批判(ひはん)すること・されること -ルビつきの10-

X(けつ)()

 

 (わたし)たちコトコトじっくり煮込(にこ)んだ日帝(にってい)一同(いちどう)は、(まも)るべきものは(わたし)たちの運動(うんどう)でも、運動(うんどう)参加(さんか)している(わたし)たちひとりひとりの面子(めんつ)でもないと(おも)っている。(わたし)たちがしたいのは差別(さべつ)廃絶(はいぜつ)であって、(はなし)しかけている相手(あいて)変革(へんかく)目的(もくてき)としない個人(こじん)攻撃(こうげき)でもないし、自分(じぶん)たちの(なか)(あやま)りをガンとして(みと)めないことでもない。それは他者(たしゃ)影響(えいきょう)(かか)わっていくなら(つまり運動(うんどう)するなら)(とお)すべき(すじ)だと(おも)う。

 

 

 

 だから(わたし)たちは、(わたし)たちの外部(がいぶ)からの批判(ひはん)(たい)して(つね)にきちんと応答(おうとう)する主体(しゅたい)でありたい。それは運動(うんどう)()かせないことだと(おも)っている。(わたし)たちの運動(うんどう)構造的(こうぞうてき)暴力(ぼうりょく)を強化したり、それへの告発(こくはつ)無効化(むこうか)するような(うご)(かた)をしたくないし、してしまったとしたら()(かえ)したくないし謝罪(しゃざい)したいからだ。告発(こくはつ)(たい)して応答(おうとう)するとはどういうことなのか、ともに(かんが)えていきませんか。