3月24日デモ報告

まえ の きじ(3がつ 24にち でも ほうこく - コトコトじっくり煮込んだ日帝♪)は かんじ なし ばーじょん です。

*********

 

はんにちわー!

 

先日、3月24日にデモをしました。

心地よい春の陽気はまさに反日デモ日和でした。

さて、今回のデモは申請のために警察署に行くのを拒否して郵送で済ませました。その方法は「自由と人権は「国民」の占有物ではないと考えるひとびと」呼びかけの反日デモの申請にならってますので、こちらを参考にしてください。

デモ申請、郵送でやったYO! - 自由と人権は「国民」の占有物ではないと考えるひとびと

ちなみに、申請書はワードで作りましたが別に手書きでも構わないですよ。

 

そして、今回もさらに一歩前進させようと思い今回のデモは警察が嫌がる「繁華街の交差点右折」をコースに取り入れました。京都市の地理がわかるひとにしか伝わらないかもしれないけど、四条河原町交差点を普段は左折して祇園のほうに行っていたのですが、これを右折にして烏丸へ行くコースにしたのです。

 

すると、郵送後3日ほどして警察署から電話が。。

 

なんでも交通渋滞を引き起こさないようコースを変更してほしいと

 

はい、断りました。警察はいくつか代案を出してきましたがもちろん全部却下しました

 

さてさて、そんなわけでデモ当日を迎えたわけですが、そこで私たちは驚くべき光景に遭遇するのです。

 

もともと参加予定人数として約10人となっていたデモに対してやってきた警察官の数…

 

ざっとみても25人くらい!!!

 

デモ参加者ひとりに対して二人体制でがっつりマークされるような人員なわけですよ。

 

公安もいるし、機動隊や広報部と名乗るいわゆるDJポリスまでぞろぞろぞろぞろ。

 

おぉ、いつも(4〜5人)より並んどるわぁ。
f:id:kotokotonittei:20180506150108j:image

 

 

うわ、逆側にも!


f:id:kotokotonittei:20180506150152j:image


f:id:kotokotonittei:20180506150202j:image

 

 

 

いわゆるDJポリスとトレンチポリス

 
f:id:kotokotonittei:20180506150217j:image

 

 

唐突にびろーんと伸ばしてきた、テープカットしたら多分そのまま捕まるやつ。

 
f:id:kotokotonittei:20180506150227j:image

 

 

 

なんなんだよ、この超厳戒態勢!

 

私たちは今まで警察とデモの現場で(警察の不当なデモへの介入が原因で)色々言い合いになってきたけど、いつもきわめて平和にやってきたのに、なんなのこれ。

 

確かに車とかバスとか通れなくさせて、沿道から罵声を浴びたりもしてきたけど、何もとめられないデモなんてなんなの?この社会のおかしな流れをとめたいからこそのデモじゃん。

デモが交通をとめるってそういう一歩ずつを歩むってことなの!

迷惑はかけるものなの!

 

それをこんな物々しい警察権力をもっておさえつけようなんて、何が表現の自由だ!警察は憲法違反すんな!

 

と、怒りがぞくぞくと湧き上がりました。今回はいろんなスピーチを用意してましたが、まずはこの予期せぬ警察対応に対する怒りからデモはスタート。みな口々に警察への超過剰警備、この抑圧状況に怒りの叫びをぶつけまくりました。

 

その後デモは朝鮮総連への銃撃事件にまで至った日本の朝鮮悪魔化問題についてや、殺人的な日本の入管行政への告発、オリンピック・パラリンピック問題、天皇制代替わり問題についての力強いスピーチが繰り広げられます

 

ほんと、どれも大事なことがつまったスピーチたちです。

 

 朝鮮悪魔化問題について

はんにちわー!

まず私からは在日朝鮮人に対する相次ぐ差別・弾圧、ヘイトクライムについて、そしてそれを生み出す背景となっている日本社会の朝鮮悪魔化について訴えます。

 

この一年の間に在日朝鮮人の命を脅かす深刻な事件が少なくとも二度起きています。

覚えているでしょうか?

去年の5月23日、名古屋の在日朝鮮系の信用金庫に対する放火事件が起きたことを。

日本軍性奴隷制問題に対する韓国政府の対応に不満があったと犯人はその動機を語りました。

 

先月2月23日には朝鮮総連中央本部に対して右翼による銃撃事件がありました。容疑者として逮捕された者たちは「北朝鮮による相次ぐミサイル挑発に堪忍袋の緒が切れた」と述べたそうです。

 

銃撃によって、放火によって在日朝鮮人の命が狙われるこの状況を皆さんはどのように受けとめていますか?

 

けしからん右翼がやったこと、として自分とは関係ないと思ってはいないですか?

 

動機として語られた日本軍性奴隷制をめぐって、あるいは朝鮮のミサイルをめぐって、皆さんはこの右翼たちとどれほど違うと言い切れますか?

もしかしたら動機は理解できるけど暴力はよくない、くらいに思ってはいませんか?

 

この右翼たちの物理的なおぞましい暴力は、その動機を抽出すれば日本の国家権力の意志に忠実に従ったものです。

 

日本政府が主導する朝鮮敵視政策とその一環である朝鮮学校に対する差別政策もまたそれをよくあらわしています。

2006年に始まる経済制裁はもう12年にも及びます。

この間、多くの在日朝鮮人の祖国往来の権利が否定され、また総連および関連があると疑われる団体や個人に対する政治弾圧は後を絶ちません。

高校無償化から朝鮮学校のみを除外し続ける差別は2010年から今も続いています。また文科省からの通知という形をとった圧力により、数々の地方自治体が地方自治をかなぐり捨てて相次いで朝鮮学校補助金不支給の決定をしています。最近では2月に群馬県が朝鮮学校の教科書に拉致問題についての記載と学校が朝鮮総連と関係ないことを証明することを要件とし、それを満たさないために不支給決定をしました。またつい先日、阪高裁は大阪府および大阪市朝鮮学校への補助金不支給決定を認める不当判決を出しました。

これらの国策差別に対して皆さんのほとんどはスルーしてきました

これが差別・弾圧であるとすらまだ一般的には認知されているとも言い難いのが現状です。

 

それは皆さんが「北朝鮮と呼ぶ相手が日本国民にとって無条件に忌み嫌い、憎悪することを許されている対象だからに他なりません。

しかし、その「北朝鮮」とは何でしょう?

皆さんのほとんどは、それをマスメディアを介したイメージでしか知りません。行ったことなければ、そこで生きる人々とあったこともない。

自らの体験を通して知ったことはそこになく、ただただ垂れ流されるゴシップ紛いの情報の山によって築かれたイメージです。どの社会も多様な側面があるに関わらず、こと「北朝鮮」に関しては常にそれはどれも似たり寄ったりです。

 

反戦と平和を叫び、差別反対を唱えるようないっけん「リベラル」かあるいは「左翼」を自称するひとが安倍政権を批判する際に「まるで北朝鮮」と言います。

右翼から左翼までそのイメージが共有されているのです。

ところで、そのイメージに含まれるものの1つに朝鮮は全体主義的というのがあります。

 

なんという皮肉でしょうか。

 

右から左まで、国会のなかでは与党も野党も関係なく、朝鮮敵視が支持されていること、そしてそれによって現実に差別と暴力が起き続けていること、しかも、それが創り上げられたイメージによって支えられているというこの日本社会の状況こそ既にずっと長い間全体主義的なのです。

 

あなたたちが幾らでも自由に忌み嫌い、憎悪することが許される「北朝鮮」のイメージ。

それはあなたたち自身が創り上げたものです。

 

そしてあなたたちが「北朝鮮よりはマシ」だと信じている日本の「戦後民主主義」なるものが、実のところ侵略戦争と植民地支配の責任から逃れ、朝鮮分断に積極関与し、冷戦構造の維持と強化に与することによって条件付けられたものであり続けていることを決して忘れないでください。

 

入管行政への告発

 はんにちはー!


 みなさん、「入管」というのをごぞんじでしょうか? 「入管」は「入国管理局」という役所です。国境をこえた人間の出入りと、日本での外国人の在留を管理する役所です。


 入管は外国人の在留を管理する役所だ、いま私はそう言いました。「在留する」というのは、日本で生活することです。日本人は、ここで生活することになにか「資格」を求められることはありません。ところが、外国人については、どんなに日本で長く暮らしていても、入国管理局によって「資格」を審査され、許可を受けてはじめて日本に在留を認められる、ということになっています。差別ですよね。こうして差別的に外国人の在留を管理しているのが、入管という役所です。


 さて、入管は収容施設を持っています。東京、茨城県、名古屋、長崎、近いところでは大阪に大きな収容施設があります。大阪の入管にはだいたい100名、全国の入管の施設を全部あわせると1300人ぐらいの外国人が収容、監禁されています。入管の施設は、基本的には送還、強制送還のための施設だということになっています。その強制送還のための施設に、全国で1300人、長い人では2年とか3年以上、収容・監禁されているのです。収容されているのは、在留の「資格」を入管に認められず、強制送還の対象とされている人たちです。


 入管につかまって収容された人のほとんどは帰国していきます。しかし、もろもろの事情があって、帰国するわけにはいかない人、日本にとどまらざるをえない人もいます。難民といって、帰国すると迫害を受けるおそれのある人がいます。また、日本に長く暮らしていたり、大事な人間関係があったり、ここにしか生活するための基盤がない人もいます。入管の収容施設は、そういう日本にとどまらざるをえない外国人を長期間にわたって監禁して帰国を強要する、いわば拷問のための施設になっています。


 どうして、1300人もの外国人が長期間にわたって収容・監禁されるような事態になっているのでしょうか?
そのもっとも大きな原因は、日本社会が外国人労働者を使い捨てにしてきたことにあります。日本社会は、政官財ぐるみで、外国人を呼び込んでは、不安定な地位に置きながら労働力として「活用」してきました。日本政府の外国人に対する在留の管理は、定住・永住を極力みとめず、あくまでも一時的な労働力などとして外国人を利用しやすいようにするという考えにもとづいています。外国人の在留は、あくまでも入管・日本政府が認めたり認めなかったりできる「資格」として位置づけられています。つまり、たとえどんなに長く日本で暮らしていても、あるいは日本で生まれた人であっても、外国人が日本に住むことは、たんなる「恩恵」であって、それを権利としては認めない、というのが、外国人についての日本の在留管理政策であったのです。


 しかし、日本の国・政府のおもわくがどうであれ、人は生活していくなかで、その土地その社会に生活の基盤をつくっていきます。日本側が一時的な労働力としてだけ外国人を利用したいと考えても、そうして呼び込んだ外国人の一定数は、この地に定着し今後もここにとどまらざるをえなくなっていくのです。そういう外国人をあくまでも不安定な地位に置きつづけよう、あるいはその在留を認めないでおこう、いらなくなったら出身国に追い返せばよい、という日本政府の都合のよい身勝手なやり方が破綻した、その結果として入管の収容施設が1300人もの人でいっぱいになっているのです。
 医療などが劣悪な施設に長期間にわたってたくさんの人数を収容・監禁することで、入管の収容施設では死人も出ています。この5年のあいだに、入管の収容施設で分かっているだけで5人のかたが病死していますあきらかに医療ネグレクトが原因と言えるような死亡事件もあります。ちょうど1年ほど前にも茨城県の施設でベトナム人が亡くなりました。この5人の死亡者にくわえて、収容中に病気になったり病気が悪化して、施設を出所したあとに亡くなる人もいます。つぎつぎと人が死ぬ。それが入管の収容施設の実態なのです。


 では、入管をこのような殺人施設にしているのはなんでしょうか?
問題の根っこにあるのは、この社会の住民を国民と外国人に分けたうえで、外国人をもっぱら在留管理のもとに置くという差別的なシステムにあります。これは、外国人を都合のよい使い捨ての安い労働力としてコントロールし利用するための差別的なシステムです。問題は差別です。そしてこの差別のシステムは、私たちのものの見方・考え方を「国民」中心の差別的なものへと形作ります。この「国民」中心の考え方をやめることから、日本の差別的なシステム・制度を変えていきましょう。

 

 オリンピック・パラリンピック問題について

みなさん、オリンピック、パラリンピック、楽しんだり、感動をありがとうしちゃったりしましたか?
 
ダメです!めっちゃダメダメです!
 
オリンピックもパラリンピックも、あってはならない。
たとえば今回のピョンチャンでも、あの立派な会場をつくるために、もともと住んでいた人は、たくさん立ち退きをさせられたんです。2020年に東京で行われるんですってね。もうすでに野宿者の排除ははじまっています。
人だけでなく、自然環境も破壊されました。
オリンピックは、排除の祭典です。
 
「世界中からたくさんの人が集まるから、テロがどうしたこうした、治安がどうたらこうたら」って理由で、警察権力が強化されています。やたらと監視の目が
きつくなっています。
あやしい人を排除するのは別に悪いことないんじゃないって?でも誰かが「あやしい人」かどうかを決めるのは、警察だったり権力だったりするんです。あなたがいくら「あやしくない」といっても。
オリンピックは、排除の祭典です。
 
オリンピックは、国家間の競争ではない、と、オリンピック憲章には書かれているそうです。なにうそばっかりいってんの。日本のメダルは何個だとかいってませんか。選手の名前じゃなくて、国名で呼んでませんか。「国威発揚」ってやつですよね。かりにいい成績とった選手がいても、別に日本がえらいわけじゃない。
あなたがえらいわけじゃない。日本をえらくしようとした結果が、先の戦争だし、今も続いている外国人差別の根っこですよ。
オリンピックは、排除の祭典です。
 
スポーツを楽しんでいる人いますか?自分でやるのは楽しめない人いませんか?
オリンピックこそは、「うまくやれる人」の祭典です。そこでは、へたっぴは、排除されているんです。パラリンピックもそう。からだを動かすことに順位をつけるな。スポーツで優秀でない人も、生きる権利はある。
オリンピックは、排除の祭典です。
 
人の生きざまで感動するのやめよう。人は誰かに感動をもたらすために生きてるんじゃない。
 
オリンピックやめよう。東京オリンピックパラリンピック止めよう。

 

天皇代替わり問題

はんにちは。
 
今日は3月24日、土曜日です。「何年の」3月24日でしたっけ。そうです、西暦2018年ですね。
 
ところが、これを「平成30年」などという、おかしな呼び方でよぶ人たちが、沢山います。みなさんは「平成」という言葉の意味をご存知でしょうか。たぶん、知りませんよね。もちろん私たちも知りません。小渕元首相が「平成」と書かれた額を掲げるあのイメージ、あれ以外には、なにも頭に浮かびません。
 
でも、「平成30年」という年号が本当は何を意味するのかは、かなり多くの人が理解しているはずです。天皇明仁が即位してから、30年目の年という意味であることを。
 
天皇が死んで、新しい天皇が即位する。
これをセットで記憶させるための統治のしくみ、それが元号です。べつに、伝統でもなんでもありません、近代になって大日本帝国が採用した「一世一元の制というシステムです。天皇の在位期間によって時代を区切ることで、われわれの時間感覚を規定し、管理する、戦争国家の論理なのです。そんなものを現在も使い続けていて、本当にいいのでしょうか?
 
さて一方、その元号がもうじき変わる、という話があります。天皇の代替わり問題です。
 
おぼえていますか。2016年8月8日、宮内庁天皇明仁は当時「おきもち」と言われたビデオメッセージを発表しました。11分にわたる文章の朗読ですが、要約すると大きく次の4つのことを言っていました。
 
1 天皇は政治行為を禁止されているので、これはあくまで個人的な話だよ
2 天皇の旅行や訪問は「象徴的行為」だよ
3 天皇の葬式と代替わりのタイミングを、今回どうしてもずらしたいよ
4 天皇と皇室の存在は、将来も現在の地位を維持し、人々を統治するよ…
 
自らの高齢化にともなう体力低下や、家族にかかる負担が気がかりでならない、という個人的心情を語る名目で、これだけのことを言いました。
 
でも、決して騙されてはいけません。この映像を使って天皇が述べたことは、たんなる個人の表現にはとどまらない、天皇としての自らの進退と代替わりについての考えでした。いくら「政治的な発言でない」と前置きしたところで、それで天皇に対する憲法の縛りがチャラになる事はありません。天皇が歴史的に担ってきた役割と、その政治性を考えれば尚更です。実際、国会では非常に迅速に退位特例法が可決されました。大きな忖度が働き、十分すぎるほどに政治的発言として機能したことの、何よりの証拠です。
 
これまでに天皇自身がこなしてきた数々の越権行為を「象徴的行為」の一語で正当化したことも、大問題です。明仁は、皇太子時代から個人的な旅行の名目で、諸外国を訪問してきました。現在、それはいつしか「皇室外交」と呼ばれるまでに拡張されてきました。しかしそもそも天皇にそのような義務規定はありません。禁止されていたはずの政治的行為を、時間をかけてこっそり、少しずつ侵犯してきたのです。今回の代替わり問題にとどまらず、立憲主義と民主主義の原則を根幹から覆す、とんでもない憲法違反。これが、天皇明仁が現在までに進めてきた政治的目論見です。
 
そもそも、象徴、象徴とはいいますが、どのような形であれ、天皇制が続いていくことに私達は断固、反対します。自らの戦争加害責任を、なにひとつ反省・清算することなく天皇の地位に返り咲いた昭和天皇裕仁は、天皇のイメージを「平和を祈る優しいおじさん」に変えることにむけ心血をそそぐ傍ら、日本の再軍備に尽力しました。その跡を、同様にいけしゃあしゃあと継いだのが現在の天皇明仁です。つまるところ天皇は、現在も戦争加害の忘却、曖昧化、隠蔽の主体であり続けています。これが正しく糾弾されるならば、天皇の代替わりなど論外であると言うしかありません。
 
戦争に反対している人ならきっとご存知だと思いますが、現在、自民党改憲草案には天皇の元首化がうたわれています。とんでもないことですが、これを明仁が知らないはずはありません。自身の代替わりと葬儀のタイミングをズラしたいという明仁の目論見は、退位と即位、そして改元、この3つを共に「おめでたいもの」として同時に祝わせることで、天皇の存在をより一層ひとびとに親しませること、ひいては、天皇の再元首化に弾みをつけることにあると考えても、心配のしすぎにはあたりません。
もう一度おもいだしてください、日本は天皇の名のもと、天皇の旗印のもとで、侵略戦争をした国です。天皇制そのものが悪であることに、待ったをかけるものは何ひとつありません。
 
昨年12月の天皇誕生日ここ京都でひらかれた反天皇デモでは、路上を歩く人たちによって、天皇制の廃止が宣言されました。私たちもまずここで、この街頭の小さな連帯の中から、天皇制の廃止を宣言しましょう。そうしてその声を少しずつ大きくしていきましょう。私たちは天皇の代替わりを絶対に拒否する。私たちは何度でも、天皇制の廃止を宣言する!

 

シュプレヒコールはいつものように吟じましたよ。

 

シュプレヒコール

日の丸を 焼こう 破こう 降ろそうよ

君が代を 流すのやめろ 歌わんぞ

 天皇制 差別の根源 なくそうよ

「陛下」とか 「様」「様」つけるの やめましょう

「国民」に 統合されるの 拒否しよう

ヤスクニは 軍事施設だ つぶそうよ

入管は 殺人施設だ つぶそうよ

米軍の 押しつけゆるさん 沖縄へ

米軍は 世界のどこにも いらないぞ

自衛隊 日本の軍隊 なくそうよ

朝鮮の 敵視をやめろ いますぐに

国籍で ひとの生き方 せばめるな

廃止しよう 差別を生み出す 戸籍制度

やめにしよう 排除の祭典 オリンピック

 

今回は警察の超過剰警備のせいで、道路を自由に歩くことが難しく結果、車やバスをとめることがほとんどできずとても悔しかったです。

ほんと、ムカつく。でも、めげずに続けます。たった10人程度のデモに警察がここまでのことをしなければならないと思うほど、これまでしっかりやれてこれたとポジティブに捉え、次回はもっともっと自由なデモを目指します。

 

退散していく警察たち

 


f:id:kotokotonittei:20180506150245j:image

 

 

警察は 自由なデモの 邪魔するな!(5・7・5調)