの だ という こと です。 また この せんそう えんしゅう に さんか して いる べいぐん すてるす せんとうき F-35B は おきなわ の ふてんま ひこうじょう、 かでな きち から はけん された もの です。 つまり にっぽん も かんせつてき に かたん して いる の です。
にっぽん で は ちょうせん の だんどう みさいる じっけん や かく じっけん について は それ を さしせまった きょうい である として、 その ぼうえい の ため なら ば と にち べい あんぽ も、 じえいたい も、 せんそうほう も、 なん でも かんで も ゆるして きて しまって います が、 あっとうてき な ぐんじりょく を とうじて ていきてき に じっし される べい かん ごうどう ぐんじ えんしゅう や、 たい ちょうせん を じく に した ひ ・ べい ・ かん による ぐんじてき ちゅうたい が ちょうせん に あたえて いる きょうい を わたしたち は そうぞう すべきで は ないでしょう か。 ちょうせん による きょうい を りゆう として、 ますます ぐんじか に はくしゃ が かかる この しゃかい は おきなわ に ぎせい を しいつづけ、 ざいにち ちょうせんじん へ の さべつ ・ だんあつ を ゆるしつづけて きました。 また きょうとし に くらす かたがた に は ぜひ もっと かんしん を もって ほしい の です が、 にご に は きんき ちほうはつ と なる べいぐん きち が せっち され そこ に はいび された X ばんど れーだー が うんよう されて から すでに 2 とし いじょう が たちます が、 れーだー から はっせられる きょうりょく な でんじは、 はつでんき から の そうおん、 そして べいぐん かんけいしゃ による 40 けん を こえる こうつう じこ など ちいき の ひとびとの あんぜん と あんしん を おびやかしつづけて います。
 さくねん、 11 つき に は にち かん ひみつ ぐんじ じょうほう ほご きょうてい が むすばれ、 にち かん の ぐんじてき ちゅうたい が きょうか され、 こんご、 これ まで じつげん しなかった にち かん そして にち べい かん を ふくむ ごうどう ぐんじ えんしゅう も げんじつみ を おびて きました。 そう なれば この ちいき の きんちょう は さらに たかまる こと に なり、 へいわ と は ますます ぎゃっこう して いきます。 そして、 この にち かん、 にち べいかん の ぐんじてき れんたい の ため に ぎせい に された ひとびとが にっぽんぐんせい どれいせい の ひがい じょせいたち です。 にち かん の ぐんじてき れんたい を きょうか するにあたって しょうへき と なって きた しょくみんち しはい に はじ を はっする もんだい の なか で も、 もっとも おおきな けんあん であった いわゆる 「じゅうぐん いあんふ」 もんだい を せいふ れべる で ごういん に かいけつ しよう と した けっか が 2015 とし 12 つき 28 ひ に かわされた 「ごうい」 です。 この ひがい じょせい の いこう を むし して、 とうじしゃ ふざい の まま せいふかん で かわされた ごうい によって、 そもそも しょくみんち しはい と せんそう の ろんり の した で その きずつけられた じょせいたち が、 ふたたび、 ぐんじ ・ せんそう の ろんり によって その そんげん が きずつけられた の です。

わたしたち は、 ぐんじか する この にっぽん しゃかい に ていこう し、 しょくみんち しはい と しんりゃく せんそう へ の しんし な はんせい と ほしょう を もとめつづけます。

(しゅぷれひこーる)

・ はいし しよう   さべつ の こんげん   てんのうせい!
・ 「へいか」 とか  「よう」「よう」 つけるの   やめましょう!
・ いわう ひ は   じぶん で きめるぞ   きゅうじつ も!
・ てんのう の   せんそう せきにん   むし するな!
・ 「こくみん」 に   とうごう される の   きょひ しよう!
・ ひのまる を   やこう、 やぶこう   おろそう よ!
・ きみがよ を   ながす の やめろ   うたわん ぞ!
・ にゅうかん は   さつじん しせつ だ   つぶそう よ!
・ べいぐん の   おしつけ ゆるさん   おきなわ へ!
・ けいさつ は   じゆう な でも を   じゃま するな!
・ じえいたい   にっぽん の ぐんたい   なくそう よ!
・ ちょうせん の   てきし を やめろ   いま すぐ に!
・ こくせき で   ひと の いきかた   せばめるな!
・ はいし しよう   さべつ を うみだす   こせき せいど!
・ やめ に しよう   はいじょ の さいてん   おりんぴっく!

反天皇デモ!

 

 

 
****2つめは かんじ なし****
 
はんにちはー!
12月23日、アキヒトの誕生日だそうで、反天皇デモを行いました!
雨も降る寒いなか頑張っちゃいました。
 
素敵な横断幕ー!

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いつも警察は、デモ隊を歩道側に寄せて車を通そうとします。そんなことはさせない!何のために車道使用許可をわざわざ取ってると思ってんだ!
みんなで車線ギリギリを歩きました。案の定、警察は「左に寄れ」とうるさい。これ以上左傾化したら、もう、知りませんよ。。。
あるとき、沿道にいたひとがおもむろに公安キャップを被り、カメラを向けてくるではありませんか!
気付いたその場で、「警察は盗撮するな」とみんなで抗議しカメラをしまわせました。
 
盗撮犯はこのひと

 

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公安以外の沿道のひとからはときに「この国賊非国民が!」とわれわれの正体を見破っていただき、デモ隊のテンションが上がりました。笑
 
デモのスピーチとコールはこちらです。
 
<スピーチ>
 
今日12月23日は平成天皇アキヒトの誕生日であることをもって「祝日」とされていますが、みなさん不思議に思ったことありませんか?
どうしてある家系に生まれついただけで「〜様」と様付けで呼ばれたり「陛下」といった特別な敬称をこのひとたちはつけられるのか、と。
 
私たちはいまだに身分制社会に生きているのでしょうか?
日本国憲法は一方では人間の平等をうたっているにもかかわらず、他方で天皇制をも認めるという自己矛盾に陥っていますが、天皇制が存続する社会で私たちは真に人と人とが平等な社会を創造できるとは思えません。
 
そして現政権与党はさらに天皇の元首化を目論んでいます。これは何を意味するのでしょう?
日本という国家とその国民統合の象徴と位置付けられている天皇はこれまでも、多様な個々人の間にある差異やそこに生じる緊張関係を包み隠し、単一で排他的な「国民」という主体形成のために働いてきました。
この「国民」とはまさに国家のために殺し、殺されることを受け入れる戦争に動員される主体に他なりません。
明治憲法時代の「臣民」から名前が変わろうと、その本質は何も変わっていないのです。
天皇の元首化とはこの天皇の役割をさらに発展深化させるものです。
 
象徴天皇制へと以降して70年が経つなかで、それはあまりに私たちの生活に定着してしまっています。
日本で「祝日」とされているのは今日も含めてそのほとんどが天皇と関係して制定されたものであり、「昭和」や「平成」といった天皇制を基盤とした元号は日常的に使われます。アキヒトが憲法で制限された天皇の権限を大きく逸脱して「生前退位」を含む天皇制の今後の在り方について言及すれば、メディアも多くの「国民」もその違憲性をつっこむこともなく、一様に理解を示すありさまです。
人間の自由と平等という原則が前提に立つべき反戦平和運動のなかにおいてすら、今や、アキヒトは平和主義者でリベラルだとして、安倍政権を批判する際に持ち上げるほどです。
 
これほど社会の隅々にまで天皇制が定着してしまっているようにみえる一方で、それが暴力と恐怖によって支えられていることもまた見逃してはなりません。
というのも、天皇制に対する批判は、「戦前」はいわずもがな「戦後」も、一貫して暴力の標的になってきたからです。
文学作品からジャーナリズム、映画、芸能の世界までいたる分野においても、皇室に対して「不敬」とみなされた表現は襲撃の標的となってきたのであり、そのなかには死者を出した事例もあります。1990年には当時の長崎市長が、昭和天皇ヒロヒト戦争責任に触れたことで右翼から銃撃されました。
つい先月にも東京での反天皇制を訴えるデモに対して、デモ隊の車のフロントガラスを破壊したり負傷者が出るほどの襲撃が加えられました。天皇制批判に対するこうした度重なる襲撃にも関わらず、警察はデモ隊を弾圧することはあっても右翼による襲撃については選択的に見逃してきており、多くのメディアもまたこれに沈黙を貫いてきました。
天皇制はただ自然に私たちの社会に溶け込んでいるわけではありません、それは天皇制批判を暴力によって怖気させタブーとしながら浸透させてきたのです。
 
アキヒトは平和主義者でリベラル?あまりにナンセンスです。天皇とはその存在様式それ自体が反動なのです。
 
なるほど、アキヒトはそのソフトな語り口で、平和にむけての祈りや、平和憲法を大事にして欲しいという風なことを口にするかもしれませんが、むしろアキヒトが絶対に認めないことのほうに意味があり、それこそ天皇戦争責任です。
 
アキヒトの天皇という地位は、戦争責任者である昭和天皇ヒロヒトから継承したものであり、結局のとのろ象徴天皇制が象徴するものとは、植民地支配と侵略戦争に対する「戦後」日本社会の一貫した無責任の体系です。いえ、それだけではありません。ヒロヒトには兵士も民間人も含めた自国の戦争犠牲者、特に、敗戦をいたずらに遅らせ戦果を求めて沖縄を捨石とした沖縄戦と、広島・長崎の原爆投下を含めて責任があります。
 
象徴天皇制とはこうしたヒロヒト戦争責任を免責する形で天皇制を延命させるための制度であったのであり、そのためにヒロヒトはまたしても沖縄を日本から切り離し基地の島としてアメリカに差し出したのです。
日本全土に対して1%に満たない沖縄に在日米軍の74%が集中し続け、今も日本の機動隊や海上保安庁の剥き出しの暴力を行使しながら高江、辺野古への新基地建設が進められる沖縄のこの状況もまた、元凶を辿ると天皇制と結びつくのです。
 
もうこんな天皇制にうんざりだ。天皇制を許容し続ける日本社会にうんざりだ!
みなさん、天皇制を廃止しましょう!
 
・廃止しよう 差別の根元 天皇制!
 
・「陛下」とか 「様」「様」つけるの やめましょう!
 
・祝う日は 自分で決めるぞ 休む日も!
 
・使わんぞ 天皇時計の 元号を!
 
天皇戦争責任 無視するな!
 
ヒロヒトの 沖縄メッセージ 忘れんぞ!
 
・リベラルと アキヒト褒めるな ナンセンス!
 
・「国民」に 統合されるの 拒否しよう!
 
・ノーー…モアー……エンペラー!!!
 
・てーーーん………NO!!!(NOで腕をクロスさせ×マークをつくる)
 
****かんじ なし****
 
はんにちはー!
12がつ 23にち 、 あきひと の たんじょうび だ そう で、 はんてんのう でも を おこないました!
あめ も ふる さむい なか がんばっちゃ いました。
 
すてき な おうだんまく ー!

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いつも けいさつ は、 でもたい を ほどうがわ に よせて くるま を とおそう と します。 そんな こと は させない!なに の ため に しゃどう しよう きょか を わざわざ とってると おもって ん だ!
みんな で しゃせん ぎりぎり を あるきました。 あんのじょう、 けいさつ は 「ひだり に よれ」 と うるさい。 これ いじょう さけいか したら、 もう、 しりません よ。 。 。
ある とき、 えんどう に いた ひと が おもむろに こうあん きゃっぷ を こうむり、 かめら を むけて くるで は ありません か!
きづいた その ば で、 「けいさつ は ととするな」 と みんな で こうぎ し かめら を しまわせました。
 
とうさつはん は この ひと 

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こうあん いがい の えんどう の ひと から は とき に 「この こくぞく ひこくみん が!」 と われわれ の しょうたい を みやぶって いただき、 でもたい の てんしょん が あがりました。 えみ
 
でも の すぴーち と こーる は こちら です。 
 
<すぴーち>
 
きょう 12 がつ 23 にち は へいせい てんのう あきひと の たんじょうび である こと を もって 「しゅくじつ」 と されて います が、 みなさん ふしぎ に おもった こと ありません か?
どうして ある かけい に うまれついた だけ で 「〜 さま」 と「さま」づけ で よばれたり 「へいか」 といった とくべつ な けいしょう を この ひとたち は つけられる の か、 と。
 
わたしたち は いまだに みぶんせい しゃかい に いきて いる の でしょう か?
にほんこく けんぽう は いっぽう で は にんげん の びょうどう を うたって いるに も かかわらず、 たほう で てんのうせい を も みとめるという じこ むじゅん に おちいって います が、 てんのうせい が そんぞく する しゃかい で わたしたち は しんに ひと と ひと と が びょうどう な しゃかい を そうぞう できると は おもえません。
 
そして げんせいけん よとう は さらに てんのう の げんしゅか を もくろんで います。 これ は なに を いみ する の でしょう?
にほん という こっか と その こくみん とうごう の しょうちょう と いちづけられて いる てんのう は これ まで も、 たよう な ここじん の あいだ に ある さい や そこ に しょうじる きんちょう かんけい を つつみかくし、 たんいつ で はいたてき な 「こくみん」 という しゅたい けいせい の ため に はたらいて きました。
この 「こくみん」 と は まさに こっか の ため に ころし、 ころされる こと を うけいれる せんそう に どういん される しゅたい に ほか なりません。
めいじ けんぽう じだい の 「しんみん」 から なまえ が かわろう と、 その ほんしつ は なに も かわって いない の です。
てんのう の げんしゅか と は この てんのう の やくわり を さらに はってん しんか させる もの です。
 
しょうちょう てんのうせい へ と いこう して 70 ねん が たつ なか で、 それ は あまりに わたしたち の せいかつ に ていちゃく して しまって います。
にほん で 「しゅくじつ」 と されて いる の は きょう も ふくめて その ほとんど が てんのう と かんけい して せいてい された もの であり、 「しょうわ」 や 「へいせい」 といった てんのうせい を きばん と した げんごう は にちじょうてき に つかわれます。 あきひと が けんぽう で せいげん された てんのう の けんげん を おおきく  いつだつ して 「せいぜん たいい」 を ふくむ てんのうせい の こんご の ありかた に ついて げんきゅう すれば、 めでぃあ も おおく の 「こくみん」 も いちよう に それ に りかい を しめすあり さま です。
にんげん の じゆう と びょうどう と いう げんそく が ぜんてい に たつべき はんせん ・ へいわ うんどう の なか において すら、 いまや、 あきひと は へいわ しゅぎしゃ で りべらる だ として、 あべ せいけん を ひはん する さい に もちあげるほど です。
 
これ ほど しゃかい の すみずみ に まで てんのうせい が ていちゃく して しまって いる よう に みえる いっぽう で、 それ が ぼうりょく と きょうふ によって ささえられて いる こと も また みのがして は なりません。
というのも、 てんのうせい にたいする ひはん は、 「せんぜん」 は いわず も が な 「せんご」 も、 いっかん して ぼうりょく の ひょうてき に なって きた から です。
ぶんがく さくひん から じゃーなりずむ、 えいが、 げいのう の せかい まで、 いたる ぶんや において も、 こうしつ にたいして 「ふけい」 と みなされた ひょうげん は しゅうげき の ひょうてき と なって きた の であり、 その なか に は ししゃ を だした じれい も あります。 1990 ねん に は とうじ の ながさき しちょう が、 しょうわ てんのう ひろ ひと の せんそう せきにん に ふれた こと で うよく から じゅうげき されました。
つい せんげつ に も とうきょう で の はんてんのうせい を うったえる でも にたいして、 でもたい  の  くるま の ふろんと がらす を はかい したり ふしょうしゃ が でるほど の しゅうげき が くわえられました。 てんのうせいひはん  に  たいする  こうした  たびかさなる  しゅうげき に も かかわらず、 けいさつ は でもたい を だんあつ する こと は あって も うよく による しゅうげき について は せんたくてき に みのがして きて おり、 おおく の めでぃあ も また これ に ちんもく を つらぬいて きました。
てんのうせい は ただ しぜん に わたしたち の しゃかい に とけこんで いる わけ で は ありません、 それ は てんのうせい ひはん を ぼうりょく によって おじけさせ たぶー と しながら しんとう させて きた の です。
 
あきひと は へいわ しゅぎしゃ で りべらる?あまりに なんせんす です。 てんのう と は その そんざい ようしき それ じたい が はんどう な の です。
 
なるほど、 あきひと は その そふと な かたりくち で、 へいわ に むけて の いのり や、 へいわ けんぽう を だいじ に して ほしい という ふう な こと を くち に するか も しれません が、 むしろ あき ひと が ぜったい に みとめない こと の ほう に いみ が あり、 それ こそ てんのう の せんそう せきにん です。
 
あきひと の てんのう という ちい は、 せんそう せきにんしゃ である しょうわ てんのう ひろひと から けいしょう した もの であり、 けっきょく の ところ しょうちょう てんのうせい が しょうちょう する もの と は、 しょくみんち しはい と しんりゃく せんそう にたいする 「せんご」にほん しゃかい の いっかん した むせきにん の たいけい です。いえ、 それ だけ で は ありません。 ひろひと に は へいし も みんかんじん も ふくめた じこく の せんそう ぎせいしゃ、 とくに、 はいせん を いたずら に おくらせ せんか を もとめて おきなわ を すていし と した おきなわせん と、 ひろしま ・ ながさき の げんばく とうか を ふくめて せきにん が あります。
 
しょうちょう てんのうせい と は こうした ひろひと の せんそう せきにん を めんせき する かたち で てんのうせい を えんめい させる ため の せいど であった の であり、 その ため に ひろひと は また して も おきなわ を にほん から きりはなし きち の しま として あめりか に さしだした の です。
にほん ぜんど にたいして 1% に みたない おきなわ に ざいにちべいぐん の 74% が しゅうちゅう しつづけ、 いま も にほん の きどうたい や かいじょうほあんちょう の むきだし の ぼうりょく を こうし しながら たかえ、 へのこ へ の しんきち けんせつ が すすめられる おきなわ の この じょうきょう も また、 げんきょう を たどると てんのうせい と むすびつく の です。
 
もう こんな てんのうせい に うんざり だ。 てんのうせい を きょよう しつづける にっぽん しゃかい に うんざり だ!
みなさん、 てんのうせい を はいし しましょう!
 
<しゅぷれひこーる>
 
・ はいし しよう   さべつ の こんげん   てんのうせい!
 
・ 「へいか」 とか  「さま」「さま」 つけるの   やめましょう!
 
・ いわう ひ は   じぶん で きめるぞ   やすむ ひ も!
 
・ つかわんぞ   てんのう とけい の   げんごう を!
 
・ てんのう の   せんそう せきにん   むし するな!
 
・ ひろひと の   おきなわ めっせーじ   わすれんぞ!
 
・ りべらる と   あきひと ほめるな   なんせんす!
 
・ 「こくみん」 に   とうごう される の   きょひ しよう!
 
・ のーー … もあー … … えんぺらー!!!
 
・ て ーーー ん … … … NO!!!(NO で うで を くろす させ × まーく を つくる)
 

 

あおぞら てんじ

はんにちわ!
毎度毎度、路上から日帝の悪さをお伝えしている私たちですが、
秋だしね、たまには立ち止まって(立ち止まらせて)、
五七五もいいけど、まとまったかたちで主張を見てもらいたいなーということで、
2年前のこれ、思い出しました。

しかし、ちょっとした時空のゆがみがありまして、
場所を嵐山から、11月祭にわく某大学構内のすみっこをお借りすることになりました。
おあつらえ向きにテントなんかありましたんで、展示物を広げてみました。

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薄墨を流したような曇天のもと、いちょうの木の黄色が浮き上がるように目に刺さります。

構内はちょうどお祭りで、家族連れやお友だち連れ、犬の散歩の人など、たくさんの人が歩みを止めて、私たちの展示を見てくれました。

画像のまんなかあたり、白い大きな模造紙数枚にびっしり書かれているのは
朝鮮学校史からみる朝鮮人差別」と題した、年表形式の展示です。
読んでいた人が「これ、1980年代がすっぽり抜けてるよ」と。
言われてみれば確かにそうです。しかし、書き忘れたわけではないはず……。
朝鮮学校はずっと弾圧されてきてるけど、80年代って実は比較的マシだったのでは?」
80年代にも朝鮮学校に関するできごとはさまざまあったでしょうが、それまでの運動が実を結び、勝ち取った成果が表れた時代でもありました。
しかし、90年代からこっち、特に00年代以降、朝鮮学校を取り巻く状況は、どんどん悪くなっています。
乱暴で極端な誰かのせい?
「国民」の理解が得られないと言うえらい人のせい?
民族教育は権利ですし、朝鮮学校の財政を、権利の保障として行政が支援するのも当たり前のことです。
なのに、その当たり前のことが実行されてない現状は、まちがっています。
まちがっていることを前にしたとき、一気にそれをただす力があればいいのですが、ものごとによっては、ひとりの力では及ばないこともあります。
でも、一気にただせないからといって、見て見ぬふりをしないでください。それは、まちがいを推し進めることに加担することです。

ひとりで、大きな力は出せないけれど、まちがいをまちがいだと訴えつづけることはできます。
これからもまたこの京都の地で、京都じゃないところでも、路上から、まちかどから、訴え続けますので、みなさんも見かけたら、見て見ぬふりはしないでくださいね。



はんにちわ!
まいどまいど、ろじょうから にっていの わるさを おつたえしている わたしたちですが、
あきだしね、たまには たちどまって(たちどまらせて)、
ご・しち・ご も いいけど、まとまったかたちで しゅちょうを みてもらいたいなー と いうことで、
2ねんまえの これ、 おもいだし ました。

しかし、ちょっとした じくうの ゆがみが ありまして、
ばしょを あらしやまから、11がつさいに わく ぼうだいがく こうないの すみっこを おかりする ことに なりました。
おあつらえむきに てんとなんか ありましたんで、てんじぶつを ひろげて みました。

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うすずみを ながしたような どんてんの もと、いちょうの きの きいろが うきあがる ように めに ささります。

こうないは ちょうど おまつりで、かぞくづれや おともだちづれ、いぬの さんぽの ひとなど、たくさんの ひとが あゆみを おめて、わたしたちの てんじを みてくれました。

がぞうの まんなか あたり、しろい おおきな もぞうし すうまいに びっしり かかれているのは
「ちょうせん がっこうし からみる ちょうせんじん さべつ」と だいした、ねんぴょう けいしきの てんじです。
よんでいた ひとが「これ、1980ねんだいが すっぽり ぬけてるよ」と。
いわれて みれば たしかに そうです。しかし、かきわすれた わけでは ないはず……。
「ちょうせん がっこうは ずっと だんあつされて きてるけど、80ねんだいって じつは ひかくてき まし だったの では?」
80ねんだいにも ちょうせん がっこうに かんする できごとは さまざま あったでしょうが、それまでの うんどうが みをむすび、かちとった せいかが あらわれた じだいでも ありました。
しかし、90ねんだいから こっち、とくに 00ねんだい いこう、ちょうせん がっこうを とりまく じょうきょうは、どんどん わるく なって います。
らんぼうで きょくたんな だれかの せい?
「こくみん」の りかいが えられないと いう えらい ひとの せい?
みんぞく きょういくは けんりですし、ちょうせん がっこうの ざいせいを、けんりの ほしょうと して ぎょうせいが しえん するのも あたりまえの ことです。
なのに、その あたりまえの ことが じっこう されてない げんじょうは、まちがって います。
まちがって いることを まえに したとき、いっきに それを ただす ちからが あれば いいのですが、ものごとに よっては、ひとりの ちからでは およばない ことも あります。
でも、いっきに ただせない からと いって、みてみぬふりを しないで ください。それは、まちがいを おしすすめる ことに かたんする ことです。

ひとりで、おおきな ちからは だせないけれど、まちがいを まちがいだと うったえつづける ことは できます。
これからも また この きょうとの ちで、きょうとじゃない ところでも、ろじょうから、まちかどから、うったえつづけます ので、みなさんも みかけたら、みてみぬふりは しないで くださいね。