反天皇デモ!

 

 

 
****2つめは かんじ なし****
 
はんにちはー!
12月23日、アキヒトの誕生日だそうで、反天皇デモを行いました!
雨も降る寒いなか頑張っちゃいました。
 
素敵な横断幕ー!

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いつも警察は、デモ隊を歩道側に寄せて車を通そうとします。そんなことはさせない!何のために車道使用許可をわざわざ取ってると思ってんだ!
みんなで車線ギリギリを歩きました。案の定、警察は「左に寄れ」とうるさい。これ以上左傾化したら、もう、知りませんよ。。。
あるとき、沿道にいたひとがおもむろに公安キャップを被り、カメラを向けてくるではありませんか!
気付いたその場で、「警察は盗撮するな」とみんなで抗議しカメラをしまわせました。
 
盗撮犯はこのひと

 

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公安以外の沿道のひとからはときに「この国賊非国民が!」とわれわれの正体を見破っていただき、デモ隊のテンションが上がりました。笑
 
デモのスピーチとコールはこちらです。
 
<スピーチ>
 
今日12月23日は平成天皇アキヒトの誕生日であることをもって「祝日」とされていますが、みなさん不思議に思ったことありませんか?
どうしてある家系に生まれついただけで「〜様」と様付けで呼ばれたり「陛下」といった特別な敬称をこのひとたちはつけられるのか、と。
 
私たちはいまだに身分制社会に生きているのでしょうか?
日本国憲法は一方では人間の平等をうたっているにもかかわらず、他方で天皇制をも認めるという自己矛盾に陥っていますが、天皇制が存続する社会で私たちは真に人と人とが平等な社会を創造できるとは思えません。
 
そして現政権与党はさらに天皇の元首化を目論んでいます。これは何を意味するのでしょう?
日本という国家とその国民統合の象徴と位置付けられている天皇はこれまでも、多様な個々人の間にある差異やそこに生じる緊張関係を包み隠し、単一で排他的な「国民」という主体形成のために働いてきました。
この「国民」とはまさに国家のために殺し、殺されることを受け入れる戦争に動員される主体に他なりません。
明治憲法時代の「臣民」から名前が変わろうと、その本質は何も変わっていないのです。
天皇の元首化とはこの天皇の役割をさらに発展深化させるものです。
 
象徴天皇制へと以降して70年が経つなかで、それはあまりに私たちの生活に定着してしまっています。
日本で「祝日」とされているのは今日も含めてそのほとんどが天皇と関係して制定されたものであり、「昭和」や「平成」といった天皇制を基盤とした元号は日常的に使われます。アキヒトが憲法で制限された天皇の権限を大きく逸脱して「生前退位」を含む天皇制の今後の在り方について言及すれば、メディアも多くの「国民」もその違憲性をつっこむこともなく、一様に理解を示すありさまです。
人間の自由と平等という原則が前提に立つべき反戦平和運動のなかにおいてすら、今や、アキヒトは平和主義者でリベラルだとして、安倍政権を批判する際に持ち上げるほどです。
 
これほど社会の隅々にまで天皇制が定着してしまっているようにみえる一方で、それが暴力と恐怖によって支えられていることもまた見逃してはなりません。
というのも、天皇制に対する批判は、「戦前」はいわずもがな「戦後」も、一貫して暴力の標的になってきたからです。
文学作品からジャーナリズム、映画、芸能の世界までいたる分野においても、皇室に対して「不敬」とみなされた表現は襲撃の標的となってきたのであり、そのなかには死者を出した事例もあります。1990年には当時の長崎市長が、昭和天皇ヒロヒト戦争責任に触れたことで右翼から銃撃されました。
つい先月にも東京での反天皇制を訴えるデモに対して、デモ隊の車のフロントガラスを破壊したり負傷者が出るほどの襲撃が加えられました。天皇制批判に対するこうした度重なる襲撃にも関わらず、警察はデモ隊を弾圧することはあっても右翼による襲撃については選択的に見逃してきており、多くのメディアもまたこれに沈黙を貫いてきました。
天皇制はただ自然に私たちの社会に溶け込んでいるわけではありません、それは天皇制批判を暴力によって怖気させタブーとしながら浸透させてきたのです。
 
アキヒトは平和主義者でリベラル?あまりにナンセンスです。天皇とはその存在様式それ自体が反動なのです。
 
なるほど、アキヒトはそのソフトな語り口で、平和にむけての祈りや、平和憲法を大事にして欲しいという風なことを口にするかもしれませんが、むしろアキヒトが絶対に認めないことのほうに意味があり、それこそ天皇戦争責任です。
 
アキヒトの天皇という地位は、戦争責任者である昭和天皇ヒロヒトから継承したものであり、結局のとのろ象徴天皇制が象徴するものとは、植民地支配と侵略戦争に対する「戦後」日本社会の一貫した無責任の体系です。いえ、それだけではありません。ヒロヒトには兵士も民間人も含めた自国の戦争犠牲者、特に、敗戦をいたずらに遅らせ戦果を求めて沖縄を捨石とした沖縄戦と、広島・長崎の原爆投下を含めて責任があります。
 
象徴天皇制とはこうしたヒロヒト戦争責任を免責する形で天皇制を延命させるための制度であったのであり、そのためにヒロヒトはまたしても沖縄を日本から切り離し基地の島としてアメリカに差し出したのです。
日本全土に対して1%に満たない沖縄に在日米軍の74%が集中し続け、今も日本の機動隊や海上保安庁の剥き出しの暴力を行使しながら高江、辺野古への新基地建設が進められる沖縄のこの状況もまた、元凶を辿ると天皇制と結びつくのです。
 
もうこんな天皇制にうんざりだ。天皇制を許容し続ける日本社会にうんざりだ!
みなさん、天皇制を廃止しましょう!
 
・廃止しよう 差別の根元 天皇制!
 
・「陛下」とか 「様」「様」つけるの やめましょう!
 
・祝う日は 自分で決めるぞ 休む日も!
 
・使わんぞ 天皇時計の 元号を!
 
天皇戦争責任 無視するな!
 
ヒロヒトの 沖縄メッセージ 忘れんぞ!
 
・リベラルと アキヒト褒めるな ナンセンス!
 
・「国民」に 統合されるの 拒否しよう!
 
・ノーー…モアー……エンペラー!!!
 
・てーーーん………NO!!!(NOで腕をクロスさせ×マークをつくる)
 
****かんじ なし****
 
はんにちはー!
12がつ 23にち 、 あきひと の たんじょうび だ そう で、 はんてんのう でも を おこないました!
あめ も ふる さむい なか がんばっちゃ いました。
 
すてき な おうだんまく ー!

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いつも けいさつ は、 でもたい を ほどうがわ に よせて くるま を とおそう と します。 そんな こと は させない!なに の ため に しゃどう しよう きょか を わざわざ とってると おもって ん だ!
みんな で しゃせん ぎりぎり を あるきました。 あんのじょう、 けいさつ は 「ひだり に よれ」 と うるさい。 これ いじょう さけいか したら、 もう、 しりません よ。 。 。
ある とき、 えんどう に いた ひと が おもむろに こうあん きゃっぷ を こうむり、 かめら を むけて くるで は ありません か!
きづいた その ば で、 「けいさつ は ととするな」 と みんな で こうぎ し かめら を しまわせました。
 
とうさつはん は この ひと 

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こうあん いがい の えんどう の ひと から は とき に 「この こくぞく ひこくみん が!」 と われわれ の しょうたい を みやぶって いただき、 でもたい の てんしょん が あがりました。 えみ
 
でも の すぴーち と こーる は こちら です。 
 
<すぴーち>
 
きょう 12 がつ 23 にち は へいせい てんのう あきひと の たんじょうび である こと を もって 「しゅくじつ」 と されて います が、 みなさん ふしぎ に おもった こと ありません か?
どうして ある かけい に うまれついた だけ で 「〜 さま」 と「さま」づけ で よばれたり 「へいか」 といった とくべつ な けいしょう を この ひとたち は つけられる の か、 と。
 
わたしたち は いまだに みぶんせい しゃかい に いきて いる の でしょう か?
にほんこく けんぽう は いっぽう で は にんげん の びょうどう を うたって いるに も かかわらず、 たほう で てんのうせい を も みとめるという じこ むじゅん に おちいって います が、 てんのうせい が そんぞく する しゃかい で わたしたち は しんに ひと と ひと と が びょうどう な しゃかい を そうぞう できると は おもえません。
 
そして げんせいけん よとう は さらに てんのう の げんしゅか を もくろんで います。 これ は なに を いみ する の でしょう?
にほん という こっか と その こくみん とうごう の しょうちょう と いちづけられて いる てんのう は これ まで も、 たよう な ここじん の あいだ に ある さい や そこ に しょうじる きんちょう かんけい を つつみかくし、 たんいつ で はいたてき な 「こくみん」 という しゅたい けいせい の ため に はたらいて きました。
この 「こくみん」 と は まさに こっか の ため に ころし、 ころされる こと を うけいれる せんそう に どういん される しゅたい に ほか なりません。
めいじ けんぽう じだい の 「しんみん」 から なまえ が かわろう と、 その ほんしつ は なに も かわって いない の です。
てんのう の げんしゅか と は この てんのう の やくわり を さらに はってん しんか させる もの です。
 
しょうちょう てんのうせい へ と いこう して 70 ねん が たつ なか で、 それ は あまりに わたしたち の せいかつ に ていちゃく して しまって います。
にほん で 「しゅくじつ」 と されて いる の は きょう も ふくめて その ほとんど が てんのう と かんけい して せいてい された もの であり、 「しょうわ」 や 「へいせい」 といった てんのうせい を きばん と した げんごう は にちじょうてき に つかわれます。 あきひと が けんぽう で せいげん された てんのう の けんげん を おおきく  いつだつ して 「せいぜん たいい」 を ふくむ てんのうせい の こんご の ありかた に ついて げんきゅう すれば、 めでぃあ も おおく の 「こくみん」 も いちよう に それ に りかい を しめすあり さま です。
にんげん の じゆう と びょうどう と いう げんそく が ぜんてい に たつべき はんせん ・ へいわ うんどう の なか において すら、 いまや、 あきひと は へいわ しゅぎしゃ で りべらる だ として、 あべ せいけん を ひはん する さい に もちあげるほど です。
 
これ ほど しゃかい の すみずみ に まで てんのうせい が ていちゃく して しまって いる よう に みえる いっぽう で、 それ が ぼうりょく と きょうふ によって ささえられて いる こと も また みのがして は なりません。
というのも、 てんのうせい にたいする ひはん は、 「せんぜん」 は いわず も が な 「せんご」 も、 いっかん して ぼうりょく の ひょうてき に なって きた から です。
ぶんがく さくひん から じゃーなりずむ、 えいが、 げいのう の せかい まで、 いたる ぶんや において も、 こうしつ にたいして 「ふけい」 と みなされた ひょうげん は しゅうげき の ひょうてき と なって きた の であり、 その なか に は ししゃ を だした じれい も あります。 1990 ねん に は とうじ の ながさき しちょう が、 しょうわ てんのう ひろ ひと の せんそう せきにん に ふれた こと で うよく から じゅうげき されました。
つい せんげつ に も とうきょう で の はんてんのうせい を うったえる でも にたいして、 でもたい  の  くるま の ふろんと がらす を はかい したり ふしょうしゃ が でるほど の しゅうげき が くわえられました。 てんのうせいひはん  に  たいする  こうした  たびかさなる  しゅうげき に も かかわらず、 けいさつ は でもたい を だんあつ する こと は あって も うよく による しゅうげき について は せんたくてき に みのがして きて おり、 おおく の めでぃあ も また これ に ちんもく を つらぬいて きました。
てんのうせい は ただ しぜん に わたしたち の しゃかい に とけこんで いる わけ で は ありません、 それ は てんのうせい ひはん を ぼうりょく によって おじけさせ たぶー と しながら しんとう させて きた の です。
 
あきひと は へいわ しゅぎしゃ で りべらる?あまりに なんせんす です。 てんのう と は その そんざい ようしき それ じたい が はんどう な の です。
 
なるほど、 あきひと は その そふと な かたりくち で、 へいわ に むけて の いのり や、 へいわ けんぽう を だいじ に して ほしい という ふう な こと を くち に するか も しれません が、 むしろ あき ひと が ぜったい に みとめない こと の ほう に いみ が あり、 それ こそ てんのう の せんそう せきにん です。
 
あきひと の てんのう という ちい は、 せんそう せきにんしゃ である しょうわ てんのう ひろひと から けいしょう した もの であり、 けっきょく の ところ しょうちょう てんのうせい が しょうちょう する もの と は、 しょくみんち しはい と しんりゃく せんそう にたいする 「せんご」にほん しゃかい の いっかん した むせきにん の たいけい です。いえ、 それ だけ で は ありません。 ひろひと に は へいし も みんかんじん も ふくめた じこく の せんそう ぎせいしゃ、 とくに、 はいせん を いたずら に おくらせ せんか を もとめて おきなわ を すていし と した おきなわせん と、 ひろしま ・ ながさき の げんばく とうか を ふくめて せきにん が あります。
 
しょうちょう てんのうせい と は こうした ひろひと の せんそう せきにん を めんせき する かたち で てんのうせい を えんめい させる ため の せいど であった の であり、 その ため に ひろひと は また して も おきなわ を にほん から きりはなし きち の しま として あめりか に さしだした の です。
にほん ぜんど にたいして 1% に みたない おきなわ に ざいにちべいぐん の 74% が しゅうちゅう しつづけ、 いま も にほん の きどうたい や かいじょうほあんちょう の むきだし の ぼうりょく を こうし しながら たかえ、 へのこ へ の しんきち けんせつ が すすめられる おきなわ の この じょうきょう も また、 げんきょう を たどると てんのうせい と むすびつく の です。
 
もう こんな てんのうせい に うんざり だ。 てんのうせい を きょよう しつづける にっぽん しゃかい に うんざり だ!
みなさん、 てんのうせい を はいし しましょう!
 
<しゅぷれひこーる>
 
・ はいし しよう   さべつ の こんげん   てんのうせい!
 
・ 「へいか」 とか  「さま」「さま」 つけるの   やめましょう!
 
・ いわう ひ は   じぶん で きめるぞ   やすむ ひ も!
 
・ つかわんぞ   てんのう とけい の   げんごう を!
 
・ てんのう の   せんそう せきにん   むし するな!
 
・ ひろひと の   おきなわ めっせーじ   わすれんぞ!
 
・ りべらる と   あきひと ほめるな   なんせんす!
 
・ 「こくみん」 に   とうごう される の   きょひ しよう!
 
・ のーー … もあー … … えんぺらー!!!
 
・ て ーーー ん … … … NO!!!(NO で うで を くろす させ × まーく を つくる)