3がつ 24にち でも ほうこく

つぎ の きじ(3月24日デモ報告 - コトコトじっくり煮込んだ日帝♪)は かんじ あり ばーじょん です。

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はんにちわー!

 

せんじつ、 3 がつ 24 にち に でも を しました。

ここちよい はる の ようき は まさに はんにち でも びより でした。

さて、 こんかい の でも は しんせい の ため に けいさつしょ に いく の を きょひ して ゆうそう で すませました。 その ほうほう は 「じゆう と じんけん は 「こくみん」 の せんゆうぶつ で は ない と かんがえる ひとびと」 よびかけの はんにち でも の しんせい に ならって ます ので、 こちら を さんこう に して ください。

でも  しんせい 、  ゆうそう  で  やった  よ! - 自由と人権は「国民」の占有物ではないと考えるひとびと

ちなみに、 しんせいしょ は わーど で つくりました が べつに てがき でも かまわない です よ。

 

そして、 こんかい も さらに いっぽ ぜんしん させよう と おもい こんかい の でも は けいさつ が いやがる 「はんかがい の こうさてん うせつ」 を こーす に とりいれました。 きょうとし の ちり が わかる ひと に しか つたわらない かも しれない けど、 しじょう かわらまち こうさてん を ふだん は させつ して ぎおん の ほう に いって いた の です が、 これ を うせつ に して からすま へ いく こーす に した の です。

 

すると、 ゆうそうご 3 にち ほど して けいさつしょ から でんわ が。 。

 

なん でも こうつう じゅうたい を ひきおこさない よう こーす を へんこう して ほしい と。

 

はい、 ことわりました。 けいさつ は いくつか だいあん を だして きました が もちろん ぜんぶ きゃっか しました。

 

さて さて、 そんな わけ で でも とうじつ を むかえた わけ です が、 そこで わたしたち は おどろくべき こうけい に そうぐう する の です。

 

もともと さんか よてい にんずう として やく 10 にん と なって いた でも にたいして やってきた けいさつかん の かず …

 

ざっと みて も 25 にん くらい!!!

 

でも さんかしゃ ひとり にたいして ふたり たいせい で がっつり まーく される よう な じんいん な わけ です よ。

 

こうあん も いるし、 きどうたい や こうほうぶ と なのる いわゆる DJ ぽりす まで ぞろぞろ ぞろぞろ。

 

おぉ、 いつも (4〜5 にん) より ならんどる わぁ。


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うわ、 ぎゃくがわ にも!



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いわゆる DJぽりす と とれんちぽりす
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とうとつ に びろーん と のばして きた、 てーぷかっと したら たぶん そのまま つかまる やつ。

 
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なんなんだよ、この ちょー げんかい たいせい!

 

わたしたち は いま まで けいさつ と でも の げんば で (けいさつ の ふとう な でも へ の かいにゅう が げんいん で) いろいろ いいあいに なって きた けど、 いつも きわめて へいわ に やってきた のに、 なん なの これ。

 

たしか に くるま とか ばす とか とおれなく させて、 えんどう から ばせい を あびたり も して きた けど、 なにも とめられない でも なんて なん なの?

この しゃかい の おかしな ながれ を とめたい から こそ の でも じゃん。

でも が こうつう を とめるって そういう いっぽ ずつ を ふむ って ことなの!

めいわく は かける もの な の!

 

それ を こんな ものものしい けいさつ けんりょく を もって おさえつけよう なんて、 なに が ひょうげん の じゆう だ!

けいさつ は けんぽう いはん すんな!

 

と、 いかり が ぞくぞく と わきあがりました。 こんかい は いろんな すぴーち を ようい して ました が、 まずは この よき せぬ けいさつ たいおう に たいする いかり から でも は すたーと。 みな くちぐち に けいさつ へ の ちょうかじょう けいび、 この よくあつ じょうきょう に いかり の さけび を ぶつけまくりました。

 

そのご でも は ちょうせんそうれん へ の じゅうげき じけん に まで いたった にほん の ちょうせん あくまか もんだい について や、 さつじんてき な にほん の にゅうかん ぎょうせい へ の こくはつ、 おりんぴっく ・ ぱらりんぴっく もんだい、 てんのうせい だいがわり もんだい について の ちからづよい すぴーち が くりひろげられます。

 

ほんと、 どれ も だいじ な こと が つまった すぴーち たち です。

 

ちょうせん あくまか もんだい に ついて

はんにちわー!


まず わたし から は ざいにち ちょうせんじん に たいする あいつぐ さべつ ・ だんあつ、 へいとくらいむ に ついて、 そして それ を うみだす はいけい と なって いる にほん しゃかい の ちょうせん あくまか について うったえます。

 

この いちねん の あいだ に ざいにち ちょうせんじん の いのち を おびやかす しんこく な じけん が すくなくとも にど おきて います。

 

おぼえて いるでしょう か?

 

きょねん の 5 がつ 23 にち、 なごや の ざいにち ちょうせんけい の しんようきんこ にたいする ほうか じけん が おきた こと を。

 

にほんぐん せいどれいせい もんだい に たいする かんこく せいふ の たいおう に ふまん が あった と はんにん は その どうき を かたりました。

 

せんげつ 2がつ 23にち には ちょうせん そうれん ちゅうおう ほんぶ に たいして うよく による じゅうげき じけん が ありました。 ようぎしゃ として たいほ された ものたち は 「きたちょうせん による あいつぐ みさいる ちょうはつ に かんにんぶくろ の お が きれた」 と のべた そう です。

 

じゅうげき によって、 ほうか によって ざいにち ちょうせんじん の いのち が ねらわれる この じょうきょう を みなさん は どのよう に うけとめて います か?

 

けしからん うよく が やった こと、 として じぶん とは かんけい ない と おもって は いないです か?

  

どうき として かたられた にほんぐん せいどれいせい を めぐって、 あるいは ちょうせん の みさいる を めぐって、 みなさん は この うよくたち と どれほど ちがうと いいきれ ます か?

 

もしか したら どうき は りかい できるけど ぼうりょく は よく ない、 くらい に おもって は いません か?

  

この うよくたち の ぶつりてき な おぞましい ぼうりょく は、 その どうき を ちゅうしゅつ すれば にほん の こっか けんりょく の いし に ちゅうじつ に したがった もの です。

 

にほん せいふ が しゅどう する ちょうせん てきし せいさく と その いっかん である ちょうせん がっこう にたいする さべつ せいさく も また それ を よく あらわして います。

 

2006ねん に はじまる けいざい せいさい は もう 12ねん に も およびます。

 

このかん、 おおく の ざいにち ちょうせんじん の そこく おうらい の けんり が ひてい され、 また そうれん および かんれん が あると うたがわれる だんたい や こじん に たいする せいじ だんあつ は あと を たちません。

 

こうこう むしょうか から ちょうせん がっこう のみ を じょがい しつづける さべつ は 2010ねん から いま も つづいて います。 また もんかしょう から の つうち という かたち を とった あつりょく により、 かずかず の ちほうじちたい が ちほう じち を かなぐりすてて あいついで ちょうせん がっこう へ の ほじょきん ふしきゅう の けってい を して います。

さいきん で は 2がつ に ぐんまけん が ちょうせん がっこう の きょうかしょ に らち もんだい について の きさい と がっこう が ちょうせんそうれん と かんけい ない こと を しょうめい する こと を ようけん とし、 それ を みたさない ため に ふしきゅう けってい を しました。

また つい せんじつ、 おおさか こうさい は おおさかふ および おおさかし が ちょうせん がっこう への ほじょきん ふしきゅう けってい を みとめる ふとう はんけつ を だしました。

 

これら の こくさく さべつ にたいして みなさん の ほとんど は するー して きました。

 これ が さべつ ・ だんあつ である と すら まだ いっぱんてき に は にんち されて いるとも いいがたい のが げんじょう です。 

 

それ は みなさん が 「きたちょうせん」 と よぶ あいて が にほん こくみん にとって むじょうけん に いみきらい、 ぞうお する こと を ゆるされて いる たいしょう だから に ほかなりません。

 

しかし、 その 「きたちょうせん」 とは なんでしょう?

 

みなさん の ほとんど は、 それ を ますめでぃあ を かいした いめーじ で しか しりません。 いった こと なけれ ば、 そこ で いきる ひとびと と あった ことも ない。

 

みずから の たいけん を とおして しった こと は そこ に なく、 ただただ たれながされる ごしっぷ まがい の じょうほう の やま によって きずかれた いめーじ です。 どの しゃかい も たよう な そくめん が あるにも かかわらず、 こと 「きたちょうせん」 に かんして は つねに それ は どれも にたり よったり です。

 

はんせん と へいわ を さけび、 さべつ はんたい を となえる よう な いっけん 「りべらる」 か あるいは 「さよく」 を じしょう する ひと が あべ せいけん を ひはん する さい に 「まるで きたちょうせん」 と いいます。

 

 うよく から さよく まで その いめーじ が きょうゆう されて いる の です。

 

 ところで、 その いめーじ に ふくまれるものの ひとつ に ちょうせん は ぜんたい しゅぎてき という の が あります。

 

 なんと いう ひにく でしょう か。

 

 みぎ から ひだり まで、 こっかい の なか では よとう も やとう も かんけい なく、 ちょうせん てきし が しじ されて いる こと、 そして それに よって げんじつ に さべつ と ぼうりょく が おきつづけて いる こと、 しかも、 それ が つくりあげられた いめーじ によって ささえられて いる という この にほん しゃかい の じょうきょう こそ すでに ずっと ながい ま ぜんたい しゅぎてき なの です。

 

あなたたち が いくら でも じゆう に いみきらい、 ぞうお する こと が ゆるされる 「きたちょうせん」 の いめーじ。

 

 それ は あなたたち じしん が つくりあげた もの です。

 

そして あなたたち が 「きたちょうせん より は まし」 だ と しんじて いる にほん の 「せんご みんしゅ しゅぎ」 なる もの が、 じつ の ところ しんりゃく せんそう と しょくみんち しはい の せきにん から のがれ、 ちょうせん ぶんだん に せっきょく かんよ し、 れいせん こうぞう の いじ と きょうか に くみする こと によって じょうけん づけられた もの で ありつづけて いる こと を けっして わすれない で ください。 

 

にゅうかん ぎょうせい への こくはつ

 

はんにちはー!


 みなさん、「にゅうかん」 という の を ごぞんじ でしょう か? 「にゅうかん」は「にゅうこく かんりきょく」という やくしょ です。 こっきょう を こえた にんげん の でいり と、 にっぽん での がいこくじん の ざいりゅう を かんり する やくしょ です。


 にゅうかん は がいこくじん の ざいりゅう を かんり する やくしょ だ、 いま わたし は そう いいました。「ざいりゅう する」という の は、 にほん で せいかつ する こと です。

 にほんじん は、 ここ で せいかつ する こと に なにか 「しかく」を もとめられる こと は ありません。ところが、がいこくじん について は、 どんなに にほん で ながく くらして いて も、 にゅうこく かんりきょく によって 「しかく」を しんさ され、 きょか を うけて はじめて にほん に ざいりゅう を みとめられる、 という こと に なって います。 さべつ ですよね。 こうして さべつてき に がいこくじん の ざいりゅう を かんり して いる のが、 にゅうかん という やくしょ です。


 さて、 にゅうかん は しゅうよう しせつ を もって います。

とうきょう、 いばらきけん、 なごや、 ながさき、 ちかい ところ では おおさか に おおきな しゅうよう しせつ が あります。 おおさか の にゅうかん には だいたい 100めい、 ぜんこく の にゅうかん の しせつ を ぜんぶ あわせると 1300にん ぐらい の がいこくじん が しゅうよう、 かんきん されて います。 にゅうかん の しせつ は、 きほんてき には そうかん、 きょうせい そうかん の ための しせつ だ という ことに なって います。

その きょうせい そうかん の ための しせつ に、 ぜんこく で 1300にん、 ながい ひと で は 2ねん とか 3ねん いじょう、 しゅうよう ・ かんきん されて いる の です。 しゅうよう されて いる のは、 ざいりゅう の 「しかく」 を にゅうかん に みとめられず、 きょうせい そうかん の たいしょう と されて いる ひとたち です。


 にゅうかん に つかまって しゅうよう された ひと の ほとんど は きこく して いきます。 しかし、 もろもろ の じじょう が あって、 きこく する わけ に は いかない ひと、 にほん に とどまらざる を えない ひと も います。 なんみん と いって、 きこく すると はくがい を うける おそれ の ある ひと が います。 また、 にほん に ながく くらして いたり、 だいじ な にんげん かんけい が あったり、 ここに しか せいかつ する ため の きばん が ない ひと も います。 にゅうかん の しゅうよう しせつ は、 そういう にほん に とどまらざる を えない がいこくじん を ちょうきかん に わたって かんきん して きこく を きょうよう する、 いわば ごうもん の ため の しせつ に なって います。


 どうして、 1300にん も の がいこくじん が ちょうきかん にわたって しゅうよう ・ かんきん される よう な じたい に なって いる の でしょう か?


その もっとも おおきな げんいん は、 にほん しゃかい が がいこくじん ろうどうしゃ を つかいすて に して きた こと に あります。 にほん しゃかい は、 せい・かん・ざい ぐるみ で、 がいこくじん を よびこんで は、 ふあんてい な ちい に おきながら ろうどうりょく として 「かつよう」 して きました。

 

 にほん せいふ の がいこくじん に たいする ざいりゅう の かんり は、 ていじゅう ・ えいじゅう を きょくりょく みとめず、 あくまでも いちじてき な ろうどうりょく など として がいこくじん を りよう し やすい よう に するという かんがえ に もとづいて います。 がいこくじん の ざいりゅう は、 あくまでも にゅうかん ・ にほん せいふ が みとめたり みとめなかっ たり できる 「しかく」 として いちづけられて います。

 

 つまり、 たとえ どんなに ながく にほん で くらして いて も、 あるいは にほん で うまれた ひと であっ て も、 がいこくじん が にほん に すむ こと は、 たんなる 「おんけい」 で あって、 それ を けんり として は みとめない、 という の が、 がいこくじん について の にほん の ざいりゅう かんり せいさく であった の です。


 しかし、 にほん の くに ・ せいふ の おもわく が どう であれ、 ひと は せいかつ して いく なか で、 その とち その しゃかい に せいかつ の きばん を つくって いきます。 にほんがわ が いちじてき な ろうどうりょく として だけ がいこくじん を りよう したい と かんがえて も、 そうして よびこんだ がいこくじん の いっていすう は、 この ち に ていちゃく し、 こんご も ここ に とどまらざる を えなく なって いく の です。 そういう がいこくじん を あくまでも ふあんてい な ちい に おきつづけよう、 あるいは その ざいりゅう を みとめない で おこう、 いらなく なったら しゅっしんこく に おいかえせば よい、 という にほん せいふ の つごう の よい みがって な やりかた が はたん した、 その けっか として にゅうかん の しゅうよう しせつ が 1300にん もの ひと で いっぱい に なって いるのです。


 いりょう など が れつあく な しせつ に ちょうきかん に わたって たくさん の にんずう を しゅうよう ・ かんきん する こと で、 にゅうかん の しゅうよう しせつ で は しにん も でて います。 この 5ねん の あいだ に、 にゅうかん の しゅうよう しせつ で わかって いるだけ で 5にん の かた が びょうし して います。 あきらか に いりょう ねぐれくと が げんいん と いえる ような しぼう じけん も あります。 ちょうど 1ねん ほど まえ に も いばらきけん の しせつ で べとなむじん が なくなりました。 この 5にん の しぼうしゃ に くわえて、 しゅうようちゅう に びょうき に なったり びょうき が あっか して、 しせつ を しゅっしょ した あと に なくなる ひと も います。 つぎつぎ と ひと が しぬ。 それ が にゅうかん の しゅうよう しせつ の じったい なのです。
 では、 にゅうかん を このような さつじん しせつ に して いる のは なんでしょう か?


もんだい の ねっこ に ある のは、 この しゃかい の じゅうみん を こくみん と がいこくじん に わけた うえ で、 がいこくじん を もっぱら ざいりゅう かんり の もと に おくという さべつてき な しすてむ に あります。 これ は、 がいこくじん を つごう の よい つかいすて の やすい ろうどうりょく として こんとろーる し りよう する ため の さべつてき な しすてむ です。 もんだい は さべつ です。 そして この さべつ の しすてむ は、 わたしたち の もの の みかた ・ かんがえかた を 「こくみん」 ちゅうしん の さべつてき な もの へ と かたちづくります。 この 「こくみん」 ちゅうしん の かんがえかた を やめる こと から、 にほん の さべつてき な しすてむ ・ せいど を かえて いきましょう。

 

 おりんぴっく・ぱらりんぴっく もんだい に ついて

みなさん、 おりんぴっく、 ぱらりんぴっく、 たのしんだり、 かんどう を ありがとう しちゃったり しました か?


だめ です! めっちゃ だめ だめ です!


おりんぴっく も ぱらりんぴっく も、 あって は ならない。
たとえば こんかい の ぴょんちゃん で も、 あの りっぱ な かいじょう を つくる ため に、 もともと すんで いた ひと は、 たくさん たちのきを させられた ん です。 2020ねん に とうきょう で おこなわれるん ですって ね。 もう すでに のじゅくしゃ の はいじょ は はじまって います。
ひと だけ でなく、 しぜん かんきょう も はかい されました。
おりんぴっく は、 はいじょ の さいてん です。

 

「せかいじゅう から たくさん の ひと が あつまるから、 てろ が どうした こうした、 ちあん が どうたら こうたら」 って りゆう で、 けいさつ けんりょく が きょうか されて います。 やたら と かんし の め が きつく なって います。
あやしい ひと を はいじょ する の は べつに わるい こと ないん じゃ ない って?でも だれか が 「あやしい ひと」 か どうか を きめる のは、 けいさつ だったり けんりょく だったり するん です。 あなた が いくら 「あやしく ない」 と いって も。
おりんぴっく は、 はいじょ の さいてん です。

 

おりんぴっく は、 こっかかん の きょうそう では ない、 と、おりんぴっく けんしょう には かかれて いる そう です。 なに うそ ばっかり いってん の。 にほん の めだる は なんこ だ とか いって ません か。 せんしゅ の なまえ じゃ なく て、 こくめい で よんで ません か。 「こくい はつよう」 って やつ です よね。

かりに いい せいせき とった せんしゅ が いても、 べつに にほん が えらい わけ じゃ ない。
あなた が えらい わけ じゃ ない。 にほん を えらく しよう と した けっか が、 さき の せんそう だ し、 いま も つづいて いる がいこくじん さべつ の ねっこ です よ。
おりんぴっく は、 はいじょ の さいてん です。

 

すぽーつ を たのしんで いる ひと います か?じぶん で やる の は たのしめない ひと いません か?
おりんぴっく こそ は、 「うまく やれる ひと」 の さいてん です。 そこ では、 へたっぴ は、 はいじょ されて いるん です。 ぱらりんぴっく も そう。 からだ を うごかす こと に じゅんい を つけるな。 すぽーつ で ゆうしゅう でない ひと も、 いきる けんり は ある。
おりんぴっく は、 はいじょ の さいてん です。

 

ひと の いきざま で かんどう するの やめよう。 ひと は だれか に かんどう を もたらす ため に いきてる んじゃ ない。

 

おりんぴっく やめよう。

とうきょう おりんぴっく ・ ぱらりんぴっく、 とめよう。

 

てんのう だいがわり もんだい

はんにちは。
 
きょう は 3がつ 24にち、どようび です。「なんねんの」 3がつ 24にち でしたっけ。そうです、せいれき 2018 ねん ですね。
 
ところが、これを「へいせい 30ねん」など という、おかしな よびかた で よぶ ひとたち が、たくさん います。みなさん は「へいせい」という ことば の いみ を ごぞんじ でしょう か。たぶん、しりません よね。もちろん わたしたち も しりません。おぶち もと しゅしょう が「へいせい」と かかれた がく を かかげる あの いめーじ、あれ いがい には、なに も あたま に うかびません。
 
でも、 「へいせい 30ねん」という ねんごう が ほんとう は なに を いみ する のか は、 かなり おおく の ひと が りかい して いる はず です。てんのう あきひと が そくい して から、 30 ねんめ の とし という いみ で ある こと を。
 
てんのう が しんで、 あたらしい てんのう が そくい する。
これを せっと で きおく させる ため の とうち の しくみ、 それ が げんごう です。べつに、 でんとう でも なんでも ありません、 きんだい に なって だいにっぽん ていこく が さいよう した 「いっせい いちげん の せい」という しすてむ です。てんのう の ざいい きかん に よって じだい を くぎる ことで、 われわれ の じかん かんかく を きてい し、 かんり する、せんそう こっか の ろんり なの です。そんな もの を げんざい も つかい つづけて いて、 ほんとう に いい の でしょう か?
 
さて いっぽう、 その げんごう が もうじき かわる、という はなし が あります。てんのう の だいがわり もんだい です。
 
おぼえていますか。2016ねん 8がつ 8にち、くないちょう と てんのう あきひと は とうじ 「おきもてぃ」と いわれた びでおめっせーじ を はっぴょう しました。11ふん に わたる ぶんしょう の ろうどく ですが、 ようやく すると おおきく つぎ の 4つ の こと を いっていました。
 
1 てんのう は せいじ こうい を きんし されて いる ので、これ は あくまで こじんてき な はなし だよ
2 てんのう の りょこう や ほうもん は「しょうちょう こうい」だよ
3 てんのう の そうしき と だいがわり の たいみんぐ を、 こんかい どうしても ずらしたい よ
4 てんのう と こうしつ の そんざい は、 しょうらい も げんざい の ちい を いじ し、 ひとびと を とうち するよ …
 
みずから の こうれいか に ともなう たいりょく ていか や、 かぞく に かかる ふたん が きがかり で ならない、 という こじんてき しんじょう を かたる めいもく で、 これだけ の こと を いいました。
 
 

でも、 けっして だまされて は いけません。

この えいぞう を つかって てんのう が のべた こと は、 たんなる こじん の ひょうげん には とどまらない、 てんのう として の みずから の しんたい と だいがわり に ついて の かんがえ でした。いくら 「せいじてき な はつげん でない」 と まえおき した ところ で、 それで てんのう にたいする けんぽう の しばりが ちゃら に なる こと は ありません。 てんのう が れきしてき に になって きた やくわり と、 その せいじせい を かんがえれば なお さら です。 じっさい、 こっかい で は ひじょう に じんそく に たいい とくれいほう が かけつ されました。 おおきな そんたく が はたらき、 じゅうぶん すぎるほど に せいじてき はつげん として きのう した こと の、 なにより の しょうこ です。

 
これまでに天皇自身がこなしてきた数々の越権行為を「象徴的行為」の一語で正当化したことも、大問題です。アキヒトは、皇太子時代から個人的な旅行の名目で、諸外国を訪問してきました。現在、それはいつしか「皇室外交」と呼ばれるまでに拡張されてきました。しかしそもそも天皇にそのような義務規定はありません。禁止されていたはずの政治的行為を、時間をかけてこっそり、少しずつ侵犯してきたのです。今回の代替わり問題にとどまらず、立憲主義と民主主義の原則を根幹から覆す、とんでもない憲法違反。これが、天皇アキヒトが現在までに進めてきた政治的目論見です。
 これ まで に てんのう じしん が こなして きた かずかず の えっけん こうい を 「しょうちょうてき こうい」 の いちご で せいとうか した こと も、 だいもんだい です。あきひと は、 こうたいし じだい から こじんてき な りょこう の めいもく で、 しょがいこく を ほうもん して きました。 げんざい、 それ は いつしか 「こうしつ がいこう」 と よばれるまで に かくちょう されて きました。 しかし そもそも てんのう に その よう な ぎむ きてい は ありません。 きんし されて いた はず の せいじてき こうい を、 じかん を かけて こっそり、 すこし ずつ しんぱん して きた の です。
 
こんかい の だいがわり もんだい に とどまらず、 りっけん しゅぎ と みんしゅ しゅぎ の げんそく を こんかん から くつがえす、 とんでも ない けんぽう いはん。 これ が、 てんのう あきひと が げんざい まで に すすめて きた せいじてき もくろみ  です。
 
そもそも、 しょうちょう、 しょうちょう と は いいます が、 どの よう な かたち であれ、 てんのうせい が つづいて いく こと に わたしたち は だんこ、 はんたい します。 みずから の せんそう かがい せきにん を、 なに ひとつ はんせい ・ せいさん する こと なく てんのう の ちい に かえりざいた しょうわ てんのう ひろ ひと は、 てんのう の いめーじ を 「へいわ を いのる やさしい おじさん」 に かえる こと に むけ しんけつ を そそぐ かたわら、 にほん の さいぐんび に じんりょく しました。 その あと を、 どうよう に いけしゃあしゃあ と ついだ のが げんざい の てんのう あきひと です。 つまるところ てんのう は、 げんざい も せんそう かがい の ぼうきゃく、 あいまいか、 いんぺい の しゅたい で ありつづけて います。 これ が ただしく きゅうだん される ならば、 てんのう の だいがわり など ろんがい である と いうしか ありません。
 
せんそう に はんたい して いる ひと なら きっと ごぞんじ だ と おもいます が、 げんざい じみんとう の かいけん そうあん に は てんのう の げんしゅか が うたわれて います。 とんでも ない こと です が、 これ を あきひと が しらない はず は ありません。 だいがわり と そうぎ の たいみんぐ を ずら したい という あきひと の もくろみ は、 たいい と そくい、 そして かいげん を 「おめでたい もの」 として どうじに いわわせる こと で、 てんのう の そんざい を より いっそう ひとびとに したしませる こと、 ひいては、 てんのう の さいげんしゅか に はずみ を つける こと に あると かんがえて も、 しんぱい の しす ぎにはあたりません。
もういちど おもいだして ください、 にほん は てんのう の な の もと、 てんのう の はたじるし の もと で、 しんりゃく せんそう を した くに です。 てんのうせい が あく である こと に、 まった を かける もの は なに ひとつ ありません。
 
 
 さくねん 12がつ の てんのうたんじょうび に、 ここ きょうと で ひらかれた はんてんのう でも では、 ろじょうを あるく ひとたち に よって、 てんのうせい の はいし が せんげん されました。 わたしたち も まず ここ で、 この がいとう の ちいさな れんたい の なか から、 てんのうせい の はいし を せんげん しましょう。 そうして その こえ を すこしずつ おおきく して いきましょう。 わたしたち は てんのう の だいがわり を ぜったい に きょひ する。 わたしたち は なんど でも、 てんのうせい の はいし を せんげん する!

 

しゅぷれひこーる は いつも の ように ぎんじました よ。

《しゅぷれひこーる》

ひのまる を   やこう   やぶこう   おろそう よ

きみがよ を   ながす の やめろ   うたわん ぞ

てんのうせい   さべつ の こんげん   なくそう よ

「へいか」 とか  「さま」「さま」 つけるの   やめましょう

「こくみん」 に   とうごう される の   きょひ しよう

やすくに は   ぐんじ しせつ だ   つぶそう よ

にゅうかん は   さつじん しせつ だ   つぶそう よ

べいぐん の   おしつけ ゆるさん   おきなわ へ

べいぐん は   せかい の どこ に も   いらない ぞ

じえいたい   にほん の ぐんたい   なくそう よ

ちょうせん の   てきし を やめろ   いま すぐ に

こくせき で   ひと の いきかた   せばめるな

はいし しよう   さべつ を うみだす   こせき せいど

やめ に しよう   はいじょ の さいてん   おりんぴっく

 

こんかい は けいさつ の ちょう かじょうけいび の せいで、 どうろ を じゆう に あるく こと が むずかしく、けっか、くるま や ばす を とめる ことが ほとんど できず とても くやしかった です。

ほんと、 むかつく。でも、 めげずに つづけます。

たった 10にん ていど の でも に けいさつ が ここまで の こと を しなければ ならない と おもう ほど、これまで しっかり やれて これた と ぽじてぃぶ に とらえ、 じかい は もっと もっと じゆう な でも を めざします。

 

たいさん していく けいさつ たち

 

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 けいさつ は  じゆう な でも の じゃま するな!(5・7・5 ちょう)