7月7日にコトコトじっくり煮込んだ日帝♪(以下、コトコト日帝♪)デモの第一回が行われました。
17時に三条大橋を出発し、河原町御池→烏丸御池→烏丸四条のコースを約1時間かけ歩きました。
特に、決まったシュプレヒコールなどもなく、叫びたい人は叫び、プラカを掲げたい人は掲げ、歩くだけの人は歩くだけ、という風にそれぞれがしたいようにデモするいい感じのデモになったんじゃないでしょうか。
デモでは横断幕を掲げ、プラカも何種類か用意していましたので、そちらをupします。
↑これが横断幕。横は2m以上のけっこうでかくて、風が大変でした。
ただ、かなり大きい分、沿道の人たちの注目は浴びていましたよ。プラカは裏表の4種類を用意していました。
↑以上が、プラカでそれぞれ、左右で表裏のプラカを用意していました。
コトコトじっくり煮込んだ日帝♪一同
反差別、反レイシズム運動を取り戻すために(*当日配布した呼びかけ文です)
既にご存知の方も多いと思いますが、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)といった「行動する保守」によるヘイトスピーチ街宣に対して「レイシストをしばき隊」(しばき隊)やそれに呼応して登場した「仲良くしようぜ」などのメッセージを送るプラカード隊(プラカ隊)といったカウンター行動が、東京や大阪を中心に<反差別>、<反レイシズム>の看板を掲げて今年の2月より活動しています。
しかし、その中身においてカウンター側からセクシズムや能力主義の暴力が行使されるなどとても反差別と言い難い状況に毎度のように陥っていること、日本社会が戦後一貫して植民地主義を継続させ日本人中心主義を維持するための制度的差別およびそれを支える歴史修正主義が放置されていること、それとセットにナショナリズム(日本主義と言い換え可能でしょう)が積極的に動員されていること、等の問題が起こっています。そればかりか、そのような批判に対しては「行動する保守」によるヘイトスピーチ街宣こそが「優先」して防がれるべき「眼前の暴力」であるとして、批判についてカウンター行動をくじくものとして斥けています。「高校無償化」制度より朝鮮学校に通う者たちが除外されていることが典型的な民族差別であるにも関わらず、そのような差別政策を肯定する者もカウンター行動への参加を歓迎されていることはまさにそれをよく表しています。
制度的差別について公権力は常にそれを「正当な区別」とうそぶきメディアのほとんども追従するという状況において、「行動する保守」によるヘイトスピーチ街宣に比べるとそれを「差別」として認識するためには「段階」が必要という意見もあるでしょう(これについて、「普通のひと」には政府、メディアを批判的にみれない、という「大衆蔑視」であるという批判は正当であると思います)。そのような意味では喫緊な暴力のひとつである(ひとつでしかない)「行動する保守」によるヘイトスピーチ街宣に対するカウンター行動への参加の「敷居」を下げ、カウンターそれ自体の効果の最大化を図るという目的に照らすならば、例えば高校無償化除外についての認識については「あとから」でもという考えを一概には否定できないという考え方もあるかもしれません(考え方があり得るだけで同調しません)。
しかし、カウンター行動が始まって既に5か月が経とうとするなか、依然としてカウンター内部のレイシズムは許容され続けています。「しばき隊」に「プラカ隊」、そして大阪の(既に解散した)「ともだちを守る団」(守る団)にしても「行動する保守」に対してこそ目を向けても、その目が公権力(まさにその意志に基づいて差別がまかり通っているにもかかわらず)には向けられ得ないのは何故でしょうか?私たちは昨今のカウンターはあくまでもヘイトスピーチ街宣へカウンターではあっても<反差別>、<反レイシズム>という看板を掲げる資格を既に失していると考えます。反差別、反レイシズム運動の本来在るべき姿を具現させていくべく、たとえ独りでも、また共にでも、声をあげていく必要をここに呼びかけます。
2013年7月7日
コトコトじっくり煮込んだ日帝♪