自由(じゆう)と人権(じんけん)は「国民(こくみん)」の占有物(せんゆうぶつ)でない・デモ(でも)に参加(さんか)して♪
先日1月12日、『自由と人権は「国民」の占有物でない』と銘打たれた秘密保護法に反対するデモに行って参りました。
巷ではそこかしこで「国民運動」が目につきますね。「国民」のために反原発、TPPは「国民」への裏切り、秘密保護法で「国民」の知る権利が…。「国民」、そんなに偉いのか?「国民の俺が主張するんだから聞けよ」と言わんばかりです。
「国民」の声が大きくなればなるほど、小さくならざるを得ない非「国民」の声があります。1982年1月1日時点で20歳を超えていた在日外国人障害者と、1986年4月1日の時点で60歳を超えていた在日外国人高齢者は、経過措置が取られないまま今現在も年金制度から排除されています。また、生活基盤が日本にあるにもかかわらず、その滞在が「不法」であるとされてしまえば有無を言わさず収容されたり国外へ送還されてしまう外国人たちが多く存在しています。今日までずっと、この国において外国人の人権は「権利」と呼べるような代物でなく、「恩恵」として「国民」から与えられたものでした。このような歴史を踏襲して盛り上がりを見せる「国民運動」は、またしても非「国民」の声を奪おうとするものであり、その運動の先にある未来はこれまでどおりの差別吹き荒れる日本国に違いありません。
さて、話を戻します。今回のデモにおいて最も印象的だったこと。それは「反中国・反朝鮮キャンペーンをやめろ」と大通りで大勢の前で叫んだとき、わたしのなかに、ある意味救われるような気持ちが湧いてきたことです。「国民」の一致団結・絆のためにいつも「敵」として存在させられてきた非「国民」のわたしにとって、この言葉はずっと奪われ続けてきたものでした。ちょっとだけ取り返した気持ちになって、勇気付けられるような。また一歩進める気にさせてくれるデモに参加できて、よかったです。
らのはちぶ♪