「奴(やつ)らを通(とお)すな」→「闊歩(かっぽ)していいのは俺(おれ)とその仲間(なかま)だけ」 ~ヘイトスピーチに反対(はんたい)する会(かい)に対(たい)する攻撃(こうげき)から考え(かんが)る~
1.ヘイトスピーチに反対する会が執拗に攻撃されている
2013年2月より「しばき隊」や「プラカ隊」として知られるようになった、「在特会」といった「行動する保守」に対するカウンター行動の延長として9月22日に「東京大行進」なるものが行われた。また9月25日には「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク」(のりこえねっと)なるものもできた。
一見、日本においてレイシズムを許容しない土壌が生まれつつあるかのような希望をもたらせてくれるかもしれないが、2月以降のカウンター行動については寧ろそれがレイシズムを維持するものであること、さらに様々な問題(ナショナリズムの動員、差別的言辞をもっての対抗、女性排除、そしてこれらの批判を受け付けない姿勢など)があることについては当ブログでも既に書いてきたことである[i]。そして今回この「東京大行進」の「成功」が暴力的排除によって支えられてしまったことは新たに付け加えておくべきである。
「しばき隊」や「プラカ隊」といったカウンター行動については従前より、批判に対して「ヘサヨ」などのレッテル張りや誹謗中傷を投げつけるばかりではあったがその標的として度々矛先が向けられるのが、そもそも「ヘサヨ」という語の由来[ii]ともされるヘイトスピーチに反対する会(以下「ヘ会」)である。
ここで2つの出来事を紹介したい。
(1)「しばき隊」メンバーらによる、「ヘ会」主催9.16学習会「人種差別を日本からなくす!どうすれば?」における妨害予告、当日の無断録音と公開、参加者の人定 (http://livingtogether.blog91.fc2.com/blog-entry-118.html 参照)
(2)「しばき隊・男組」を名乗る者たちによる9月22日「東京大行進」での暴力的排除 (動画www.youtube.com/watch)
(排除に対する「ヘ会」の抗議声明 http://livingtogether.blog91.fc2.com/blog-entry-120.html )
上記の(1)の学習会は「東京大行進」に向けてその趣旨である「人種差別撤廃条約の誠実な履行」を求めるにあたって「どのような差別問題が、人種差別撤廃条約の理念にもとづき解決されるべきか」を考えるために設けらており、また(2)についても「人種差別撤廃条約の誠実な履行を日本政府に求める決議(案)」として作ったビラ( http://livingtogether.blog91.fc2.com/blog-entry-119.html )を会場外で参加者に向けて配っていたのであり、このような学習会や表現活動が妨害されたり暴力的に排除されてしまう程に状況は極めて深刻なのである。
また、これらに先立って「ヘ会」が9.22大行進への参加を表明してから以降、大行進に関わるものたちの中から同会に対する恫喝的なメッセージが出されたことも記憶に留めておくべきである。
ヘ会って在特会以上に逃げ回ってるんだから、公開の場で詰める絶好のチャンスなんじゃないの?私は「ヘ会は排除しない」「むしろ参加させて、市中引き回しの上、公開処刑」がよいと思います。(2013.8.11 18:47 @Kino_Toshiki)
【急募】北守の面(2013.8.16 2.29 @jothoe_kanna12)
ザイトク相手にやっているように、山口素明をうまく暴れさせて、そのまま警察に逮捕させればいいんじゃないかなあ。わりと簡単そうな気がする。(2013.9.17 1:41 @Kino_Toshiki)
@hokusyu82 リプも返して来ないくせに印象操作はやめなって。僕がやりたいのはヘ会・北守の糾弾会だよ。お前の退路を断った上で総括と自己批判を求めたい。暴力が不安だっていうなら公安警察の人も同席してもらうからさ。ここまでコケにしといてまさか逃げないよな?反論の機会はあるよ。(2013.9.2012:12 @89Tweet)
このように言動がエスカレートしてついには9.22の暴力的排除へと至ってしてしまったわけである。
2.批判的参加の権利を奪うな
今回の大行進における暴力的排除およびそれ至るまでの上述の恫喝、脅迫的言動を支持ないし容認する者たちの主張としては、「ヘ会」は大行進に対して<妨害>をはたらく者たちであるという前提があるようだが、学習会やビラの内容はからそれを導くのは無理筋である。また「ヘ会」のメンバーが個人として大阪で7月14日に行われた「仲良くしようぜパレード」についてボイコットを呼びかけ(後に撤回)、また大行進についても一度はボイコットを呼びかけた件をもってして排除を正当化する向きもあるようである。
ボイコットの呼びかけについては具体的には以下の発言であろう。
とりあえず7.14大阪はボイコットを推奨しております。(2013.7.5 00:03 @hokusyu82)
定期:7月14日の「仲良くしようぜパレード」についてボイコットを呼びかけます。あえて参加してカウンターでもよいですが、その際は「仲良くしようぜ」の寛容さの暴力に取り込まれないよう注意してください。(2013.7.10 02:30 @hokkusyu82)
仲パレin東京、レイシストとつるむ反人種差別などありえません。当然ボイコットをすべきです。(2013.7.26 20:05 @hokusyu82)
しかし、同会が8月11日に<目下の「在特会」のヘイトデモ及びそのカウンターに対する声明>と題する声明において「大行進」の参加を公式的に表明した以降は(当然かもしれないが)ボイコットの呼びかけはない。この声明の中では「在特会のようなレイシスト集団に対して市民が反対の声をあげるのは当然」としながら、カウンター行動の現場で起きている問題を指摘しており、それをまとめると以下の3点になる。
◆レイシストに打撃を与えるためにあらゆる資源を動員することを要求し、障害差別・学歴差別・年齢差別・性差別など、レイシストによる差別に対して差別で返すという暴力をカウンターの現場に持ち込もうとする一派がいる。
◆「在特会に反対する」一点のみで結集した行動ということで、その中には在特会とほとんど変わらないような正真正銘のレイシストも、可視化されている範囲においても混ざっている。
eg.朝鮮学園の「無償化」に反対であることを公言する者など
◆反レイシズムを反在特会に切り詰めるような運動は、根本的な構造の問題を隠蔽し、それを免罪している。具体的には、在特会に直接反対したことをもって、日本の市民社会はレイシズム許容していないという「ウソ」を主張する者や、日本の「民度」の高さに感動し、日本に対するナショナル・プライドを高揚させてしまう者さえいる。このことは反差別において大きな連帯をつくっていくことさえ阻む。
http://livingtogether.blog91.fc2.com/blog-date-201308.html
上記の批判がある上で、声明は9月22日の大行進についてその趣旨に賛同し、「一緒に歩き、語りましょう」と参加を表明して締めくくっている。
一度はボイコットを呼びかけられたことを仮に妨害として捉えたとしても、撤回後なおも積極的に排除する必要性がどこにあるのか当該の「しばき隊・男組」の者たち、および主催する場でそのような排除が起きたことに対して運営は説明をするべきである。またそれまでの過程で運営に携わる木野氏がネット上で暴力を示唆し、さらには個人の顔写真まで拡散させたことに対して運営の見解を明らかにするべきであると考える。「こいつを見つけてとっちめてやろう」という明らかな加害目的で個人の顔写真を拡散させる行為が、たとえ仮にそれが公開されていた写真であったとしても、許容されて然るべきことなのかハッキリと説明すべきである。
「仕返し」のつもりなのであろう。批判されたことに腹が立った、邪魔をされたという気持ちでいっぱいなのだろう。批判に対して応答するのではなく相手を叩くことに夢中になるばかりでネットでの誹謗中傷、暴言罵倒はどんどんエスカレートしていき、相手にダメージを与えるためなら何でもありになっている。もしかすると、エスカレートする過程で言葉数で圧倒し批判者を挑発することで対立を煽り、周りに対して「どっちもどっち」という印象を与えることによって、そもそも告発されていた差別を忘れさせる、つまり隠蔽を図ろうとしているのではないかとも思えてしまう。
これは一連のカウンター行動がまさに批判されてきた「敵」にダメージを与えるためなら差別的言辞をもって対抗すること、相手をあからさまに「力」でねじふせる方法について(武闘派組織であると自ら名乗る「男組」などその最たるものである)、これを批判者に対して、在特会」に対するのと同様に、「敵」として認定し適用していることに他ならないであろう。
批判者を「敵」と認定する作業に便利なのが「ヘサヨ」というレッテルなのであろうし、相手を「ヘサヨ」とみなせばその実を問わず何をしてもよいというところまで来ている(たとえ相手が「在特会」であっても何をしてもよいわけでは当然ない)。これは実際に「ヘ会」のメンバーであるかは関係なく、大行進参加者に対して「I'm 北守」というプラカードを掲げたひとについて、本人に断りなく勝手にその名前を明かし写真を拡散していることからも明らかである。
この間、「どんな運動も完璧ではない」であったり「外野から批判するのは簡単」「文句があるなら現場に来い」などと言葉を幾度も見聞きしてきた。これらについてはそれぞれに対して言いたいことはあるものの、しかし前提としてすくなくとも批判的参加の権利、関かかわりながら口出しができることすら保証されていなかったことは忘れられてはならない。黙って従う者だけ「仲良くしよう」、それ以外は「しばきたい」と臆面もなく振舞ってよいとされるようなマジョリティにとって気持ちの良い運動に人が集まるのも何の不思議もないではないか。
3.通されなかった「奴ら」
カウンター行動の中では様々なメッセージが掲げられてきた。明らかに差別的なものについては既に当ブログでも批判しているが、「仲良くしようぜ」という一見すると平和的なようで実質ハラスメント的なものや「奴らを通すな」という決意に満ちたものもある。
今回「通されなかった奴」、共に歩くことを許されなかった、その道を通ることを妨げられた者は「在特会」ではなく「ヘサヨ」であった。一番声のでかい者、「力」を行使できるものが街を闊歩する風景。これはそのまま日本である。相手を悪魔化し、暴力によって疎外する、これは反差別ではない、差別である。
コトコトじっくり煮込んだ日帝♪(レのはちぶおんぷ)