批判すること・されること(1)

目次

(1)  過去の運動批判

(2)  野間氏批判への反駁法

(3)  それでも批判は存在する

(4)  事の本質は縄張り争いではない

(5)  俺らのなかでは差別ではないという結論しか述べない論法と「サヨクもやってる」論法に反対する

 

 この章では野間氏の議論の展開方法のあり方を検証する。私たちの理解では野間氏の論法の最大の問題点は、因果関係を示さない批判・反論を大量に投下する印象批判・印象操作、意図を曲解・あるいは文脈から切り離した文言だけを俎上に載せ批判を矮小化すること/またそれを連続して行い当初呈された疑義を無効化すること、そして彼へ呈された疑義を「個人的な不満」として処理することにある。

 今回の批判はいわば序論であるから、当然予想される論駁に対しては、後にもっと細かく分類を施した上で個々に詳細に批判して行くことを予め述べておく。

 以下具体的な命題に即して彼の言行を批判する。

(1)過去の運動批判

a)野間易通@kdxn

ヘイトスピーチに反対する会のカウンター街宣とか、なんの意味も効果もなかったからね。過去の失敗から学ぼう。RT @aidetaocan: 「右デモ」に共感してたような連中が、明確なカウンター街宣をやるでもなく自警団面してうろつくわけか。在特会との区別がつかなくてどっちにしろ脅威だかposted at 13:00:49http://twilog.org/kdxn/month-1302/allasc

(b)野間易通@kdxn

@kdxn 在特会3年前から新大久保で同じようなデモをやっており、ヘイトスピーチに反対する会がカウンターを呼びかけていたが、誰も反応しなかった。いまはっきりと言う。それは、やり方がまずかったからだと。posted at 02:18:38

http://twilog.org/kdxn/month-1302/allasc-10

(c)野間易通@kdxn

@kdxn それはそれでひとつの試行錯誤であり、その結果の失敗だから責めるつもりはないけど、せめて新しく立ち上がった人たちの足を引っ張ることだけはやめようね。posted at 02:19:19http://twilog.org/kdxn/month-1302/allasc-10

(d)野間易通@kdxn

@kdxn 慰安婦にしろ南京にしろ「在日特権」にしろ拉致問題にしろ、全部口実にすぎないんだから表層だよね。歴史認識問題でネトウヨが勢いづいたことの片棒を担いだのは、間違いなくネトサヨposted at 21:07:09https://twitter.com/kdxn/status/319783193324687360

e野間易通@kdxn

ちがいます。悪意の矛先を目立つ人にぶつけたい低劣な人間が一定数いるというだけの話。RT @HeartRights: いま何故木野さんが叩かれてるか、ってーと 彼が日本を大事に思っているから&このカウンタ側の運動に沢山の人が期待を持ってくれてるから 、の2点とちゃうかな。posted at 04:16:19https://twitter.com/kdxn/status/319891196048719872

(f)野間易通@kdxn

めっちゃ低いです。そしてあの手の、被差別者や被害者をダシにした低劣な言論が横行した結果、そのカウンターとして在特会みたいなものが登場した。いわば彼らの鏡ですよ。RT@HeartRights: @kdxn あー、そういう次元があまり高くない話でしたかー。

posted at 04:20:22https://twitter.com/kdxn/status/319892216422232064

(g)野間易通@kdxn

たぶん今そういうことを言ってる人たちの中心っておそらく3040代で、「八百屋や床屋は差別用語」なんていう話を一度は受け入れた経験のある人たちなのではないかと思う。勘やけど。

https://twitter.com/kdxn/status/308275137415876609

(h)野間易通@kdxn

@kdxn単に屁理屈好きなんじゃなくて、恐れなんじゃないのかな。攻撃されることへの恐れ。そしてそれが在特会を生み出したのだ!みたいな話にもっていくと、講談社ノンフィクション賞とれる。

https://twitter.com/kdxn/status/308275762811781120

 

 (a)から(c)において野間氏は既存の運動の側からの在特会ら行動する保守の批判と活動は無意味な失敗で誰も反応しなかったと断じている。だが「どういう基準から見て」失敗なのかは示されていない。また「どのような具体的出来事が」「なぜ」失敗であったのかも示されていない。例えば反応した人数が少なかったことをもって失敗であるとしているが、野間氏の動員人数ですべてをはかるという主張に対しては別個に批判を加える。

 このような発言の対句として、必ずしも同時的に発せられる訳ではない点に注意が必要だが、左翼の潔癖症が反差別、いや反レイシズム運動への広範な市民の結集を妨げてきたとする発言が為されている。しかしここで注意を払いたいことは、実はその因果関係は立証されていないということである。例えば(d)から(f)は連続したやり取りであるが、「何が」「なぜ」「低劣」であるのかは示されていない。また仮に1兆歩ゆずって「被差別者や被害者をダシにした低劣な言論」があったとして、そのことと在特会ら行動する保守の出現を「イコールで結ぶことができる理由」もまた示されていない。(g)(h)も同様の発言である。

 

(2)野間氏を批判するものへの反駁法

野間易通@kdxn

「私は日の丸を批判しています」「国民主義を批判してます」と言ってるだけで「免罪」され、レイシズムを批判したことになるなら、これほど楽チンなことはほかにない。あまりに安易な方向に流れすぎだと思う→@myosida

posted at 00:16:11http://twilog.org/kdxn/month-1302/allasc-4

野間易通@kdxn

「ずっと考え」つづけて早4年か。目の前の暴力を自己啓発のための材料あるいは「気づき」のきっかけとしか見てないんだろうなあ。RT @myosida: 自分に何をできるのかずっと考えている。自分を責めるだけではなく。

posted at 00:17:48http://twilog.org/kdxn/month-1302/allasc-4

野間易通@kdxn

なるほど「日本人がもっている特権性」から自分だけは除外しているわけか。それでひたすら「考え続ける」と。レイシズムは消費するためのネタじゃないのよん。RT @myosida: 自分が免罪されるとか、目の前の暴力に沈黙しているとか、勝手に決めつけるな。posted at 00:24:23http://twilog.org/kdxn/month-1302/allasc-4

 

野間易通@kdxn

「立場が違う」というのは、単にあなたの願望にすぎない。どちらもマジョリティの日本人です。RT @myosida: 同じセリフでも立場が違えば意味はまったく違うだろう。勝手に切り取って歪曲するな。 RT @kdxn: これ、在特会がよく言ってるセリフそっくりそのままだわposted at 00:31:36http://twilog.org/kdxn/month-1302/allasc-4

野間易通@kdxn

だいたい、こういう言葉を引いておきながら「俺は在特会とは立場がちがう!」って?RT @myosida: 「『在特会』を例外や特殊なものとして扱ったり、未熟さを嘲笑うことは、日本社会が内在している暴力や、日本人の責任を曖昧にしてしまう。そういう意味で、彼らは私の『鏡』だと思うのだ。posted at 00:33:25http://twilog.org/kdxn/month-1302/allasc-4

 自らの呼びかける運動へ結集しないことをもってお前は在日を自己啓発の道具にしているだけとする傲慢・この暴力、政治的スタンスの違いとしての「立場」を社会的存在として生まれたが故に必然的に身にまとわりついて離れない本質的「立場」と意図的に混同し議論の土台を掘り崩すこの不誠実さ、野間氏への批判はかくして常に失敗に終わる。

 

(3)それでも批判は存在する。

kato カト @kato82 23

 レイシストをしばき隊をやる人、それを批判する人とで議論がここ数日続いてるけどそのことによって両者が守ろうとしているマイノリティの人たちが置き去りになってしまってる感はある。

野間易通 @kdxn 23

@chiwokato 針谷ガー!右翼ガー!日の丸ガー!と関係ないことしか言ってこないからね、あの人たち。3年前もそうだったし、反原発運動に対してもそうだし、今回も通常運転https://twitter.com/kdxn/status/298313925353676800

野間易通@kdxn

@houseportceo ここで言う「サヨク」とは、右翼とつきあいのある人間がこんな行動をしても無駄だとか、植民地主義反対の理念がないと無意味だとか、必死でナンクセをつけて妨害をしようとしている自称リベラルの人々です。ここ2〜3日ずっとやってますね。posted at 20:27:53http://twilog.org/kdxn/month-1302/allasc-5

 野間氏とその仲間が口にするところの「守ろうとしているマイノリティ」の中から批判が存在することをなぜこうも無視できるのか。また植民地主義反対の理念を持たないままに日本で反レイシズムがあり得るのだろうか。オリンピックで、サッカーの国際試合で、日の丸ロケットで、ノーベル賞で、それ自体は極めて無邪気に振られる日の丸。だがそれもまた「日本人」意識という虚偽意識の再生産に寄与している。単純に日本(人)すごいと思ってしまう・言ってしまう「自然な」日常的感覚を疑う事なしに、果たして私たちはどこまで「日本人」というものの持つ法制度上の・社会的通念上の権力性に迫れるだろうか。