「男(おとこ)」中心主義(ちゅうしんしゅぎ)に抗(あらが)って-ルビつき-②
抵抗が「危険」であるからといって、その権利を奪ってしまうことがあってはならない。それは暴力である。「男性」よりも「女性」が不当に危険にさらされやすいことは日常であり、いつでも起こっていることである。そんな「危険」が当たり前とされる、この日常に憤りを感じるのだ。例えば、夜道が「女性」にとって「危険」であることが自明であるとし、ただ早い時間に帰そうとする「男性」の行動も抑圧的である。「危険」が平常だとして、勝手に排除してくれるな。「危険」である状況に抗おうとしない怠慢をもって、誰かの抵抗する権利を剥奪してはならない。
最大の問題点は、桜井がおにぎりにガードされているところ。小柄な女性を盾に使ってどうする。この動画は、桜井のクズっぷりを余すところなく伝えている。RT@three_sparrows: 桜井が昨日のデモに触れたがらない理由の一つかな。http://youtu.be/9W8I-rnzPrg
2013年5月12日 - 19:54
@kdxn新大久保で清水がしばかれたときにも、荒ぶるカトテツを真っ先に体で止めようとしたのはおにぎりだった。東神奈川でジョンや金子がボーッと突っ立ってたのとは対照的。彼女は献身的な人なのだと思う。でも桜井みたいなヘイト豚は、身を危険に晒してまで守る価値ないよ。
2013年5月12日 - 20:05
https://twitter.com/kdxn/status/333777216175501312
これは、2013年5月11日の在特会デモでの様子について野間氏が述べたものである。誰が誰を盾にしようと、守ろうと、どうだっていい。野間氏が問題にしてるのは、彼にとって「小柄な女性」が「本来であれば守られるべき存在」であるからである。
「女性」は「守られるべき存在」などではない。男性中心主義的な社会のなかで、「女性」はいつも「守られるべき/守ってやるもの」として存在することを強いられてきた。それは運動組織のなかでも同様であり、「男性」が中心を担い、「男性」の価値観や手段に基づいてすすめられる運動のなかで、「女性」は内助の功を求められ、その主体は抑圧されてきた。このような指摘が社会運動組織の内部から出てきて久しいが、現状はどうだろうか。「しばき隊」の「女子」排除も、このような男性中心主義・セクシズムからきているものであると考える。運動において、組織する人物のセクシズムに基づいた裁量によって、排除される存在があってはならない。
シングルイシューを高らかに謳う「反レイシズム運動」においては、上記のような抑圧関係も問題化されないのだろうか。そんな運動が作る未来なんて、結局一部の人間にとって都合のいい社会である。「女性」が自分たちで考えて行動する権利を奪うな。いつまでも「男」が出しゃばっている社会なんて、わたしはいらない。