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3月18日デモ報告*3がつ 18にち でも ほうこく

 **2つめは かんじ なし**

 

はんにちわ。春っぽくなってきましたね。3月18日にデモをしましたよ。

いつものように京都市の繁華街を一時間ほどかけて歩きました。

デモ中、私たちを囲む警察に向かって「おつかれさまです!」と声をかけ敬礼のポーズ(!)をとるひとや、内容は聞き取れなかったけどなんやらデモ隊に怒鳴ってくるひとなどいました。

こちらの反日メッセージがしっかり伝わっていたようでなによりです。

小さなデモですけど、いつもそれなりに沿道からの注目を集めますし、続けることは大事だなと思います。

 

沿道からの一部熱い反応とは逆に今回は警察はなんとなく冷め切っていたような感じでした。デモ隊に対して「左に寄って」と邪魔をしてくることはありましたが、それほど激しくはなく、もしかしたら警察も「あんま激しく言うとこいつら余計に抵抗してくる」とそろそろ学習したのかもしれません。その真偽はわかりませんが、自由なデモに対する警察からの妨害に対してはその都度みなで抵抗していくというのは本当に大事なことだと思います。

警察の妨害に抵抗していると「警察は敵ではない」とか「そこ、頑張るところちゃう」みたいなことを言うひとがたまにいます。しかし、今日、左に縮められた分だけ、それが明日からの「当たり前」にされてしまいます。その縮められた分は手放してしまった私たちの自由、抵抗する力だと思います。ならば、まさにここで踏ん張って抵抗して、縮めさせないことこそとても大事だと思いませんか?

 

さて、デモのスピーチとシュプレヒコールも紹介しておきますね。

最近、デモのたびにどんどんスピーチが長くなっていっております。一緒にデモを歩いたひとたちを除いて、最初から最後まで聞いてくれたひとは多分いないんじゃないかしら・・・(と思ったら警察がいましたね。)

 

アレもコレも言いたい、言わなきゃ!と思ってスピーチを作っているとついどんどん長くなっちゃいます。デモというより街頭スピーチ向けなのかもしれませんが、たいそう照れ屋さんの私としては一箇所に留まって喋り続けるより喋りながら常に去っていくデモのほうがあってるなぁ、なんて思ったりも。

 

まぁ、言いたいことはできるだけ言い尽くそうという気持ちでやっております。そもそも社会運動全体が右傾化して”シングルイシュー”路線がもてはやされるなかで、「どんどん言い難くされていくことが増えている!」という思いからコトコトデモは出発しているから、この調子で続けていきたいと思いますー。

 

(スピーチ)

 

 ○○通りを語通行中のみなさん。

 最近、テレビをつけてみれば森友学園の話か、朝鮮の金正男氏殺害についてのことがほとんどを占めているような日々ですが、みなさんはどのようにご覧になっているでしょうか。

 森友学園が運営する塚本幼稚園の映像をみたとき、確かに胸がすくむような感覚になりました。

教育勅語を唱和させられ、「安倍総理頑張ってください」と園児たちが声をそろえる映像に度肝を抜かれた方々も多いのではないでしょうか。

 このようなものが「教育」として罷り通っていいはずは当然ありません。これは虐待であると私は思います。

しかし、考えてほしいのは、こうした戦前回帰とも言える現象はなにも塚本幼稚園に限ったことではないということです。実はこのような現象は日本全国の学校現場において、また学校に限らず日本社会の隅々にまでいきわたっています。

 日本全国の学校では、教員、生徒たちが侵略の象徴である「日の丸」を前に起立、天皇賛美の「君が代を斉唱することを強要され続けてきて、それに抵抗して闘う教員たちの多くが職を失うに至っています。

 社会化教育においては帝国主義的な領土意識を植え付けようとしており、歴史教育は植民地支配・侵略戦争に対する反省を失って自国中心主義への偏りを強めています。また道徳の教科化が決定し小学校では2018年度から、中学校で2019年度から実施されますが、それが個人の基本的人権よりも、それを抑圧する国家とそれが敷く社会規範を優先させ、ナショナリズムを煽るものであることは疑いないことです。

 皇国臣民化教育は戦前だけのものでもなければ、森友学園の専売特許でもないのです。

 学校だけではありません。家庭でテレビをつければ「日本すごい!」と自国を褒めちぎる番組のオンパレードであり、そのなかには露骨な外国人嫌悪に満ちた番組もそう珍しいものではなくなっています。

そうです。森友学園は、この日本社会の現状において過激なほうではあるのかもしれないけれど、残念ながら、それは決して異端ではなく、単にこの社会に蔓延る日本中心主義をより純化したという意味において地続きのものであるということを私たちは意識しないわけにはいけません。

 だからこそ、森友学園的なものを唾棄していくためには、この日本社会全体が既に陥っているこの排外的な日本中心主義の状況に対して根本から向き合い変えていく必要があるのではないでしょうか。

 森友学園に対する著しく不適切な厚遇に対して全国の朝鮮学校が置かれている処遇とをコントラストにするとより鮮やかに日本という社会のあり方が映し出されます。

 2010年度以来ずっと高校無償化からは除外され続け、国家ぐるみの差別は地方自治体にまで広がり、それまで拠出されていた補助金すら停止に踏み切った自治体が増え続けています。そのなかには補助金支給の条件に朝鮮民主主義人民共和国や朝鮮総連との関係を絶つことを迫ったり、拉致問題について扱うことを要求するなど露骨な教育介入をしてくることもあります。

 朝鮮学校は植民地支配によって日本に生活するようになった在日朝鮮人が祖国解放後、子どもたちに朝鮮の言葉や地理、歴史を教えようと自力で作ってきたものです。どれも日本の植民地支配によって学ぶ機会が奪われたことであり、本来ならば日本の責任において保障されなければならない民族教育です。またそのような歴史的経緯によらずとも民族的マイノリティに対する民族教育権は基本的人権として保障されなければならないものですが、日本は保障はおろか、積極的に朝鮮学校に対して差別・弾圧を加えてきました。

 朝鮮学校が差別・弾圧されてきたことの根本的な理由は、朝鮮学校こそが日本の植民地支配・侵略戦争の歴史、またその責任をとってこなかった「戦後」日本のあり方を告発する存在であるからに他なりません。その朝鮮学校の教育を「反日教育」と呼び差別・弾圧しながら、植民地支配・侵略戦争の歴史に目を背け、戦争で国家のために殺し・殺される主体としての「国民」を創り出す教育を「愛国教育」として称揚してきたことが森友学園の問題の本質であり日本社会全体の問題であると思います。

 

 朝鮮についてはメディアはもっぱら金正男氏殺害についてばかり取り上げるばかりで、弾道ミサイル実験や核実験とあわせて脅威を煽り続けていますが、では朝鮮がなぜ弾道ミサイル実験や核実験に踏み切るのかその背景をちゃんと報道しているメディアはほぼ皆無です。

 3月1日に始まり4月末まで続く米韓合同軍事演習は、過去最大規模として米韓両軍計31万7千人が参加した昨年の軍事演習をさらに上回る史上最大規模で実施されており、金正恩委員長ら要人の暗殺や誘拐を含む朝鮮への先制攻撃も視野に入れたものです。サードミサイルの配備を仮定した演習も実施されます。

 またこの軍事演習に含まれる「作戦計画5030」と呼ばれる作戦は、朝鮮の平壌上空を米軍のステルス戦闘機で飛行する可能性があり、場合によっては領空侵犯によってそのまま実際の戦闘行為に発展しかねない挑発行為だといえます。

規模においても、そして作戦の内容においても、米韓合同軍事演習は、いつ実戦に移行してもおかしくないものだということです。またこの戦争演習に参加している米軍ステルス戦闘機F-35Bは沖縄の普天間飛行場嘉手納基地から派遣されたものです。つまり日本も間接的に加担しているのです。

日本では朝鮮の弾道ミサイル実験や核実験についてはそれを差し迫った脅威であるとして、その防衛のためならばと日米安保も、自衛隊も、戦争法も、なんでもかんでも許してきてしまっていますが、圧倒的な軍事力を投じて定期的に実施される米韓合同軍事演習や、対朝鮮を軸にした日・米・韓による軍事的紐帯が朝鮮に与えている脅威を私たちは想像すべきではないでしょうか。朝鮮による脅威を理由として、ますます軍事化に拍車がかかるこの社会は沖縄に犠牲を強い続け、在日朝鮮人への差別・弾圧を許し続けてきました。また京都市に暮らす方々にはぜひもっと関心をもって欲しいのですが、丹後には近畿地方初となる米軍基地が設置されそこに配備されたXバンドレーダーが運用されてから既に2年以上が経ちますが、レーダーから発せられる強力な電磁波、発電機からの騒音、そして米軍関係者による40件を越える交通事故など地域のひとびとの安全と安心を脅かし続けています。

 昨年、11月には日韓秘密軍事情報保護協定が結ばれ、日韓の軍事的紐帯が強化され、今後、これまで実現しなかった日韓そして日米韓を含む合同軍事演習も現実味を帯びてきました。そうなればこの地域の緊張はさらに高まることになり、平和とはますます逆行していきます。そして、この日韓、日米間の軍事的連帯のために犠牲にされたひとびとが日本軍性奴隷制の被害女性たちです。日韓の軍事的連帯を強化するに当たって障壁となってきた植民地支配に端を発する問題のなかでも、最も大きな懸案であったいわゆる「従軍慰安婦問題を政府レベルで強引に解決しようとした結果が2015年12月28日に交わされた「合意」です。この被害女性の意向を無視して、当事者不在のまま政府間で交わされた合意によって、そもそも植民地支配と戦争の論理の下でその傷付けられた女性たちが、再び、軍事・戦争の論理によってその尊厳が傷付けられたのです。

 

私たちは、軍事化するこの日本社会に抵抗し、植民地支配と侵略戦争への真摯な反省と補償を求め続けます。

 

シュプレヒコール

 

・廃止しよう 差別の根源 天皇制!

・「陛下」とか 「様」「様」つけるの やめましょう!

・祝う日は 自分で決めるぞ 休日も!

天皇の 戦争責任 無視するな!

・「国民」に 統合されるの 拒否しよう!

・日の丸を 焼こう、破こう 降ろそうよ!

君が代を 流すのやめろ 歌わんぞ!

・入管は 殺人施設だ つぶそうよ!

・米軍の 押しつけ許さん 沖縄へ!

・警察は 自由なデモを 邪魔するな!

自衛隊 日本の軍隊 なくそうよ!

・朝鮮の 敵視をやめろ 今すぐに!

・国籍で ひとの生き方 せばめるな!

・廃止しよう 差別をうみだす 戸籍制度!

・やめにしよう 排除の祭典 オリンピック!

 

**かんじ つかって いません**

 

はん に ちわ。 はるっぽく なって きました ね。 3 つき 18 ひ に でも を しました よ。
いつも の よう に きょうとし の はんかがい を いちじかん ほど かけて あるきました。
でもちゅう、 わたしたち を かこむ けいさつ に むかって 「お つかれさま です!」 と こえ を かけ けいれい の ぽーず (!) を とる ひと や、 ないよう は ききとれなかった けど なん やら でもたい に どなって くる ひと など いました。
こちら の はんにち めっせーじ が しっかり つたわって いた よう で なに より です。
ちいさな でも です けど、 いつも それなり に えんどう から の ちゅうもく を あつめます し、 つづける こと は だいじ だ な と おもいます。

えんどう から の いちぶ あつい はんのう と は ぎゃく に こんかい は けいさつ は なんとなく さめきって いた よう な かんじ でした。 でもたい にたいして 「ひだり に よって」 と じゃま を して くる こと は ありました が、 それほど はげしく は なく、 もしか したら けいさつ も 「あんま はげしく いうと こい つら よけい に ていこう して くる」 と そろそろ がくしゅう した の かも しれません。 その しんぎ は わかりません が、 じゆう な でも にたいする けいさつ から の ぼうがい にたいして は その つど みな で ていこう して いくという の は ほんとうに だいじ な こと だ と おもいます。
けいさつ の ぼうがい に ていこう して いると 「けいさつ は てき で は ない」 とか 「そこ、 がんばる ところ ちゃう」 みたい な こと を いう ひと が たま に います。 しかし、 きょう、 ひだり に ちぢめられたぶん だけ、 それ が あした から の 「あたりまえ」 に されて しまいます。 その ちぢめられたぶん は てばなして しまった わたしたち の じゆう、 ていこう する ちから だ と おもいます。 ならば、 まさに ここ で ふんばって ていこう して、 ちぢめさせない こと こそ とても だいじ だ と おもいません か?

さて、 でも の すぴーち と しゅぷれひこーる も しょうかい して おきます ね。
さいきん、 でも の たび に どんどん すぴーち が ながく なって いって おります。 いっしょ に でも を あるいた ひとたち を のぞいて、 さいしょ から さいご まで きいて くれた ひと は たぶん いない ん じゃ ない かしら ・ ・ ・ (と おもったら けいさつ が いました ね。 )

あれ も これ も いいたい、 いわなきゃ!と おもって すぴーち を つくって いると つい どんどん ながく なっちゃ います。 でも と いうより がいとう すぴーちむけ な の かも しれません が、 たいそう てれやさん の わたし として は いちかしょ に とまって しゃべりつづけるより しゃべりながら つねに さって いく でも の ほう が あってるなぁ、 なんて おもったり も。

まぁ、 いいたい こと は できるだけ いいつくそう という きもち で やって おります。 そもそも しゃかい うんどう ぜんたい が うけいか して” しんぐるいしゅー” ろせん が もてはやされる なか で、 「どんどん いい がたく されて いく こと が ふえて いる!」 という おもい から ことこと でも は しゅっぱつ して いるから、 この ちょうし で つづけて いきたい と おもいます ー。

(すぴーち)

 ○ ○ とおり を かたり つうこうちゅう の みなさん。
 さいきん、 てれび を つけて みれば もりとも がくえん の はなし か、 ちょうせん の きむ まさおし さつがい について の こと が ほとんど を しめて いる よう な ひび です が、 みなさん は どの よう に ごらん に なって いるでしょう か。
 もりとも がくえん が うんえい する つかもと ようちえん の えいぞう を みた とき、 たしか に むね が すくむ よう な かんかく に なりました。
きょういく ちょくご を しょうわ させられ、 「あべ そうり がんばって ください」 と えんじたち が こえ を そろえる えいぞう に どぎも を ぬかれた かたがた も おおい の で は ないでしょう か。
 この よう な もの が 「きょういく」 として まかりとおって いい はず は とうぜん ありません。 これ は ぎゃくたい である と わたし は おもいます。
しかし、 かんがえて ほしい の は、 こうした せんぜん かいき と も いえる げんしょう は なに も つかもと ようちえん に かぎった こと で は ない という こと です。 じつは この よう な げんしょう は にっぽん ぜんこく の がっこう げんば において、 また がっこう に かぎらず にっぽん しゃかい の すみずみ に まで いきわたって います。
 にっぽん ぜんこく の がっこう で は、 きょういん、 せいとたち が しんりゃく の しょうちょう である 「ひのまる」 を まえ に きりつ、 てんのう さんび の 「きみがよ」 を せいしょう する こと を きょうよう されつづけて きて、 それに ていこう して たたかう きょういんたち の おおく が しょく を うしなうに いたって います。
 しゃかいか きょういく において は ていこく しゅぎてき な りょうど いしき を うえつけよう と して おり、 れきし きょういく は しょくみんち しはい ・ しんりゃく せんそう にたいする はんせい を うしなって じこく ちゅうしん しゅぎ へ の かたより を つよめて います。 また どうとく の きょうかか が けってい し しょうがっこう で は 2018 ねんど から、 ちゅうがっこう で 2019 ねんど から じっし されます が、 それ が こじん の きほんてき じんけん より も、 それ を よくあつ する こっか と それ が しく しゃかい きはん を ゆうせん させ、 なしょなりずむ を あおる もの である こと は うたがい ない こと です。
 こうこく しんみんか きょういく は せんぜん だけ の もの で も なけれ ば、 もりとも がくえん の せんばい とっきょ で も ない の です。
 がっこう だけ で は ありません。 かてい で てれび を つければ 「にっぽん すごい!」 と じこく を ほめちぎる ばんぐみ の おんぱれーど であり、 その なか に は ろこつ な がいこくじん けんお に みちた ばんぐみ も そう めずらしい もの で は なくなって います。
そう です。 もりとも がくえん は、 この にっぽん しゃかい の げんじょう において かげき な ほう で は ある の かも しれない けれど、 ざんねん ながら、 それ は けっして いたん で は なく、 たんに この しゃかい に はびこる にっぽん ちゅうしん しゅぎ を より じゅんか した という いみ において じつづき の もの である という こと を わたしたち は いしき しない わけ に は いけません。
 だからこそ、 もりとも がくえんてき な もの を だき して いく ため に は、 この にっぽん しゃかい ぜんたい が すでに おちいって いる この はいがいてき な にっぽん ちゅうしん しゅぎ の じょうきょう にたいして こんぽん から むきあいかえて いく ひつよう が ある の で は ないでしょう か。
 もりとも がくえん にたいする いちじるしく ふてきせつ な こうぐう にたいして ぜんこく の ちょうせん がっこう が おかれて いる しょぐう と を こんとらすと に すると より あざやか に にっぽん という しゃかい の ありかた が うつしだされます。
 2010ねんど いらい ずっと こうこう むしょうか から は じょがい されつづけ、 こっかぐるみ の さべつ は ちほうじちたい に まで ひろがり、 それ まで きょしゅつ されて いた ほじょきん すら ていし に ふみきった じちたい が ふえつづけて います。 その なか に は ほじょきん しきゅう の じょうけん に ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく や ちょうせんそうれん と の かんけい を たつ こと を せまったり、 らち もんだい について あつかう こと を ようきゅう するなど ろこつ な きょういく かいにゅう を して くる こと も あります。
 ちょうせん がっこう は しょくみんち しはい によって にっぽん に せいかつ する よう に なった ざいにち ちょうせんじん が そこく かいほうご、 こどもたち に ちょうせん の ことば や ちり、 れきし を おしえよう と じりき で つくって きた もの です。 どれ も にっぽん の しょくみんち しはい によって まなぶ きかい が うばわれた こと であり、 ほんらい なら ば にっぽん の せきにん において ほしょう されなけれ ば ならない みんぞく きょういく です。 また その よう な れきしてき けいい に よらず とも みんぞくてき まいのりてぃ にたいする みんぞく きょういくけん は きほんてき じんけん として ほしょう されなけれ ば ならない もの です が、 にっぽん は ほしょう は おろか、 せっきょくてき に ちょうせん がっこう にたいして さべつ ・ だんあつ を くわえて きました。
 ちょうせん がっこう が さべつ ・ だんあつ されて きた こと の こんぽんてき な りゆう は、 ちょうせん がっこう こそ が にっぽん の しょくみんち しはい ・ しんりゃく せんそう の れきし、 また その せきにん を とって こなかった 「せんご」 にっぽん の ありかた を こくはつ する そんざい である から に た なりません。 その ちょうせん がっこう の きょういく を 「はんにち きょういく」 と よび さべつ ・ だんあつ しながら、 しょくみんち しはい ・ しんりゃく せんそう の れきし に め を そむけ、 せんそう で こっか の ため に ころし ・ ころされる しゅたい として の 「こくみん」 を つくりだす きょういく を 「あいこく きょういく」 として しょうよう して きた こと が もりとも がくえん の もんだい の ほんしつ であり にっぽん しゃかい ぜんたい の もんだい である と おもいます。

 ちょうせん について は めでぃあ は もっぱら きむ まさおし さつがい について ばかり とりあげるばかり で、 だんどう みさいる じっけん や かく じっけん と あわせて きょうい を あおりつづけて います が、 では ちょうせん が なぜ だんどう みさいる じっけん や かく じっけん に ふみきる の か その はいけい を ちゃんと ほうどう して いる めでぃあ は ほぼ かいむ です。
 3つき 1 ひ に はじまり 4 げつまつ まで つづく べい かん ごうどう ぐんじ えんしゅう は、 かこ さいだい きぼ として べい かん りょうぐんけい 31 ばん 7 せんにん が さんか した さくねん の ぐんじ えんしゅう を さらに うわまわる しじょう さいだい きぼ で じっし されて おり、 きむ ただし おん いいんちょうら ようじん の あんさつ や ゆうかい を ふくむ ちょうせん へ の せんせい こうげき も しや に いれた もの です。 さーど みさいる の はいび を かてい した えんしゅう も じっし されます。
 また この ぐんじ えんしゅう に ふくまれる 「さくせん けいかく 5030」 と よばれる さくせん は、 ちょうせん の ぴょんやん じょうくう を べいぐん の すてるす せんとうき で ひこう する かのうせい が あり、 ばあい によって は りょうくう しんぱん によって そのまま じっさい の せんとう こうい に はってん しかねない ちょうはつ こうい だ と いえます。
きぼ において も、 そして さくせん の ないよう において も、 べい かん ごうどう ぐんじ えんしゅう は、 いつ じっせん に いこう して も おかしく ない もの だ という こと です。 また この せんそう えんしゅう に さんか して いる べいぐん すてるす せんとうき F-35B は おきなわ の ふてんま ひこうじょう、 かでな きち から はけん された もの です。 つまり にっぽん も かんせつてき に かたん して いる の です。
にっぽん で は ちょうせん の だんどう みさいる じっけん や かく じっけん について は それ を さしせまった きょうい である として、 その ぼうえい の ため なら ば と にち べい あんぽ も、 じえいたい も、 せんそうほう も、 なん でも かんで も ゆるして きて しまって います が、 あっとうてき な ぐんじりょく を とうじて ていきてき に じっし される べい かん ごうどう ぐんじ えんしゅう や、 たい ちょうせん を じく に した ひ ・ べい ・ かん による ぐんじてき ちゅうたい が ちょうせん に あたえて いる きょうい を わたしたち は そうぞう すべきで は ないでしょう か。 ちょうせん による きょうい を りゆう として、 ますます ぐんじか に はくしゃ が かかる この しゃかい は おきなわ に ぎせい を しいつづけ、 ざいにち ちょうせんじん へ の さべつ ・ だんあつ を ゆるしつづけて きました。 また きょうとし に くらす かたがた に は ぜひ もっと かんしん を もって ほしい の です が、 にご に は きんき ちほうはつ と なる べいぐん きち が せっち され そこ に はいび された X ばんど れーだー が うんよう されて から すでに 2 とし いじょう が たちます が、 れーだー から はっせられる きょうりょく な でんじは、 はつでんき から の そうおん、 そして べいぐん かんけいしゃ による 40 けん を こえる こうつう じこ など ちいき の ひとびとの あんぜん と あんしん を おびやかしつづけて います。
 さくねん、 11 つき に は にち かん ひみつ ぐんじ じょうほう ほご きょうてい が むすばれ、 にち かん の ぐんじてき ちゅうたい が きょうか され、 こんご、 これ まで じつげん しなかった にち かん そして にち べい かん を ふくむ ごうどう ぐんじ えんしゅう も げんじつみ を おびて きました。 そう なれば この ちいき の きんちょう は さらに たかまる こと に なり、 へいわ と は ますます ぎゃっこう して いきます。 そして、 この にち かん、 にち べいかん の ぐんじてき れんたい の ため に ぎせい に された ひとびとが にっぽんぐんせい どれいせい の ひがい じょせいたち です。 にち かん の ぐんじてき れんたい を きょうか するにあたって しょうへき と なって きた しょくみんち しはい に はじ を はっする もんだい の なか で も、 もっとも おおきな けんあん であった いわゆる 「じゅうぐん いあんふ」 もんだい を せいふ れべる で ごういん に かいけつ しよう と した けっか が 2015 とし 12 つき 28 ひ に かわされた 「ごうい」 です。 この ひがい じょせい の いこう を むし して、 とうじしゃ ふざい の まま せいふかん で かわされた ごうい によって、 そもそも しょくみんち しはい と せんそう の ろんり の した で その きずつけられた じょせいたち が、 ふたたび、 ぐんじ ・ せんそう の ろんり によって その そんげん が きずつけられた の です。

わたしたち は、 ぐんじか する この にっぽん しゃかい に ていこう し、 しょくみんち しはい と しんりゃく せんそう へ の しんし な はんせい と ほしょう を もとめつづけます。

(しゅぷれひこーる)

・ はいし しよう   さべつ の こんげん   てんのうせい!
・ 「へいか」 とか  「よう」「よう」 つけるの   やめましょう!
・ いわう ひ は   じぶん で きめるぞ   きゅうじつ も!
・ てんのう の   せんそう せきにん   むし するな!
・ 「こくみん」 に   とうごう される の   きょひ しよう!
・ ひのまる を   やこう、 やぶこう   おろそう よ!
・ きみがよ を   ながす の やめろ   うたわん ぞ!
・ にゅうかん は   さつじん しせつ だ   つぶそう よ!
・ べいぐん の   おしつけ ゆるさん   おきなわ へ!
・ けいさつ は   じゆう な でも を   じゃま するな!
・ じえいたい   にっぽん の ぐんたい   なくそう よ!
・ ちょうせん の   てきし を やめろ   いま すぐ に!
・ こくせき で   ひと の いきかた   せばめるな!
・ はいし しよう   さべつ を うみだす   こせき せいど!
・ やめ に しよう   はいじょ の さいてん   おりんぴっく!