5月28日デモ報告*5がつ28にち でも ほうこく

**ふたつめ は かんじ つかって いません**

 

はんにちわー。

528日(日)、この日の京都市は快晴の青空の下というデモ日和でしたので、10数人という大人数でまた繁華街を1時間かけてじっくりデモしました。

今回は序盤から警察が「はやく進みなさい!」「左に寄って!」とかなりガミガミうるさい!

私たちの耳元で叫んできたり、触ったりしてきてとてもとてもうっとうしいものでした。

そんなことされれば当然みんなで「自由なデモの邪魔をするな!」といつものように抗議です。

 

そんなときです。私たちのデモにむかって正面からドンドンと突き進んでいくひとがいるではないですか!おや?もしかして嬉しい飛び入り参加かしらと胸がおどるのもつかの間、わざと体当たりをされました!

この暴行に対して私たちは「何をするんだ!」と当然怒りますが、「迷惑なんじゃ!」と吐き捨てまた沿道に逃げていこうとします。

警察はデモに誘われていないにも関わらずいつも勝手についてきますが、百歩譲ってそれに少しでも根拠を与えるとするならば、まさにこんなふうに暴力をふるってくるものを抑えるためのはずです。

しかし、警察は暴力をふるってきたものを取り締まるどころか、あろうことか、暴力をふるった側に対して謝っていたのです!!!

今さら驚くようなことではないかもしれません。これまでも警察は右翼による暴力は恣意的に見逃して我々のような反日非国民に対しては非暴力の運動であっても弾圧してきたのですから。

しかし、だからといって到底許せることではありません。その場で参加者みなで「あいつを放っておいてデモを進めろとおかしいだろ!」「何のためにいるんだ!」と猛抗議です。

暴漢が離れても抗議を続ける私たちに警察は譲歩のつもりなのか「早く進みなさい!」から「ゆっくりでいいから進んでください」に変わりました(笑)。

ちっとも許してないですけどね。下京署には次の機会にはあらためて抗議したいと思います。

 

今回のスピーチもしっかりとがっていて熱のこもった力作です。当日、スピーチしながら自分で思わずめっちゃええこと言うやんって感動してました(笑)

そして恒例の5・7・5の俳句スタイルのシュプレヒコールデモが八坂神社に近づくと日の丸掲げる神社に向けて今回も怒涛の「日の丸を 焼こう 破こう 降ろそうよ!」コールラッシュでした。

ぜひ読んでください。

 

 

(スピーチ)

 

〜通りをご通行中のみなさん、こんにちわ。

これまで私たちは何度も繰り返しこうやってデモをしては毎回のように天皇制への反対を訴えたり、「日の丸を焼こう・破こう・折ろそうよ」と叫んだり、他にも殺人施設である入国管理局を潰すこと、あるいは日米安保体制を終わらせ米軍基地をなくし自衛隊という日本軍も解体すること、そして10年以上も続く朝鮮敵視政策をやめ植民地支配・侵略戦争責任を果たすこと等々を訴えてきました。

 

こんな私たちを反日非国民と呼ぶ人もいます。

その通り!正解です。

反日非国民なんです、私たち。

 

戦前の大日本帝国からちっともかわらない日本国なんか反対されて当然のものだし、外に向けては排外的で内に向けては国家のために殺し・死ぬという戦争主体として統合される「国民」だなんてまっぴらごめんです。

 

反日非国民の私たちは当然、共謀罪にも大反対です。これはひとの内心にまで立ち入って捜査対象とし、逮捕しようとするとんでもない弾圧法です。この共謀罪について政府はテロ対策が必要だからと言っていましたが、しかしここで言われる「テロ」とはなんでしょう?「テロリスト」とは誰のことでしょう?

 

安倍内閣が秘密法を成立させようとしていた当時、自民党幹事長であった石破茂は秘密法に反対するデモを「テロ行為」と呼びました。

その秘密法や戦争法と並んで、戦争にむけての弾圧法である共謀罪をまたもや強引に成立させようとするなかで、これに反対を叫びデモをする私たちは日本国にとって「テロリスト」でもあるかもしれません。

 

ということで街のみなさん、改めましてはんにちわ!

反日非国民の「テロリスト」集団です。

 

今日もこうやって必死に叫ぶ私たちのせいで車が思うように通れない、バスが遅れてしまう、ということもあるでしょう。

 

まぁ、私たちのデモという「テロ行為」ではせいぜいその程度の「迷惑」をかけるくらいしかできない、とも言えます。

だって本当は「テロリスト」の名に恥じないようもっともっと大きな「迷惑」をかけたいんですから。車やバスだけでなく、もっとたくさんのものをとめたい。この流れをとめたいんです。

 

なぜか。

 

1つに、アメリカとともに世界にまたがって戦争に参加し収奪と殺戮に加担する本当の意味においてテロ国家である日本社会をとめたいから。

 

2つに、朝鮮敵視政策によりいたずらに東アジアの緊張を高め、朝鮮人差別をはじめとした排外主義が蔓延る日本社会をとめたいから。

つい先日には名古屋で旧朝銀中部信用組合であるイオ信用組合に対して放火するというヘイトクライムが起きました。日本軍性奴隷制をめぐる問題で韓国に悪い感情を持っていたというのが理由とされています。

こんな日本社会をとめなければならない。

 

3つに、これまでもずっと被爆労働という犠牲を強いながら動かしてきた原発を、福島原発事故がいまだに収束していないにも関わらず、そして被災者・避難者への補償も不十分なまま、さらにまだまだ出続ける避難移住を保障する権利を訴える声を無視して川内、伊方に続いて517日に高浜原発を再稼働させた日本社会をとめたいから。

 

そして4つに、外国人居住者に対して都合の良いように使い捨ての労働力として搾取の限りを尽くし、用済みになれば拉致・拘禁し、暴力的に強制送還してきた法務省入国管理局を擁する日本社会をとめたいから。

不当にも滞在資格が与えられていない外国人居住者のうち入国管理局に収容されている人たちは、無期限の拘禁状態に置かれ、病気になっても適切な医療を受けることもできず、職員による威嚇、恐喝、暴力に晒され続けてきています。この虐待状況に対して東京入管に収容されている外国人居住者たちは最近まで二週間にもわたりハンガーストライキをもって待遇改善を訴えていました。最大70名が参加した生命をかけた抗議要望に対して東京入管はついに要望書を受け取ることすらせず今も状況はなにも改善されていません。

入管のなかで起きている虐待、殺人はほとんど報道されることもありません。どうか関心を持ち入管に抗議の声を届けてください。

 

他にもたくさんの理由があります。

 

そのために車が、バスが思うように進めなくなる、とまるこの瞬間・空間をどこまでも広げていきたいのです。

原発をとめ、死刑執行をとめ、入管による暴力をとめ、天皇制が続くのをとめ、日の丸が掲げられるのをとめ、流れてくる君が代をとめ、野宿者排除をとめ、排除の祭典であるオリンピックをとめ、米軍基地建設をとめ、そもそも米軍基地の根拠ともなる日米安保体制をとめ、朝鮮敵視政策をとめ、在日朝鮮人への差別政策をとめたいのです。

そして、みなさんの歩みをいったんとめて訴えを聞いて欲しいのです。

 

そのために私たちはこれからもどんどん共謀していきます。

沿道の皆さん、どうぞ共謀して私たちと一緒に歩きましょう!

 

シュプレヒコール

日の丸を 焼こう 破こう 降ろそうよ

君が代を 流すのやめろ 歌わんぞ

天皇制 差別の根源 なくそうよ

「陛下」とか 「様」「様」つけるの やめましょう

「国民」に 統合されるの 拒否しよう

ヤスクニは 軍事施設だ つぶそうよ

入管は 殺人施設だ つぶそうよ

米軍の 押しつけゆるさん 沖縄へ

米軍は 世界のどこにも いらないぞ

自衛隊 日本の軍隊 なくそうよ

朝鮮の 敵視をやめろ いますぐに

国籍で ひとの生き方 せばめるな

廃止しよう 差別を生み出す 戸籍制度

やめにしよう 排除の祭典 オリンピック

 

 

**かんじ つかって いません**

 

はん に ちわ ー。
5つき 28 ひ (ひ)、 この ひ の きょうとし は かいせい の あおぞら の もと という でも ひより でした ので、 10 すうにん という だいにんずう で また はんかがい を 1 じかん かけて じっくり でも しました。
こんかい は じょばん から けいさつ が 「はやく すすみなさい!」「ひだり に よって!」 と かなり がみがみ うるさい!
わたしたち の みみもと で さけんで きたり、 さわったり して きて とても とても うっとうしい もの でした。
そんな こと されれば とうぜん みんな で 「じゆう な でも の じゃま を するな!」 と いつも の よう に こうぎ です。

そんな とき です。 わたしたち の でも に むかって しょうめん から どんどん と つきすすんで いく ひと が いるで は ないです か!おや?もしかして うれしい とびいり さんか かしら と むね が おどる の も つかのま、 わざと からだ あたり を されました!
この ぼうこう にたいして わたしたち は 「なに を する ん だ!」 と とうぜん おこります が、 「めいわく な んじゃ!」 と はきすて また えんどう に にげて いこう と します。
けいさつ は でも に さそわれて いない に も かかわらず いつも かって に ついて きます が、 ひゃくほ ゆずって それ に すこし でも こんきょ を あたえると するなら ば、 まさに こんな ふう に ぼうりょく を ふるって くる もの を おさえる ため の はず です。
しかし、 けいさつ は ぼうりょく を ふるって きた もの を とりしまるどころか、 あろう こと か、 ぼうりょく を ふるったがわ にたいして あやまって いた の です!!!
いまさら おどろく よう な こと で は ない かも しれません。 これ まで も けいさつ は うよく による ぼうりょく は しいてき に みのがして われわれ の よう な はんにち ひこくみん にたいして は ひぼうりょく の うんどう であっ て も だんあつ して きた の です から。
しかし、 だからといって とうてい ゆるせる こと で は ありません。 その ば で さんかしゃ みな で 「あいつ を はなって おいて でも を すすめろと おかしいだろ!」「なに の ため に いる ん だ!」 と もうこうぎ です。
ぼうかん が はなれて も こうぎ を つづける わたしたち に けいさつ は じょうほ の つもり な の か 「はやく すすみなさい!」 から 「ゆっくり で いい から すすんで ください」 に かわりました (えみ)。
ちっとも ゆるしてないです けど ね。 しもぎょうしょ に は つぎ の きかい に は あらためて こうぎ したい と おもいます。

こんかい の すぴーち も しっかり とがって いて ねつ の こもった りきさく です。 とうじつ、 すぴーち しながら じぶん で おもわず めっちゃ ええ こと いうやん って かんどう して ました (えみ)
そして こうれい の 5 ・ 7 ・ 5 の はいく すたいる の しゅぷれひこーる。 でも が やさかじんじゃ に ちかづくと ひのまる かかげる じんじゃ に むけて こんかい も どとう の 「ひのまる を   やこう   やぶこう   おろそう よ!」 こーる らっしゅ でした。
ぜひ よんで ください。

(すぴーち)

〜とおり を ごつうこうちゅう の みなさん、 こんにちわ。
これ まで わたしたち は なんど も くりかえし こう やって でも を して は まいかい の よう に てんのうせい へ の はんたい を うったえたり、 「ひのまる を やこう ・ やぶこう ・ おろ そう よ」 と さけんだり、 た に も さつじん しせつ である にゅうこく かんりきょく を つぶす こと、 あるいは にち べい あんぽ たいせい を おわらせ べいぐん きち を なくし じえいたい という にっぽんぐん も かいたい する こと、 そして 10 とし いじょう も つづく ちょうせん てきし せいさく を やめ しょくみんち しはい ・ しんりゃく せんそう せきにん を はたす こと とうとう を うったえて きました。

こんな わたしたち を はんにち ひこくみん と よぶ ひと も います。
その とおり!せいかい です。
はんにち ひこくみん な ん です、 わたしたち。

せんぜん の だいにっぽんていこく から ちっとも かわらない ひ ほんごく なんか はんたい されて とうぜん の もの だ し、 そと に むけて は はいがいてき で うち に むけて は こっか の ため に ころし ・ しぬという せんそう しゅたい として とうごう される 「こくみん」 だ なんて まっぴら ごめん です。

はんにち ひこくみん の わたしたち は とうぜん、 きょうぼうざい に も だいはんたい です。 これ は ひと の ないしん に まで たちいって そうさ たいしょう と し、 たいほ しよう と する とんでも ない だんあつほう です。 この きょうぼうざい について せいふ は てろ たいさく が ひつよう だ から と いって いました が、 しかし ここ で いわれる 「てろ」 と は なん でしょう?「てろりすと」 と は だれ の こと でしょう?

あべ ないかく が ひみつほう を せいりつ させよう と して いた とうじ、 じみんとう かんじちょう であった いしば しげる は ひみつほう に はんたい する でも を 「てろ こうい」 と よびました。
その ひみつほう や せんそうほう と ならんで、 せんそう に むけて の だんあつほう である きょうぼうざい を またもや ごういん に せいりつ させよう と する なか で、 これ に はんたい を さけび でも を する わたしたち は にっぽんこく にとって 「てろりすと」 でも あるかも しれません。

という こと で まち の みなさん、 あらためまし てはん に ちわ!
はんにち ひこくみん の 「てろりすと」 しゅうだん です。

きょう も こう やって ひっし に さけぶ わたしたち の せい で くるま が おもう よう に とおれない、 ばす が おくれて しまう、 という こと も あるでしょう。

まぁ、 わたしたち の でも という 「てろ こうい」 では せいぜい その ていど の 「めいわく」 を かけるくらい しか できない、 と も いえます。
だって ほんとうは 「てろりすと」 の な に はじない よう もっと もっと おおきな 「めいわく」 を かけたい ん です から。 くるま や ばす だけ でなく、 もっと たくさん の もの を とめたい。 この ながれ を とめたい ん です。

なぜ か。

1つ に、 あめりか とともに せかい に またがって せんそう に さんか し しゅうだつ と さつりく に かたん する ほんとう の いみ において てろ こっか である にっぽん しゃかい を とめたい から。

2つ に、 ちょうせん てきし せいさく により いたずら に ひがしあじあ の きんちょう を たかめ、 ちょうせんじん さべつ を はじめ と した はいがい しゅぎ が はびこる にっぽん しゃかい を とめたい から。
つい せんじつ に は なごや で きゅうあさ ぎん ちゅうぶ しんようくみあい である いお しんようくみあい にたいして ほうか するという へいとくらいむ が おきました。 にっぽんぐんせい どれいせい を めぐる もんだい で かんこく に わるい かんじょう を もって いた という の が りゆう と されて います。
こんな にっぽん しゃかい を とめなけれ ば ならない。

3つ に、 これ まで も ずっと ひばく ろうどう という ぎせい を つよい ながら うごかして きた げんぱつ を、 ふくしま げんぱつ じこ が いまだに しゅうそく して いない に も かかわらず、 そして ひさいしゃ ・ ひなんしゃ へ の ほしょう も ふじゅうぶん な まま、 さらに まだまだ でつづける ひなん いじゅう を ほしょう する けんり を うったえる こえ を むし して せんだい、 いかた に つづいて 5 つき 17 ひ に たかはまげんぱつ を さいかどう させた にっぽん しゃかい を とめたい から。

そして 4 つ に、 がいこくじん きょじゅうしゃ にたいして つごう の よい よう に つかいすて の ろうどうりょく として さくしゅ の かぎり を つくし、 ようずみ に なれば らち ・ こうきん し、 ぼうりょくてき に きょうせい そうかん して きた ほうむしょう にゅうこく かんりきょく を ようする にっぽん しゃかい を とめたい から。
ふとう に も たいざい しかく が あたえられて いない がいこくじん きょじゅうしゃ の うち にゅうこく かんりきょく に しゅうよう されて いる ひとたち は、 むきげん の こうきん じょうたい に おかれ、 びょうき に なって も てきせつ な いりょう を うける こと も できず、 しょくいん による いかく、 きょうかつ、 ぼうりょく に さらされつづけて きて います。 この ぎゃくたい じょうきょう にたいして とうきょう にゅうかん に しゅうよう されて いる がいこくじん きょじゅうしゃたち は さいきん まで にしゅうかん に も わたり はんがーすとらいき を もって たいぐう かいぜん を うったえて いました。 さいだい 70 な が さんか した せいめい を かけた こうぎ ようぼう にたいして とうきょう にゅうかん は ついに ようぼうしょ を うけとる こと すら せず いま も じょうきょう は なに も かいぜん されて いません。
にゅうかん の なか で おきて いる ぎゃくたい、 さつじん は ほとんど ほうどう される こと も ありません。 どうか かんしん を もち にゅうかん に こうぎ の こえ を とどけて ください。

た に も たくさん の りゆう が あります。

その ため に くるま が、 ばす が おもう よう に すすめなく なる、 とまる この しゅんかん ・ くうかん を どこ まで も ひろげて いきたい の です。
げんぱつ を とめ、 しけい しっこう を とめ、 にゅうかん による ぼうりょく を とめ、 てんのうせい が つづく の を とめ、 ひのまる が かかげられる の を とめ、 ながれて くる きみがよ を とめ、 のじゅくしゃ はいじょ を とめ、 はいじょ の さいてん である おりんぴっく を とめ、 べいぐん きち けんせつ を とめ、 そもそも べいぐん きち の こんきょ と も なる にち べい あんぽ たいせい を とめ、 ちょうせん てきし せいさく を とめ、 ざいにち ちょうせんじん へ の さべつ せいさく を とめたい の です。
そして、 みなさん の あゆみ を いったん とめて うったえ を きいて ほしい の です。

その ため に わたしたち は これから も どんどん きょうぼう して いきます。
えんどう の みなさん、 どうぞ きょうぼう して わたしたち と いっしょ に あるきましょう!

(しゅぷれひこーる)
ひのまる を   やこう   やぶこう   おろそう よ
きみがよ を   ながす の やめろ   うたわん ぞ
てんのうせい   さべつ の こんげん   なくそう よ
「へいか」 とか  「よう」「よう」 つけるの   やめましょう
「こくみん」 に   とうごう される の   きょひ しよう
やす くに は   ぐんじ しせつ だ   つぶそう よ
にゅうかん は   さつじん しせつ だ   つぶそう よ
べいぐん の   おしつけ ゆるさん   おきなわ へ
べいぐん は   せかい の どこ に も   いらない ぞ
じえいたい   にっぽん の ぐんたい   なくそう よ
ちょうせん の   てきし を やめろ   いま すぐ に
こくせき で   ひと の いきかた   せばめるな
はいし しよう   さべつ を うみだす   こせき せいど
やめ に しよう   はいじょ の さいてん   おりんぴっく